043 初めまして
百ニ十年前。
キッカがアミアンの集落を立ち去ってから、妖狐らは未熟な己の弱さを心から恥じていた。今回、ナイトメアの支配から免れたのは、奇跡のような出会いのおかげ。本来なら、自分自身の力で仲間や家族を守らなければならなかった。
「――強くなりたいです」
キッカから武器を託されたニールとロアは、弱い自分に打ち勝つために、有志を集めて自警団を組織する。自分の力を磨くことこそが、アミアンの安寧の第一歩だと確信していた。
覚醒の兆候が見られたのは、キッカと別れてからニ十年後。
キッカのスキル『魔弾生成』を見よう見まねで再現した、ニールの固有術式『生気吸引』を編み出すことに成功する。
周囲の自然や生物から生命エネルギーを吸収することによって、魔素で形成された弾丸を生成し装填する。キッカのように性質の自在な弾を生み出すことは出来ないものの、本物の弾と変わりない威力を発揮していた。
「――ようやく、技術に追いついただけですけど」
それは、ニ十年かけて編み出すような術式ではなかった。人間のように、弾丸を製造できれば済む話である。習得するにはあまりにもコスパの悪い術式だが――長寿の妖狐にとって、時間の浪費はあまり気にならなかった。
「キッカみたいに、強くなりたいです」
純粋な憧れが、彼女を突き動かしていた。それから百年もの間、ニールは射撃の腕を徹底的に磨き上げる。弾切れやリロードの心配のないおかげで、思う存分練習することが出来た。キッカのような超遠距離狙撃は出来ないものの、中遠距離戦においては遜色のない命中精度を実現させるまでに成長していた。まさに、途方もない年月を注ぎ込んだ、ニールの努力の結晶である。
磨かれた技術は、窮地に発揮された。瘴気領域の消えたアミアンに舞い込んだ、元魔人の救援要請だ。
「――た、助けてくれ! いないのか、大精霊! 妖狐! 鳥人族でもいい! ここが嘶きの森なら、誰かいるはずだろうが!!」
警戒区域に轟く、ヤギ太郎の叫び声。
敵に見つかることも厭わずに、彼は助けを求めていた。
「このままだと、キッカが殺される! あいつは、てめぇらの恩人じゃねえのか!?」
「――久しぶりだね、元魔人くん」
再会を待ち望んでいたシーロンが、その声に応える。
「準備していたかいがあったね、ニール。さぁ、キッカを助けに行こう」
「はいです!」
五人一組の小隊を率いて、ニールは人知れず出撃していた。彼らの手には、アミアンで開発された独自の狩猟用の小銃が握られている。これらは連発の利かない試作型でしかなかったが、最初の一発だけは十分な威力と精度を備えることに成功していた。
「――目標確認」
散開した五人の隊員が、レベベルト率いる第三特別遊撃隊を捕捉した。
「魔族が兵器を使うなど、人間たちに想像できるはずがありません」
――BANG!
人間の頭が、軽々と吹き飛んだ。訓練通り命中させた隊員は、拳を握りしめてから持ち場から撤退する。
「……なっ!?」
レベベルトたちは、反応が遅れていた。
「そ、げ――っ!!」
――ニ発目。
声を上げようとした兵士の頭部が、先ほどの再現のごとく弾ける。
「――物陰に隠れろ!! 射線を通すなッッ!!!!」
森の中に息をひそめ、何とか狙撃をやり過ごそうとしているのか。いいや、彼らは少しずつ前進し、ニールたちを襲撃しようと構えている。
「隠れるところを、間違えているよ」
シーロンが、冷たい瞳で嘲笑う。
「――嘶きの森は、私の手のひらの上。植物は生きているんだよ? 身を隠そうとしたって、射線は用意できる」
うねるように、大地が芽吹いていた。ゆっくりと、人知れず、物陰としての役割を放棄する。森そのものが動いているなど、彼らには理解できるはずもなく。
「――え?」
鋭い痛みが、下腹部に襲いかかる。
「は――?」
安全を期して、レベベルトは大樹に身を隠していたはずなのに――。
「うわあああああああああ……!?」
気が付けば、大木はねじれを生みながら隠れている者の身体を銃口に晒す。
「狙いは、外さない」
妖狐にとって、撃ち抜く相手が人間でも何も変わらない。冷静に、冷酷に、冷血に、引き金を引くのみである。
◆
生活区域から警戒区域に移動したキッカたちは、多重結界に守られた地下牢に足を踏み入れていた。本来、捕虜は身近に捕らえておくべきだが、レベベルトのスキルが分からない以上、逃亡されるリスクを加味しても生活区域に連れて行くことは出来なかったという。
「……まぁ、逃げられるわけないんだけどね」
仄暗い穴蔵に拘束されたレベベルトは、既に虫の息。生きていることが不思議なくらいに、痛めつけられていた。容赦なく拷問を行えるのも、魔族の強みなのかもしれない。
「……キッカを傷付けたこの男を生かしていることに、吐き気を催します」
仲間を虐殺し、恩人を傷付け、森に侵攻してきた元凶だ。生かしておくことすら、癇に障る。
「……早く、殺せ」
瀕死のレベベルトは、かすかな意識で自死を望む。
「おい、レベベルト。何故、オレを狙った?」
「……キッカ・ヘイケラーか」
僅かに顎を上げて、声を漏らす。
「……魔族は、人間の敵だ。殲滅せねばならん。それなのに貴様は、奴らに与した。王国は、貴様を絶対に許しはしない……!」
「会話になんねえな」
「ずっと、この様子ですよ。お陰様で、この世界における私たちの立ち位置を理解させてもらいましたけど」
無表情で、ニールは呆れる。
「害虫みたいな扱いですね。だけど、構わないです。やられたらやり返すだけですし」
与えられた苦痛と同じ痛みを返す。それが、魔族の性質だ。
「……確かに貴様らは強力だ。だが、この程度なら問題はなさそうだ。いずれ、騎士団の本隊が貴様らを殺しにやってくるだろう」
「お前、序列第二位の騎士様なんだろ? だとしたら、本隊とやらも大した事なさそうだが」
「くくく」
最後の最後に、彼は言い残す。
「所詮は、真実の神ヴァルランに選ばれなかった無能よ。剣術しか取り柄のない私など、単なる捨て駒だ」
「……あ?」
「
「――っ!」
レベベルトの魔素の中に、別種の揺らぎを感じ取った。だが、キッカが攻撃に転じるよりも早く、ニールは銃を引き金を引いていた。
――BANG!
放たれた弾丸は眉間を貫き、確実に息の根を止める。
「……一瞬、嫌な魔素を感じたな」
「ええ」
べっとりとまとわりつく、薄気味の悪い寒気。確実に有利な立場にあったはずなのに、優位性を感じられない。ぐったりと息絶える死体から目を離すことが出来ないのは、本能的なものだろう。
「――下がれ」
警戒していたことが、功を奏していた。確実に息の根を止めたはずのレベベルトの死体から、より禍々しい魔素が沸き起こる。明らかに異常な状況に、本能が戦闘態勢を取らせていた。
「生きてる、です……?」
「死んでる」
シーロンが、無表情で告げる。
「
――死後発動する術式が、レベベルトに刻まれていた。
異質な魔素を纏わせながら、首が僅かに傾いた。虚ろな瞳のまま、死体は嗤う。
「
レベベルトの口が、歪に動いていた。
「――キッカ・ヘイケラーだよね。ずっと、見ていたよ」
「……誰だ、お前」
レベベルトでありながら、明らかに別人の口調。背後に操る人影が、こちら側を覗き込んでいた。
「いやぁ、凄いなぁ。まさか、人間が瘴気領域をクリアするとは思わなかった。しかも、あの魔族を手懐けるなんてね。凄い凄い」
「だからてめぇは、何者だよ」
冷や汗が、キッカの頬を伝う。明らかに異常な存在から、目が離せない。
「初めまして、ぼくはラスカリス。真実の神ヴァルラン様に忠誠を誓う、敬虔なる神父様さ。国王陛下より命を受けて、この身体を通して君たちのことを観察させてもらったよ。妖狐の集落、アミアンだっけ? いやぁ、手強い隣国が現れちゃったなぁ」
「……死体を操っているのは、てめぇの術式か?」
「うん、もちろん。情報伝達を目的とした固有術式だよ。生きている人間に仕掛ければ、対象が得た情報を共有することが出来る。レベベルトは、ぼくの目として行動してもらっていたのさ。便利な駒だったんだけど、死んじゃったのは残念だなぁ」
心からどうでも良さそうに、レベベルトの死を嘆くラスカリス。感情の起伏のない声は、人形を相手に会話をしているような気にさせる。
「キッカちゃんは、人類の敵になるって認識でいいのかな?」
「は? お前らがそうやって決めつけたんだろう? 黒幕のてめぇが、有る事無い事吹き込んで扇動した。お前は、悪巧みが好きそうだしな」
「魔族と馴れ合うキッカちゃんが悪いんだよ。国王陛下も、とーってもお冠だ。あのおじいちゃん、怒らせると怖いんだよねえ」
不愉快な笑い声が、死体の向こう側から聞こえてくる。キッカの直感が、ひしひしと訴えかける。この男こそが、キッカを追い詰めた元凶であると。
「……きっちりと、この落とし前はつけてやるからな。首を洗って待っていやがれ」
「うわ! こわっ!」
あくまでラスカリスは、軽口を叩く。
「人間なのに魔族の味方をするなんて、恐ろしいなあ。これから君は、沢山の人間を殺すんだろうね。酷いなぁ、残酷だなぁ、良心が傷まないのかい? なんて極悪なお姫様――いや、『極悪令嬢』と敢えて呼ばせてもらおうかな」
「人間だろうが、魔族だろうが、オレの大切なものを傷付けるのなら容赦はしねえよ。最初に手を出したのは、てめぇらの方だ。そのことを、ゆめゆめ忘れるんじゃねえぞ」
「……いいね、凄い気迫だ」
愉悦に浸りながら、ラスカリスは嘲笑う。
「――君の死体は、とても美しいだろうね。『嘶きの森』を陥落させたら、真っ先に君の死体を確保するよ。沢山、可愛がってあげるからね」
「……気持ち悪ぃ奴だな」
「キッカちゃんのことや、アミアンのことはしっかり報告しておくよ。人間と魔族の全面戦争を、楽しみにしておいてね」
じゃあね、と。
あっさりと、ラスカリスは別れを告げた。
歪な魔素は空中で霧散し、操られていたレベベルトの死体は糸が切れた人形のように地面に吸い込まれていく。
「……消えたか?」
「おそらくは……」
悪夢のようなひとときだった。
得体の知れない悪意のようなものが、この場にいた者の心に影を落とす。
「念のため、死体はしっかりと処分しておくですよ。また動き出したら面倒です」
「……戦争が、始まるね」
シーロンが、ぼそりと呟いた。
「いつだって、人間と魔族は争うんだね」
瘴気領域が消えたことで、世界情勢は変わっていく。
突如として現れた『嘶きの森』を巡って、戦乱の風が吹き差し始めていた。
「大丈夫ですよ。私たちは、強いです。あいつらの好きにはさせませんから」
「そうだな」
戦う覚悟は、決まっている。
甘さをすべて切り捨てて、極悪令嬢は目を光らせていた。
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