054 備えあれば憂いなし
「来たか」
試練の迷宮への挑戦の日。
攻略の準備を済ませたキッカたちは、グリーンパールの西門前に集合していた。
「随分と軽装だね。荷物はそれだけかい?」
小旅行のような規模感の荷物を背負うフリッツは、小さな鞄のみをぶらさげるキッカの様相に驚いていた。
「武器と、飲水の入った水筒。簡単な携帯食に、小さな携帯用のランタンといくつかの丈夫な布があれば十分だ。オレの戦闘スタイル的に、なるべく身軽でいたいからな」
丸三日程度のダンジョンなら、これで十分だ。
「……寝袋、なくていいの? 凄いわね……」
キッカと同じくらいの荷物のチリアートは、目を丸くさせて驚いていた。その様子だと、かさばる荷物はフリッツに持たせているようだ。
「雑多なところで眠るのは慣れている。オレのことは気にしないでくれ」
キランだった頃には、もっと過酷な状況でサバイバル生活を強いられたこともある。自然に立ち返ることに躊躇いを持たなければ、最低限の道具さえあれば意外となんとかなるものである。もちろん、簡単にできる話ではないのだが。
「ま、僕たちも荷物に頼り切らないようにしなくちゃね。本当の危機的状況ってのは、備えていてもあまり意味がないことも多いし」
そう言いながらも、フリッツの荷物も二人分にしては比較的少なめだった。二人がダンジョン攻略に慣れているのも、あながち間違いではないようだ。
「それじゃ、行きましょ。さっさと攻略して、宿に帰りたいわ」
緊張感もかけらもなく、出発しようとチリアートは言うが。
「待て」
キッカには、どうしても確かめなければいけないことがあった。
「……どうしたの、キランちゃん? 何か忘れ物かなぁ?」
ニコニコと、手ぶらのミリヤムが笑いかける。
「いや、おまえ」
さも当たり前のように振る舞っているが、いるはずのない人物が同行している。
「なんでここに、ミリヤムがいるんだよ! 三人パーティじゃなかったのか!?」
「あはは、キランちゃんって、怒っている姿もかぁいいんだねー」
ふらりと遊びに出かけるような、旅にそぐわない格好でミリヤムが後をついてきていた。いや、ひらひらとした衣装を身に纏うキッカも似たようなものだが、しかし、これは違うだろう!
「……ま、そりゃそうだよね。ほら、あんたが説明しなさいよ。許可したの、あんたでしょ」
「あー、それ言っちゃう?」
ぐいっと、キッカの前に押し出されるフリッツ。気まずそうに笑いながら、説明する。
「ほら、女の子がいっぱいいたほうが、楽しそうじゃないかな……?」
「はぐらかすな、ちゃんと答えろ!」
「ご、ごめんごめん! でも、理由は単純だよ。彼女がいた方が、パーティとして明らかに強力だからさ」
「……え?」
それは、意外な回答だった。
「だって、彼女は暗紅教会のシスターなんだよ? 当然、治癒術式に長けている。僕らの中に、癒やしの力を備えている者はいない。治癒術士の有無は、そのままパーティの強度に直結するからねえ」
「……ミリヤムは、治癒術士だったのか?」
「うん、そうだよー。あ、でも、自分には使えないんだよね。メッシホーコー、誰かのためにしか使えない能力なんだぁ」
普段はほわほわしているのに、予想外に優秀な能力を秘めていた。よくよく考えれば、当たり前のことだ。ど天然なミリヤムが、暗紅教会に存在を許されている。そのことが、彼女の能力を裏付けしていた。
「……目的は?」
「え?」
「試練の迷宮に行く動機だよ。能力があっても、ついてくる理由は別にあるはずだ」
「……キッカちゃんは、意地悪だなぁ」
苦笑いを浮かべながら、ミリヤムは言う。
「しょーきの向こう側に、行ってみたいだけだよ。ナイトメアにいじめられたあの日から……憧れが、止まらないの」
「オレは、断ったよな」
「うん。でも、どうしてもそうしたいって思ったから……キランちゃんが駄目って言っても、ついていくよ。だって、女の子のときめきは、誰にも止められないんだから……!」
ふわふわとした雰囲気の中から、強い意志のようなものが伝わってくる。内側の世界しか知らなかった子供が、初めて外の世界を知ったような憧れ。一瞬、キッカの脳裏にソーニャの悲壮な表情が脳裏に浮かぶが……それ以上、キッカには断る言葉が見つけられなかった。
「……勝手にしろ」
「やたー!」
「戦力として計算できるなら、断る理由もないしな。治癒術士なら、足手まといにはならねえだろ。命懸けで、あんたを守ってやるよ」
「決まりだね」
嬉しそうにはしゃぐミリヤムの姿を見つめながら、キッカは奇妙な感覚に包まれていた。繰り返される喜びの声と、その度に違う耳馴染みのない音。何度も繰り返されたミリヤムの輝きに、違った変化を感じてしまう。それらすべては暗闇に踊る濁流のように、キッカの疑問を置き去りにしていった。
遠く、遠くへ、意識が引っ張られる。
「キランちゃん、ありがとうね」
「ああ」
彼女の笑顔は、人を狂わせる甘さを秘めていた。異性、同性の枠組みを超えた何かが、花開く。
◆
「段取りを確認しておこうか」
試練の迷宮前に到着したキッカたちは、円陣を組みながらフリッツの言葉に耳を傾ける。
「試練の迷宮は、その名前以上に危険に満ち溢れている。一度攻略されているものの、強力な魔物の巣窟となっている。事前情報によると、ここを根城にしているのは、アラクネという蜘蛛型の凶悪な魔物らしい」
「……だとしたら、少し面倒だな。蜘蛛の巣に突っ込みに行くわけだ」
「その通りだ。アラクネの蜘蛛の糸は、魔素に包まれた強力な耐久度を誇る。これらは通常、切断することが非常に難しい。一度捕まれば、そう簡単には逃れられない」
「もちろん、アラクネ以外にも沢山の魔物が巣食っているから、油断しないようにね。あくまで最下層にいるボスが、アラクネってだけなんだから」
視界の悪い迷宮の奥を、アラクネの糸をかわしながら最深部まで進まなければならない。いつ、どこで襲撃されるかわからない道のりが、今回の攻略を難しくさせているポイントだ。
「――そこで、今回はこういう布陣で挑もうと思う。僕とチリアートでペアを組んで、魔物や罠を潰しながら先行する。僕らから数メートル離れた距離を維持しながら、ミリヤムちゃんが後に続く。彼女の背後は、キランちゃんに任せてもいいかな。流石に、非戦闘員を最後尾には任せられないし」
「構わねえが……それでいいのか? どう考えても、お前ら二人の負担が大きそうだが」
「そこはほら、僕は『勇者』だからね。アラクネの糸ですら、勇者の一撃には耐えられない」
自信満々に、フリッツは言う。
「連携は、あたしたち二人の方が慣れているし、何かあったらキランさんに助けてもらうわ。そのためにも、力は温存しておいてね」
「……なるほどね」
随分と信頼してくれているんだなと、キッカは驚いていた。いや、信頼されていないからこそ、最後尾なのか? どっちにも取れる作戦内容である。
「魔素と体力の残量に注意を払いながら、進んでいこう。休憩を取るタイミングは、僕たちに一任して欲しい。万が一何かが起きたら、すぐに知らせてくれ」
「……最後に、確認しておきたいんだが」
中身には異論はないものの、肝心なことが抜けていた。
「今回の攻略の方針は? 犠牲を出してでも攻略するのか、生還を優先するのか。二人の考えを聞かせて欲しい」
「それって、確認が必要なの?」
苦笑いを浮かべながら、フリッツは応える。
「もちろん、全員生還を目的とするよ。ヤバくなったら、すぐに撤退だ。一回で攻略する必要はないんだし、最悪を想定して進めよう。油断した奴らから、迷宮では命を落とすもんね」
「了解」
どうやら、迷宮に挑むスタンスは同じのようだ。ここがずれていたら、動きづらくなる。パーティを組む時に必要なのは、目的の共有だ。いざ窮地に陥ったとき、そういう部分が明暗を分ける。
「ミリヤムも、問題ないか?」
「うん、いいよー。頑張って、ついていくね! 回復は任せて!」
「…………」
運動に慣れていない、柔らかな肢体。おおよそ冒険者とは呼べない風貌だが、本当に問題ないのだろうか。そもそも、勇者たちの進むスピードについてこれるのか? 体力は?
「……いざとなれば、担いでいけばいいか」
つくづく、毒されていることを自覚する。
ミリヤムの脳天気な声を聞いていると、甘えさせたくなる衝動に駆られる。
「それじゃ、行こうか」
「ああ」
自信に満ちた笑みを浮かべながら、フリッツは手を差し伸べる。
「ほら、手を重ねて?」
「……ん?」
疑問符を浮かべるキッカだが、チリアートが迷いなく手を引いた。
「ごめんね。だけど、付き合ってあげて。こういうの、好きみたいだから」
三人の手が重なった。
「わわ、わたしも!」
遅れて四人目の手が重なって、フリッツは嬉しそうにうなずいた。
「いくぞーーー! おーーー!!」
元気のいい、掛け声。
「おー」
チリアートは、棒読みで。
「…………」
キッカは、ガン無視。
「お、おお~~!」
ミリヤムは、ふらふらとした声色で。
「――よし、チームワークはばっちりだな!」
それでも楽しそうに、勇者は拳を掲げた。
「勇者フリッツのハーレムパーティ、いざ出陣!」
「クソみたいなパーティ名、止めなさいよ!!」
「――いてぇ!」
チリアートにケツキックをされながら、二人は先に迷宮に進む。
「行くぞ、ミリヤム」
「うん!」
離れすぎないよう、慎重に後を追いかける。
かくして、少女たちは試練の迷宮に挑戦する。
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