031 消えない"楽しい"
「……お前ら、別種族なのに仲がいいんだな」
訓練の合間にキッカは呟いた。アミアンの魔族たちは基本的に仲が良かったが、ロアとニールのように種族の垣根を越えて家族のように触れ合っているのは珍しかった。二人は、実の兄妹のように見える。
「そうです? あんまり、自覚はありませんが……」
「仲がいいよ! 家族みたいなもんだよね!?」
歯切れの悪いニールに対して、ロアは焦るように肯定する。
「……一緒にいるだけで家族面しないで欲しいです」
「うわぁ、厳しいなぁ」
辛辣な言葉を口にしているが、それは互いの信頼関係の上に成り立っているお約束だ。ロアだって、もちろん理解している。
「集落の奴らが人間に抵抗がないのは、いろいろな種族が混ざり合っているからかもな」
魔族とて、当然ながら種族ごとに派閥が存在する。人間だって、住む地域や肌の色で派閥が分かれるのと同じことだ。
「あはは……キッカ様が竹を割ったような性格をしてるからじゃないですか? 当たり前のように距離を詰めてきますから、僕たちもすっかり慣れちゃいましたよ」
はにかみながら、ロアは言う。
「……初めて見た人間が、キッカで良かったです。悪い人間も、いるんですよね?」
「ああ」
迷わず、頷いた。
「悪い魔族がいるように、悪い人間もいる。当たり前のことだな」
こうして気兼ねなく会話が出来ることが、キッカの救いになっていた。飛ばされた先がここだったことは、不幸中の幸いである。
「見て見て、キッカ様ー!」
エルフの少女レミィが、かん高い声を上げながら小走りでやってきた。手に持っていた織物を、これみよがしに披露する。
「キッカ様の家紋入りの羽織を、作っちゃった! どうどう? これ、よく出来ていると思わない!?」
「……へえ」
妖狐の集落は、和風文化が根付いている。彼らの食事や衣装は、和風の様式のものばかりであった。こと和風工芸においては、パカサロの文化レベルと大差はなかった。
「すげぇじゃねえか。これ、レミィが織ったのか?」
「そうよ! あたし、こういうのが得意なの! 勝手に作ってごめんね! でも、どうしてもキッカ様の家紋を身に着けておきたくて……!」
「構わねえが……家紋入りだぞ? お前ら一族の家紋はどうした」
キッカの一言に、彼らの表情に一瞬影が差した。
「おれたちの一族は、とっくに途絶えちまったからなぁ。掲げる家紋なんて、なんもねえよ」
妖狐の青年ボリスが、陰りのある笑顔で説明してくれた。
「現存する家紋は、族長のやつだけだよ。それだって、殆ど使われてないし……いつしか、そんなもん掲げることもなくなったよな」
「……そうか」
瘴気に包まれたこの集落は、外部から切り離されている。森の中の集落はほぼ壊滅し、残されたのはアミアンだけ。家紋を掲げて主張する相手は、どこにもいない。
「なら、好きにしろよ。だが、族長に文句言われても責任は取れねえからな」
「大丈夫よ! ぱっと見で分からないところに縫い付けておくから! 頃合いを見て、目立つところにつけるかもだけど!」
「ずるいです……! わたしだって、キッカの家紋入りの羽織が欲しいです……! わたしの分も、早く織るです。さぁさぁ!」
「い、いいなぁ……僕も欲しい……ねぇ、ねぇねぇねぇ……!!」
「うるさーい! 自分で作りなさいよー!!」
「できるわけねーですよ! わたし、すげー不器用ですよー!?」
きゃーきゃーはしゃぐ子供たちの賑わいは、とても眩しい。目を細めながら、春の日差しのような笑みを浮かべていた。
「……外部の人間を、簡単に信頼しすぎだ」
「仕方ねぇんじゃねーの?」
キッカの懐に隠れていたヤギ太郎が、顔だけ出して呟いた。
「あいつらにとって、頼れる大人は他にいなかったんだろ。キッカの登場は、刺激過ぎたんだ。経験の薄いガキにしてみれば、ヒーローみたいなもんだろうし」
「……生贄、か」
一見して和気あいあいとした集落だが、ふと現実を見ればナイトメアの爪痕がところかしこに残されている。子供と老人ばかりの住民たち、何度も壊されたことが伺える家屋と、絶望に慣れきった光のない瞳。一部の子供たちこそ光を取り戻したが、それもごく少数だ。
「だが、ナイトメアが約束を守るとは意外だった」
「縛りでも課してんじゃねえのか。大精霊が裏切っているんだろ? カルカソーってジジイと契約を結んでいても不思議じゃねえよ」
彼はキッカに、ナイトメアや大精霊に手出しはするなと口を酸っぱく警告していた。生贄を喰らうこと以外では、互いに危害を加えることを禁止しているのかもしれない。
「……動くとしたら、奴らが次に生贄を喰らおうとするときだな」
「慎重っすね。キッカなら今すぐにでも乗り込むかと」
「慎重にならざるをえないのさ」
俯きがちに、キッカは続ける。
「大精霊の存在や、瘴気の問題もある。情報が揃わねえうちは、動きたくない。立ち回りをミスったら、あっけなく人は死ぬ」
パカサロでの迎撃作戦とは違う。
人員や装備、情報ですら、キッカには足りていないのだ。
「オレは、最強じゃねえんだ」
そう言って、キッカはヤギ太郎をポケットの中に押し込んだ。子供たちが、キッカの元へ駆け寄ろうとしていた。
「……キッカが死ぬところなんて、私には想像できねえや」
小さく呟きながら、キッカの服の中で小さく丸まった。温かいその場所は、住めば都である。存外、居心地が良いとヤギ太郎は感じ始めていた。
――自分を打ち負かしたのだから、他の誰にも負けて欲しくはない。
「いやいや……」
不意に湧いた言葉を、ヤギ太郎は首を振って否定する。
――いつか、魂ごと喰らってやる。
復讐のときを待ってやがれ! と。
「……ふふふ」
虎視眈々と狙いつつ、今はキッカのポケットの中で身を丸ませて眠る。
◆
「シーロン」
「……キッカ?」
子供たちが訓練に打ち込んでいる昼下がり、樹木の影で少女の姿を確認したキッカは、無意識に足を向けていた。そういえば前回会ったときも、この樹の下にいたことをぼんやり思い出していた。
「こんなところで見ていないで、お前も混ざらないか」
「無理」
短く拒絶する。いつものことだ。
「眩しいのは苦手なの。木陰が一番落ち着く」
「そうかもな」
「…………」
「…………」
何を話すでもなく、互いに空を眺めていた。雲の移ろいを見ているだけで、心が安らいでゆく。なんでもない時間を楽しむ術を、二人は身につけていた。
「……そういえば」
沈黙を破ったのは、シーロンの方だった。
「キッカは、大精霊とナイトメアを殺すつもり?」
「ん? ああ……まぁ、その予定だな」
思いのほか野蛮な話題に、キッカは戸惑っていた。
「出来る?」
「楽勝だろ」
「強がるんだね」
「事実だろ」
「そうだね、倒せることはできそう」
薄っすらと、シーロンは口角を上げて。
「……相打ちは、負けだからね。そこのところは、忘れないように」
「当然だろ。オレが求めているのは、完璧な勝利だけだ」
「どうかな。キッカって、感情的になりやすいタイプだろうから」
「否定はしないが」
「ふふふ、人間って不思議な生き物だなぁ」
「シーロンだって、不思議な生き物じゃねえか。……ん? そういやお前って、何の種族なんだ?」
「さぁ? スライムとか?」
「ぷにぷにしてんのか?」
「触ってみる?」
「この柔肌は、間違いなくスライムだな」
「嘘だぁ」
広がる青空を流れる雲のような会話だった。中身があるのか、ないのか。彼女が何を伝えたいのか、あるいは伝えてほしいのか。この距離感は、いささか気難しい。
「逃げてもいいけど、裏切らないでね」
どうでも良さそうに、シーロンは言う。
「この集落は、次の裏切りに耐えられないから」
「心配すんな」
ぽんぽんと、優しく頭を撫でる。
「全部、オレに任せておけ。なんとかなるさ、きっと」
「不確かだなぁ」
「これから確かな言葉に変えていくんだよ」
「それもそうかー」
それから脈絡もなく、シーロンは話題を切り替える。
「カルカソーには、孫娘がいたんだよ。知ってた?」
「いや」
「その子は、特別精霊に気に入られていてね。懐かしいなぁ……無邪気で、可愛くて……だけど、普通の女の子だった」
「……あれ? シーロンで何歳なんだ?」
「女の子に年齢を聞いちゃいけないとかなんとか」
「お前、女だったのか?」
「さぁ?」
面白おかしく、笑いながら。
「魔族の年齢は、外見だけじゃわからないからねえ。カルカソーくらい歳を重ねていたら、流石に老いぼれちゃうけど」
「あのジジイは、性格が悪そうだ。まだまだ長生きしそうだが」
「そう?」
笑みを浮かべたまま、シーロンは言った。
「カルカソーは、もう長くないよ。生贄に選ばれる前に、死んじゃうだろうね」
瞳が、笑っていなかった。
「あいつのことが、嫌いなんだな」
「嫌い」
だって。
「――私の友達を、真っ先に生贄にささげたの。だから、嫌い。この集落だって、滅んでしまえばいいと思ってた」
「過去形なのか?」
「え?」
「いや、今はそう見えないからな」
「…………」
それからシーロンは、思い詰めたような表情を浮かべた。
「……みんなも、似たりよったりだから。誰かを恨みたいし、誰かの責任にしたい。全部、間近で見ていたから……難しいね。カルカソーが死んだって、私の心は救われない。だけどそれは、集落が滅んでも同じ。結局、意味なんてないなら……今、目の前にあるものが長続きすればいいんじゃないかなって……」
楽しい、と。
訓練に打ち込む子供たちを眺めては、何度もその言葉を繰り返す。
「おかしいよね」
悲しみの混じった声で。
「――楽しいなんて、ナイトメアがやってきたらすぐに消えてなくなるのに」
「シーロン」
キッカはただ、事実だけを口にする。
「楽しいは、消えない。オレが、消させねえよ」
気が付けば、この集落に感情移入をしていた。情に弱いキッカにとって、子供の泣き顔は効果てきめんだ。もはや、人探しを優先してこの場所を離れることは出来なかった。少なくともこの支配を終わらせなければ、前に進めない。
「キッカは、人間には見えないよね」
「シーロンは、人間を見たことがあるのか?」
「あるよ」
「え?」
「キッカの探し人ではないと思うけど」
「……お前、マジで何歳だよ……」
「ふふふ、それを言うのなら、キッカだって」
心を覗き込むように、少女は言った。
「――十歳には、見えないなぁ」
「だろうな」
気が付けば、青空が夕日に染まりかけていた。
直に、流れる雲は見えなくなってしまう。
もうすぐ、夜がやってくる。
嘶きの森が、ざわざわと騒ぎ立てていた。
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