056 試練の迷宮その2
「ストラウケンさんはね、瘴気領域の攻略にあまり乗り気じゃないんだと思う」
それは、試練の迷宮に踏み込む前のことだ。
勇者フリッツが、苦笑いを浮かべながらキッカに語る。
「王都の方法に納得できず、自分の信念をもってグリーンパールに流れ着いたストラウケンさんは、最初こそ瘴気領域の攻略に乗り出していたんだ。だけど、ある日、ストラウケンさんの右腕とも呼べる相棒が、攻略中に消息を絶ってしまった」
当然、ストラウケンは捜索隊を率いて瘴気領域を探し回った。だが、どれほど瘴気領域の中を捜索しても、手がかりは見つからなかった。
「……僕はまだ、瘴気領域の中に入ったことはないんだけど……あの中は、時間が止まったような感覚がするんだって。時空が歪んでいるのかな。紫煙に包まれた領域内は、視界がとても悪くて、大量のナイトメアが徘徊している。とてもじゃないが、探し切ることは出来なかった」
『寵愛の石像』の効力は、短時間しか作用しない。そのため、少し進んでは引き返しての非効率な捜索となってしまう。結局、効果時間内の範囲には、失踪者の痕跡を見つけることは難しかった。
「ギルドとしては、諦めざるを得なかった。その日から……ストラウケンさんは、寵愛の石像を試練の迷宮に納めて、簡単に挑戦できないようにした。口では攻略を掲げているけど、たぶんもう……」
あえて難しい試練を課すことで、挑戦者を跳ね除ける。石像が迷宮の奥に置かれてからは、瘴気領域を攻略するものはいなくなってしまった。
「……じゃあ、フリッツはどうして瘴気領域に行きたいと思ったんだ?」
「そんなの、決まっているよね」
笑顔で、フリッツは言う。
「僕は、勇者だから――困っている人を、助けたい」
鋭い瞳で、キッカを眺めながら。
「――嘶きの森の瘴気領域が消えたことで、あれが攻略可能なものだと確信した。ならば、勇者は立ち上がらないといけない。今もまだ、ナイトメアは定期的に発生しているんだし」
「……そうか」
フリッツが何のためにその話題を口にしたのか、キッカにはわからなかった。もしかすると、不穏な未来を予想していたのかもしれない。
◆
ダンジョンの奥に進めば進むほど、襲いかかる魔物は凶暴かつ獰猛になっていった。
「また、不意打ちか――!!」
壊れた瓦礫の中に潜伏して、背後からフリッツに襲い掛かる骸骨剣士。死んだふりをして近付いてきたところを噛み付こうとする屍食鬼。遠距離から術式を展開してきたリッチなど、多種多様である。
あの手この手を尽くして、冒険者を殺そうとする企みは、武力を持って戦うというよりはむしろ、相手を嵌め込む騙し合いに近かった。この辺りの戦い方になると、前方の二人だけではなく、後方のミリヤムやキッカにも魔の手は襲い掛かる。油断していれば即死亡の、危険な領域までやってきていた。
「――クモの巣がある」
それは、最深部が近いことを意味していた。試練の迷宮に巣食う、魔物たちの親玉。半人半魔の化物がいよいよ彼らに牙を向き始める。
「小蜘蛛に気をつけろよ、チリアート!」
「わかっているわよ!」
蜘蛛が獲物を狩る方法は、ひたすらに『待ち』である。蜘蛛の巣を張り巡らせながら、獲物が引っかかるのを闇の向こうでじっくりと見つめている。目の前の蜘蛛が襲いかかっているのは、いわば陽動だ。
「『火柱』」
短い詠唱を経て、張り巡らされた蜘蛛の巣を焼き払う。
「か、火力を抑えてくれ! 空気が薄いんだぞ、ここは!」
「ああ、もううるさーい! 手加減しているわよ!」
キィキィといった鳴き声が、周囲を取り囲んでいる。後方からも、大量の子蜘蛛が押し寄せてきていた。
「き、気持ち悪いよぉ~~~~!!」
「下がっていろ!」
大規模な魔砲で吹き飛ばしても良かったのだが、それでは迷宮が崩落してしまう可能性があった。そのためキッカは、ナイフ一本で蜘蛛たちの相手をすることを選ぶ。
「厄介そうな相手だ」
飛びかかる子蜘蛛の群れを次々と切り落としていく。この程度の魔物は、当然キッカの相手になるはずもない。戦闘力としては、雑魚も良いところだが。
「キランちゃん、糸が!」
飛びかかる蜘蛛を切断したその瞬間、ぐちゃっと身体が弾けたかと思うと、キッカめがけて大量の蜘蛛の糸が降り注ぐ。自爆特攻の作戦は、魔物ならではのハメ方だ。咄嗟に糸を切り裂こうとナイフの刃を当てるが、糸の粘着性に屈してしまう。魔素を込められた蜘蛛の糸は、驚くべき伸縮力と強度を誇っていた。
「しゃらくせえ!」
まとわりついた蜘蛛の糸を、素手で強引に引きちぎるキッカ。いつか、結界を破ったときのように、強引なやり方で糸を跳ね除ける。
「……数が多すぎるな」
わらわらと湧いてくる物量に、ため息が止まらない。それに、厄介なのは蜘蛛の糸だけではない。彼らの牙から滴る毒液が、床に零れ落ちる度に表面を溶かしていた。噛み付かれでもしたら、厄介なことになる。
単体では、相手になるはずもない。群れをなしたところで、キッカを超える力は実現できない。ただ、面倒なだけの戦闘は、明らかにキッカたちの消耗を狙ったものである。
「――薙ぎ払うか」
ナイフをしまって、銃を取り出した。先程は躊躇っていたが、出し惜しみをしている場合ではなさそうだ。弾丸を選べば、迷宮を壊すことなく殲滅できるはずだと信じて、構える。
「『魔弾』」
✕
「『跳弾』」
狭い迷宮内では圧倒的な効果を発揮する変則弾。
「――害虫駆除の時間だ」
求められるのは、圧倒的手数。
単発の威力は二の次に、ありったけの魔素を展開した。
キッカが引き金を引いた瞬間、一発の弾丸が子蜘蛛の胴体を貫いた。そのまま、背後の蜘蛛を何匹か貫通した後――床にぶつかって、跳ね上がる。跳弾した弾丸は、無作為な動線を描きながら、射線を遮る魔物を殺戮していった。
当然、それは単発で終わるような攻撃ではない。リロードすら必要のない、魔素による自動装填のおかげで、無限とも思える弾数が子蜘蛛の群れに降り注いだ。
「――おぉ、凄いねえ」
真後ろから、拍手とともにフリッツのハイな声が聞こえてきた。
「子蜘蛛の本命は、背後を襲撃することみたいだね。それも、キランちゃんの弾丸によって捻じ伏せられちゃったみたいだけど」
「……迷宮の壁、ぼろぼろにしちゃったわね。あーあ、壊れても知らないんだから」
「前方は、終わったのか」
「うん。この先に、大広間があって、最後の休憩ポイントかな。今日の冒険はここいらで切り上げて、休もうと思ってる」
「……もう、そんな時間か」
薄暗い迷宮内にいると、時間の感覚が失われる。
「休める時に休んでおかないと、いざという時に困るからね。アラクネのねぐらも、どうやら近そうだし」
一日目の冒険は、ひとまず終了だ。
明日には最深部に到着することが出来るだろう。
「何事もなく終わって良かったぁ」
脳天気なミリヤムの声が、休息を喜んでいた。治癒術士である彼女の出番がこなかったことは、一日目の最大の戦果だろう。
◆
ぱちぱちと心地よい音を弾けさせながら、焚き火の炎が揺られている。疲労が限界に迎えたミリヤムは、今日の冒険が終わりを迎えたことを聞くとすぐに眠りに落ちた。ここまでよく、ついてくることが出来たと感心する。
「見張りは、二組に分かれて、交代制にしよう」
真っ先に就寝したミリヤムを見つめながら、フリッツは提案した。
「じゃ、あんたが先に寝なさいよ。あたし、あんたと一緒に見張りなんてしたくないし」
結界の術式を展開し終わったチリアートは、そっけなく言う。
「あはは、冷たいなぁ」
「いいから、さっさと休みなさい。あんただって、疲れが溜まっているはずでしょ」
「おーけい、任せたよー」
寝袋を広げ、速やかに就寝するフリッツ。あっという間に、安らかな寝息がキッカたちの耳に届けられる。
「……優しいんだな」
「別に」
見張りを任されたキッカとチリアートは、小声で会話する。
「……あ、クモの巣……ちゃんと、取り除いておかないとね」
短く術式を詠唱したチリアートは、音もなく巣を燃やし尽くす。
「油断も隙もないんだから。ちゃんと見張ってないと、出入り口を塞がれちゃうわね」
チリアートは、魔素の探知能力にとても長けており、誰よりも早くクモの巣に気が付いていた。視力に難を抱えるキッカにとって、とても強力な味方である。
「にしても、二人は驚くほど優秀だな。迷宮攻略が、こんなに楽させてもらえるとは思わなかったぞ」
「あはは、こいつは伊達に勇者やってないからね。本当なら、こんなところで燻っていい才能じゃないんだけどね……」
乾いた笑い声が、やけに虚しい。
「フリッツも優秀だが、チリアートも負けてねえだろ。王都の術士は、みんなこうなのか?」
「ま、死物狂いで努力してるからさ。勇者パーティにいても、足を引っ張らないくらいにはしておきたいし」
フリッツの前では強がっているが、キッカと二人きりの状況だと途端に声が小さくなる。
「……ホントはね、フリッツは王都の選抜隊に所属できるはずだったの。試験も合格していたし、誰からも認められていた。それなのにあいつは……あたしを庇って、揉め事を起こしちゃったね。逆ギレして、あたしをつれて王都から逃げてきちゃったの。バカだよね」
「何をやらかした?」
「別に、何も。ただ、あたしが魔女の血を引いているからって、やっかみのような陰口が多かったの。フリッツと一緒にいることが、気に食わなかったんだろうな」
「……勇者と魔女、か」
どうやらグアドスコン王国の歴史では、魔女は人類に仇なす敵として語り継がれているようだ。瘴気領域を生み出したのも、魔女という説があるくらいだ。
「それで、フリッツがブチ切れたわけか」
「そ。バカでしょ?」
「大馬鹿者だな」
少女二人は、同時に笑う。
「……本当なら、歴史に残るような勇者になっていたのかもしれない。ナイトメアが各地で出没するようになってからは、日に日にそう思うようになっていく……。フリッツは、これでいいのかなって……」
「オレは別に、お前らのことなんざこれっぽっちも理解してねえが」
笑いを噛み殺しながら、キッカはいう。
「チリアートの隣で戦うあいつは、楽しそうだったぜ。そこに、後悔の念は一欠片も感じなかった」
「……そう、かな」
「不安なら聞いてみろよ。たまには甘えてやれ」
「そ、そんなこと出来るわけないじゃない……!! 誰が――!!」
「たまには素直になるのも悪くねえぞ。人生の先輩からのアドバイスだ」
「……いや、キランさんの方が年下よね? 何その貫録……」
「オレにとっちゃ、まだまだチリアートは小娘だよ」
ときたま、キッカは自分の年齢を勘違いして会話をしてしまう癖がある。その度に、話し相手は不思議そうな苦笑いを浮かべるのだが、当の本人にその自覚はない。
「ほんと、不思議な子……」
キッカの頬に手を伸ばして、優しく微笑むチリアート。瞳の奥に上映されるは、彼女自身のこれまでの情景。何かを重ねては、想いを噛みしめる。
「……チリアート?」
「きれいな白髪ね。羨ましいわ」
何かを誤魔化すように、彼女は視線を外した。
それから彼女は、言葉に詰まったまま微動だにすることはなかった。ぱちぱちと鳴り続ける火の音に耳を傾けながら、ひたすらに見張りを続ける。
◆
警戒しているはずだった。
僅かな魔素を見逃すことなく、彼女たちは蜘蛛の糸一本すら見落とさないようにしていた。
だが、それでも闇の住人たちは、警戒の目を掻い潜る。
目に見える蜘蛛の糸は、間髪入れずに焼き払われた。
目に見えない魔素を練り込んだ糸ですら、チリアートは感知する。
だが、魔素に頼らない見えない蜘蛛の糸は、どうだろう。
目に見える糸と、魔素を編み込まれた糸ばかり注意していたチリアートは、三種類目の可能性を失念していた。
音もなく垂らされる、不可視の糸。
ミリヤムの肢体に、アラクネの魔の手が襲いかかろうとしていた。
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