033 合理的になれますか?
初めて生贄を指名したときの、あの悲痛な表情が忘れられなかった。仲間を差し出して、自らの命を守る非人道的な行いは、まともな精神状態でい続けることは難しい。
「これも、子供たちのためじゃ……!!」
最初は、それが本当に正しいとカルカソーは信じていた。
「お前が大人しく喰われてくれたら、他の者も理解してくれる。言い出した我々から、生贄を差し出さなければならんのだ……!!」
肩を掴み、血の涙を流しながら懇願する。
カルカソーが最初の生贄として選んだのは、実の孫娘であった。
「――――――」
彼女がそのとき、どんな言葉を口にしていたかは覚えていない。彼の心を正常に保つため、無意識に削除していた。だが、肉親に見捨てられたことに絶望する眼差しだけは、今もはっきりと覚えている。
結局のところ、彼女は最後まで納得することはなかった。どうして守ってくれないのかと、彼女は涙ながらに訴えていた。
「一族のために、死んでくれ」
最後は、暴力的な手段に頼るしかなかった。
自らの手で縛り上げた孫娘を差し出した時、彼の中の大切な何かが音をたてて崩れ落ちた。
「……私は、ただ、一族のために」
それが、アミアンにおける生贄文化の始まりである。当時を知る妖狐たちは、族長であるカルカソーの覚悟を受け止め、以来生贄を決めることに異論を口にすることはなかったという。誰よりも彼が、先陣を切って役目を果たしたのだ。自分たちが拒否できるはずがないと、生贄文化を受け入れてしまった。
二人目、三人目と繰り返していく度に、家族を生贄に捧げた経験者が増えていく。一度大切な人を捧げた者は、生贄文化を絶対視するようになっていた。
「――我々が、何のために生贄を選んだと思っておる」
過ちを犯してしまったのだ。
もはや、生贄文化はかつての自分を正当化するためには失われてはならない習慣と化していた。
「正しかったんだ」
今はなき孫娘へ、カルカソーは祈りを捧げる。
「――お前を生贄に捧げたことは正しかったと、胸を張らせて欲しい」
だから彼らは、今日も生贄を選ぶ。
どれほど選ばれたものが泣き叫ぼうと、かつての自分の選択を裏切ることは出来ないのだ。
◆
「……う」
冷たい地面の感覚が、頬から伝わった。虚ろな視線が映し出すは、地を這うように流れる瘴気だ。
瘴気に侵されたキッカは、カルカソーの拘束術式によって捕縛され、地下牢へ投獄されていた。壁の亀裂から芽吹く真っ黒な薔薇からは、大量の瘴気が流れ込み、部屋に充満していた。
「ここまでして、ようやく動きを封じるのがやっとですか。末恐ろしい化物ですねえ」
カルカソーが、キッカを見下ろしながら呟いていた。理由は不明だが、どうやら彼は瘴気の中を自由に動けるようだ。
「全く、余計なことをしてくれましたね。あなたのせいで、ナイトメアは激怒していますよ。追加の生贄だけで、怒りを沈められるかどうか……下手をすれば、我々は滅亡です」
「……ふ、ふざけんなっ……!! お前、ナイトメアに魂を売ったのか……!!」
瘴気を操り、キッカを汚染させた。そんな真似が出来るのは、裏切り者以外にありえない。
「売っていません。常に、妖狐一族のために動いております。あなたは、生贄の周期をご存知ですか? 一ヶ月に一人捧げるだけで、十分なのですよ。
集落の住人をそう呼んでいることが、キッカの心を戦慄させた。
「……お前は、そこまで長生きしたいのか」
「いいえ」
カルカソーは、ゆっくりと首を振った。
「この命など、何一つ惜しくはありません。見ての通り――全てを、ナイトメアに捧げておりますので」
「……っ!?」
そう言って、カルカソーは上着を破り捨てた。剥き出しにされたのは、真っ黒な植物に寄生された、見るも無惨なカルカソーの肉体であった。
「私の命は、植物型ナイトメアの手のひらの上です。常に魔素を吸収され続けていまして……あまり、長くはありません。これでも五十年、持ったほうでしょう?」
彼の身体は、明らかに常軌を逸していた。肋骨が剥き出しになるほど痩せこけている。絡みついた植物の根っこが、肉体の代わりに彼の身体を支えていた。欠損した身体を無理やり植物で補ったような外見は、彼の覚悟を示している。
「生贄を選ぶ役割として、ナイトメアに生かされていますが……いつ、気まぐれで喰われるか。私の存在なんて、この程度のものなのです」
「……理解できないな。そこまでされて、何故従っている」
カルカソーの死は、間近に迫っている。生贄など選ばなくとも、寄生された植物はカルカソーの生命力を限界まで吸い上げるだろう。
「何度も言っているじゃないですか。これが、我々の一族を一日でも長生きさせられる唯一の方法です」
じっと、キッカを見つめて。
「誰もがあなたのように強いとは思わないでいただきたい。全滅することがわかりきっているのに、戦えだなんて私にはとても言えません。定期的に、家族を差し出すだけで、残りの妖狐が生き延びる。私たちは、五十年前にその選択をしたのです」
カルカソーは、命をただの1という数字としてしか見ていなかった。だからこそ、足し算と引き算だけで未来を考える。あまりにも無慈悲な合理主義的な考え方だ。
だが。
「――
はっきりと、キッカは否定した。
「それは、後付けの動機だな。最初に生贄に選んだ時――
「――!?」
カルカソーは、初めて素の表情を零した。
「嘘吐きの臭いがするんだよ。誰かを一人殺して、その他大勢を長生きさせたいのなら、
長々と語った大義名分は、後になってから自分を正当化させたいための詭弁だと、キッカは断言する。
「大方、その寄生植物も理不尽に植え付けられただけだろ。ナイトメアと交渉? 馬鹿馬鹿しい。黙って餌を運ぶイカレ野郎がいるから、利用してるだけだろ。お前はただのチキン野郎だ!」
キッカを縛り付けていた拘束術式が、ばりばりと激しい音を立てて引きちぎられていく。瘴気に侵されながらも、強引にキッカは立ち上がった。
「――き、貴様っ!! 何故、動ける――!」
「モウイイ」
突然、歪な声が辺りに響いた。声の発生源は、カルカソーの肉体に根付いた植物からだった。
「――裏切ッタナ、エサ一号」
カルカソーの肉体に根付いていた植物が、ぷっくりと蕾のようなものを脹らませた。やがてそれは驚異的なスピードで成長し、花弁を広げる。
「ひぃっ!? な、なんだ、これはっ……!? ま、まさか――!!」
「飽きタ」
花弁が、人語を口にする。
「――お前ラ、ミナゴロシ」
「や、やめっ――!!」
ぶしゃっ、と。
カルカソーの頭部が、熟れたトマトのようにどろどろに潰された。寄生していた植物が彼の肉体を磨り潰し、吸収しやすいように砕く。
「ギャハハハハハハ!! 仲間殺しタ、お仕置キ! お仕置キ!!」
もはや原型を留めることの出来ないカルカソーの肉体は、寄生していたナイトメアごと地面に吸収されていく。まるで、大地そのものが、カルカソーを咀嚼しているかのようだった。
「……容赦ねえな」
拘束の術式が解けたことが、カルカソーの死を証明していた。だが、それでもキッカは歩くことが出来なかった。肩から壁にもたれかかりながら、前へ進もうとして――ずるっと、そのまま座り込んでしまった。
「ちっ……」
地下牢に充満した瘴気が、キッカの命を蝕んでいた。もはや正常な思考が出来ず、意識は掠れていく。このまま自分も、カルカソーのように身を砕かれ、大地に飲み込まれるのだろうか。
「――まだ、生きてる?」
声がした。
「……え?」
「生きてた」
視線を動かすと、見知った少女がキッカを覗き込んでいた。
「……シーロン?」
「ん」
脳味噌が、上手く機能していない。ローレンの存在を、理解できなかった。どうして、ここに? いや、どうやって?
「間に合って、良かった。早く、みんなを助けて欲しい。今、集落がナイトメアに襲われているの。仲間を殺されたことに怒っているみたい」
「……お、オレは……」
「大丈夫」
シーロンは、にっこりと笑って。
「君に、加護を与えてあげる。特別だよ? あと、おまけで解呪もしてあげる。太っ腹だねえ」
柔らかな光が、キッカを包み込む。すると、みるみるうちに身体から瘴気が抜けていった。気が付けば、周囲からも瘴気が掻き消されている。
「……お、お前は……」
げほっ、げほっ、と。
声を発しようとしたが、上手く言葉にできなかった。
「病み上がりは、お大事に。じゃ、私は行くね。
「……後?」
気が付けば、シーロンの周囲には数多の茨がうねるように漂っていた。禍々しい茨は、今まさに彼女を飲み込もうとしている。シーロンはそれに逆らうこともせず、目を閉じて身を任せていた。
「よろしくね、キッカ」
「……シーロン?」
そして彼女は、そのまま壁に飲み込まれていった。一人取り残されたキッカは、呆然としていた。
「……キッカ様!」
入れ替わるように、ロアとニールが階段の上から姿を表す。
「助けに来るのが遅れてしまって、申し訳ございません!! 地下牢の鍵を手に入れるのに手間取ってしまいまして……」
「良かった、キッカ、無事だったです……!! さぁ、早く上へ……! ナイトメアが襲撃してきたのです。ここは、危険ですよ……!!」
「……あ、ああ……」
二人に引っ張られながら、地下牢から脱出するキッカ。だが、心はまだ、シーロンが消えた壁に向けられている。
「な、なぁ、シーロンが」
「……何です?」
「シーロンが……壁に、消えていったんだ。あいつは……どこに……!」
「キッカ? 夢でも見ていたです? さっきから、様子が変ですよ」
呆れるように、ニールは言う。
「シーロン?
「……え?」
彼らは、知らなかった。
知るはずもなかった。
「さっさと逃げるですよ、キッカ――!!」
当然だ。
振り向けば、地下牢は化物のような植物の蔓に覆われていた。生きとし生けるものを、片っ端から飲み込んでいく。
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