038 人間と魔族の狭間にて
パカサロを出発した調査隊は、森の中を慎重に進んでいた。探索の目的は、瘴気領域が消えた原因と、森の奥に生息する生態系の確認である。魔族が出る、との噂もあることから、兵士たちの表情には緊張が走っていた。
「……特に変わった生物は確認できないな」
ぼそりとヴェスソンが言葉を零した。
「そうですね。至って平和な森です。瘴気に溢れていたなんて、信じられません」
道中に見かけた植物を収集しながら、地図を書き込みつつ先を進む。調査隊が進んでいるのは、キッカが水鏡を見つけたあの湖とは少し外れた方角だった。額の汗を拭いながら、神経を張り巡らせる。少しずつ、何かに近付きつつあることをキッカは感じていた。
「……凄い汗ですよ、休憩しますか?」
「いや、いい。それよりも――血の匂いがしてきたな。誰かが戦っているぞ」
「……え?」
ニコライが首を傾げた、その時だった。
「――報告です! 斥候隊より、第三特別遊撃隊を発見したとのご報告が! 現在、魔族と交戦している模様!」
調査隊の反応は素早かった。直ちに意識を切り替えて、戦闘態勢を取る。ヴェスソンの指揮を待ちつつ、いつでも戦えるよう構えていた。
「第三ということは、レベベルト殿か! あの方を手こずらせるとは、さすがは魔族だ! 俺様たちも、すぐに続くぞ!」
ヴェスソンの力強い呼びかけに、調査隊は高らかに返事をする。魔族の名前に臆している様子はなく、むしろ手柄を立てようと意気込んでいるようにも見えた。
「急ぐぞ!」
雄々しく進む、調査隊。
だが、一抹の不安がキッカの胸の中に渦巻き続けていた。
◆
調査隊が前線に到着したときには、戦闘は既に終了していた。
「……ヴェスソンか、久しいな」
「ご無沙汰しております、レベベルト殿。加勢に参りましたが、どうやら必要なかったご様子で」
精悍な顔つきの逞しい騎士が、散乱した死肉のど真ん中で立ち尽くしていた。どうやら、真っ黒な甲冑に付着した返り血を拭っているようだ。蹴散らされた死体は、人間のものではない……はずだ。確証を持てなかったのは、原形を留めないほどに痛めつけられているためだ。
「……残念ながら、何匹か逃してしまった。魔族というのも、存外大したことはないな。魔物と大して変わらん。この辺りには、魔族の集落がいくつかあるようだ。虱潰しに殺して回るぞ」
淡々とした口調だが、立ち振舞いには活気が漲っていた。手合わせをしなくともわかる、レベベルトの熟練された戦闘力。単に剣術に優れたニコライとは違う、底知れない老獪さすら感じられる。
「……これじゃ、虐殺じゃねえか」
問答無用で殺しにかかる騎士団を見て、吐き捨てるようにキッカは呟いた。見たところ、激しい戦闘が繰り広げられた形跡はない。逃げる魔族たちを、容赦なく斬り殺したのだろう。再生能力を警戒してか、念入りに身体を引き裂いて。
「何を当たり前のことを。もちろん、虐殺だ。魔族は一匹残らず駆逐しなければならん」
だが、レベベルトは迷いなく言い放った。
「――まさか、魔族を見逃せというのではあるまいな、キッカ・ヘイケラー」
「……あ? 何でオレの名前を知ってんだ?」
「貴様は、有名ではないか。近頃、よく耳にする名前だ」
「そりゃどうも」
猜疑心に満ちた眼差しが、キッカに降り注ぐ。
「ふん、生意気な瞳だ」
それからレベベルトは、ヴェスソンに指令を出す。
「――ヴェスソンよ、兵を引かせろ。魔族掃討戦は、我らが第三特別遊撃隊に一任せよ。『共食い』の称号を持つ者とは戦えん。ニコライの腕は認めるが、我が兵は貴様らと肩を並べて戦うことを望まんよ」
「……それは」
ぐっと、歯を食いしばるニコライ。
「それに、貴様らには別の役目がある。耳を貸せ、ヴェスソン」
それからレベベルトは、何かを耳打ちした。次第に青褪めるヴェスソンは、声を上げようと口を開くが、すぐに自らの手で口を塞ぐ。
「……理解したか? なら、すぐに兵を引け」
「りょ、了解しました……」
がくがくと頷いて、背を向ける。
「……どうした、ヴェスソン?」
「き、キッカ……」
動揺する瞳が、キッカを見つめる。ろくでもないことを吹き込まれたなと、キッカは確信した。
「待て、キッカ・ヘイケラーよ」
「あ?」
「撤退しろと言ったのは、遊撃隊だけだ。貴様は我が兵とともに魔族の抹殺に協力しろ。噂は聞いているぞ……? 随分と、やるそうじゃないか」
「……随分と乱暴な誘い文句だな」
「拒否権はないぞ、ついてきてもらおうか」
「…………」
断る理由は、特にない。
だが、先程から感じる視線の鋭さに、キッカは違和感を覚えていた。
「仕方ねえか」
ヴェスソンの様子も気になるが、何よりも優先すべきは水鏡の捜索だ。
「じゃあな、ヴェスソン。パカサロは任せたぜ」
「あ、ああ……」
最後まで、ヴェスソンは目を合わせようとはしなかった。
◆
「なぁ、共喰いってのはどういう意味だ?」
行軍の最中に、キッカは呑気に質問する。無駄口を叩いたことに周囲の兵士は表情を歪めたが、レベベルトは冷めた目で対応する。
「王国から授けられた称号だ。スキルや性格に応じた内容が与えられる。私なら、『暗黒騎士』。ヴェスソンは『霧雨』という具合だな。……貴様は、そんなことも知らないんだな」
「王都の騎士団なんて、興味なかったからな。それにしても『暗黒騎士』とは、中々人間らしくない異名だな。デュラハンみてぇだ」
『気体化』のスキルを持つヴェスソンが、『霧雨』というのは言い得て妙である。そういえば、ニコライのスキルを知らないことに気が付いた。
「あやつのスキルは、敵味方関係なく悪影響を及ぼす。名付け人によると、『人間爆弾』と悩んだ結果、『共食い』にしたようだ。どちらにせよ騎士に与えられる異名ではないが」
「なるほどねぇ」
あのポンコツが左遷されたのには、ちゃんとした理由があったわけだ。
「……さて、この辺りで良いだろう」
話はここまでだと、レベベルトは向き直る。キッカの雑談に付き合ってくれたのは、ここに連れてこさせるため。
「で? オレに何の用だ。まさか、本当にオレの力を借りたいわけじゃねえだろうな?」
当然、キッカもそれは理解している。
「――貴様に、いくつか聞かなければならないことがある。返答次第では、貴様の首が飛ぶぞ」
「……へぇ」
レベベルトの合図により、周囲の兵士たちが一斉に切っ先を向ける。
「異端審問を始める。まずは……」
「……!」
身の毛のよだつ殺意が、唐突に放たれた。
「――貴様は、本当に人間か?」
真っ黒な刃が、キッカの眼前に迫っていた。構えていたのに、反応が遅れてしまった。警戒していたはずのキッカの虚を突く見事な一撃は――しかし、首の皮一枚で回避される。
「あっぶねぇ――!!」
なんて捉えづらい殺意だと、キッカは舌打ちをする。
「血の色を見せてくれ。まずは、そこから始めよう」
「い、意味が分かんねえ……!!」
理由は不明だが、王国の騎士に目をつけられたことだけは確かだ。だが、キッカには心当たりが一つもない。
「私の一撃を回避したということは、やはり人間ではないのか? 己の身が潔白であれば、大人しく裁きを受けるはずだろう」
「……滅茶苦茶な言い分じゃねえか」
魔女裁判のような質の悪さ。レベベルトは、初めからキッカを悪だと決めつけている。
「大人しく斬り殺されてくれれば、人間だという証明になる。逃げ回るということは、やはり貴様は人間ではない」
「っ!?」
まただ、と。
危うく回避損なうキッカは、レベベルトの独特の剣筋に苦戦していた。警戒していても、どうしても虚を突かれるのだ。想定していないところから、命を狙ってくる。
「ここまで来ると笑えねえな。どこからどうみても、オレは人間だろうが!」
「いや、気配は人間だ。貴様は確かに人間だ。だが――その心は、どこにあるのだろうな」
黒刃が、絶えずキッカに襲いかかる。捉えづらい剣筋だが、本気で殺しにかかっている様子はない。避けられることを前提として攻撃している。尻尾を巻いて逃げることは可能だが、それは悪手だとキッカは判断していた。疑いを晴らさなければ、どこへ逃げても同じことだ。
「……何故、オレを疑う。ただの、十歳の小娘だぞ」
「この世に私の不意打ちを回避できる十歳が居てたまるか。貴様は既に、十分人間離れをしている」
それに、と。
「――この森に住まう魔族は、何故か人間の少女を神様のように信仰している。私が殺した魔族たちも、お前の名前を呼んでいたぞ」
「……は?」
表情が、凍りついた。本当に、意味がわからないのだ。
「ま、魔族が、オレの名前を?」
「先程も言っただろう? キッカ・ヘイケラーよ――その名前は、嫌でも最近耳にすると」
――どういうことだ?
レベベルトの言葉は、キッカの思考を混乱に陥れるには十分過ぎた。
「い、意味が、わからねえ……」
その言葉が真実であれば、レベベルトが疑いを持つのも無理もない話だ。魔族が人間を信仰するなど、御伽噺にしても笑えない。人類を裏切ったと言われても仕方がないだろう。
「……その様子だと、本当に心当たりがないようだな」
そのまま、レベベルトは背を向けた。
「ついてこい。貴様が魔族と関わりがある証拠を見せてやろう」
「……っ」
抵抗する気になれなかった。レベベルト程の男が、まさか適当な話に騙されているとも思えない。胸の内に広がる気味の悪い予感。
「さて、キッカ・ヘイケラーよ」
目的の場所に到達したレベベルトは、一層恐ろしい魔素を纏わせながら、キッカに剣を向けていた。
「――この彫像を見ても、お前はしらをきるつもりかか?」
「!?」
キッカの目の前に現れたのは、存在してはならないもの。
「な、なんだよ、これ」
理解を越えた何かが、自分の身に降り掛かっていることを確信する。
――
台座に刻まれた、自分の名前。
「――
十歳のキッカをそのまま模して制作された、古びた彫像が堂々と飾られている。
「……そうか」
ようやく、キッカは理解した。
「この森は……『嘶きの森』か」
あの日、瘴気領域を抜けて辿り着いた湖で、水鏡の暴走によって異世界転移をした――と、ヤギ太郎は説明していたが、現実はもう少し違っていた。
「――オレは、過去に転移していたのか」
長い時が経過して、あの頃とは随分と様変わりしている。血の薔薇との戦闘の名残は消えていたが、どこか懐かしい匂いがする。
脳裏に浮かぶ、親愛なる妖狐たち。台座に刻まれたキッカの家紋が、誇らしげに輝いている。思い出すだけで、キッカの頬が緩んでいた。時を越えて伝わる彼らの存在が、どうしてこうも胸を熱くさせるのか。
「この彫像は、あいつらが作ったんだな」
様々な感情が込み上げてくるのを抑えながら、優しく彫像に触れる。見たところ相当の年数が経過しているが、よく手入れされているせいか今でも立派に君臨していた。
「……だとしたらここに住んでいるのは、あいつらの子孫か? それとも――」
と、そこで。
ようやくキッカは、気が付いた。
「…………」
先程、自分が見た恐ろしい光景を。
「……おい、レベベルト」
「何だ」
かの暗黒騎士に虐殺された、魔族の成れの果て。
「――お前が、殺したのか?」
「
挑発するように、レベベルトは剣を取り出した。そのままそれを、キッカの方へと投げ渡す。拾わなくても、キッカはすぐに気が付いた。レベベルトが持っていたその剣は――かつて、キッカが鳥人族の青年に渡した剣であった。
「――
「……ロア」
ぶちっ、と。
キッカの中の理性が、怒りで焼き切れた。
「――オレが、くれてやったからだよ。あいつらは、オレの家族だからな」
「……残念だ。やはり貴様は、魔族と繋がっていたのだな」
無表情で、レベベルトは命令を下す。
「これより魔族の粛清を開始する。全員、対象の殺害を最優先に行動しろ」
暗黒騎士の精鋭たちが、その殺意を解き放つ。
「馬鹿が」
深い悲しみを讃えながら、キッカは気丈に立ち向かう。脳裏にこびりつく虐殺の光景が、今もキッカの心に影を落としていた。
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