051 にょきっ
気を緩めていたら気付かないほどの極小の気配が、キッカの脊髄に届けられる。本能的に危険を察したキッカは、弾けるように走り出していた。悪寒の正体を理解したわけではない。気味の悪い気配の中身がわからないまま、まずは行動に起こしていた。
「――ちっ」
暗紅教会に近付くにつれ、感じ取った気配が間違いではないことを確信する。
「ミリヤム――!」
ナイトメアの脅威は、終わったわけではなかった。ストラウケンが討伐したという大型ナイトメアは、奴らの本命ではないとキッカは悟る。爆散して散らばった死骸こそが、次なるナイトメアの一手だった。
――
『血の薔薇』との戦いによって知り得た経験が、不安の正体を導き出す。
「ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアア――!!」
甲高い叫び声が、教会から聞こえてきた。躊躇うことなく、キッカは扉を蹴破った。
「――っ!?」
教会の中は、まるで化物の腹の中のように脈打っていた。建物がまるごとナイトメアに寄生されているように、大量の茸が群を成して生え渡り、壁一面を覆っていた。ステンドグラスに磔にされていた神父らしき死体には、禍々しい杭が打ち付けられている。思わず鼻を覆いたくなるほどの異臭が、辺りに充満していた。
「……アア、助ケ……」
茸に寄生された冒険者の死体が、一斉にキッカを凝視する。群れを成す死体を見たキッカは、ようやく何が起きているのかを理解した。
「……遅かったか」
彼らはもう、死んでいる。磔にされている神父同様、手遅れだろう。
「すぐに、楽にしてやるよ」
瘴気を吸い込まないよう距離を取りながら、銃を取り出した。迫りくる寄生された死骸を、躊躇いなく撃ち抜いていく。彼らの動きは皆、緩慢であった。油断さえしなければ、一矢報いられることすらありえない。
「……悪いな」
中心核の位置がわからない以上、徹底的に死体を破壊する必要があった。
「ア――アアアアアアアアア」
弾丸の雨を浴びながら、死体の肉は削り取られてゆき、次第に中心核が剥き出しになっていく。寄生型ナイトメアは単体ではとても小さいが、宿主を見つけたときは根を張り巡らせ、一つの身体として生まれ変わる。寄生する前に殺すことは難しいが、寄生した後はとても簡単に殺せる。
犠牲を無視できるのなら、これほど簡単に殺せるナイトメアはいない。撃ち抜かれていく寄生された死体は、いとも容易く機能を停止させられていく。原型を留めないほどに破壊された亡骸は、あまりにも容赦というものを感じられない。手心を感じないキッカの一撃が、死者の救済となり得るかは微妙なところだった。
「……そういや、神父に寄生したナイトメアはどこにいる?」
建物を取り込んだ大物が、どこかにいるはずだ。見たところ、あの神父の亡骸は既に捨てられていて、寄生されている様子はない。新しい宿主を見つけて、乗り換えられたのだろう。
「――っ!」
背後から、音もなく忍び寄る影。振り向きざまに、ナイフを薙ぎ払う。
「あっぶねぇ――!」
「――ギ、ギギイ」
握りこぶし程の寄生型ナイトメアが、キッカの首筋めがけて飛びかかっていた。反応が一瞬でも遅れていれば、危うかっただろう。中心核を破壊されたナイトメアは、そのまま醜い断末魔を上げて息絶える。宿主がなければ貧弱なのは、寄生型の宿命か。
「キランちゃん」
物陰から、震える声がした。返り血を浴びながら、少女は怯える眼差しを向ける。
「……ミリヤム」
もう一人……寄生型ナイトメアに侵された少女がいた。
「これ、何……? わたし、どうなってるの……?」
豊満な身体に似合わない。禍々しい茸が肩口から生えていた。神経に根を張るかのごとく、彼女の身体に寄生する。絶望に染まる表情が、彼女の苦しみをこれでもかと教えてくれていた。
「すぐに、楽にしてやるよ」
キッカに、躊躇いはなかった。すぐに魔弾を装填して、銃を突き付ける。怖くないように、優しい笑みを浮かべた。
「――だめ」
だが。
「逃げて、ミリヤム!」
キッカの背後から、ソーニャが身を投げ出して友達を守ろうとする。銃を握りしめるキッカの腕めがけて、懸命に手を伸ばした。悲痛な声が、僅かにキッカの心に触れるが、だからといって流されることはなかった。
「邪魔をするな」
妨害するソーニャの腕を振り払いながら、狙いを定める。
「――っ! お願い、待ってよ……!! あの子は、私の……!」
真後ろから、慌ただしい足音が聞こえてくる。邪悪な気配を察したギルドの者たちが、救援に訪れたのだろう。
「安心しろ」
急ぐ必要があった。
「――ミリヤムはまだ、死んでいない。寄生されているだけだ」
「え?」
短い言葉で、ソーニャに納得を与える。
「オレを、信じろ」
銃口が狙いすましていたのは、肩口の茸。
「『浄化弾』」
神聖なる属性を秘めた弾丸が、寄生型ナイトメアを突き破る。
「まだだっ!」
本体を引き剥がすだけでは足りない。ミリヤムの身体に根ざした寄生の大元を、抉り取る必要があった。すぐにミリヤムを押し倒したキッカは、寄生されていた箇所を確認する。やはり、本体を殺しても、寄生の根の侵食は止まらない。
「――死ぬほど痛いが、我慢しろよ」
「うん、キランちゃんを、信じてる」
ナイフを取り出したキッカは、躊躇うことなく振り下ろす。根ざした箇所はもう手遅れだ。肉体ごと、強引に切除する以外に方法はない。
「~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!」
ミリヤムの叫び声が、教会に響き渡る。
それでも、キッカはナイフを握る手を止めることはなかった。痛みを和らげようだなんて配慮は、どこにも存在しない。一秒でも早く、ミリヤムの身体から寄生型を取り除かなければならない。彼女を救うための唯一の方法だと、心から確信しているのだ。
◆
それから、しばらくして。
応援に駆けつけたギルドの職員たちは、教会の惨劇を目の当たりにする。茸に寄生され尽くした教会と、ステンドグラスに磔にされた神父。キッカによって破壊された数々の死体に、肩から大量の血を流す唯一の生き残りの少女。返り血を浴びながら振り返るキッカを見て、首謀者と疑われても仕方がない状況だった。
「――キランちゃんは、わたしを助けてくれたんだよ」
気を失う刹那、ミリヤムが言い残してくれたおかげで、何とか即処刑という状況は免れていた。
「ごめんね、キランさん……私、てっきりミリヤムのことを殺そうとしているのかと……」
キッカの適切な処置のおかげか、ミリヤムは寄生型に侵食されることなく一命をとりとめた。出血が多すぎたのか、気絶するように眠ってはいるが、直に目を覚ますだろうと医者は言う。
「もし、手遅れなら迷わず殺していた。礼を言われるような立場じゃない」
「それでも……結果として、この子が生きていてくれたから……本当に、良かった……」
すやすやと眠るミリヤムの傍らで、ソーニャはつきっきりで看護していた。もしかするとソーニャにとって彼女は、友達よりも家族に近い存在なのかもしれない。
「傷が、残っちまうな」
「いいのよ、命あっての人生だから。本当に、ありがとう」
「…………」
めでたしめでたし、と。
それだけで終わるはずがない。
腑に落ちないことが、いくつもある。
それを求めているのは、キッカだけではないだろう。
「――ギルドマスター『ストラウケン』様がお呼びでございます。すぐに、お越しいただけますか」
「ああ」
◆
きのこ、きのこ、きのこ、きのこの夢。
きのこ、きのこ、きのこ、きのこが呼んでいる。
現に見えるは、きのこのきのこ。
きのこきのこにきのこのこ。
「――あー」
ミリヤムが、夢心地に産声を上げる。
「よかったぁ、生きてる……」
きのこ、きのこ、きのこのこ。
ミリヤムの左薬指に、きのこが――
――
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