044 十一歳、近況報告
グアドスコン王国内に突如として現れた『嘶きの森』と、そこに生息する魔族の存在は、瞬く間に王国全土に知られることとなる。厄介な瘴気領域が消えたかと思えば、人間の仇敵が現れたのだ。国民たちの動揺は果てしないものとなる。
「――第三特別遊撃隊が全滅したらしいぞ!?」
「嘘だろ、あのレベベルト様が!?」
王国騎士団の一角が陥落したことで、王都サンレミドは『嘶きの森』を魔族領と認定し、以後、強固な防衛網を敷くこととなる。対魔族として大急ぎで建設された砦には王国正規軍が送り込まれ、長きに渡る一触即発の緊張状態を維持していく。
対魔族の防衛拠点として注目されたのは、嘶きの森に隣接する『ファルム』という街だった。この地を治めるガルガン伯爵は、対魔族戦に並々ならぬ熱意を持っており、私財を投じてまで『ファルム』を防衛拠点として築き上げていく。王国の正規軍はもちろん、有志の義勇兵を集め、定期的に『嘶きの森』へ侵攻を仕掛けていた。
これは、後に歴史に『ファルム攻防戦』と刻まれる、人間と魔族の戦であった。
◆
「先遣隊によると、嘶きの森は魔物の巣窟になっているとのこと! 無理に侵攻せずに、十分に安全を確保してから進むようにとのことです!」
「――わかっている! わかっているが――もう、手遅れだ!!」
百人規模の魔族討伐隊が、『嘶きの森』に足を踏み入れていた。彼らは皆、一様にして最先端の武器を所有しており、近接用の剣はもちろん、対狙撃に耐えうる重装甲の防具に身を包んでいた。術式によって軽量化をされており、森の中でも身軽に動ける代物だ。
「トレントが現れたぞ! 魔術師を前線に上げろ!! 燃やし尽くしてしまえ!」
人間が魔族に対して備えたように、魔族もまた人間に備えていた。
「こいつら、森に擬態してやがる! 気をつけろ――このあたりの植物は、全て魔物だ! 人を喰うぞ!!」
トレントや食人植物が跋扈する警戒区域は、外部の人間にとってあまりにも危険だった。
「れ、レベベルト殿の報告では、ここまで魔物が多くはなかったはず……!! なんということだ……!!」
当然である。
森の大精霊シーロンによって、大自然に命が吹き込まれる。植魔系の魔物たちの殆どが、シーロンの手によって産み落とされた存在だ。かつて、血の薔薇がナイトメアを生成していたのは、彼女の能力を喰らっていたからである。
「臆するでない――! この程度の魔物、冷静に戦えば突破できるはずだ!」
勇猛果敢な精鋭たちは、それでも魔物を斬り伏せながら森を進む。数を減らしながらも彼らは足を止めることはない。その勢いを魔物程度の存在で抑えきることは難しい。
――だが。
「……おかしい」
進めど進めど、目の前の風景に変化がなかった。それどころか、方角を見失い、自分たちの位置が分からなくなる始末。
「俺たち、まっすぐ進んできたはずだよな……?」
仲間の死を乗り越えながら、魔物を殺して前進し続けていた。それなのに、進む先に現れるは、仲間や魔物たちの死体。同じ場所をぐるぐると回っていることに、彼らは遅れて気がついた。
それこそが、『嘶きの森』を魔物の森として成り立たせている根源的理由だ。この森そのものが、蠢いている。
「狐に化かされたような気分だな……!!
気が付けば、周囲の仲間から孤立していく。一人、また一人と、漂う魔素にあてられて、彷徨っていた。そこにきてようやく、大自然を敵に回したことを後悔するのだ。
「――て、撤退だ――!!」
残された仲間を連れて、引き返そうとするが。
――BANG! BANG! BANG!
狙いすましたように、討伐隊の背後を弾丸が襲う。アミアンで開発された試作品ではない、人類の誇る人を殺すための兵器が、皮肉にも魔族の手によって人間を殺めていく。
「――逃しませんです」
遠距離から一方的に放たれる、理不尽な死。
相手の姿も見えず、声も聞こえず、唐突にそれはやってくるのだ。
「――ひぃっ!??」
研ぎ澄まされた殺意だけが、誰かの顎を吹き飛ばした。同じ釜の飯を食った相手が、何も成し遂げることなく殺される。他者の命を奪うという行為を、狙撃手は躊躇うことはない。
「そ、狙撃、狙撃だっ――!!」
それは、化物を相対するよりも恐ろしいのだ。いつ、誰が狙われているかも分からない状況下で、仲間が殺されていく。死神に魅入られたかのように、次々に頭を撃ち抜かれて。
「――か、隠れろ!!」
逃げられない、隠れられない、死ぬしかない。
第三特別遊撃隊を屠ったとき以上に、彼らは残酷に殺されていった。
「ふざけるなああああああああああ!!!!!!!」
彼らは、知っていた。
キッカ・ヘイケラーという少女が、パカサロ防衛戦にて超遠距離からの狙撃によって、ナイトメアを撃退したことを。
「おまえはそれでも、人間か――!!」
人間でありながら、魔族に寝返った極悪非道の裏切り者。
恨みを向けるには、彼女の存在はちょうど良かった。
「あああああああああああああああああああああ!!!!!!!」
断末魔が、響き渡る。
嘶きの森の警戒区域は、未だに破られたことはなかった。
◆
街道をゆく馬車を引く男が、風の揺られながら言葉を吐く。
「おい知ってるか? ナイトメアの噂話」
「ナイトメアの起源が、元は魔女だったって噂のことか?」
「ああ、原初の魔女と呼ばれる、古の存在だ。何でも、魔王に立ち向かうために力を使いすぎて、変異しちまったらしい」
「へえ、面白い御伽噺だな」
彼らはリンデン商会に雇われた運び屋で、パカサロからファルムへの物資を輸送していた。周囲には、雇われた護衛が目を光らせており、野盗や魔物から馬車の中身を守ることを役割としている。
――だが。
「おい、待て」
片方の男が、前方の障害物に気が付いた。
「あれは、何だ?」
行路を遮っていたのは、少女だった。
あからさまに異様な雰囲気を漂わせている。
御者の言葉に反応した護衛たちは、静かに剣を抜いた。
――盗賊だ、と。
彼らの直感が、警鐘を鳴らしていた。
「馬車をお守りしろ! 早――」
真後ろに呼びかけた護衛の意識が、即座に刈り取られた。ぶん殴られたことに気がついたのは、次に目が覚める頃だろう。
「な、なんだこいつ――!!」
「う、うわああああっ……!!」
現れた少女は、雇われた護衛たちを次々と気絶させていく。ものの一分もしないうちに、抵抗するものはみな意識を失っていた。
――
「……馬を出せ」
「はっ、えっ、っと……」
汗だくの御者は、震える手で手綱を握りしめる。
「――違う、そっちじゃねえ。『嘶きの森』に向かうんだ」
「ひぃ――!!」
首筋に、冷たい鉄の感覚が付着した。心臓が跳ね上がるとともに、彼は忠実に命令に従った。
「あ、あの……他の方は……?」
「ん? 気絶させただけだよ。そのうち目覚めるだろ」
「そ、そうですか……」
ちらりと後ろを見ようとするが、怖くて中途半端にしか振り返られなかった。
だが、仲間や護衛の気配は一切しない。
「さすがは……キッカ様ですね……」
一人。
それが、彼の演技を終了させた。
「ドランの奴、襲撃される前提だからって、護衛を弱くしすぎじゃねえか? 自作自演って、バレちまうぞ」
「あはは……結構、腕利きの方ばかりのはず……」
リンデン商会の馬車を襲撃したのは、『極悪令嬢』として名を馳せるキッカ・ヘイケラーだった。表立ってキッカを支援することが出来なくなったリンデン商会は、あえて交易ルートを魔族側に漏らすことで、積み荷を襲撃させるように準備を進めていた。馬車に積まれていたのは、キッカのために用意された物資である。
「――ヨアキム、パカサロの様子はどうだ?」
御者に化けていてのは、ヨアキムと名乗るリンデン商会きっての密輸人である。神出鬼没で変装を得意としており、隠密活動を主に担っていた。裏モノの売買は彼のフィールドである。
「ヘイケラー卿につきましては、最初こそ疑惑を向けられていましたが、ヴェスソン殿が庇ったことによって、何とかご罪に問われませんでした。ただ……やはり、裏切り者のご令嬢を輩出してしまったことにより、不自由な状況のようで……」
「……そうか」
「ただ、滞在している騎士のお二人が、強いリーダーシップを発揮して民衆をまとめてくれています。現状、人手が足りていないことから、パカサロの実質的な権限はヴェスソン殿に引き継がれておりますね」
「先日言ってた、『嘶きの森』への侵攻命令はどうなってる?」
「適当に理由をつけて誤魔化していましたが、そろそろ動かないと王国の反感を買ってしまいます。適当な軍を派遣しますので、殺さない程度にあしらっていただければとのことです」
「……了解」
ヨアキムの存在を介して、キッカは今も尚、パカサロの面々と情報のやり取りをしていた。王国が見ている以上、パカサロを治めるヘイケラー家は『嘶きの森』を侵攻しなければならないが、前もって情報をやり取りすることで、八百長の如くやり過ごす。いたずらに互いの兵力を削ることなく、キッカたちは『ファルム』からの侵攻軍に集中することが出来る。
「瘴気領域からナイトメアが発生する頻度が上がっているようですよ。そのせいで、王国の兵力が『嘶きの森』に集中できていないようです。人型のナイトメアも多く、攻勢は苛烈さを増していて……魔族が人間領に侵攻の兆候が見られないうちは、本格的な侵略はまずありえないでしょう」
「うちとしては、願ったり叶ったりだな」
王国と敵対することになるにしても、しばらくは猶予がありそうだ。あれほど鬱陶しかったナイトメアが、今では弾除けとなっている。
「……後は、『嘶きの森』の北にある街が、独自に瘴気領域の攻略に乗り出しているとの噂があるくらいですね。独立都市『グリーンパール』は、ナイトメア発生以前から王国の方針を無視した統治を行っていましたから」
「あそこには、オレが攻略したものとは別の瘴気領域があったな」
『嘶きの森』の瘴気領域は、すでに消え去っている。フェリエルやシューカを探すためには、別の『瘴気領域』を攻略しなければならないだろう。
「……こんなところですか。次回の襲撃の際には、また情報を集めておきますよ。欲しい物がありましたら、いつもの手筈で知らせて下さい」
「ああ、助かったよ。ドランにもよろしく伝えてくれ」
目的の場所まで到着したところで、ヨアキムは別れを告げる。
「最後に……魔族やナイトメアの出現により、過去にないほど治安が悪化しています。もし、『グリーンパール』に行くようでしたら、気を付けたほうが良いかもしれません。いえ、キッカ様は大丈夫でしょうが、揉め事に発展しやすいので」
一礼をして、速やかに立ち去っていく。
◆
「積荷、運んでおいたよー」
その後、シーロンの使役する魔物が、アミアンの町まで物資を届けてくれた。
「おぉ、救援物資ですか!」
中身を検めていたニールは、嬉々として中身の銃を構える。
「さすがは人間の作る銃ですね! アミアンのモノとは比べ物になりません!」
「弾丸もかなり用意してくれたみたいだな。これでしばらくは困ることがなさそうだ」
キッカやニールは弾丸を生成する事ができるが、他の者たちはそうはいかない。
「現状、シーロンの結界に頼っているが、いずれはしっかりと防衛設備を整えなきゃならねえな」
防衛に余裕がある間に、堅牢な守りを築いておきたい。ロアが先頭に立って、城塞化計画を進めているが、まだまだ時間がかかるだろう。
「もはや、新しい国家を作るようなものですね」
それは、ロアが何気なく口にした言葉だったが。
「国家! それ、いい響きね!」
エルフのレミィが、目を輝かせて声を張り上げる。
「小さな集落から、独立国家へ! グアドスコン王国に対抗するには、あたしたちも国として一つにまとまらないといけないわ!」
「だいそれたことをいいますね。しかし、そうでもしなければ平和は掴めないかもしれません」
ロアは、静かに語る。
「存在証明を守るためには、力が必要です。そして、国家は存在を主張する証になります。グアドスコン王国と張り合いたいのなら、まずは対等な立場にならなければなりません。烏合の衆など、相手にされませんから」
「……いいんじゃねえの」
それは、かねてからキッカも考えていたことだ。
「様々な魔族が暮らす、理想の国。そういうのを求めているやつは、他にもたくさんいるだろ」
「決まりね! それじゃ、キッカに名前を決めてもらわなくちゃね」
「あ? 何でオレなんだ?」
「?」
レミィだけじゃなくて、他の奴らも首を傾げていた。
「だって、王様が名前を決めるのが普通じゃないの?」
「……は」
声が、声にならなかった。ぎこちない動作で、キッカはロアに視線を送ると。
「今更、逃げられるとお思いですか? 魔族の世界では、強さこそが正議なのです。強さと尊敬を兼ね備えるキッカ様以外に、適任者はいませんよ」
「い、いやいやいやいやいや! 魔族の国のトップが、人間じゃ意味ねえだろ! 誰でもいいから、王になっておけよ! ロア! そういうのはお前がやるべきだ!」
「えー」
ぶーぶーと、反対の声が上がるが、キッカも当然譲らない。
「でも、キッカの家紋をこうして掲げていたら、自然とキッカの国ってことにならない? 周知の事実って感じがするけど」
「それとこれとは話が別だ!! ったく、勘弁してくれよ」
体を動かすのは得意だが、そういう役割は苦手だ。絶対に、御免被りたい。
「では、ひとまず誰が王かは保留ということにしましょう。しかし、キッカ様……せっかくなので、名前くらいはつけていただけませんか?」
「……ん?」
「国家を主張するのなら、相応しい呼び名が必要です。そして、それが我らの道標となるのです」
「名前ねぇ……」
王になるくらいならと、キッカは咄嗟に口にした。
「――『リコースト連邦』だ」
それは、かつてキランの世界に存在した、魔族の国の名称だ。悪逆の限りを尽くした、この世の破滅に最も迫った、最悪の存在だと語られている。
「いい名前だね。よし、これから僕たちは、『リコースト連邦』を自称しよう。いずれ、この名前に恥じない国家になろう!」
賑やかな称賛の声が、あちこちから湧き上がる。
キッカたちが雑談をしている間に、随分と集まってしまったようだ。
「皮肉が利いてて、いい名前だね」
「うるせえよ」
にやにやと笑うシーロンを無視して、ハイテンションな魔族たちを眺める。
「名前ごときでこんなに笑ってくれるのなら、本望かもしれねえな」
『瘴気領域』の攻略は、時代の流れを生み出していく。
そして次の舞台は、新たなる『瘴気領域』へと移り変わる。
キッカがアミアンに迎え入れられて、半年後。
十一歳を迎えたキッカに、新たな冒険が待ち構えていた。
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