035 ざまぁみやがれ


 『血の薔薇』の蕾から生まれ落ちた植物型のナイトメアは、かつて生贄に捧げられた妖狐たちの皮を被ってアミアンを襲撃していた。人型ナイトメア程の強さはないが、戦闘経験の浅い魔族にとっては十分過ぎる脅威だった。


「だ、誰か、助けて……っ!」


「――ロア!」


「ま、ま、ままま任せて下さいっ……!!」


 背中の翼に魔素を込めて、低空気味に空を滑空する。キッカから譲り受けた剣を振るい、寸前のところで仲間を救出する。


「ロア、その子はおれに任せて、ニールのとこにいってやれ!」


「うん! ありがとう」


 『血の薔薇』の本体とは真逆の方角は、比較的まだ安全だった。どうやら、本体に近ければ近いほど、巨大な力を駆使できるらしい。そのことに気が付いた妖狐たちは、家族をつれて必死に避難していた。


「――よし」


 ロアやニールだけではない。キッカの訓練を受けていた者たちの活躍により、最小限の犠牲で済んでいた。あらかた避難が完了したところで、二人は一息つく。


「……何人、死んだですか?」


「五人……」


「……そっか」


 少ないと思うか、多いと思うか。

 全員と顔見知りだということを踏まえれば、勝手な言葉は口にできない。


「瘴気が濃くなってきたよ。僕らもそろそろ、避難しよう」


「うん……でも」


 やはり彼らは、キッカの様子が気になるのだ。一瞬でアミアンを崩壊させるほどの変異ナイトメアに、単身で乗り込んでいった。信じていないわけではないが、それでも心配なことに変わりはない。


「……ナイトメアが、こっちに来る。早く、逃げなくちゃ」


 彼らの動きはとても緩慢で、逃げるだけなら簡単だった。血の薔薇によって生み出されたナイトメアは、どうにも出来が悪く、一部の個体以外はあまり脅威ではなかった。


 ――だが。


「……お兄ちゃん?」


 こと今回に限っては、噛み合わせが最悪だった。


 のろのろと、ニールの元ににじり寄る寄生型ナイトメアは――あろうことか、ニールの兄の死体の皮を被っていた。


「……そんな」


 見るも無惨な、兄の姿の成れの果て。

 こんな風に再会することになるとは、思いもよらなかった。


「――ニール! あれは、お兄さんじゃない! 早く、逃げるよ!」


「ころさなくちゃ」


 目の前の現実を否定したくて、ニールは銃を構えた。


「何をしているんだ! 戦わなくていい! さぁ、逃げよう!」


「だけど、あれはお兄ちゃんだから……! 早く、助けてあげないと……!!」


 ナイトメアに向けて銃を構えたニールだが、引き金を引くことが出来なかった。がたがたと震えて、狙いが定められない。


「目を覚ませ、ニール! それは、お兄ちゃんじゃないんだ!!」


「わ、わ、わかって……る……けど……」


 会いたかった。


 会いたかった?


 これは、何?


 洪水のように、ニールの思考を疑問符が襲う。もしかしたら? 何を言ってる? あれ? お兄ちゃん? 混濁した思考が、両足を凍りつかせる。理性では分かっていても、本能がそれを許さない。


「お兄ちゃん……!」


 最後まで笑顔を浮かべて、頭をなでてくれた記憶。


 泣き言も言わずに、生贄としてナイトメアの元に旅立っていった。


 彼の身に、どれほどの不幸が襲ったのかは、一目瞭然だ。


「……お兄ちゃん」


 生贄として捧げることが、どういうことなのか。


 この日、ニールは改めて思い知らされたのだ。


 兄だけではない。妖狐の集落に生きる者は、みんながその罪に向き合う必要があった。だからニールは、逃げることが出来ない。


「ごめんなさい」


「ニール」


「ごめんないさい」


「違う」


「ニール!」


「――それは、違う!」


 ロアの怒声が、ニールの迷いを切り裂いた。


 同時に、兄の皮を被った寄生型ナイトメアが、一刀両断される。ロアの手によって、兄の皮ごと斬り捨てられた。ニールの瞳が、大きく見開かれる。声にならない悲鳴が、ロアに向けられそうになるが。


「……ニールが謝ることなんて、何もない。もし、お兄さんが生きていたら、そういうと思うよ」


「ロア……」


 わかっている、わかっていると、何度もニールは心の中で繰り返す。目の前にいるのはただのナイトメアで、兄はもう死んでいる。殺さなければならない相手なのだ。


「いいんだよ、それで」


 ロアは、優しく笑いかける。


「ニールが手を汚す必要はない。いくら偽物とは言え、兄殺しはさせられないから」


「……バカロア」


 ニールが、ロアの向こう側を睨みつけ、銃を構えた。


「――中心核を、壊せていないです」


「え?」


 ――BANG!


 ニールの手の震えは、止まっていた。ロアの背後で立ち上がったナイトメアに向けて、引き金を引く。切断面から剥き出しになっていた中心核を、銃口は捉えていた。


「ア――」


 見事に核を撃ち抜いて、兄の皮を被ったナイトメアは息絶える。ニールが自らの手で、仇を討ったのだ。


「格好悪いですね、ロアは」


「あ、あははは……死ぬところだったかも」


 格好つけたはいいものの、結局は助けられてしまった。それもまたロアらしいと、ニールは笑っていた。


「こんなの、お兄ちゃんじゃないですから」


 迷いのない眼差して、ニールは続ける。


「だから、別に私が殺しても関係ありません」


「強いな、ニールは」


 視線の彼方で、極光が光り輝いた。

 その直後に、周囲の茨が朽ち果てていく。


 直に彼らも、気が付くだろう。


 異世界からの訪問者が、アミアンにおけるナイトメア支配に終焉を打ったのだと。



 ◆



 耳元で囁かれた悪夢が、カルカソーの意識を掻き混ぜる。頭部が爆ぜ、死したはずのカルカソーの意識は、ゆっくりと覚醒していた。


「……私は」


 失われた顔の肉の代わりに、植物の根が機能を補っていた。カルカソーに寄生していた植物型のナイトメアが、本体と分離して自律的に活動を開始する。本来ならば、ナイトメアに喰われて終わるはずだが、執念深いカルカソーの自意識が、逆に寄生していたナイトメアの意識を喰らっていた。長年ナイトメアに寄生された状態でいた事で、カルカソーの身体はナイトメアに適合していたことも原因だろう。


「もはや、魔族とは言えなくなり果てて……」


 植物型ナイトメアと一体化したカルカソーは、気配を殺しながら地下牢から脱出する。地上に出てすぐ、目の前の光景に戦慄した。


「……信じられない……! 『血の薔薇』が、討伐されているだと……!?」


 アミアンを襲っていた大量の茨が、根こそぎ枯れ果てていた。加えて、先程まで薄っすらと感じていた『血の薔薇』の瘴気が掻き消されている。


「なんてことだ……!」


 ナイトメアの支配が覆ってしまうことは、己の不利になると理解していた。この身体は、もはや妖狐と言い張るには無理がある。生きていることがバレてしまえば、必ず駆除されるだろう。


「……に、逃げなければ……!!」


 幸い、寄生型ナイトメアの身体は植物に擬態することが出来る。『嘶きの森』の奥に身を潜め、力をつけよう。それからゆっくりと、今後のことを考えればいい。焦りに満ちた思考を引きずりながら、カルカソーは嘶きの森の奥を突き進む。


「よぉ」


 ――だが。


「遅かったじゃねえか、雑草くん」


「あ……」


 何故か、キッカが銃を構えて待ち伏せていた。


「原理はよくわかんねえが、まさかお前が生きてるとは思わなかったよ」


「~~~~~~~~~~~~~~!!」


 こいつが『血の薔薇』を殺したと、カルカソーはすぐに理解した。戦闘が終わったばかりで、キッカの魔素が昂ぶっている。僅かに漏れ出る殺気に、憎悪の念が籠もっているのを見逃さなかった。


「大精霊を嵌め込んだ、自己保身の塊が。さて、どうしてくれようか?」


「あ、あ、あああああ……っ!!」


 最も見つかってはいけない相手に、見つかってしまった。刹那の世界でカルカソーはこの場を脱する方法を模索するが、一向に答えは出て来ない。


「あいつらが受けた苦しみを、お前に返してやりてぇが……どうしたらいいかわかんねんだよな。殺すだけじゃ、足りねえだろうし」


 ブチ切れたキッカは、鬼の形相でカルカソーの足を切り裂いた。左手に握られていた短刀が、汚染された液体を撒き散らす。


「ぎゃあああああああああああ……っ!!」


「まずは、逃げられないようにして」


 右手の拳銃に、魔素を込める。


「『幻影弾』」


 終わりなき苦しみを与えるための、拷問用の弾丸。これに撃ち抜かれた者は、本人にとって最悪の幻影に取り憑かれる。


「や、やめてくれぇ……!!」


「…………」


 悪趣味だな、と。

 自分の行いを俯瞰して、見下していた。だが、目の前の元凶をどう処理していいか、キッカにはわからなかった。ただ、殺すだけで十分なのか? 拷問して、何の意味がある? 何をしても、無意味ではないか……?


「わ、悪かったよ……! 本当に、申し訳ないと思っている! だが、私もナイトメアの犠牲者だったんだ……! それだけは、わかってくれないか!」


「……黙れ」


 口を開く度に、抑えようとしていた憎悪が息を吹き返す。その度に、衝動的に引き金を引いてしまいそうだった。


「もういいよ」


 だが。


「しっかりと、殺してくれたら、十分」


 処理に悩むキッカに、答えをくれる者がいた。


「……シーロン」


 儚げな少女が、キッカに囁きかけていた。


「殺すだけでいいのか」


「いいよ、もう。だって、どうでもいいし、意味もない」


「そうだな」


 愚かなクソ野郎に時間を割くだけ無駄だと、キッカはようやく飲み込んだ。


「……? お、お前は……誰と喋っている……? そこに、誰かいるのか……?」


 見えていない。

 シーロンの姿が見えるのは、キッカだけであった。


「なぁ、カルカソー」


「な、なんだ?」


「雑草は、ちゃんと刈り取らなきゃな」


「……え?」


 ――BANG!


 『幻影弾』ではなく、通常弾で中心核を撃ち抜いた。くだらない相手に魔素を消費するだけ、勿体ない。


「――ア」


 絶叫は、遅れてやってくる。


「アアアアアアアアアアアアアアア――!!!!!!」

 

 手段を選ばずに生に執着していたカルカソーは、救いを与えられることなく消滅していく。己の罪を暴かれ、誇りは失い、挙げ句に頼みのナイトメアも討ち滅ぼされ。


「うるさいよ」


 シーロンが、指を動かした。


「――!?」


 カルカソーの声を、森の風が攫っていく。


「今、とても気分がいいの。汚い鳴き声で、耳を汚されたくない」


「~~~~~~~~~~~~~~~!!」


 命尽きるその時まで、カルカソーの目にシーロンは映らない。声が出せない理由もわからないまま、妖狐の歪な紛い物は完全に消滅した。


「……終わったな」


 銃をしまいながら、現れたシーロンに向かう。


「消えかかっているぞ。そろそろ、限界か?」


「そうだね。『血の薔薇』から解放されたし、そろそろ眠たくなってきたかも」


 不思議な距離感は、変わらない。


「お前はもう、死んでいるんだよな」


「肉体はね。私は森の大精霊……嘶きの森が生きている限り、肉体が滅んでも死なないよ。少し、眠るだけ。百年もしたら、また復活できると思う」


「百年か。それは、遠いな」


 人間の寿命を遥かに越えている。


「大丈夫だよ、魔族の寿命はとっても長いからね。ニールやロアには、また会えるよ。その日が、楽しみだな」


「……そっか」


「出来れば、私が目覚めるまでキッカにはみんなを守って欲しいんだけど……」


「無理だな」


 キッカは、断言する。


「どうやらこの辺りには、オレの仲間はいないらしいからな。すぐにでも、ここを発たなきゃいけない」


 フェリエルやシューカを探すことが、最優先だ。


「そっか。そりゃそうだね」


 困ったようにはにかみながら、シーロンは囁いた。


「――アミアンのみんなと別れが済んだら、『血の薔薇』の死骸の場所を探してごらん。きっと、キッカにとって必要なものが残されているだろうから」


「……わかった」


 深く尋ねることもせずに、キッカは頷いた。


「ふぁ……うん……まぁ、こんなところかな。じゃぁね、キッカ」


 友達と別れを告げるような感覚で、シーロンは手を振る。


「また、百年後」


「おう」


 二度目のまたねを、口にする。

 人間の寿命のことなど、気にもしていないのだろう。シーロンが目覚める頃には、キッカは老衰を迎えている。だが、そのことを指摘するのは、少し野暮なことだとキッカは思う。


「またな、シーロン」


 別れなんてものは、こんなものでいい。

 大丈夫だ、百年後の世界にキッカはいなくとも、ロアやニールがシーロンを迎えてくれるだろうから。


「おやすみなさい」


 シーロンの姿が、森の彼方へ消えていく。


 精霊の加護の名残は、きらきらの粒子を振りまいて、キッカを照らしてくれていた。

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