045 着せ替え人形キッカちゃん


 嘶きの森の北部にある『グリーンパール』という町は、かつて『ベークマン侯爵』によって治められていた。彼は非常に卓越した政治力と確かな手腕に恵まれており、二つの瘴気領域に囲まれた辺境の地ながら、都市と呼ばれるほどに発展させていた。


 グリーンパールを含むベークマン侯爵家の領地は、グアドスコン王国のどの領主よりも繁栄しており、王国内でも非常に評価が高かったのだが――それをよく思わない連中の手によって、失脚に追い込まれてしまう。人間同士の足の引っ張り合い、腐り切った政争の果てに、ベークマン侯爵は人間の醜悪さを思い知らされたことだろう。


 謀反の疑いをかけられ、親しかった貴族たちからは裏切られ、一切の慈悲を与えられることなく彼らは処刑されてしまった。結局のところ、ベークマン侯爵はとても優秀だったが、一方で仲間を信じすぎる傾向にあった。非情になりきれないことによって、全てを失ってしまった。


 ――しかし。


 それらの悲劇の果てに、『グリーンパール』の民衆は反旗を翻す。ベークマン侯爵の意志を継いだ彼らは、新しく派遣された領主を追い返し、独自の自治権を王国に主張した。突拍子のない実質的な反乱は、しかし意外な展開を呼ぶ。


「――!!」


 独立を主張する民衆のリーダーが、真実の神ヴァルランに見定められた、『選ばれし御子』――それも、『竜騎士』のスキルを授けられた特別な存在だった。


 それによって、グリーンパールを含む元ベークマン侯爵領地の統治権は実質的にストラウケンが握ることになる。王国側も、選ばれし御子の主張を退けることは出来ず、やむを得ず黙認という形を選んだが――水面下では、両者による協議が行われ、『』を条件に、独立問題は終結した。


 かくして、独立都市『グリーンパール』を含む広大な領地を手にした竜騎士『ストラウケン』は、ナイトメア撲滅を御旗に掲げ、瘴気領域攻略に乗り出す。



 ◆



「――なぁ、化粧ってどうやるんだ?」


 キッカが口にした言葉を、ニールは始め、理解することが出来なかった。


「……え?」


「いや、化粧は面倒だな。もっとこう、別人になりきる方法はねえのか?」


「あ、えーっと」


 女性っぽさとは無縁のキッカが、突然身だしなみに関わることを口にした。それだけで、ニールとしては予想の斜め上の言葉だった。


「何々!? キッカったら、お洒落に興味が出てきたの!? やーん、嬉しいわ! せっかくきれいな黒髪をしているんだから、ちゃんとしないとね! いいわよ、あたしが面倒見てあげる!」


 過敏に反応したのは、エルフのレミィだった。


「……いや、そういうわけじゃねえぞ。この黒髪が邪魔だから、どちらかと言えば切り落としたいくらいだ」


「え?」


 髪の毛をつまみながら、キッカは言う。


「そもそも、ここまで伸ばしていたのもお袋やフェリエルがうるさかったからだ。短い方が戦いやすいに決まっている。何なら、坊主にしても――」


「――だめだめだめ!!!!!」


 物凄い勢いで、レミィが遮る。


「こんなにきれいな黒髪なのに、坊主だなんてありえない! ぜーったいに、切っちゃ駄目だからね!?」


「……お前も、あいつらと同じことを言うのかよ」


「当たり前でしょ! ね? ニールも言ってあげてよ!」


「こればかりは、レミィの言う通りです。キッカは、私たちの王様ですよ。その黒髪は、キッカを象徴するシンボルです。坊主になんてしたら、魔族皆で泣き崩れますが?」


「ええ……」


 たかが髪の毛ごときで、と口にしそうになったが、キッカの周りは口を揃えて同じことを言う。こればかりは自分の感性がずれているのかと、反論を諦めた。


「……だが、今はこれを隠したいんだよ。キッカ・ヘイケラーってことがバレないように、活動したい」


「おでかけしたいのです?」


「まぁな。今ならアミアンも安定しているし、フェリエルを探しに行こうと思っている」


「あー、そういうことね」


 キッカの素顔を知っているものは、あまり多くない。特徴的な黒髪と和風の羽織さえ脱ぎ捨てれば、ある程度誤魔化しが効くだろう。


「だったら、髪を結って束ねるとか、色を変えるとか……服装も雰囲気を変えたらいいかも。お化粧は……どうせ、面倒よね?」


「ああ、かったるい」


「……なら、妖狐のアレをキッカに渡したら?」


「あれって?」


 キッカが、首を傾げると。


「――変化の指輪。妖狐やエルフが人間に化ける時に使う魔導具よ。それなりに貴重だけど、キッカならいいんじゃない?」


「構わんですよ。それなりに魔素を消費しますが……キッカなら、問題ありませんね」


「へえ、そんな便利なモンがあんのか」


「ただし……一つ、問題があります」


「ええ、重要な問題がね」


「?」


 女の子二人が、真剣な眼差しで考え込みながら。


「変化の指輪に、どんな衣装を記憶させるか、ですね。保存できる衣装は1パターンのみですから、慎重に選ばなければなりません」


「……あん? そんなもんどうでもいいじゃねえか。適当に髪染めて、適当な服着て、それで――」


「――いいわけねぇです!! こればかりはキッカに任せておけません! いいですか、衣装は私たちが決めるので、キッカは黙っていてください!」


「適当だなんて、ぜーーーったいに許さないんだから!! あたしにかかれば、絶世の美少女に仕立て上げてみせるんだから!」


「……お、おう」


 お洒落のこととなると、やはりどの種族も女の子が強いらしい。口を挟むことは悪手と判断したキッカは、素直に従うことにした。



 ◆



「やっぱりキッカには、お姫様っぽくしていただきたいですね! 真っ赤なドレスなんていかがでしょうか! 髪の毛は豪華な髪飾りでまとめて、きらびやかな宝石で彩ります。機能性はありませんが、キッカなら大丈夫でしょう、たぶん!」


 レミィの家に連れて行かれたキッカは、着せ替え人形のように様々な衣装に着替えさせられていた。


 最初は、貴族のお姫様のようなドレス。


「――却下。こんな格好で、戦えるか!!」


 ご丁寧に、しっかりと着てみてから、キッカはNOを突きつける。


「バカね、キッカは戦闘狂なんだから、動き易さは必要よ。だからここは、露出度の高い衣装じゃなきゃ駄目なのよ! ビキニアーマーなんてどうかしら!」


「オレを露出狂にさせるつもりか!」


「め、メイド服はどうでしょうか! コルセットできゅっと腰を締めて、ふわふわのスカートで戦場を舞うのです!」


「フェリエルと被るだろ!」


「魔法使いっぽいローブはどうかしら! もちろん、動きやすいようにスカートは短く! ひらひらもいっぱい増やして――」


「見た目なんてどうでもいいんだが!!」


「良くないわよ!!」


「ぐっ――!」


 今回ばかりは、キッカの意見は通らない。女の子二人は、己の威信にかけてキッカの似合う服装を探し求める。


「ああ、もう勝手にしてくれ……」


 頭を抱えながら、キッカは言う。


「髪の色と、髪型、それに動きやすければ、後は何でもいい……もう、お前たちに一任する……」


「任せて下さい!!」


 どんな衣装になってもいいから、早くここから逃げ出したかった。



 ◆



「……で、逃げ出してきたわけですか」


「ああ、やかましいのは苦手なんだよ」


 逃亡先として選んだのは、族長ロアの家だった。


「頑張って選んでくれても、戦えばすぐにぼろぼろになっちまう。愛着がない方が気楽なんだけどな」


「それでも、お洒落をすることは止められないのですよ。好きな人には、より魅力的であって欲しい。熱意を持って選んでくれることは、とても幸せなことですよ」


「……そうだな」


 ニールやレミィと一緒にいると忘れそうになるが、あれから百二十年の時間が経過しているのだ。経験を重ねて余裕の生まれたロアは、あの頃とは比べるまでもなく成長していた。臆病者が、頼りになる族長になったのだ。


「今回は、狙撃銃を置いていこうと思っている。ロアの判断で、ニールに使わせても構わない。あいつは、狙撃手としての才能があるしな」


 二丁拳銃と、短刀。あとは精々、ダガー数本くらいが限界だろう。どれほどの旅になるかわからないが、荷物はなるべく減らしておきたい。今回の道のりを考えると、狙撃銃は持っていくことは出来なかった。


「……正直、本当は少しだけ心配だ。オレがいない間、アミアンが陥落しねえかって……」


「ご安心下さい。大精霊シーロン様と、キッカ様のおかげで『嘶きの森』はちょっとした要塞です。確かに、まだ防壁は完成していませんが、今のままでも十分に対応できるでしょう。読み通り、王国はナイトメアの対応で手一杯のようですから」


 それに、と。


「――友人を、探しに行きたいのでしょう? どうか、我々を信じて旅立って下さい。もし、私が逆の立場なら、同じ選択を取ると思います。優先すべきは、そちらでしょう」


「……そうだな」


 アミアンは、既にある程度の安全が確保できている。だが、フェリエルやシューカはそうではない。もし、窮地に陥っているのなら、ぐずぐずしているわけにはいかない。


「もし、ヤバくなったら一目散に逃げろよ。生きてさえすれば、何とでもなるんだからさ」


「ええ、もちろん」


 優しい笑顔を浮かべたロアは、それから大真面目に言った。


「ところでキッカ様」


「ん?」


「衣装にお困りでしたら、こちらはいかでしょう。なんでも、『バニーガール』なる人間のおもてなしの衣装だそうですが……」


「…………」


「ぜひ、試着をお願いします!」


「お前の趣味が伺えるようで、最悪の気分だよ……」


 歳を重ねたせいか、趣味がいかがわしい方向に振り切れていた。

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