第二章 『驚天動地』
037 休む暇もなく
「キッカ様が、お帰りになられたぞ!」
パカサロの町の衛兵の一言によって、キッカの帰還は大々的に広がった。どうやら、キッカが転移している間にも時間は流れており、約一ヶ月ほどパカサロを不在にしていたらしい。
「よく無事だった……!!」
「キッカちゃん……!!」
突然消えたキッカを、両親は涙を流しながら迎えてくれた。二人のやつれた表情を見て、とてつもない心配をかけてしまったことに気が付く。
「……悪かったな」
家族のぬくもりに触れて、柄にもなく感傷的になるキッカ。だが、これで全てが解決したわけではなかった。
「なぁ、親父。フェリエルとシューカは、帰ってきてねえのか?」
「……ああ」
悲痛な表情で、バイルは続けた。
「この一ヶ月、何の音沙汰もなかったよ。だけど、キッカだけでも帰ってきてくれて、良かった……!」
「そうか……」
「何があったのか、全部話してね。みんな、とっても心配していたんだから……!」
母親であるエンリが、震える声で言う。
「ああ。ちゃんと、説明する。だけど……よく、パカサロは無事だったな。ナイトメアの襲撃に耐えられるか、少しだけ心配だったんだが」
「それは、彼らが――」
と、バイルが説明しようとしたところで。
「――キッカ!」
ばたばたと足音がしたと思ったら、勢いよく扉が開かれた。赤毛の騎士ヴェスソンと、眼鏡騎士ニコライが息を切らせてやってくる。
「お前、今までどこほっつき歩いていたんだよ! 畜生、心配させやがって――!!」
「しゅ、シューカ様は!? お一人……なのですか……!」
「ヴェスソンと、ニコライか。ははっ、何だか久しぶりだな」
男子三日会わざれば刮目してみよとは言ったものだが、二人の表情は随分と凛々しく見えた。キッカ不在の間にも、彼らが鍛錬を怠っていないことが伺える。
「はは、揃いも揃って慌てすぎ――」
「――良かった」
元気なキッカの表情を見たヴェスソンは、安心したのか腰から崩れ落ちる。
「お前に何かあったのかと、本当に、俺様は……」
「…………」
あの傲慢な赤毛の騎士が、本気で心配してくれていた。彼らの見せる真心の反応に、ちくちくと罪悪感が刺激される。忘れがちだが、キッカはまだ十歳の少女だ。勝手な行動で、周囲に心配をかけてしまう。
「それじゃ、そろそろ話してくれるかな。キッカたちの身に、何が起こったのかを」
「ああ。少し長くなるが、聞いて欲しい」
もはや、これは自分だけ問題ではないのだ。そのことを戒めて、キッカは語り始めた。
◆
それからキッカは、『瘴気領域』に三人で踏み込んだところから丁寧に説明した。異世界に赴いたなど、到底信じられるような内容ではなかったが、キッカの坦々とした説明によって、じわじわと理解させられていく。
「……ちなみに、これが水鏡と一緒に封印された魔人だな。シューカに喰い付くされて、見る影もねぇけど」
そう言って、ヤギ太郎をポケットから取り出した。
「お、おい! 首を掴むんじゃねえ! 痛っ、いたたたっ……!!」
「…………」
「…………」
奇妙な手のひら大の生き物を見て、一同は目を丸くさせることしか出来なかった。
「まぁ、そんなこんなで魔族と仲良くなって、精霊の力を借りて帰ってきたってわけだ。おそらくだが、フェリエルとシューカはオレとは別の世界に飛ばされたんじゃねえかな」
「……そ、そうか……」
奇想天外な出来事ばかりを聞かされて、さすがのバイル・ヘイケラーも頭を抱えてしまった。
「……信じられないことばかりだが……キッカが言うのなら、正しいんだろう。それに、確かに異常は発生している」
「異常?」
「キッカの帰還とほぼ同時に――パカサロ近くの森の『瘴気領域』が消滅した。どす黒い瘴気が、嘘のように晴れ渡ったんだ。こんなことは、王国の歴史の中でも類を見ない事件だよ」
「王都サンレミドでも、今回の事件は非常に注目されてるぜ。既に、聖騎士団が調査に向かっている。近隣の領主たちには、勝手に森の奥に踏み入るなとのお達しが出ている」
「……キッカ様が『瘴気領域』に侵入したというのは、王国に報告しない方が宜しいかと。特に……異世界で魔族と仲良くしていたことが露見すれば、ヘイケラー家の立場が危うくなります」
「そうだな……本件に関しては、ここだけの話しにしておこう。騎士であるお前たちにこういうものどうかと思うが……内密にしてもらえるか?」
「もちろんです。王国は、瘴気領域にはとても過敏ですから……」
「……え?」
ニコライが即答で承諾したことに、キッカは素直に驚いた。
「お前ら、王国に報告しねえのか?」
元々、彼らはパカサロに派遣された王国直属の遊撃隊。選ばれし御子として出世ルートからは外れているとは言え、ヘイケラー家に義理立てする必要はどこにもないはずだ。
「今更だろ。それに、黙っておいた方が面白そうだ。キッカに貸しを作るもの悪くねえ。どのみち俺様たちは、見限られているしな」
「もとより私はシューカ様に忠誠を誓った騎士でございます。あの方にもう一度蔑んでもらうためにも、ヘイケラー家に落ちぶれてもらったら困るのです」
「……この二人は、キッカ不在の間にもしっかりとパカサロの町を守ってくれたんだ。彼らがいなければ、パカサロの防衛は厳しかった」
「お前ら……」
「俺様たちだけではない。優秀な部下や、パカサロの衛兵の努力の賜物だ。この町は、キッカに依存してばかりの町なんかじゃねえからな。お前の活躍を見て、甘えてられねえんだよ」
勇敢な彼らの志が、キッカの胸を打つ。
パカサロの町は、自分が想像していたよりも強いことを思い知らされてしまった。
「……やるじゃねえか」
とん、と。
ヴェスソンの胸を、拳で叩いた。
「見直したよ、お前らのこと。さすがは、王国の騎士なだけはある」
「……う」
キッカの褒め言葉に、思わず赤面するヴェスソン。それを誤魔化すように、そっぽを向いた。
「お、お前は俺様を見下し過ぎなんだよ!」
「いけません、ヴェスソン。ご褒美はちゃんと受け取らなければ」
「お前はさっきからキモいんだよ!」
「……ふん」
賑やかな喧騒を眺めながら、ヤギ太郎は退屈そうに毛づくろいをする。キッカの仲間がどんな奴らかと思って眺めていたが、思ったよりも普通だった。
(ま、あんな化物がぽんぽんいたら怖すぎるけどな)
一人の人間としては、既にキッカは武の極地に達している。あれより強い存在を、ヤギ太郎はいまだかつて見たことがない。弱肉強食の理が染み付いているヤギ太郎にとって、今やキッカの味方でいることが最善の選択肢であった。
「これから、キッカはどうするつもりなんだよ」
「決まってんだろ。フェリエルとシューカを探してくる。まんざら、心当たりが無いわけじゃない」
そう言って、キッカは窓の外に視線を向けた。
「水鏡は、きっと一つじゃねえと思うんだよな。瘴気が消えてなくなったのなら、丁度いい。あの森のどこかに、異世界へ続く扉が隠されているはずだ」
暴走した水鏡に巻き込まれ、異世界転移を果たしたキッカ。帰り道がちゃんと用意されていたことにより、ある程度の理屈に基づいていると踏んでいた。
「……それは難しいです、キッカ様」
だが、ニコライが複雑な表情で言う。
「王国の勅命により、あの森へ踏み入ることは禁止されています。ただでさえ、行方不明の噂が流れていたのです。今は、大人しくしていただかないと……」
「嫌だね。手遅れになったらどうすんだよ。オレには、あの二人を見つけ出す義務があるんだよ。誰にも邪魔させねえ」
「お前なら、そう言い出すと思っていたよ」
呆れるように、ヴェスソンは立ち上がった。
「――あの森の調査は、王国直属の騎士団に任せられている。お前が望むなら、雑用役として連れてってやってもいいぜ」
「……え?」
「『瘴気領域』がなくなったことにより、パカサロはナイトメアの脅威から解放された。左遷された俺たちには、あの森の調査を命じられている」
「瘴気が消えた原因や、生態系、及びナイトメアの有無を調査しなければなりません。いつ、瘴気が再び発生するかもわかりませんからね。危険な任務ですが……いかがしますか?」
「行く」
キッカは、即答した。
「止められても、行く。お前たちだけには任せられねえ」
「……だろうな」
分かっていたと、誰もが苦笑していた。
「では、三日後に出発しますので、しばらくはお休みになられると良いでしょう」
◆
久しぶりに自分の部屋に帰ったキッカは、びっくりするほど深い眠りに落ちていた。小さな体を包み込む布団の心地良さは、家ならではのものである。
自覚はしていなかったが、どうやらキッカの身体は極度の疲労に満たされていたらしい。
「……寝過ぎた」
寝ぼけ眼をこすりながら、起床するキッカ。誰も起こしに来なかったことを見るに、帰還したばかりのキッカに配慮してくれたのだろうか。
「着替え……」
ヘイケラー家の令嬢として、ある程度身なりはしっかりしなければならない。キッカ自身、服装なんてどうでも良かったのだが、家名に傷をつけるわけにはいかない。しぶしぶ、用意された衣装を身に纏っていた。
「フェリエル――」
いつものように、世話好きのメイドを呼び出そうとして。
「…………」
あの元気な声が失われていることを、今更のように思い出した。
「……ふん」
一瞬、代わりのメイドを呼びつけようと迷ったが、首を振ってそっぽを向く。衣装なんてどうでもいいと、簡素で動きやすい服装に着替えることにした。
◆
「ご無沙汰しております、キッカ様。お帰りになると信じていましたよ」
「おう、お前も相変わらず悪いこと考えてそうな面だな」
目覚めたキッカは、リンデン商会の屋敷を訪れていた。久しぶりに顔を合わせたが、ドラン・リンデンは健在である。
「オレがいない間に、何か変なことは起こっていたか?」
リンデン商会の商圏は、パカサロを中心に各地に広がっていた。情報線においては、リンデン商会の右に出る者は中々いないだろう。
「いえ、特には。ただ……キッカ様がご帰還する前後で、ナイトメアとは別の異変が起きているようですね」
「異変?」
「ええ……魔物が活性化している、と。瘴気領域が消滅したことで、ナイトメアの発生は激減しましたが、入れ替わるように魔物が村や町を襲うケースが増えています。しかもこれは、パカサロ周辺のみならず、王国全土に及んでいるようです」
「瘴気領域が消えたのは、パカサロの北にあるあの森だけだよな?」
「はい。ですので、他の『瘴気領域』に隣接する領地では、ナイトメアと魔物の両方の対処に追われているのが現状です」
「……あの瘴気は、魔物を抑える効果があったのか……?」
「……今のところは、否定できませんね」
それに、と。
「――どうやら、魔族らしき存在も確認されているようですよ。あの森の調査に向かうのでしたら、くれぐれも注意を払っていただければと」
「魔族、か」
妖狐や鳥人族と親交を深めたばかりのキッカにとって、あまり敵対したくない相手だ。
「そういえば、武器をなくしたと仰っしゃられていましたので、改めてご用意させていただきました。今度の調査にお役立ちくださいませ」
「ああ、助かる」
いくつかの武器は、ロアやニールの元に置いてきた。用意してくれたリンデンに申し訳ないと思いつつ、新しい武器の感触を確かめる。
「……悪くない。いつも助かるよ」
「いえいえ、こちらこそキッカ様のお陰で儲けさせていただいておりますので」
キッカが帰ってきたことによって、パカサロの町は熱気に包まれていた。キッカを広告塔に暗躍するリンデン商会にとって、かきいれ時である。
「…………」
「……キッカ様? いかがしました?」
「いや、なんでもない。少し、考え事をしていただけだ」
刻まれた家紋に視線を落とす。
物憂げな表情は、屋敷を出てからも変わらない。
◆
「……珍しく、感傷的じゃねえか。どうしたんだ?」
「あ?」
リンデン商会からの帰り道、ヤギ太郎はキッカに声をかける。
「今日一日、ずっと大人しいじゃねえか。キッカらしくもない」
「別に」
言葉数が少なくなっていることを、ヤギ太郎は見逃していなかった。
「ただ、退屈なだけだよ」
お喋り好きのフェリエルは、好きあらばキッカに話しかけていた。鬱陶しいなと思いつつも、そんなフェリエルとのやり取りをキッカは気に入っていた。
「アミアンにいる間は、忙しくて気が付かなかったが……どうやらオレは、にぎやかな方が好きらしい」
「……お前も人間らしいところがあんのな。血も涙もない悪魔みてぇな女だと思ってたぜ」
「ぶん殴るぞ馬鹿ヤギ」
「じょ、冗談だって……!!」
それでも、理解者が側にいることはキッカの救いとなっていた。一人でいると、嫌な方向へと思考は傾いていく。
「三日後、気をつけろよ」
ふと、ヤギ太郎は警告する。
「お前も気が付いているだろうが――森の奥は、あからさまにやべぇぞ。尋常ではないほど魔素が高まってやがる。人間どもは気が付いていないようだが、よっぽどの強力な魔物か、魔族が待ち受けているぜ」
「だろうな」
瘴気領域が消えたことによって、警戒心を強めたのは人間の方だけではない。それは、お互い様なのである。
「キッカは、魔族を殺せるか?」
「――殺すよ」
迷いなく、即答した。
「目の前に現れたのがオレの敵なら、関係ねえよ。パカサロの町を危険に晒す訳にはいかないからな」
冷たい瞳を、森の方へ向ける。
「……だが、相手が友好的であってくれたら、その限りじゃねえよ。戦わなくて済むのが一番だ」
「そりゃ無理だな」
ヤギ太郎は、甘えを切り捨てる。
「アミアンとは違うぞ。あんときはナイトメアっつー共通の敵がいたが、今回は人間と魔族の顔合わせだ。下手すりゃそのまま、戦争だぜ」
「…………」
そのときは、覚悟を決めなければならない。
懐に隠された銃が、己の存在を主張する。
◆
「――魔族の集落を発見」
第三特別遊撃隊が、遂に目標を捉える。
「向こうはまだ、こちらに気が付いておりません。いかがしますか?」
『暗黒騎士』の称号を承る、序列二位の騎士『レベベルト』が剣を抜いて天に掲げた。
「魔族は、皆殺しにしろ。一切の慈悲を与える必要はない」
身体の中に流れる争いの血が、人類の怨敵を忘れることはなかった。
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