034 変異種『血の薔薇』


 地下牢から脱出したキッカの目に飛び込んできたのは、地獄のような光景だった。至るところから丸太ほどの大きさの蔓が伸びており、アミアンの集落の家屋に絡みついていた。蔓の先に開く花弁からは、大量の瘴気が溢れ出している。あちこちから悲鳴が上がっており、茨は逃げ惑う魔族を追いかけ回していた。


「……どうなってんだ、これは」


 まるで、『嘶きの森』そのものが、アミアンの集落を喰らおうとしているようだ。


「大精霊様のお力です……間違いありません」


 嘶きの森を支配する大精霊は、生い茂る植物を操る。ナイトメアの禍々しい瘴気と混じり合った結果、突然変異を起こしたのだろう。


「キッカ!!」


 ニールが悲壮な声色で呼びかける。銃を取り出して、涙目になりながら敵を見据えていた。ロアもそれに続いて、剣を抜いた。憎悪と憤怒に満ちた瞳が、視野を狭窄させる。


「――馬鹿なことは、考えるな」


 だが、キッカはそれを許さない。集落を襲う植物に襲いかかろうとした二人を、言葉で静止させる。


「お前たちは、仲間を連れて逃げろ。自分たちの身の安全を最優先に行動するんだ」


「ど、どうしてですか、キッカ……! ここで背を向けるのなら、わたしたちは何のために訓練を……!!」


「戦うためじゃない。身を守るためだ」


 今回のナイトメアは、過去に類を見ない規模の相手だ。アミアンの集落に根を張りながら、本体はどこかに身を潜め、触手のように蔓や茨を伸ばして襲いかかっている。いくらキッカとは言え、彼らを守りながら戦うのは不可能だった。


「お前たちは、足手まといなんだよ。戦場で戦うには、まだ早い」


 キッカの言葉は、極めて正しい。いくら訓練したとしても、彼らはまだまだ未熟だ。規格外のナイトメア戦においては、何の役にも立たない。


「でも!」


「何度も言わせるな!! 自分のやるべきことを理解しろ!!」


 大声で、キッカは一喝した。


「オレは単独で、ナイトメアの親玉をぶっ殺す。その間、アミアンの守りは任せるって言ってんだ」


「……!」


 アミアンの魔族たちは、戦闘に長けていない。このままだと、片っ端から捕食されてしまうだろう。一刻も早くナイトメアを殲滅しに行きたいキッカにとって、後ろを任せられる仲間が欲しかった。


「クソ弱っちいお前らでも、仲間を守りながら逃げることくらいはできんだろ! いいから、さっさと行け!」


「……わ、分かった!」


 二人が頷いたことを確認したキッカは、弾けるように走り出した。探さなくとも、本能が警告を鳴らしている。禍々しく肥大した魔素が、本体の居場所を教えてくれていた。


「邪魔だ……っ!!」


 生い茂る茨たちは、キッカの行く手を阻むように襲いかかる。鞭のようにしなる大量の蔓が、凄まじい衝撃とともに振り下ろされた。


「――っ」


 だが、小柄なキッカの身体を捉えることは出来ない。衝撃の合間をくぐり抜けながら、全速力でその場所を目指す。


「アアアアアア――!!」


 周囲の蕾が花開くと同時、中からナイトメアが産まれ落ちる。どうやらこの植物型のナイトメアは、仲間を増やす能力があるようだ。


「『焦熱弾』」


 燃え盛る炎を封じ込めた弾丸を生成して、膨らむ蕾や襲いかかるナイトメアに撃ち込んでいく。植物だけあって、彼らは炎に弱いらしい。激しい蔓の攻撃を回避しつつ、厄介な蕾を破壊していった。


 右手には、魔弾を装填した拳銃。

 左手には、リンデン商会ご自慢の短刀。


 身近に迫るものは短刀で切り裂き、遠くに見据えた敵は銃で撃ち抜く。


 ナイトメアからしてみれば、それは異様な光景であった。


 矮小なニンゲン風情が、大量の蔓を全て回避し、脅威を殲滅しながら本体の元に向かっているのだ。距離が近づくにつれ、遠隔から様子を伺っていた本体は、キッカを最重要駆逐対象として認識した。


「――アアアアアアアアアアアア!!!!!!」


 大樹が悲鳴を上げていた。森の大精霊の波動が、嘶きの森全体に響き渡る。


「……これが、大精霊の力か?」


 大精霊の号令により、『嘶きの森』はキッカを駆逐対象として認識した。その森に存在する全ての生き物は、精霊の意志に従ってキッカを抹殺する。草木や花だけではない。生息する獣や、踏みしめる大地すら――牙を剥き出しにして、殺しにやってくる。


 ――文字通り、『嘶きの森』全てが、キッカの敵。


 だが、それでもキッカの歩みを止めることは出来なかった。


「遅いんだよ」


 襲いかかる全ての悪意を置き去りにしていく。


 本体に迫る過程で、キッカは一つの真実に至っていた。キッカが本体の位置に迫っても、距離を取ろうとしないのだ。つまり、敵は根を張った位置から本体を動かすことが出来ない。それが、植物型ナイトメアの致命的な弱点である。


「――ここか」


 死屍累々を重ねて、キッカはようやく辿り着いた。


 森の奥の大樹の根本に咲き誇る、変異型ユニーク・ナイトメア『血の薔薇』。その大きさは、家屋を一飲みできるほど桁違いだ。真紅の花びらは、無数の生物の血を啜ってきたことを示している。


「……おいおい、何の冗談だよ」


 だが、キッカの視線は、『血の薔薇』ではなくその真後ろへと向けられてた。『血の薔薇』が寄生する大樹の中心に、一人の少女の遺体が無数の根によって縛り上げられている。


「シーロン」


 見知った少女が、茨の中で永遠の眠りについている。とっくに命は奪われているのだろう、その肉体からは生気を一切感じられない。彼女の身体のあちこちに根が絡みついており、死体からエネルギーを吸い上げていた。


「イイデショォ、ボクの、宝モノ」


 花弁の中央部が、ぱっくりと割れた。それは口のようなものへと形を変え、キッカに声をかける。


「大精霊っテ、美味シイんダヨォ……!! コォンナニ、ボクは大キクナッタ……!!」


「……お前が、大精霊だったんだな」


 アミアンの集落を裏切ったという、『嘶きの森』の大精霊。だが、彼女はとっくの昔にナイトメアに殺されていた。裏切ったのは――本当に、彼女の方なのだろうか。


「お前はオレに、助けを求めていたのか」


 死してなお、魂だけで彼女はキッカの元へ訪れていた。

 なるほど、いつも一人でいるわけだ。キッカ以外には、見えていないのだから。


「それとも、オレに弔って欲しいのか」


 シーロンの寂しそうな横顔が、思い出される。


「答えてくれよ、シーロン」


「キキキキキキキキキキキキキ――!!!」


 キッカの周囲に、茨の花が無数に咲き始める。

 四面楚歌な状況に陥っていながらも、キッカはシーロンの亡骸を見つめていた。



 ◆


 何故、妖狐の集落を容易に滅ぼしうるナイトメアが、わざわざ月に一体の生贄を捧げることでアミアンの集落を見逃すような契約を結んだのか。いくらカルカソーが命懸けで交渉したとしても、ナイトメアにメリットが見当たらない。


「――森の大精霊を差し出そう」


 耳を疑うような提案が、秘密裏に行われていた。


「このままでは、妖狐はナイトメアに滅ぼされてしまう。苦肉の策だが、仕方があるまい」


「な、何を馬鹿なことを……!! そんなこと、許されるはずが――!!」


「黙れ」


 当然、反対する者も多かった。だが、カルカソーは強引に彼らを納得させる。


「このまま全滅するなど、受け入れられん。どんな手段を使ってでも、我々は生き残って見せる……!!」


「……無理だ……! 第一、どうやって大精霊様を捧げるというのだ! あのお方は、我々よりも遥かに強大な存在だ……! 裏切りの素振りを見せれば、すぐに感づいて我々を見捨てるぞ……!」


「簡単なことじゃ」


 カルカソーは、冷めた目で続ける。


「――我が孫娘をエサに使う。大精霊様は、私の娘と大変仲がよろしい。窮地に陥った孫娘を見捨てることなどできんよ」


「カルカソー!! 貴様、妖狐としての誇りを失ったか!!」


「……うるさいのぉ」


 悪魔のような提案が、人知れず進められていた。カルカソーに反対する者は、片っ端から処分されていった。彼らはナイトメアに果敢に挑み、散っていった。そう報告するだけで、罪に問われることはない。


「どうして」


 そして、カルカソー一派は大精霊を罠にかける。生贄の第一号として、まずは孫娘を植物型のナイトメアに差し出し、その後に大精霊に相談する。


「孫娘がナイトメアに攫われてしまいました……! どうか、力をお貸しいただきたい……!」


「ん」


 二つ返事で、大精霊は了承する。罠とも知らずに、友人を救出するために単身で駆けていく。だが、そこは植物型ナイトメアが無数の罠を張り巡らせて待ち伏せている。加えて、友人を人質に取られてしまえば、大精霊は呆気なくナイトメアの手中に落ちてしまう。


「後で援軍に向かいます」


 勇敢に立ち上がった大精霊に、カルカソーは力強く約束した。当然、いつまでたっても大精霊を救う者は現れない。


「どうして……!!」


 茨に囚われた大精霊は、容赦なくその力を吸収されていく。森の加護を操る彼女にとって、森の植物を支配するナイトメアは天敵だった。次々と、己の力を奪われてゆく。


「キキキキキキキキキキキキキ――!!」


 力が奪われる代わりに、ナイトメアの悪意が彼女の脳に注がれる。死の瀬戸際、彼女はナイトメアの記憶を覗いてしまった。邪悪な笑みを浮かべたカルカソーが、ナイトメアと大精霊を差し出す契約を行っている光景が、鮮明に再生される。

 

「――契約成立ダネ」


「ええ」


 煮え滾った憎悪が、大精霊の身体に充満する。それは奇しくも、ナイトメアの大好物である負の感情だ。


「――特別ナ、ゴ馳走ダ!」


 暴走した大精霊の魔素ごと、ナイトメアは吸収する。やがて、本体に収まりきらないほどの邪悪な魔素が、ナイトメアの形を新たに作り変えていく。後天的に発生した、ユニーク個体。大精霊という格別の餌を喰らったことで、『血の薔薇』は誕生してしまった。


「君ノ、怒リ、伝ワッタ」


 大精霊の遺体を吊し上げながら、血の薔薇は嘲笑う。


「――仇ハ、討っテアゲルネ」


 大精霊は、守ろうとした妖狐に裏切られ、命を散らせた。


 血の薔薇がここまで肥大化したのは、妖狐の大いなる罪によるものだった。



 ◆



 キッカの脳に、精霊の加護が共鳴する。映し出された過去の出来事が、真実を伝えてくれる。


「……シーロン」


 遺体と相対したことで、彼女の未練と想いが伝わったのだ。

 言葉を失ったキッカは、静かに闘志の火を灯す。


「キキキキキキキキキキキキキ――!!」


 禍々しい瘴気を放ちながら、血の薔薇は笑い声を上げていた。不快で耳障りだが、それによって怒りはますます膨れ上がる。


 気が付けば、キッカの周囲はどす黒い茨で覆われていた。獲物を逃さないよう、確実に葬るための一手。


「逃レラレナイ! ナイナイ!! 怖く、ナイ……?」


「……やり合う前に、確認しておきたいことがあるんだが」


 血の薔薇を見上げながら、キッカは言う。流れてきた記憶と相違がないか、最後の確認をする。


「大精霊を喰らったのは、オマエか?」


「ウン」


 真後ろの蕾が、代わりに答えた。


「妖狐ノ、ジジイが、騙シテ、釣レタ! アノトキ、スゴーイ悲シソウダッター!! ボクが喰ッタ。オイシカッタナー!! ア、デモ、死体は大事ニカザッテルノ。魔素ガネ、溢レテクルシ!」


 楽しかった思い出を語る子供のように、血の薔薇ははしゃいでいる。晒し上げたシーロンの遺体を大事そうに蔓で撫でながら、僅かに溢れる魔素をすくい取る。


「そうか」


 通常種、人型に続く、変異種。

 妖狐や大精霊さえも喰らう化物に対して、キッカは。


「――もう黙っていいぞ、雑草。今すぐ、駆除してやる」


「ハ?」


 目の前の化物を、鼻で笑った。


「お前、そこから動けないんだろ? オレの一撃を、どうやって対処するつもりだ?」


「一撃? エ? 豆鉄砲で、撃ツノ? ボク、硬いヨ! キキキキキ」


 ナイトメアからしてみれば、矮小な人間が銃を構えたところで、大した脅威ではない。『血の薔薇』の耐久力は通常のナイトメアを遥かに上回る。大精霊の加護は、魔族をも容易に上回る力を与えていた。鉛玉をいくら放とうとも、中心核に傷一つつけられないだろう。


「へぇ、雑草のくせに硬いのか。それは凄えな」


「凄イ! ボク、強イ! モット、食ベタイナァ……!!」


 長年捕食をし続けて、『血の薔薇』は恐ろしいほどに成長していた。大精霊を喰らったという自負が、揺るぎない自信の根底にある。だからこそ、銃を構えるキッカを見ても、急いで対処しようとはしない。


 ――キッカの銃に、魔素が圧縮されていく。


 血の薔薇が油断している間にも、怒りに震えるキッカの本気がベールを脱ごうとしていた。


「……馬鹿が」


 血の薔薇に銃口を向けたキッカは、全身の魔素を凝縮させ、必殺の弾丸を生成する。高密度の魔素を幾重にも重ねて生み出される『極光弾』は、通過する全ての存在を消滅させる。装填に少し時間がかかるのと、引き金を引く際にかなり溜めが必要なことが欠点だが、動かない相手なら問題はない。


「殺し合いで無駄口叩いてるんじゃねえよ。こんなの時間稼ぎに決まってんだろーが」


「――ヘ?」


 。あとは、理不尽に葬り去られるだけだ。魔弾の生成が、完了した。処刑の準備は整った。


「――滅べ」


 銃口から放たれた、極太の弾丸。もはやそれは射撃とは呼べない、戦術兵器級の威力を秘めていた。『血の薔薇』の視界が、真っ白に照らされる。おそらく本人は、死の瞬間まで何が起きたか理解できなかっただろう。


 神の裁きにも劣らないその一撃は、この森に蔓延る悪夢ごと薙ぎ払う。規格外のキッカの弾丸は、悲しみの光景ごと撃ち抜いてくれた。


「ア――エ――?」


 直径ニメートル程の空洞が、『血の薔薇』の土手っ腹に生まれていた。そこにあった中心核ごと、くり抜かれている。力を失った植物たちは、たちまち萎びて、枯れていく。キッカを包み込んでいた茨も、同じように朽ち果てる。


「いてて……」


 一方、極大の砲撃をかましたキッカも、その威力に耐えきれずに反対方向へ吹き飛ばされていた。子供の矮躯では、発射時の衝撃を堪えることが出来ない。


「……終わったな」


 常識外れの変異種は、より規格外の化物の一撃によって葬り去られる。『血の薔薇』は、世界の広さを知らなかった。箱庭のような世界でイキったところで、上には上がいるというだけ。この世界に紛れ込んだ訪問者は、あらゆる悪を打ち砕く化物だった。


 苦戦するどころか、圧勝に終わった戦い。

 だが、憂いを帯びたキッカの眼差しが、崩壊する大樹の中心に向けられていた。


「……シーロン」


 『血の薔薇』に寄生されていた大樹は、生命力を失ったことでゆっくりと滅びに向かっていた。元々、植物型ナイトメアに喰われた時点で、死んでいたのだ。力を失えば、当然枯れてしまう。


「お前は一体、何のためにオレの前に現れたんだよ」


 死して尚、アミアンの集落を見ていたのは、何故なのだろう。シーロンにとって、裏切った集落の様子など見ていて気持ちのいいものではなかっただろうに。


 復讐してほしかったのか。

 それとも、弔って欲しかったのか。


 結局、キッカは彼女の真意を知ることは出来なかった。


「……まだ、残党が残っているな」


 『血の薔薇』を葬っても、煮えたぎる怒りは燻り続けていた。


「――カルカソー」


 しぶとく生き残っているクソ野郎がいる。


「ケジメはつけなきゃなんねぇよな」


 キッカの鋭敏な感覚が、元凶を見逃すことなく捉えていた。


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