053 悪夢の残滓


 『禁忌の迷宮』と呼ばれる危険区域の近くに、『試練の迷宮』は位置していた。このダンジョンは既にギルド『グニタヘイズ』の手によって攻略され、踏破済みではあるのだが、その規模と出没する魔物の手強さに目をつけたストラウケンは、ダンジョンの保存を決定。以降、瘴気領域に挑もうとするパーティは、最深部にある寵愛の石像の元へ辿り着かなければならなくなったという。


「キランさん、気を付けてくださいね。踏破済みのダンジョンとはいえ、並のパーティではまるで歯が立ちません。命あっての冒険者ですから」


 受付嬢のソーニャが、心配そうに手続きを進めてくれた。勇者フリッツをリーダーとしたパーティが、正式なものとなる。


「心配する必要はねえよ。そもそも、ストラウケンは、石像をかついで最深部まで踏破したんだろ? なんとかなるだろ」


「ストラウケンさんは、片手であの石像を持ち上げていましたから……それに、やはりギルドマスターは規格外です。いくら勇者と一緒とはいえ……まだこんなに幼いのに……」


 母親のような心配の仕方を見て、パカサロに残してきた両親を思い出してしまう。裏切り者との汚名を被りながら、町を追われるように逃亡した。随分と、迷惑をかけてしまったと思う。


「出発は、明日ですよね」


「ああ、サクッと攻略してくるよ」


「……そんな簡単なものではないですが」


「瘴気領域に乗り込もうっていうんだ。攻略済みのダンジョンに手こずっているようじゃ、話にならないだろう」


「それはそうですけど……」


 攻略必要日数は、まる三日ほど言われていた。ダンジョンに出没する魔物を倒すのはもちろん、食事の確保や休息の取り方、安全なルート選び等が試される。ただ強いだけでは、攻略が難しい。


「キランさんは、迷宮を攻略したことがあるんですか?」


「ああ」


 生前の記憶が蘇る。


「踏破出来なかったダンジョンは、一つもねえな。こういうのは、得意な方なんだ」


「……十一歳なのに?」


「細かいことは気にするな」


「もう……あまり、からかわないでくださいね……」


 困ったようにはにかみながら、ソーニャはいじける。


「飲水の確保だけはお願いしますよ。ダンジョンで恐ろしいのは、乾きですから」


「もちろんだ」


 日を跨いでの攻略になる以上、あらゆるケースを想定しておかなければならない。冒険とは、備えあれば憂いなしである。



 ◆



 寄生型ナイトメアの脅威に晒された暗紅教会グリーンパール支部は、瘴気や菌に汚染され、元の状態に戻すことが難しかった。また、寄生型という特性上、自生するキノコや散乱した死骸すら危険であると判断したギルドは、建物の焼却処分を命じる。もし、討伐しそこねている寄生型が潜伏していた場合、取り返しのつかないことになるからだ。それを避けるために、丸ごと燃やすことが最善だと判断された。


 宿主となった神父や冒険者の死体も、そのまま骨も残さず焼き尽くされてしまった。めらめらと燃え上がる炎が、あらゆる生を否定して煙を吐き出していく。ギルドに所属していた冒険者たちは、炎に飲み込まれる教会を眺めながら、弔いの祈りを捧げた。


「……すっかり、黒焦げになっちまったな」


 死者を見送るというのは、何度経験しても慣れないものである。すっかり寂れた教会跡地を散策しながら、キッカは寄生型の行方を追い求めていた。


「死骸が消えるなんてことは、ありえねえ。だが、瘴気を発生させずに潜伏することもまた、ありえねえ。どうなってやがる」


 寄生型ナイトメアの親玉が、そう簡単に死ぬとは思えない。最悪の可能性を考えながら、しらみ潰しに手がかりを探る。


「……あれ、キランちゃん?」


 残骸を漁っていたキッカに声をかけたのは、シスター・ミリヤム。


「どうしたの、こんなところで……」


「ナイトメアの痕跡を調べていたんだよ。ミリヤムこそどうした?」


「えっとね……何だかね、悲しくて……ふとしたとき、ここに来ちゃうの」


 亡くなった神父にお世話になっていると、彼女は以前語っていた。亡骸すら失われたこの場所で、感傷的になるのもやむを得ないだろう。


「……神父様、天国に行けたのかなぁ……」


「さぁ、どうだろうな」


 しゃがみ込んだミリヤムは、瓦礫の中に視線を落とす。


「……右肩の具合はどうだ?」


「まだ、じんじんするね」


 寄生型ナイトメアに侵食されかけていたところを、キッカの手によって強引に引き剥がされた。やむを得なかったとはいえ、抉られた傷痕は、彼女の右肩に残り続ける。包帯の下の白い肌が、元通りになることはない。


「……ねえ、キランちゃん。内緒にしておいて欲しいことがあるんだけど……」


「どうした?」


 キッカの方を見ないまま、ミリヤムは続ける。


「……あの日からね、変な夢を見るようになったの。どきどき、わくわく、もやもや……息苦しくて、切なくて、だけどどこか、胸を焦がすような熱さが込み上げてきて……」


 初めそれは、要領を得ない内容だったが。


「甘い味がするの。空気が、とっても甘くて……だけどね、夢の中のわたしは、気が付いていなかった。美味しいと思っていた空気は……ナイトメアの、瘴気だった」


「…………」


「おかしいよね、おかしいの。瘴気はわたしたちの身体を蝕むはずなのに、吸い込みたくて仕方がないの。ふわふわと、どこまでも飛んでいけるような気がして……」


 ぎゅっと、右肩の傷口を押さえる。その手付きは、慈愛に満ち溢れていた。


「……ミリヤム?」


「わたしの中の何かが、変わっていくような気がするの。だけどなぜか、怖くない。怖くないことが、とても、怖いの……」


「まさか」


 衝動的に、キッカは身構えていた。寄生型ナイトメアが、今もミリヤムの身体を支配している可能性。だが、その気配はどこにも感じられない。眼の前の少女は、生身の人間だ。寄生されているはずがない……!


「……夢を、見たの。甘い甘い瘴気の向こうに……とってもきれいなお水でできた、大きな鏡があったの。それを見た途端、とても懐かしいような気がして……鏡を、守らなくちゃって気がしてきたの。あれはとても、大切なものだから」


「――水鏡のことか?」


「うん。そんな言葉も、聞こえたよ。もしかして、あれがキランちゃんの探しものなのかな。だとしたら――わたしも、あの場所に連れて行って欲しい」


 不思議な気配を発しながら、ミリヤムは笑みを浮かべていた。妖艶で、吸い込まれそうな魅力に溢れている。普段のおどおどした様子とは、まるで違っていた。


「ナイトメアの瘴気に、毒されたのか……?」


「かもしれない。わたし、頭がおかしくなっちゃったのかなぁ……」


「……それは」


 だけどキッカには、そうは見えなかった。ミリヤムは、ミリヤムのままキッカの前で言葉を操る。それは決して、狂っているとかそういうわけではない。


「毒気が抜ければ、いつもみたいに戻れるさ。怪我をして、嫌なことがあって、心が傷付いているだけだ。だから、今は大人しくしておくんだな」


「……むぅ」


 彼女を連れて行くわけには行かない。もし、ナイトメアの影響で思考が定まっていないのだとしたら、余計に危険だ。


「だけど、キランちゃん。わたしは……水鏡の位置が、わかるんだよ。なんとなく……感じるの。わたしが一緒の方が、はかどると思うけどなぁ」


「それは」


 瘴気領域は、広大である。どこにあるかもわからない水鏡を探して歩くなど、途方もない労力がかかることが予想される。もし、ミリヤムの言うことが真実なら、素晴らしい戦力になるが。


「――駄目だ、諦めろ」


 ミーシャの笑顔が、脳裏に過る。彼女を危険な目に合わせるわけにはいかない。己にとっての利益と、彼女の身の安全。天秤にかけるまでもなく、答えは明らかだ。


「ざんねん」


 寂しそうに俯いたミリヤムは、それ以上食い下がることはしなかった。


「きのこ」


「ん?」


 名残惜しそうに、彼女はつぶやく。


「きのこも……燃えちゃったんだね」


「……? あ、ああ……そういや、そんなものもあったな」


「キランちゃんは、きのこすき?」


「……いや、あまり好きじゃないな。どうにも食感が苦手だ」


「そーなんだー」


 背中を向けて、ミリヤムは笑う。


「きのこって、とっても美味しいんだよ。頭がとろけるくらいに、キマっちゃうんだよねえ」


 キッカには見えない角度で、ミリヤムは指先を口元に寄せた。にょきっと生えた小さな茸を愛おしそうに撫でながら、彼女は笑う。


「……ソーニャに、心配をかけんなよ」


「うん!」


 見えないところで、何かが変わり始めていた。

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