046 旅立ちの日


「それじゃ、行ってくるよ」


「はい、お気をつけて」


 懇切丁寧な別れは必要はない。前回、アミアンの集落を発ったときとは違って、帰りが約束されている。だから、名残惜しくもなんともなくて。


「もし、困ったことがあったらリンデン商会を頼れ。ドラン・リンデンは、魔族の話を聞いてくれるはずだ。まぁ……それなりの見返りは要求されるだろうが」


「ご安心くださいませ。『リコースト連邦』は、貧弱ではございません。キッカ様がいなくとも、戦えます」


「……そうか、そうだったな。悪い、どうしても心配が尽きなくてな」


 過保護すぎるのもまた、成長の機会を奪うだけだとキッカは知っていた。


「こら、キッカ! あたしたちが用意した衣装に着替えなさいよ! 変化の指輪が勿体ないじゃないの!」


「……結構、恥ずかしいんだが」


「駄目よ! ちゃんと記憶できているかどうか、試さないと!」


「仕方ないか」


 変化の指輪は、通常時状態の衣装と、変化後の衣装を記憶させることによって、自由に切り替えることが出来る。魔素をかなり喰らうのと、変化中は無防備なこと、変化に感覚が必要なことが条件として挙げられるが、それらをクリアすればとても便利な魔導具だった。


「――術式、起動」


 眩い光が煌めいて、キッカを優しく包み込んだ。視界を遮る白い煙が沸き起こり、全身に術式が浮かび上がる。それはまるで、全身を流水で洗われるような感覚だった。不思議なほどの爽快感が肌を撫でるが、キッカはその感触がとても苦手だった。身体の隅々まで、指輪に把握されているような気分にさせられる。


「おえ」


 煙と光が消える頃には、記憶された衣装に切り替わっていた。


 長い黒髪は真っ白に染まっていて、大きなお団子にまとめられていた。髪飾りは父親からもらった菊のデザインのものを使用する。踊り子のようなひらひらとした衣装は、とてもきめ細やかなシルクのような素材で出来ており、キッカの動きに合わせて宙を舞う。使われている布の量とは裏腹に、肩や胸元は遠慮なく露出している。


「素晴らしいです」


 何故か、ロアが感動しながら手を叩いていた。


「レミィ、ニール、あなた達は最高の仕事をしましたね。これぞ、キッカ様がこの世を忍ぶために与えられたお姿です。何と、神々しいことか……!」


「あんま気持ち悪いことを言うなよ? ぶっ飛ばすぞ?」


「ゆ、許してくださいいいいいいい! 臆病な自分を変えるために、自分に正直になっただけです!」


 変化の術式を起動してから、肌を撫でる風がやけにくすぐったい。慣れない衣装に違和感を覚えるが、これからしばらくはこの格好を通さなければならないと思うと気が滅入る。


「キッカ! 駄目ですよ! 口調、口調!」


「……あー」


 変装を目的としている以上、口調は見た目に合わせるべきだと指摘する。もっともな話ではあるのだが、転生しても治らない口調が、意識したところですぐに治せるはずもなかった


「お、オレとしちゃ……」


「あたし」


「オレ……」


「あたし」


「……私」


「ん、まぁ譲歩してやるです」


 呆れながら、ニールは言う。


「無口でクールな女の子ということにしましょう。乱暴な言葉を減らして、なるべく単語で会話するのです。普通に会話するのは難しいでしょうから、これくらいはがんばってください。じゃないと、すぐにバレちゃいますよ」


「……わかった」


 身も心も女の子になったみたいだと、キッカはぼんやりと感じていた。いや、転生したのだから女の子に変わりはないのだが、肌を晒した服装を着ていると、むず痒くなるものだ。


「それじゃあな」


「ごきげんよう」


「……それは、勘弁してくれ」


「ふふふ、キッカは可愛いですねえ」


 ニールが、楽しそうに笑みを浮かべる。


「キッカの旅の安全を、お祈りしていますね」


「ああ、またな」


 信頼できる仲間がいることを。

 帰ってくる家があることを。


 今はただ心から感謝しながら、アミアンを出発した。



 ◆



「わたし」


「わたし」


「わたしは、キッカ、です」


「……うーん」


 嘶きの森を進みながら、キッカは女の子の口調の練習をしていた。


「似合わないっすね」


 ポケットの中から、ヤギ太郎が顔を出す。


「あ?」


 衝動的にヤギ太郎を睨みつける。


「い、いたたたたたた!! や、やめてくださいよぉ! 動物虐待だって!」


「……ていうかお前、ついて来てたのかよ。アミアンでもぐーたら食っちゃ寝繰り返してたから、ついてこねえのかと思ってた」


「私は一番強ぇヤツの傍にいるって決めてんだ。へへへ、ってなわけでよろしく頼んますよ」


「調子いいやつだな」


 わたし、わたし、わたし、と。

 何度も、女性らしい一人称を繰り返してみるが。


「やっぱ、無理だな。ってか、キッカって名前も使っちゃいけねえのか」


 どうしたものかなと唸っていると。


「ねえ、キッカ」


 森の大精霊シーロンが、唐突に姿を表した。


「瘴気領域へ行くの?」


「ああ、そうだよ。オレの仲間を探すためにな」


「……百二十年前にあげた加護のことを覚えてる? ほら、地下牢で捕まってえっちなことされていたキッカを、私が助けたときのこと……」


「……おかしいな、オレの記憶とは別物のようだが?」


「あれ? そうだっけ? カルカソーにいじめられていたような気がして」


 くすくすと、楽しそうにシーロンは笑っていた。


「森の精霊の加護は、嘶きの森でしか効果はないからね。だから、ナイトメアの瘴気には気をつけて」


「……それは、聞いておいて助かったな。思えばシーロンの加護のおかげで、何度も救われたよ」


 加護と聞いて、不意にキッカはとある少女を思い出した。


「そういや……オレの仲間も、加護を持っていたんだよな。絶対防御? みたいな加護で、あらゆる悪意を跳ね除ける結界を張っていたんだが……心当たりあるか?」


「水の精霊かな? その子って、人間?」


「おう、幼い娘を守るために、母親が施した加護らしい」


「あー、なるほど。嘶きの森の外のことはよくわかんないけど、きっと水の大精霊の加護で間違いないよ。でも、凄いねその子。それ、相当強い加護だよ。その家系は、きっと精霊に愛されていたんだろうね。絆の証ってやつだ」


「……ちなみに、オレがその加護を強引にぶっ壊したんだが、問題あるか?」


「……え? 本当に? 精霊の加護だよ? しかも、絶対防御の?」


 引き攣るシーロン。


「それ、水の精霊はブチ切れてるよ。結果的に、術者との契約を守れなかったことになるもんね。メンツ丸潰れ。あーあ、聞かなかったことにしよーっと」


 そのまま、森の中に消えようとするシーロンを、慌てて呼び止めるキッカ。


「……精霊って、怒らせるとやべえのか?」


「『嘶きの森』で私を敵に回したらどうなると思う?」


「…………」


「……そういうこと。んじゃ、気を付けてね。まぁ、わたしの加護が何かの役に立つかもね。森の外に出ても、ほんのちょーっとは効力を発揮しているはずだし。水の精霊もバカじゃないだろうし、森の大精霊の契約者に喧嘩を売らないと思いたいな」


 今度こそ、と、別れの挨拶もそこそこに消えていくシーロン。あいも変わらず、淡白である。


「ま、気にしていても仕方ねえよな」


 済んだことを気にしていても、仕方がない。


 気を取り直して、嘶きの森を進んでいく。



 ◆



 だが、キッカは理解していなかった。


「…………」


 とある『瘴気領域』の水鏡を守る、水の大精霊。


 森を司るシーロンとは違い――彼は、自分自身が最強の存在だと疑うことはない。


 巨大な身体に、大木をも呑み込む大顎。翼を広げると、まるで夜が訪れたかのように外界に影を落とすだろう。常識外れの存在が、目をギラつかせてじっとその時を伺っていた。


「……不快な気配がする」


 古より存在する規格外の生物。


 水龍『ケリアロン』は、加護を破られたことに、大層立腹していた。


 ――必ず、殺してやる。


 ドラゴン。


 それは、伝説上の生き物である。


 

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