029 妖狐の集落


 『魔族』という区分は、人間側から認定された呼び方である。曰く、人語を使える魔物というのが魔族の定義だった。見た目が人間に近いとか、わかりあえるだとか、そういった要素は考慮されていない。むしろ、人間に近い見た目をしている方が、より恐ろしい『魔族』であるとされていた。能力の話ではない。自分たちの見た目に近いほど、人間は異端を嫌うのだ。差別意識というのは、自分に似ている存在に向けられるものである。


 人類の歴史が語る。

 

 『魔族』が人語を使えるようになったのは、より効率的に人間を殺すための道具としてである――と。理解し合うとか、交渉するとか、生易しいものではない。彼らは常に人間を欺き、騙そうとしてくる。


 それが、グアドスコン王国に伝わる魔族の性質だった。


「……嘘ばかりだな」


 だが、キッカは知っていた。生前、キランだった頃――魔族と呼ばれる者たちと、背中を預けて戦ったことがある。故にキッカは、魔族を魔族として認識することはない。敵か、味方か、それだけが重要だ。


「……キッカは、この世界の生き物じゃないの?」


「ああ、そうだ」


 ニールと名乗った妖狐の少女に、キッカは自らの背景を正直に話した。


「わけわかんねぇ事故に巻き込まれて、転移しちまった。仲間を探しているんだが……知らねえよな」


「……知らないです。人間なんて、初めて見ましたし……実在していたんだって感じです」


 グアドスコン王国に魔族がいないように、彼らの世界には人間が存在していないらしい。お互いが、お互いの存在を物珍しそうに眺めている。そこに、対立意識は見当たらない。


「ちなみに、人間はどういう存在だって言われてるんだ?」


「兵器を駆使して魔族を蹂躙する悪魔……っと語られているです」


「……変わらねぇなぁ、人間も魔族も」


 結局のところ、どちらも同じではないかと、キッカは呆れる。


「んで? オレはどこに案内されてるんだ?」


 先頭を歩くロアと呼ばれた青年へ、声をかけてみる。


「ひぃ! ご、ご容赦下さい! ぼ、僕は美味しくないですよっ!? そっちのニールの方が、美味しそうな身体をしています! 狐の丸焼きにしましょう!」


「女子供を身代わりに使うな」


「最低ですねこのアホ鳥」


 何なら鳥の方が旨そうだろと思ったが、流石にキッカは口にしなかった。


「じょ、冗談です~~~~~~!! 今、ご案内しているのは、僕たちの集落です……! ナイトメア討伐のお礼をと……」


「……人間を案内して大丈夫なのか?」


「さぁ?」


「…………」


 こいつ、本当に大丈夫か? とキッカは頭を抱える。


「……どうしようもありませんです。転移したキッカにはわからないでしょうけど、この森に迷い込んだら逃げられません。どうせ、集落のある場所に辿り着くです」


「どういう意味だ?」


「『嘶きの森』の大精霊様からは、逃れられないのです」


 あまり触れられたくない話題なのか、ニールはすぐに別の話題を口にした。


「そんなことよりも、キッカにお聞きしたいことがあります。お召し物を少し、見せてください。会ったときから、気になっていたです」


「……ん? これか?」


 キッカの衣装には、ヘイケラー一族が誇る『和風』文化が浸透していた。特にニールが気にしていたのは、現代世界で言うところの羽織に近い織物である。


「見事な一品です。しかし……どうして和風技術が、人間に……妖狐だけの技術だと思っていたです……」


 ぶつぶつと、ニールは呟く。


「しかも、この菊文様……あ、家紋まで……『橘花』……ですか。本当に……これを人間が……」


「オレの世界でも珍しい技術だったよ。ヘイケラー家にしか伝わっていない伝統工芸だとか」


「もしかすると、キッカのお家と妖狐の間に、何らかの交易があったのかもしれません。そうでないと、ありえないです……」


「オレが探している奴も、この家紋を身に着けている。もし見かけたら、教えてくれ」


「……うん、わかった」


 存外、家紋とやらも役に立つんだなと、キッカは見直していた。


「き、キッカ様……先に、集落に向かっても宜しいでしょうか……? 人間が来たと騒ぎになれば、問題が起きるかもと……人質に、ニールを置いていきますんで……」


「おう、構わねえぞ。不安なら、ニールも連れて行け。争う気はねえからな」


 人質なんて言われたら、突き返したくなる。


「……私は、いい。説明は、ロアに任せるです」


「そ、そうですか……では、はは、ははは……逃げちゃおっかな? な、なーんちゃって……あはははは……」


 挙動不審な動きで、震える足を忙しなく動かすロア。何度も振り返りながら様子を窺うものだから、樹の根っこに躓いては転びまくっている。


「……あいつ、鳥人族のくせに飛べねえのか?」


「怖いと翼が上手く動かせなくて、飛べないです。使えない男ですよ」


「一周回って、面白え奴だな」


 ビビリもここまで来たら才能だと、キッカは笑う。


「……で? わざわざオレのとこに残った理由は?」


「先に、キッカに忠告しておこうと思って」


 無表情で、ニールは言う。


「――このままだと、キッカは殺されちゃうです。逃げられるとは思いませんが、大人しくついてくるよりはマシかもです」


「何だ? やっぱり魔族は、オレを殺そうとしてんのか?」


「いいえ、違うです」


 ゆっくりと、二ールは首を振った。


「――キッカは、ナイトメアを殺してしまいました。嘶きの森の大精霊様は、キッカを許しません」


「……は?」


 耳を疑うような言葉が飛び出してくる。


「精霊のような高位の存在が、ナイトメアを殺されて何故ブチ切れる?」


 精霊は、自然物と親和性の高い生物を愛する傾向にある。森の大精霊なら、その地に住まう動物やエルフ、妖狐のような魔族に加護を与える。間違っても、あらゆる者を食い殺すナイトメアに加護を与えるとは思えない。


「――大精霊様は、私たちを裏切ったです。私たちの集落はナイトメアに支配されてしまいました」


「…………」


 どうやら、面倒事は避けられないらしい。



 ◆



 妖狐の集落『アミアン』がナイトメアの襲撃を受けたのは、五十年ほど前に遡る。彼らは森の外を瘴気で覆い、逃げられないようにした後、『嘶きの森』に住まう生物を喰い荒らし始めた。突然の襲撃に対して、妖狐を始めとする魔族らは徹底抗戦の構えを取っていたが、尽きることのないナイトメアの食欲を前に劣勢を強いられていた。


 そんな中、魔族の唯一の頼みの綱であった森の大精霊が、あろうことか魔族を裏切り、ナイトメア側に寝返ってしまった。精霊の加護を失った妖狐やエルフは窮地に陥ってしまい、もはや全滅は時間の問題かと思われた。だが大精霊は、追い詰められた各集落に対して、生贄を捧げればこれ以上の手出しをしないと提案した。


 妖狐以外の集落はこれに強い反発を示し、ナイトメアに徹底対抗するも、大精霊の裏切りの影響もあり、壊滅。他種族の集落はあっという間に滅んでしまった。僅かな生き残りは『アミアン』に流れ落ち、追い詰められた妖狐たちは大精霊の提案を承諾した。以降、定期的に、集落の中で最も魔素の高い者がナイトメアに捧げられている。


「……以上が、この集落の現状でございます」


 年老いた妖狐――この集落の長『カルカソー』が、悲しみに暮れながら語った。アミアンに到着したキッカは、ニールに連れられて族長の家に招かれていた。


「それが、ナイトメアに支配されているって意味か」


 キッカの隣で、ニールが唇を噛み締めていた。悔しさからか、わずかに肩が震えている。


「キッカ殿……あなたは人間ではありますが、信頼できるお方です。何よりもその衣装と家紋が証明してくれました。あなたに根付く魂と我らが文化はどこかで繋がっているのでしょう。種族は違えど、私たちはあなたを受け入れますぞ」


 最初こそ人間が訪れたことで物議を醸していたが、家紋を見た瞬間、びっくりするほど大人しくなった。『和風』文化は、妖狐にとって馴染み深い文化のようだ。知らず知らずに、先祖に助けられたことになる。


「ですが……知らなかったとはいえ、ナイトメアを殺害してしまったことは許しがたいことですよ。大精霊様は、常に我らを見ております。キッカ殿の所業も露見していることでしょう。もし、大精霊様がキッカ殿を裁こうとも、我々にはどうすることも出来ないことをご理解いただけますか」


「……最初から、自分の身は自分で守るつもりだ。大精霊が裁いてくれるなら丁度いいじゃねえか。返り討ちにしてやるよ」


「なりません、キッカ殿」


 真剣な面持ちで、族長は言う。


「ナイトメアも、大精霊様も、今後は絶対に手出しをしないと約束して下さい。我々は、もうこりごりなのです。抵抗したところで、意味がありません」


「…………」


「私たちは、家族を生贄に差し出して、今日まで生きながらえてきたのです。今までの犠牲を無駄にしないで下さい。そこのニールとて、気持ちは同じ。家族を失った痛みを、あなたは知っていますか?」


 彼らの心は、完璧に折れてしまっている。キッカが何を言ったところで、意味は無いだろう。


「……わかったよ。しばらくは大人しくしておこう」


 相手の強さもわからないまま、戦える相手ではない。特に、対ナイトメア戦では瘴気が厄介過ぎる。どうやら今回のナイトメアは、かなり高度な知性を有しているようだ。精霊と手を組み、魔族を脅す事ができる。だとすれば、情報がないうちに暴れるわけにはいかない。


「それは良かったです。同じ、『嘶きの森』に囚われた者として、歓迎いたしますぞ。死ぬまで脱出できませんが、慣れれば良いところですよ」


「笑えねえ冗談だ」


 こんなところで、油を売っている暇はない。

 キッカにとって、最優先は仲間の捜索だ。その邪魔をするというのなら、倒さなければならない相手である。


「おい、キッカ」


 族長の家を出た直後、キッカのポケットからぴょこりとヤギ太郎が顔を出す。


「……お前、そんなところに隠れてたのか」


「喰いもんだと思われたらたまんねえっすから」


 ぷるぷると震えながら、周囲を伺うヤギ太郎。


「どうすんだよ、これから。まさか、こいつらを助けようってんじゃねえだろうな」


「……さぁ、どうだかな」


 キッカは決して、善人ではない。誰彼構わず助けるほどのお人好しでもない。だが……簡単に見捨てられるほど、薄情なわけでもなかった。


「どのみち、ナイトメアの瘴気でこの森から出られねえんだ。奴らをぶっ殺さなきゃならねえことだけは確かだ」


「お? 今すぐ精霊にお仕置きしにいくか? いいねえ、魔人の私も、精霊は大嫌いだったんだ。血祭りに上げてやろうぜ」


「無理だな。今も、連中がオレのことを見張ってやがる。怪しい真似をしたら、集落ごと敵に回しちまう。下手をしたら、オレ以外全員死ぬ」


「そこはキッカが死ぬわけじゃねえんだな」


「……気が付いてるだろ、ヤギ太郎」


「まぁな」


 冷めた目で、キッカは集落を見渡した。陰鬱な表情で、のろのろと歩く妖狐たち。その殆どが、女子供か老人ばかりで、戦えそうな男が一人もいない。その上で、彼らからは魔素を全く感じないのだ。


「こいつら、目も心も死んでやがる。仲間を生贄に捧げて、参っちまったのか。百人集まっても、キッカを殺せないだろうな」


 心と牙を折られた妖狐たちは、まるで抜け殻のようだった。ロアやニールは、まだ元気な部類だ。


 ――逃げて下さい、と。


 集落に到着する前に、ニールから言われた言葉。彼女の横顔が、キッカの優先順位に影響を与えていた。


「……よし、決めた」


 滅びを免れながら、それでも緩やかに衰退していく妖狐の集落を眺めていたキッカは、やがて答えを見つけた。


「――助かる気がねえやつなんて、助ける必要がない。こいつらが本当に救われたいのか、ちょっと試してみようか」


「うわ」


 短い付き合いだが、ヤギ太郎も理解していた。キッカという少女が、どうせろくでもないことを企んでいることを。


「妖狐共に、稽古をつけてやる。自分の力でナイトメアを撃退出来なきゃ、意味ねえからな」


 結局。


 キッカは善人でもなければ、お人好しでもないけれど――子供の悲しげな眼差しには、とことん弱かった。






 

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