059 派遣された神父
試練の迷宮を踏破したことにより、キッカたちのパーティは瘴気領域に挑戦する権利を手に入れた。
「クリアするだろうとは思っていたよ」
ストラウケンは特に驚くこともなく、フリッツからの報告に耳を傾けていた。
「しかし、まさかアラクネを討伐したのがミリヤムとは……にわかには信じがたいな」
当然、ミリヤムの異常については帰還直後に速やかに報告していた。安全を確認するためミリヤムの身体検査を行ったが、異常な点は見当たらなかった。寄生型のナイトメアが身体内に潜伏している可能性も考慮されたが、そのような兆候も見受けられず、今のところは不問となっている。。
「元々、素質があったのかもしれません」
フリッツは、複雑な表情を浮かべながら答える。
「魔素には無限の可能性があります。彼女は治癒術士としてはとても優秀でしたから」
「……寄生型ナイトメアに襲われたことをきっかけに、覚醒したというわけか」
「おそらくは」
前例のない現象に、頭を抱えるストラウケン。戦力が増えたことは望ましいが……やはり、一抹の不安が拭いきれない。
「……明日には、瘴気領域に向かうんだったな」
「はい。早くしないと、寵愛の石像の効力が失われてしまいますからね」
「ミリヤムも、同行させると」
「はい。寄生型ナイトメアの情報を盗み取ったようです。彼女が導かれる場所には、何かがあります」
悪夢のような記憶の中に存在する、美しい水鏡。彼女は本能的に、その位置を感じ取っていた。
「……今更、手がかりが見つかるとは、皮肉なものだな」
かつてストラウケンが攻略パーティを結成していたときには、見つけられなかったもの。何度あの禍々しい領域に踏み出しても、あげられなかった成果である。
「止めても、意味がないんだろうな」
「もちろんです。僕はそのために、この町に来たんですから」
試練の迷宮とは、危険度も生還確率もまるで違う。これが今生の別れになる可能性だって、否定はできないのだ。
「瘴気領域を攻略しなくたって、お前はこの町の勇者だぞ」
「わかっていますよ。だけど、僕に負い目を感じている子がいますから」
「……チリアートか」
「あはは……」
幼馴染のように育った二人は、口では喧嘩しながらも、いつも傍にいた。彼女がいわれのない罵りを受けたときも、フリッツは彼女を庇う。チリアートは、守られている自分のことが嫌いだった。自分のせいで、フリッツが本来の栄光を受けられないことが、堪らなく歯痒かった。
「……瘴気領域を攻略できたら、誰もがチリアートを見直します。勇者パーティは、人類にとっての英雄です」
「だったら、しっかり守ってやることだな」
「何を言っているんですか」
勇者フリッツは、苦笑いを浮かべた。
「チリアートは、僕なんかよりもずっと強力な英雄ですよ。僕の方が、彼女に守られているんですから」
「……!」
だから、フリッツは我慢ならないのだ。
本来、勇者と呼ばれるほどの力を秘めているのは、自分じゃなくて彼女なのだと。
「もっとも、彼女はまだ自分の才能に気が付いていないですけどね。あの子の魔術の才能は、グアドスコン王国随一ですよ」
「……お前にそこまで言わせるか」
伊達に魔女の血族ではないと、ストラウケンは唸らされる。
「だから、安心して下さい。必ずや瘴気領域を攻略して、この地に安寧をもたらしてみせましょう」
「期待している」
旅立つ者の背中を見送るのは、いつだって寂しいものだ。幾度経験していても、その感覚に慣れることはない。
「……まったく、冒険者というのは厄介な生き物だな」
フリッツの表情に、かつての自分を重ねていた。
誰に何を言われようとも、彼らを止めることは出来ないのだ。
「俺ももう少し若ければ……瘴気領域に挑んでいたんだがな。いささか、守るべきものが増えすぎてしまったよ」
ギルドマスターという立場を、今は少しだけ寂しく思うストラウケンであった。
◆
「どうしても行くの?」
検査のためギルドの診療室に通っていたミリヤムは、その帰り道にソーニャに捕まってしまった。ぎゅっと、袖を掴んで、ミリヤムを繋ぎ止めようとしている。
「……どうして、何の相談もなしに決めちゃうのよ。試練の迷宮に行ったって聞いて、びっくりしたんだからね」
「ごめんね、ソーニャちゃん」
彼女は意図的に、自らの行動を隠していた。ソーニャに知られてしまえば、止められることがわかっていた。
「だけどね、初めて自発的に何かをしたいって、思ったの。生きがい、なのか……興味、なのか……ずっとずっと、あの光景を追い求めているの」
「ナイトメアに襲われて、ちょっと混乱しているだけよ。ミリヤムは普通の女の子なんだから、冒険なんて似合わないわ」
「わたしも、そー思う。でもね、ソーニャちゃん。わたしが興味を持ったものは、あの瘴気の向こう側にしかないの。もしかしたら、フツーじゃないのかもしれないけど……仕方ないよね。ここにいたって、わたしが見たいものはどこにもないんだもん」
生と死の境界線に魅入られた少女は、平穏を忌み嫌う。ナイトメアの影響によって狂わされた価値観が、ミリヤムをどこまでも突き動かす。
「思えばわたしは、無意味に生きていることに疑問しか持っていなかった。何のために、生きているんだろうって。だけどね、ナイトメアの汚れが教えてくれたんだー。生きるために死んで、死ぬために生きている。ぐるぐるの輪廻の輪っかこそが、この世で一番美しいもののだって」
ソーニャには、ミリヤムが口にしていることの半分も理解できなかった。愛する親友が、狂ってしまったと――そう考えても、おかしくはなかったが。
「……ミリヤムは、それが幸せなの?」
「うん。しあわせー」
「そう……」
理解できない価値観。許したくない行動原理。だけど、ソーニャは……剥き出しになりかけていたエゴを必死で押さえつけ、己を殺した。
「なら……仕方がないのかな。それが、ミリヤムのやりたいことなら……私には、口出しできないね……」
「うん! ありがとう、ソーニャちゃん!」
この子は間違っているのかもしれない。意識は塗り替えられ、良くない方向に進んでいるのかもしれない。それでも、ソーニャは無責任に言葉を吐くことは出来なかった。かつて見たこともないような、幸せそうな笑みを浮かべているのだから。
「生きて、帰ってきてくれる?」
「あはは、ソーニャちゃんたらおもしろーい」
悪夢が分かつ二人の道。
もし、ソーニャが少しでも大人になることを拒んでいれば、少しは違っていたのかもしれない。
◆
出発の朝。
誰よりも早く宿屋を抜け出したキッカは、準備を済ませて集合場所へと向かっていた。別れや見送りなど、必要はない。必ず帰ってくるつもりで、瘴気領域に向かうのだ。
「おはようございます」
見慣れないキツネ目の男が、爽やかな笑みを浮かべながら会釈をしていた。
「あまり警戒をしないでくださいな。私は、暗紅教会より派遣されました、『ロドレット』と申します。亡くなった神父様に代わりまして、今日から私が管理させていただくことになりました」
「…………」
清々しい程の胡散臭い笑みだと、キッカは感じていた。
「教会はもう、ぶっ壊されているぞ」
「ええ、存じております。しかし、神の教えというのは場所を選ぶことはございません」
「……王都から来たのか?」
「その通りでございます。どうか、お見知りおきを――キッカ様」
「…………」
こいつ、と。
一気に警戒レベルを引き上げるキッカ。
「ああ、失敬。キラン様でしたか。いやはや、ややこしいですねえ」
当たり前のように、キッカの正体に気が付いている。そのことを指摘するわけでもなく、厭味ったらしい言い回しだ。
「おっと! 殺意を向けないで下さい。私は、キラン様の敵ではございません。むしろ、応援しているのです」
「……応援?」
「ええ。瘴気領域の攻略を、応援しております。元々、暗紅教会はナイトメアを敵視していますからね。積極的に攻略に乗り出している方々には協力を惜しみません。それ以外の対立構造など、どうでも良いのです」
「…………」
グアドスコン王国におけるキッカの立ち位置は、もはや反逆者とそう変わらない。魔族に与する人類の裏切り者として、各地では指名手配されている。それなのにキッカを見逃すということは、人類側も一枚岩ではないということか。
「嘶きの森の瘴気領域を攻略したのも、キッカ様でしょう。それなのに人類の敵扱いとは、いやはや悲しいものですな」
「……うるせえよ」
だが、キッカは個人的に、この男のことが信用できなかった。明確な理由はないが、生理的嫌悪感が止まらない。神父の皮を被った、外道のように写る。
「それで? オレを待ち伏せしてまで、てめえは何が言いたいんだ?」
「ああ、忠告ですよ。これから、瘴気領域に赴くのでしょう?」
それからゆっくりと、細目を見開いた。
「――爆弾を抱えて攻略に向かうのはおよしなさい。あれは必ず、キラン様の足を引っ張ることになるでしょう」
「…………」
「私に忠告できるのは、ここまでです。それでは、また」
「……ああ」
暗紅教会『ロドレット』の名前を、深く刻み込む。
明らかに含みを持った喋り方が癇に障る、油断できない相手であった。
「後で、ドランに調べてもらった方が良さそうだな」
ミリヤムのことといい、ナイトメアに襲撃されたことといい、暗紅教会はひっそりと事件の渦中に位置している。表立って活動しているわけではないが、実は深く関わりがあるのかもしれない。
「爆弾、ねえ」
それをいうのなら、自分自身が一番の爆弾だと、キッカは一笑する。今更、仲間を置いていくわけには行かない。
迷うことなく、集合場所へとキッカは向かう。
いざ、瘴気領域を攻略してみせようか。
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