040 四面楚歌


「――キッカ様!」


 森を抜けてパカサロの町に到着したキッカを出迎えたのは、ドラン・リンデンだった。深傷を負っていることを確認したドランは、ひとまず息のかかった診療所に連れて行く。


「今、屋敷に戻ってはいけません! ヘイケラー家に、魔族と通じているとの疑いがかけられています!!」


「……っ!」


「王国の騎士団が、ヘイケラー家の制圧に乗り出しました……! 魔族と通じている証拠を探しているようで……!!」


「馬鹿な、行動が早すぎる……!!」


 レベベルトに目をつけられてから、大した時間は経過していない。それなのに、どうしてこうも情報共有が早いのか。


「ヴェスソン様やニコライ様がいる以上、手荒い真似はしないと思いますが……キッカ様は、違います。騎士団の目的は、貴方様自身でございます……!!」


「……おかしいだろ、これは……!! 魔族と多少関わりがあったからって、普通、こんなことをするのか!? オレは別に、人類に弓を引いたわけじゃねえぞ!?」


 魔族と交流があったことは事実だ。

 それ故に、危険人物とみなされるのも理解できる。


 だが、魔族と関わりがあった瞬間、仇敵のような扱いを受けるのは意味がわからない。その上、本人だけではなく家族にもその疑いが向けられる。それが筋の通ったものだとは、キッカには到底思えなかった。


「何か、大いなる意志のようなものを感じます。とにかく――キッカ様は、屋敷に戻ってはいけません。貴方様の力を振るえば、騎士団を追っ払うことは容易いでしょう。貴方自身は、生き延びることが出来ます。ですが――バイル様やエンリ様は、そうではありません」


 キッカの手を握りしめながら、ドランは必死に訴える。


「心優しきご両親は、キッカ様を庇うでしょう。魔族と交流を持つ貴方様を、全力で支持するはず。ですが――それは、最悪の展開ですよ。グアドスコン王国は、ヘイケラー家を反逆者として認定するでしょう。そうなれば、ご両親の命が危うくなりますよ……!!」


「……!!」


 ドランの言う通りだった。あのお人好しの両親は、キッカの味方をしてくれるだろう。このまま屋敷に戻ったら、守ってくれるはずだ。だが、それは二人を巻き込むという意味でもある。ヘイケラー家は、王国を敵に回して尚、生き延びられるか? 


「……不可能だ」


 ナイトメアの襲撃とは話が違う。王国全土を敵に回すには、パカサロは脆すぎる。守りたいものが多いほど、相手につけいる隙を与えてしまうだろう。


「だけど、オレはどうしたらいいんだよ。フェリエルやシューカを失って、その上で、帰る場所までなくなったら……!」


「――私がいます」


 真っ直ぐな眼差しで、ドランは言った。


「私を信じて、従って下さい。両親を守るための策を、用意しました。貴方様が私を信じて、私が貴方様を信じられるのなら、この策は実現できましょう」


「言ってみろ」


 覚悟を秘めた瞳が、キッカの心を動かす。


「――私を、斬りなさい」


「……え?」


「今回の一件は、ご両親とは無関係――キッカ様の独断だということにします。キッカ様が、全ての罪を被って逃亡すれば、ご両親が罪に問われることはないでしょう」


「それは」


 ――何の罪だ?


 と、口にしそうになるのを堪える。


「オレは、間違ったことをしたつもりはねえぞ」


「ええ、承知しております。ですが、これが大人の世界の企みです」


「反吐が出るな。オレは、誰かに嵌められたのか」


「……わかりません。ただ、目をつけられていたことは確かかと」


「そうだな」


 現実として、疑いをかけられ罪を咎められている。真実がどうあったところで、さしたる意味は無いのだ。王国にとって、キッカは不都合な人物となった。それが、答えである。


「逃げて、逃げて、力を蓄えましょう。今は、キッカ様の味方を増やすのです。貴方様には、人を惹き付けるカリスマ性がございます。いつか必ず、成り上がる時が訪れるでしょう」


「……わかったよ、ドラン。お前を信じよう」


 力がなければ、自分の意志を主張することも出来ない。いくらキッカ個人が優れていたとしても、守れるのは己の身だけである。大切なものを守りたいのなら、大いなる力が必要だ。今のキッカには、足りていないものが多すぎる。


「汚名を被せることを、今はお許しください」


「オレの方こそ、面倒をかける。この借りは、必ず返す」


 冷静さを取り戻したことで、覚悟を決められた。優しく微笑みを浮かべたキッカは、信頼できる仲間がいたことに心から感謝する。


「――またな、ドラン」


 剣を構えて、キッカは言う。


「どうか、ご無事で」


 迷いのない表情で、ドランは斬撃を受け入れた。



 ◆



「――ヘイケラー家に謀反の疑いがある」


 レベベルトに耳に打ちされたヴェスソンは、すぐに森を引き返し、ヘイケラー家の屋敷に向かっていた。


「……そんなわけあるかよ、クソが」


 ――直ちに、ヘイケラー家を制圧せよ。


 それが、彼らに下された命令である。


「あの馬鹿は、何をやらかしたんだよ……! 王国に目をつけられるなんて……!!」


「魔族と通じている疑いがある――とのことですよ。間違いなく、『暗紅教会』の介入でしょうね。彼らは、魔物や魔族を仇敵と認定していますから」


 キッカは、知らなかった。

 王都サンレミドで定着しつつあった、人間讃歌の教えを。


「だからって、疑いがあるだけでこうまで潰しに来るのかよ。ヘイケラー家なんて、辺境の弱小子爵だろ」


「……いざという時には、身の振り方を考えなければなりません」


「ニコライ……」


 それは、どういう意味で?


 ヴェスソンは、ニコライの真意を確かめることは出来なかった。


「――伝令です! キッカ・ヘイケラーがパカサロにて目撃されたとの報告が! 直ちに身柄を拘束せよとのご命令です!」


「……くそったれ」


 レベベルトから逃れたことへの喜びと、それでも逃げ切れていない現状の厳しさに、ヴェスソンは眉をひそめる。


 王国に忠誠を誓った騎士である彼らは、命令に逆らうことは許されない。



 ◆


 返り血を浴びながら、パカサロの町を闊歩していた。抜き身の剣を握る手に、自然と力が籠もる。ドラン・リンデンを斬った感触が、今も拭いきれなかった。


「……キッカ様?」


「ち、血塗れで……どうしたんですか」


 どよめく住民たちが声をかけるも、恐ろしい表情で睨み返す。


「――黙れ」


 明らかに、異様な光景だった。

 血まみれの十歳の少女が、殺気を纏わせながら剣を片手に彷徨っている。声をかけたものは、声色の冷たさに驚いて、後退る。もはや、彼らが知っているキッカではなかった。


「キッカ・ヘイケラー!! ドラン・リンデン襲撃の罪により、拘束させてもらう!」


「――ああ?」


「!?」


 衛兵たちが駆けつけるも、人睨みで身動き一つ取れなくなってしまう。研ぎ澄まされたキッカの威圧感に、弱き者は立ち向かうことすら出来ない。


「……降ってきやがったな」


 キッカの心を表すかのような、沁みるような雨足だ。音もなく、ただただ降り注ぐ。弱々しい雨は、返り血を洗い流してくれるほど強くはない。レベベルトに斬られた傷口に染み渡り、痛みとともに血が滲み始める。


「何やってんだよ、キッカ」


「……ヴェスソン」


 丁度いい、と。

 キッカは、ヴェスソンに狙いを定めた。


「人間というのは、つくづく醜いな。もう、うんざりだよ」


「……オレは、信じてねえからな。お前が魔族と通じているなんて、嘘に決まっている」


「どうだろうな。転移した世界で、オレは確かに魔族と交流をした」


「――だからって、お前が人間を裏切るわけねえだろうが!」


「そうだな」


 愚直な男だなと、キッカは苦笑する。ヴェスソンとは色々あったが、騎士の信念を持つ信頼に足る人間であることはわかっていた。


「俺様が、お前の無実を証明してやる。レベベルト殿は、何か誤解をしているはずだ。だから――」


「――無理だな」


 森の中で見つかった彫像が、キッカと魔族の交わりを証明している。加えて、キッカの家紋入りの武器を魔族が持っていたことが、致命的だ。誰がどうみても、キッカは魔族に通じている。


「かかってこい、ヴェスソン。じゃなきゃ、オレは逃げるぞ。いいのか? 魔族と通じているオレを見逃したとなれば、お前の首が飛ぶぞ」


「……っ!」


 覚悟を決めた眼差しが、ヴェスソンに理解を強要する。目の前の少女は、既に諦めている。


「畜生が!」


 やるせない怒りとともに、ヴェスソンは剣を抜いた。迷いだらけのまま、志半ばにキッカに斬りかかる。


「舐めているのか?」


「――っ!?」


 殺意を剥き出しにしたキッカは、剣ごとヴェスソンを殴り飛ばす。受け身すら取れないほど、激しく地面に叩きつけられる。


「き、キッカ様が……騎士殿を……!? これは、どういうことだ……!?」


 民衆からしてみれば、理解できない光景だったろう。


「おい、立てよ」


「き、キッカ……!!」


 ヴェスソンの髪の毛を掴んで、強引に立ち上がらせた。殺気を帯びるキッカの表情は、人間のものとは思えなかった。


「騎士団や王国の頭に伝えろ」


 冷酷に、キッカはメッセージを口にする。


「追いかけて来たものは、全員殺す。喧嘩を売ってきたら、落とし前をつけさせてやる。いいか、これは警告だ。命が惜しくば、オレを怒らせるなよ」


「……っ!」


 それは、キッカから人類への、敵対宣言。

 遅れてヴェスソンは、その奥の狙いに気が付いた。


 ――敢えて、悪役を演じているのだ。


 恐らくそれは、両親やこの町を守るため――!


「……キッカ」


 小声で、彼は言う。


「――俺様の誇りにかけて、ヘイケラー卿は守ってみせよう。パカサロは、俺様に任せておけ」


「……!」


「だからお前は、好きなように動け。『暗紅教会』には気をつけろよ」


「……ヴェスソン」


 ぐっと、感情を押し殺して。


「ああ、助かる」


 ヴェスソンにだけ見える角度で、キッカは微笑んだ。


「――『閃光弾』」


 懐から銃を取り出して、引き金を引いた。真っ白な輝きが、辺り一帯を覆った。


「っ!?」


 眩き輝きに紛れるように、キッカはその場から脱出した。狭まる視界の果てに、小さな彼女の背中をヴェスソンは見て見ぬ振りをする。


「――キッカ・ヘイケラーはどこだ!!」


「今の輝きはなんだ!? 何が起きている!!」


 遅れて、騎士団の応援が駆けつけていた。第三特別遊撃隊の旗が、雨空に翻る。


「ヴェスソン殿!! 大丈夫ですか!? して、奴はどこへ……!!」


 レベベルトの副官が、問いただす。


「――ヘイケラー卿の屋敷だ」


 苦悶の表情で、彼は言う。


「キッカ・ヘイケラーは魔族と共謀していた……!! このままでは、ヘイケラー卿の身が危ない!」


 騎士団の追手を煙に巻くことでしか、キッカを助けることは出来ない。


「承知した!! 誰か、ヴェスソン殿に手当を! 我らは、キッカ・ヘイケラーを追うぞ!」


 この日キッカは、人類と敵になることを選んだ。


 仲間を失い、居場所を奪われ、逃げるようにパカサロを後にする。

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