055 試練の迷宮その1
試練の迷宮の入り口は、未知の危険を示唆するかのように荒れ果てていた。周囲には古い戦いの名残があり、使い捨てられたナイフや黒ずんだ血痕が、ここでの戦いの犠牲を示していた。
フリッツとチリアートは、迷宮の入り口を迷わず進んだ彼らの後ろで、キッカはミリヤムの肩を軽く叩き、追いかけるように促した。
石畳が敷かれた迷宮の内部は、歩きやすい。明らかに人の手によって造られたものだった。果たして誰が、どんな目的で作り上げたものなのか。その答えは遥か昔に消え去ったようだが、それを探るすべは残されていない。
「……チリアート」
「わかってるわよ」
先を進む二人は、魔物や罠の気配に警戒しながら、慎重に通路を進んでいた。フリッツの手から、浮遊する柔らかな光が放たれ、暗がりを照らしていった。迷宮は入り口を過ぎると次第に闇に覆われ、足元を照らす明かりは必須となっていた。
己の位置を主張する光源は、迷宮に巣食うものに存在を知らしめる。だが、それ名無しで進むことは困難である。先導する二人は、自身が危険な役割を担っていることを理解していた。
「……魔物ね」
「ああ」
研ぎ澄まされた感知術式が、襲撃を教えてくれる。突き当りを右に曲がってすぐに、骸骨兵士の群れがかたかたと音鳴らして徘徊していた。
「罠は?」
「わからないわ。油断しないでね」
「ああ」
ダンジョンとは、迎え撃つために作られるものだ。侵入者を排除するための機能に特化している。お喋りをしながら、楽しく攻略なんて御伽噺の世界だけだ。一瞬たりとも油断できないシビアな緊張状態が、ひたすらに続いていく。
「――殲滅完了」
だが、フリッツとチリアートにとって、この程度の障害は朝飯前であった。経験からくる技術が、試練の迷宮を驚くべき正確さで踏破していく。
「……凄えな」
慎重に、リスクを侵さず、それでいて的確に対処しながら迷宮を進む二人。背後から様子を伺いながら、思わずキッカは息を呑んだ。阿吽の呼吸で攻略する二人は、間違いなくベテラン冒険者に匹敵する。その背中は、頼もしいと感じずにはいられない。
「湿気が、凄いね」
二人の後を追いかけるミリヤムは、意外と遅れることはなかった。むしろ、ひょいひょいと進むものだから、前を進む二人に追いついてしまいそうだ。慌てて減速させたが、気を抜いているとぐいぐいと距離を縮めてしまう。
「じめじめ~」
薄暗い通路の壁面には、大量の苔がびっしりと生していた。大きな亀裂の割れ目からは、迷宮の荒れ模様を感じさせる。
「……呑気なもんだな」
慎重に歩を勧めていくも、迷宮の不思議な作りは彼らを幾度となく迷わせる。進んだつもりでも、すでに通った未知を再び歩かされていたり、新しい道が突如現れたり、まるで迷宮が冒険者達をからかうようだった。それでもキッカたちは、辛抱強く一つ一つの道を虱潰しに辿り続ける。
その甲斐あって、やがて彼らは開放的な広間に足を踏み入れた。広間の中央には清らかな泉が湧き出ており、それまでの重苦しい雰囲気が一変して、心地よい雰囲気に包まれていた。
「一旦、休憩しようか」
広間の安全を確認したキッカたちは、手早く荷物を下ろして各々が過ごしやすいような姿勢で休憩を取ることにした。わずか数時間の探索にも関わらず、迷宮特有の緊張からくる疲れは、想定していた以上に重いものだった。
「あー、疲れたー」
道中では私語に興じている暇がなかったせいが、休憩となると途端にチリアートは饒舌になっていた。
「意外とテンポよく進めているわね。思っていたよりも、肩透かしかも」
「踏破済みだからか、危険な罠も見当たらないしなぁ。出てくる魔物も、基本は瞬殺だし」
「おかげで、随分と楽をさせてもらっている」
フリッツとチリアートが前方の敵を蹴散らしてくれるおかげで、キッカやミリヤムは後をついていくだけであった。
「後半は、オレが前に行こうか?」
「いや、このままでいこう。今のところは上手くいっているんだし、変更する必要はない」
「そうか」
いい奴らなんだろうなと、キッカは素直に思った。率先して、もっとも大変な役割を選び取る。さすがは勇者と言われているだけはある。
「ねぇねぇ、フリッツくんは、どこが勇者なの?」
ミリヤムが、呑気に疑問の声を上げた。
「え?」
「だって、スキル『勇者』って、よくわかんないんだもん」
「へらへらしてるし、ムカつくものね。あたしも最初は、こいつが勇者だって信じられなかったわ」
誰よりも先に、チリアートが反応する。
「……えっと、スキル『勇者』は常時発動型のスキルで、一言で言えば特性みたいなもんだよ。悪者に対して、特効を得るっていうのかな……」
ナイトメアを両断したときの光景は、記憶に新しいだろう。フリッツに斬られた悪は、その傷を癒やすことが出来ない。
「運命に愛されているんだよね。だから、自信を持って戦える。この迷宮も心配しないでいい。僕が君を守ってあげるからね」
「近いわよ、バカ」
ミリヤムに迫ろうとしたフリッツの後頭部を、気持ちの良い音を奏でながら引っ叩く。
「何すんだよー」
「セクハラ禁止だから」
「もう、チリアートは嫉妬深いんだから」
「そんなんじゃないわよ!!」
相変わらず、オフのときは喧嘩ばかりしていた。仲が良いのか、悪いのか……いや、そんなものは明白か。
「じゃあ、チリちゃんは?」
「あたし? あたしは……別に、特筆するようなことなんて何もないわ。若くて可愛い、魔術師だもん」
「謙遜しないでいいんじゃない? こう見えてチリアートは、魔女の血族であり、この世界でも稀有な魔術の素養を持っているじゃないか」
「……まじょ?」
躊躇いなく、ミリヤムは踏み込んだ。こういうとき、素直に質問できることが、キッカは少し羨ましかった。
「勝手に人の秘密をぺらぺら喋るんじゃないわよ!!!」
「いいじゃん、大丈夫だって。この子たちは、変な目で君を見ることはないよ」
「……魔女だと、何かまずいのか?」
今度は、素直に質問できた。
「あー、まぁ、偏見で見られがちなのよ。特に、おじさんとかだと、邪悪な血族め! とかいうの。何を怖がっているのか、さっぱりわからないわ」
「ひでぇ話だな」
偏見や差別に疎いキッカにしてみれば、意味の分からない話である。
「中身はラベンダーが大好きなだけのピュアな女の子なのに、何を怖がる必要があるんだろうね」
「余計なことは言わなくていいから!」
顔赤らめながら、チリアートは掴みかかる。
「将来の夢はラベンダー畑で紅茶を飲むことだよねー。覚えているよー? かわいいよねー」
「あんたまだ子供の頃の話を引っ張るつもりなの!? あたし、もう十七なんだけど!」
「まだまだ子供じゃん」
「うっさーい!」
どうやら二人は幼馴染のような間柄のようだ。二人が一緒にいる理由が、薄っすらと見えてくる。
「そういえば、キランさんはどうして瘴気領域に行きたいの? 物好きすぎない?」
話題が切り替わる。
「……知人の手がかりをさがしているんだよ。おそらく、瘴気領域の向こう側にいる」
隠すことでもないので、キッカは躊躇うことなく説明する。
「フェリエルっていう剣の使い手だ。色々事情があって、行方不明なんだ」
「瘴気領域の向こう側?」
フリッツが、目ざとく反応した。
「……もしかして、選ばれし御子だったりするのかな。一時期、王都サンレミドでも行方不明者が多発していた時期があったんだよね。早々にこっちに来ちゃったから、詳細は知らないんだけど……」
「フリッツくんは、勇者なんだよね? それなのに、どうしてこんなところにいるの? エリートさんは、王都で頑張れるはずだったのにって、ソーニャちゃんも言ってたよ」
「王都はさ、いい匂いがしないんだよ」
苦笑いを浮かべながら、フリッツは語る。
「陰謀とか、利権とか、そういう面倒なことでいっぱい。別に、勇者が倒すべき魔王なんてどこにもいないし、自由気ままにやらせてもらってるんだ。本当なら、僕も王都の選抜隊に加わっていたんだろうけどね」
ヴェスソンやニコライとは違い、フリッツは紛れもない本物である。当然、選ばれし御子の中でも上位に位置していたはずだ。
「ストラウケンさんが、誘ってくれたんだ。こっちに来てから、楽しくさせてもらっているよ。王都にいたら、こんな風にハーレムパーティを結成することも出来なかったし!」
「…………」
フリッツの説明を聞いて、視線を逸らすチリアート。どうやら、思うところがあるらしい。だが、不用意な詮索を好まないキッカは、見なかったことにする。
「そういえば、ミリヤムも花が好きだったよな。気が合うんじゃねえの」
ソーニャから聞いたことを思い出したキッカ。
「……あー」
だが、ミリヤムは少し気まずそうにはにかむ。
「最近は、あんまりだね」
「そうなのか?」
「んー……ほら、みんなみんな、燃やされちゃったから」
「あ……」
崩壊した教会跡地を思い出してしまった。寄生型ナイトメアの可能性を潰すため、建物だけではなく周囲の植物ですら駆除対象にされていた。彼女が育てていた花は、灰となって大地に散らばってしまった。
「あの日からね、お花にきょーみがなくなっちゃった。今は別のものが好きかなぁ」
「別のものって、何が好きなの?」
「えへへー、ないしょ!」
心から楽しそうな笑みを浮かべながら、ミリヤムは誤魔化した。
「言いなさいよ~~!」
とチリアートはからむが、
「だめー!」
どんなに戯れつこうとも彼女は答えてくれなかった。
「……呑気なもんだな」
もはやダンジョン内であることを忘れている二人を見て、苦笑いが溢れる。
「いいんじゃない? 今のところは順調だし……まだ、蜘蛛の巣も見当たらない」
すっと、鋭い視線を広間の扉に向けるフリッツは。
「――守るべきものが増えると、大変だ。キランちゃんも、無理はしないようにね」
「オレは、おまえに守られるほど弱くはねえよ」
「知ってるよ」
自分の左頬を指さして、フリッツは笑った。キッカに殴られたことを暗示している。
「――だから、ミリヤムちゃんのことは任せるんだ。よろしくね」
力強い存在感を放つ勇者の姿は、嘘偽りなく。フリッツという青年の頼もしさが、嫌というほど伝わってくる。
「さて、そろそろ休憩は終わりにしようか」
親睦を深めたパーティは、改めて迷宮の奥に進む。
その先に何が待ち受けようとも、彼らの歩みを止めることは難しい。
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