039 裏切り者


「魔族と人間って、どうして憎み合っているのかな」


 それは、在りし日の記憶。

 訓練の中でロアが零した、単純かつ難解な疑問だった。


「互いが、互いに残酷であることを知っているからだ」


 その言葉に、キッカは真摯に向き合っていた。


「生理的な嫌悪感や、同族嫌悪の類か。理屈じゃないと口にする者もいるが、オレはちゃんと理由があると思っている」


 キランとして、身に沁みて理解していた。魔族は人間であるという理由だけで人間を殺すし、人間は魔族であるという理由だけで魔族を殺せる。遺伝子レベルで、根源から定められているように。


「じゃあ、キッカはどうして僕たちを殺さないの?」


「オレが、馬鹿だからだよ」


 真顔でキッカは言う。同時に、ロアははにかんだ。


「馬鹿だから、わかんねぇんだ。人間と魔族の違いなんて、気にしたこともねえよ。オレにとっちゃ、どうでもいい問題だ」


「……そっか」


 キッカの言葉が、キッカだけにしか適用されないものだと、彼らは理解していた。それでも、一度は知ってしまったのだ。人間と仲良くなれる可能性。もしかしたらそれは、知らないほうが良かったことなのかもしれない。



 ◆


 数多の殺意に襲われながら、キッカは森の中を全速力で駆け抜けていた。接近する兵士を何人か捌きつつ、交戦を避けるように立ち回る。怒りに身を任せて皆殺しにしようかと思ったが、寸前のところで理性を取り戻す。今、遊撃隊を殲滅することが、正しいこととは思えなかった。自分のためではない。この先に生息している魔族のためである。


「……ちっ」


 キッカが彼らを殺せば、確実に魔族の仕業だと断定される。そうなれば、『嘶きの森』に生きる魔族に不利な展開を呼ぶだろう。


 だが。


 森の生態系が変わるほど、あれから時が流れていた。少なくとも、数年、数十年の規模ではないことは、彫像の劣化具合からも判別できる。仮に、ここがキッカの知る嘶きの森だとして――もはや、アミアンはキッカの知る集落とは別物だ。庇い立てする必要は、あるのだろうか。


「……いや」


 迷う必要はない。

 レベベルトが握っていたのは、キッカの家紋が刻まれた剣。


 その持ち主を彼らが殺したのなら――それは、キッカの敵だ。


「――っ!」


 黒刃が、キッカの背後を捉えていた。ギリギリのところで躱しつつ、牽制のために発砲を繰り返す。放たれた弾丸を切り落としたレベベルトは、追撃の手を緩めることなく立ち向かう。


「……この野郎」


 逃げ回りながら、キッカは後手を踏み続けていた。人数差が手数の差となり、キッカを不利に追い込んでいく。数を減らすことを優先しようとも、兵士たちは決して危うい立ち位置に踏み込んでくることはなかった。格上相手の戦い方を、徹底している。


「めんどくせぇ奴らだな……!!」


「私たちは、兎を狩るにも全力を尽くす」


 兵士一人一人は大した実力ではないが、恐ろしいのはその連携力。適度な距離を取りながら、ヒットアンドアウェイでキッカの体力を削ろうと仕掛けてくる。まるで、遊撃隊が一つの生き物のような連動感だ。


「蛇野郎が……!」


 唯一、リスクを背負って攻撃を仕掛けてくるのは、隊長であるレベベルト。やはりこいつから倒すべきだと、キッカは認識を改めた。


「――貴様は、私がヴェスソンに何を命令したと思う?」


「――っ!」


 突然降り注いだ問いかけに、キッカは一瞬、反応が遅れた。


「貴様の愚かな行いによって、ヘイケラー家には謀反の疑いがかけられている。その意味が、貴様に理解できるか?」


「……は?」


 言葉が、理解できなかった。


「当然だろう。キッカ・ヘイケラーが魔族に通じていたのだ。両親がそれを知らなかったとは言わせない。まだ疑いの段階ではあるが――裁きは免れんだろうな」


「……嘘だろ」


 キッカの脳裏に浮かぶ、両親の顔。そこに向けられる、数多の刃。どくん、と、キッカの心臓が大きく飛び跳ねた。それは、キッカの想定していなかった可能性。


「――隙を見せたな」


「あ」


 身内を失う恐怖が、キッカを硬直させた。鈍った反応では、レベベルトの一撃を回避することが出来ない。


「っ――!?」


 左肩から血飛沫が上がる。痛みと苦しみが、キッカの身体に熱を取り戻す。だらりと垂れた左腕は、本来の機能を完全に失っていた。


「抵抗するなよ、キッカ・ヘイケラー。貴様が罪を認め、洗いざらいの情報を吐くのなら、両親を助けられるかもしれぬ」


「……黙れ」


 ――ヘマをした。


 歯を食いしばりながら傷口を押さえる。想定外の深傷がキッカに余裕を失わせていた。動揺は、動きを鈍らせる。頭では理解していても、実践することは難しい。だが、もはやキッカの思考は、いかにこの場を切り抜けるかではなく――両親の身を案じることでいっぱいだった。


「――『魔弾生成』」


 騎士団の相手をしている場合ではない。痛みに堪えながら魔素を練り上げ、この場に必要な弾を生成する。


「『閃光弾』」


 引き金を引いた瞬間、眩い光が一帯を覆う。咄嗟のことで視界を奪われた遊撃隊は、この機に乗じての奇襲に備えるため、一時後退を選択した。


「小賢しい真似を……!!」


 一秒、二秒、三秒と経過したところで――ゆっくりと、視界は正常に回復する。薄っすら開いた瞳が捉えたのは、空っぽの景色。キッカの存在は、どこにも見当たらない。


「……逃げたか」


 おびただしい量の血痕が、点々と続いている。どうやら、森の外へ向かったようだ。


「いかがしましょうか」


「パカサロに戻ったのなら、好都合だ。あやつには帰る場所など存在しない。このまま追うぞ。裏切り者は、ここで始末する」


 レベベルトの騎士としての本能が訴えかけていた。キッカ・ヘイケラーを殺すには、この機会を逃すべきではないと。


「征くぞ」


 第三特別遊撃隊は、手負いの猛獣にも手を抜くことはない。蛇のようなしつこさで、獲物を追い立てる。


 前方に意識が切り替わった、その時だった。


「……なっ!?」


 レベベルトの隣にいた副官の頭部が、吹き飛んだ。


 ――BANG


 遅れて、銃声が聞こえてくる。


「そ、げ――っ!!」


 ――ニ発目。


 声を上げようとした兵士の頭部が、先ほどの再現のごとく弾ける。


「……ひ」


 遊撃隊の脳裏によぎったのは、千メートル離れた場所から人型ナイトメアの中心核を撃ち抜いたという逸話。キッカ・ヘイケラーの名前を轟かせた偉業が、今まさに彼らの身に襲いかかろうとしていた。


「――物陰に隠れろ!! 射線を通すなッッ!!!!」


 障害物だらけのこの森で、ありえない!


 そう思いながらも、レベベルトは迅速に指示を出した。相手は、遠距離から自分たちを捉えている。指先一つで、命を刈り取ることが出来るのだ。


「本性を表したな、女狐め」


 先程までは逃げ惑っていたが、ようやく殺意を剥き出しに反撃に出た。レベベルトの闘争本能が、緊急事態だと警鐘を鳴らしている。


「狙撃手を殺す方法は、心得ている。方角がわかっていれば、そう難しいことではない」


 幸いなことに、盾になるものはいくらでもある。森の中だということが、レベベルトに地の利を与えていた。立派な大樹に隠れながら前進していけば、遊撃隊を狙撃するのは不可能に近いはずだ。


 なんて。


 

 

「――え?」


 鋭い痛みが、下腹部に襲いかかる。


「は――?」


 ――


 ? 


 安全を期して、レベベルトは大樹に身を隠していたはずなのに――。


「……馬鹿な」


 遅れて、彼は気が付いた。


 いつの間にか、自分を隠してくれていた大樹が、忽然と消え失せているのだ。守ってくれるはずのものがなければ、当然に狙撃される。


「うわあああああああああ……!?」


 理解不能な状況に陥っているのは、レベベルトだけではなかった。大樹に身を隠していたはずの兵士が、気が付けば無防備を晒している。まるで『嘶きの森』そのものが、狙撃手のために射線を用意しているようだ。大樹に身を隠そうとも、気が付けば木の幹は形を変え、空白の筋道を作り出していた。


「あ、あり得ない……私たちは、狐にでも化かされているのか」


 見えない敵、理解できない現象、あり得ない攻撃手段。


「キッカ・ヘイケラー――!!」


 恨み言を口にしても、その怒りが狙撃手を捉えることはなかった。


 ――BANG!


 理解させないまま、殲滅する。


 正々堂々? 関係ない。


 これが殺し合いであると、狙撃手は理解していた。


 



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