036 またね
崩壊した集落を直すのには、途方もない時間がかかりそうだ。しかし、ナイトメアの脅威が消えたことによって、アミアン住民たちは活気を取り戻しつつあった。
「家なんて、もう一度立て直せば良いのです。命ある限り、何度でもやり直せるです」
「うんうん、僕たちなら出来るよね!」
ロアとニールは、笑顔を振り撒いて力強く言う。他の魔族たちも、それぞれが希望に満ち溢れていた。カルカソー一派を失ったアミアンは、それでも一致団結して前を向いている。これからも彼らの前に試練が降りかかり、紆余曲折の波乱が起きるだろうが――それは、彼らの物語である。
「――よし、訓練するか」
「えー!」
「文句をいうんじゃねえよ。また、ナイトメアが訪れるとも限らねえだろ。オレがいなくなった後も、しっかり訓練しておけよ」
「そんなぁ」
キッカには、フェリエルとシューカを探すという目的がある。彼女たちの痕跡が見当たらない以上、長居する理由はない。
「ねぇ、キッカ! あたしたち、まだ何にもお礼できていないんだけど! 勝手に旅立っちゃ駄目だからね!」
エルフの少女レミィは強めの口調で言い聞かせる。
「お礼なんていらねえよ」
「そういう訳にはいかないんだから! みんな、キッカには感謝しているんだからね!」
ほら! と。
レミィが周囲の笑顔を見せつける。
「ちっ……」
小っ恥ずかしくなったキッカは、そっぽを向いて視線を外した。笑顔を浮かべる魔族たちの衣装に、キッカの家紋が縫い付けられている。すっかり、救世主扱いだ。
「銅像とか作らねえ?」
妖狐の青年ボリスが、冗談めいた口調で言う。
「いいわね、それ!」
周囲の者たちが悪ノリをして、笑顔の花を咲かせ続ける。
「ったく……」
呑気なもんだなと呆れるが、水を差す気にもなれない。
「なぁ、キッカ」
胸元のポケットから、声がした。
「おまえの弱点、見つけたぜ」
「あ?」
ヤギ太郎は、したり顔で言う。
「――感謝されるのが、苦手だろ。くくく、可愛らしい弱点じゃねぇか――ぐはぁっ!?」
「うるせえ」
ポケットの上から、叩き潰されるヤギ太郎。
「……感謝されるべきなのは、オレじゃねえよ。祈りを捧げるのなら、シーロンの方だろうに」
持ち上げられるような存在ではないと分かっていた。だが、前を向いて立ちあがるときには、掲げる旗が欲しいのも事実。家紋が魔族たちの道を照らしてくれるのなら、恥ずかしさすら噛み殺そう。
◆
真夜中。
誰もが眠りについた頃に、キッカはアミアンを抜け出していた。気配を完全に殺して、暗闇の森を突き進む。
「……なぁ、挨拶しなくて本当に良かったのか?」
ヤギ太郎が、もぞもぞと声を上げる。
「いいんだよ。あの集落にオレはもういらねえ。それに、しんみりしたくねえんだよ。自立してもらわなきゃ困るからな」
「しんみりすんのはあいつらか? それともキッカか?」
「うるせえ」
別れは素早く、後腐れなく。
アミアンは気のいい奴らに溢れているが、いつまでも居続けることは出来ない。キッカには、帰る場所があるのだから。
「……ここか」
――『血の薔薇』の死骸の場所を探してごらん。
シーロンに言われた通りにやってきたが、無惨に破壊し尽くされた木々が散乱しているだけであった。わざわざ口にしたからには何かがあるのだろうが、キッカにはそれがわからなかった。
「特に何もねえな」
ナイトメアの死体は、既に消滅していた。枯れ落ちた枝や葉を足で蹴散らしながら、申し訳程度に何かを探すも、すぐにキッカは匙を投げた。
「……行くか」
「いやいやいやいやいやいや!!!!!!!!」
堪え性のないキッカが背を向けると同時に、ヤギ太郎が飛び出してきた。
「もうちょっと頑張れよ! 大精霊が意味深に言い残したんだから、何かあるに決まってんだろーが!!」
「んなこと言われてもな」
興味なさそうに、『血の薔薇』が居た場所を見つめる。
「精霊って、気が遠くなるくらいに時間の感覚が狂ってやがるからな。今回のアレも、適当ぶっこいてるんじゃねえのかな」
「そんなわけねえだろ……」
ため息を付きながら、真面目に辺りを調べるヤギ太郎。キッカよりも何倍も頑張っていた。
「……お?」
「ん?」
やがて、ヤギ太郎は、お目当てのもの探り当てた。
「ホラホラホラ!!! おい、キッカ! ここだ、ここ!! 精霊の魔素が、色濃く残ってやがる!! お、封印されてんな? これ! ちょいとぶっ壊してくれよ!」
「……なんかおまえ、生意気になってきたな?」
ヤギ太郎が示した場所に手を伸ばすと、電流が走ったような痛みに襲われた。同時にキッカは、理解した。この感覚を、思い出したのだ。
「ああ、なるほどね」
直近で、同じ感覚に見舞われたことがある。ここへ来る原因となった、あの水鏡に施された封印と酷似している。
「――!」
力を込めて、強引に封印に爪を立てた。案の定、見えない術式がキッカを拒絶するが、問答無用に引っ剥がす。ばりばりと、ただの力技で押し切った。
「……これはっ!!」
何もない空間に現れたのは、禍々しい時空のうねり。その異常な気配に、咄嗟にキッカは真後ろに飛び退いた。
「良かったな、キッカ」
ヤギ太郎が、したり顔で言う。
「――これは、水鏡の座標だ。あの場所へ、帰れるぞ」
「嘘じゃねえだろうな」
「どうやら、水鏡はランダムで私たちを飛ばしたわけじゃないらしい。出口があるということは、座標が設定してあったな。あの『血の薔薇』のハラワタに、鍵があったようだ」
「よくわかんねえが、帰れるんだな」
「ああ……たぶん……」
「怪しいなあ、まぁお前がそういうなら試してみるか」
ひょいと、ヤギ太郎をつまみ上げるキッカ。
「……え?」
「帰れるんだよな?」
「う、うん……」
「じゃ、お先にどうぞ」
「あ」
ぽいっ、と。
躊躇なく、ヤギ太郎を時空のうねりに投げ捨てた。
「おいいいいいいいいいいいいいい~~~~~~~~~!!」
「おー」
うねりに飲み込まれたヤギ太郎は、渦に飲み込まれるように消えていく。その光景は、確かにあの水鏡のうねりによく似ている。
「……よし、行くか」
迷っている時間はなかった。時空のうねりがいつまでも残っているとも限らない。だが、そんなキッカへと放たれる少女の声。
「キッカ!」
息を切らせながらニールがやってくる。乱れた衣服が、急ぎに急いでいたことを表していた。
「い、行っちゃうのですか!?」
「ああ」
「ど、どうして急に! しかも、こんな真夜中に……!」
「二度と会えねえかもしれねえからな。しんみりしたくねえんだ」
丁寧に分かれの言葉を交わすことを、キッカは美徳とは思わなかった。むしろ、悲しみが増すだけだと考える。ごくごく自然にいなくなった方が、尾を引くこともないだろうと。
「最後に、一言。いつか、大精霊が目覚めるだろう。そのときは、しっかり面倒見てやれよ。案外、寂しがり屋だからな」
「……キッカ」
引き留めようという気持ちが、届かないことは明白だった。だからせめて、急な別れに気持ちのケジメをつけたかった。
「また、会えると信じているですよ」
「……そうだな」
困ったように、キッカは笑った。
それが出来ないから、黙って立ち去ろうとしていたのだから。
「一度会えたのです。二度目があっても、不思議ではありませんから」
そしてニールは、キッカの家紋を力強く見せつける。
「――キッカのおかげで、わたしたちは救われました。このご恩は、一生忘れないです」
「オレの方こそ、感謝してるよ。得体の知れない人間を受け入れてくれて、ありがとな」
それが、最後の言葉だった。やはりキッカは、前に進むことに躊躇いはない。ニールから視線をそらして、時空のうねりに踏み出した。
「……またな」
最後に、気まぐれのような言葉を言い残して、この世界から別れを告げる。
「――キッカ!」
消えゆく光景の中で、涙を流しながらニールは胸元の家紋を指し示した。力強く頷きながら、何かを口にする。その言葉がキッカに届くことはなかったが――想いはきっと、伝わっただろう。
「別れは、嫌いだ」
こうなると分かっていたから、人知れず彼女は逃げ出したのだ。
そして、キッカは世界を転移する。
◆
時空のうねりに包まれたキッカは、在りし日の記憶を思い返していた。
それは、シューカが生まれた日のことだ。
まだ赤子のシューカは、泣いていた。
わんわん泣いていたのではなく、一滴の涙を流していた。
――どうしたんだろうね。
と、母親が首を傾げていた。
記憶が定着する前の、うろ覚えの思い出だ。
◆
「…………」
「…………」
目が覚めると、湖の上に大の字になって浮かんでいた。妙に火照った身体を冷やしてくれる水が、キッカの思考をクリアにさせる。長い黒髪が扇状に広がり、眩しいお日様に照らされて 煌めいていた。
「おい、キッカ」
「よぉ、ヤギ太郎。無事転移できたみたいで何よりだな」
「こ、この野郎~~~~~~~!」
びしょびしょになりながら、ヤギ太郎はお冠である。
「私を一人で行かせやがって! すげぇビビったんだぞ!?」
「だらしねえなぁ……」
微笑みを浮かべながら、水の冷たさを噛みしめる。漂う風が、懐かしい匂いを運んでいた。確かめた訳では無いが、本能が断言する。ここは、己のよく知る世界だと。
「なぁ、キッカ……水鏡が、なくなっている。どうやら、あの一回で終わりらしいな」
「みたいだな。もう、あの世界には戻れねえってことだ」
寂しさを誤魔化すように、キッカは湖から上がった。濡れた髪を軽く絞ってから、辺りを見渡す。
「……間違いなく、何かが起きているな。こんなのは、生まれて初めての経験だよ」
美しい草木と、生い茂る花。活き活きとした緑が眩しい、魅惑の世界が広がっている。水底が見通せるほどの湖の綺麗さに負けない程、自然は存在感を見せつけていた。
思い出して欲しい。
キッカたちがこの湖に来るときは、こうじゃなかったはずだと。
「――瘴気が、完全に消えている」
「え?」
辺り一帯に、瘴気の気配は感じられなかった。キッカとヤギ太郎の冒険は、予想もつかない出来事を引き起こしたのだ。
この日、人類は初めて、瘴気領域を攻略することに成功した。
広がる視界の果てまで、美しい新緑が続いている。
◆
キッカが帰還を果たしてから数時間後。
『瘴気領域』の消えた森の中を、グアドスコン王国から派遣された騎士団が調査に踏み入っていた。
人間にとって、そこから先は未開の地。
何が起きても、何が現れても不思議ではない。
そんな彼らの前に現れたのは、
「何だ、これは……?
枯れ果てた大樹の前に設置された、古びた少女の彫像。
彼女を崇めるかのように、それは丁寧に祀り上げられていた。
彫像に刻まれた文字は古ぼけていたものの、何とか読むことが出来る。
――親愛なる友人、
百ニ十年前より送られる敬意が、後にキッカの運命を大きく狂わせる。
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