020 羊質虎皮
ナイトメア襲撃事件から、三ヶ月後。
グアドスコン王国は、瘴気領域からの侵攻対策の一環として、各地に『選ばれし御子』率いる特別遊撃隊の派遣を決定した。対ナイトメアに特化した二十名前後の小隊は、各領地にて王国騎士団と同程度の権限を有する。
「厄介ですね、これは」
ドラン・リンデンは、眉間にシワを寄せながら言う。
「対応が遅すぎるでしょう、それは。既に、各領主はそれぞれナイトメア対策を進めて、形になっているところですよ。派遣するなら、せめて領主に従う形にしてもらわないと困ります」
「……こいつらが無能なら、足を引っ張られるってことか」
対するキッカは、足を組みながら退屈そうに視線を外す。
「それどころか、金食い虫になる可能性がございます。特別遊撃隊の維持費は、各領主の負担でしょうから」
「だが、『選ばれし御子』がパカサロに滞在してくれるのは、正直助かるな。二人共、騎士の称号を頂いている、立派な戦力だ」
バイル・ヘイケラーは、窓越しに空を見上げながら言う。
「ナイトメアの面倒なところは、あの厄介な瘴気にある。選ばれし御子には、加護によって瘴気が効かない。戦力増強できることを、今は素直に喜んでおこう」
「……優秀だったら良いのですが」
「期待はできなさそうだな。辺境の地に飛ばされるやつなんざ、左遷されたに決まってる」
肘をついて、冷めた言葉をキッカは口にする。
「でしょうねえ」
優秀でなくてもいい。せめて、まともな性格をしてくれていたらと、一同は切実に願っていた。
◆
知らせを受けた三日後、特別遊撃隊はパカサロの町にやってきた。選ばれし御子たちは、その足でヘイケラー家の屋敷に足を伸ばし、挨拶をする。
「お初にお目にかかります、ヘイケラー卿。王都サンレミドより派遣されました、第十五特別遊撃隊副長、ニコライ・ヴィレーンと申します。対ナイトメアに、尽力させていただきます」
ニコライと名乗った男は、知的でクールな風貌が特徴の、メガネ美男子だった。線の細いという言葉がよく似合う。
「そして、こちらが――」
ニコライが、隣の赤髪の青年に、話題を向けようとしたところで。
「――ヴェスソン・ラーネリードだ。この俺様が守るからには、安心するがいい。王国直属の騎士が、パカサロの安寧を約束してやろう」
快活でよく通る声に、自信に満ちた振る舞い。真っ赤に染まった髪の毛が、やけに印象的だった。ガッチリとした体格に、すらりと伸びた長い手足は先程の線の細い青年とは、違った格好良さを見せつけていた。
「……? 何をしている、ヘイケラー卿。さっさと、そこの女を名乗らせろ。まさか、挨拶を返さない気か?」
「も、申し訳ございません! ほ、ほら、キッカ……!」
焦りを浮かべたバイルは、小声でキッカに合図を送る。
「…………」
これまでキッカは、それなりの身分の相手の前には顔を出さないようにしていた。いや、本人は別に気にしていないのだが、父親であるバイルが頑なに外部の人間に会わせないようにしていた。
娘が可愛くて、というわけではない。キッカの振る舞いが、問題を引き起こすと確信しているのだ。
――ああん? なんだてめぇ?
と言おうものなら、大事になってしまう。貴族や騎士は、プライドの塊だ。キッカの自由奔放さは、貴族社会とは水と油である。ましてやキッカは、女の子。乱雑な振る舞いは、あっという間に彼らの顰蹙を買ってしまう。
「相手は、王国直属の騎士だ! 絶対に、機嫌を損ねるんじゃないぞ! 王の名を背負って、彼らはここにきているんだからな!」
事前に口酸っぱく言い聞かせる。
「無礼なことなんて言わねえから、心配するな。注文通り、令嬢らしくしてやる」
冷や汗を浮かべながら、バイルはそのことを思い出していた。頼むぞ、と。半ば祈るように、キッカの第一声を見守っていた。
「キッカ・ヘイケラーだ」
ヘイケラー家の長女として、彼女は名乗る。
「特別遊撃隊の応援、感謝する。活躍、期待しているぞ」
「……うん?」
ぎ、ギリギリセーフ、だろうか?
堂々とした態度と凛々しい物言いに、二人はやや面を喰らっているようだが、なんとか個性として噛み砕こうとしていた。貴族のご令嬢だ、こういうタイプもいる……よな? と。
「シューカ・ヘイケラーです。わぁ、とっても格好いい方々ですのね! 騎士様に守っていただけるのなら、ヘイケラー家も安心ですね!」
方やシューカは、全力で猫を被っていた。七歳の少女らしく、黄色い声ではしゃいでいた。
「おお……! ヘイケラー家のご令嬢はとてもお美しいと耳にしていましたが……まだ幼いというのに、格別の愛らしさですね」
知的な美男子ニコライが、にっこりと笑いながら世辞を言う。咄嗟にシューカが声を上げたことで、キッカの態度が有耶無耶にされていた。
(くだらねえ……)
建前しか口にしないやり取りに、生産性はない。心底どうでもいいと愚痴りながら、時間が過ぎるのを待ち望む。
「……気に食わないな」
だが。
「ヘイケラー卿、娘の教育はちゃんとしておいた方がいい。このままでは、貰い手がいなくなるぜ」
赤毛の騎士が、冷たく言い放つ。
「特にそこの不吉な黒髪は、目つきが悪すぎる。不快だから、さっさと下がらせろ」
「……あ?」
と、キッカが反応しようとしたところで、シューカがキッカを取り押さえる。
「申し訳ございませんわ、ヴェスソン様。すぐにお姉様を連れていきますね」
「お、おい……!」
懸念したことが、起きかけていた。ヴェスソンの不興をこれ以上買わずに済んだのは、シューカの機転のおかげである。
「……目付きが悪いのは、生まれつきだ」
ぼそりとその言葉を残して、シューカに連行されていく。赤毛の騎士は、興味なさそうに目を逸らす。
「も、申し訳ございません、うちの娘が……」
「どうでもいい」
バイルが謝罪しようとしたが、ヴェスソンは遮る。
「ガキの振る舞いに、興味はねえよ。そんなことよりも、ヘイケラー卿。今後の対ナイトメアについて、早速話し合いたい。俺様たちは、この街のことを知らない。あんたらの協力が必要だ」
「……もちろんです!」
「ナイトメアの戦闘においては、俺様の指揮下に入ってもらう。部外者に偉そうにされてムカつくだろうが、非常事態だと割り切ってくれ」
無骨で愛想がないが、存外悪くはないと値踏みをするバイル。赤毛の騎士は、己の仕事を忠実に果たそうとしていた。
◆
ヴェスソンとニコライは、そのままヘイケラー家の屋敷に滞在することになっていた。彼ら二人を含む兵団の面倒を見るのは、ヘイケラー家の役目である。客人として貴族が訪れることがあっても、長期間滞在するなど初めての経験だ。当然、問題は頻発する。
「きゃー、ねえ聞いて? 今日、ヴェスソン様にお声をかけていただいたの!」
「ええ、本当!? 羨ましい……!」
屋敷に勤めている若いメイドたちが色めき立っていた。この屋敷には、若い男性は一人もいない。浮足立ってしまうのも、無理もないが。
「うるせえぞ、メス共。喚くんじゃねえ」
当の本人が、黄色い声を上げるメイドに対して非常に辛辣だった。最初こそ、無愛想な態度で収まっていたのだが、勘違いを起こしたメイドが不用意に絡んでしまったことで、堪忍袋の緒が切れたらしい。そのままメイドを一喝し、以降は不用意に近付くものはいなくなった。
「ヴェスソンは女性が苦手なわけではないのです。ただ、ああいったミーハーな態度に苛立ってしまうだけで」
もっとも、怒鳴られたメイドはめげることなく、罵られることに快感を得ていたようだ。逞しくなければ、メイドは務まらない。
「……え、えっと」
ニコライが、シューカに説明する。
「シューカ様には誤解しないでいただけると嬉しいです。あの方は、あれでも立派な騎士なのですから」
「……ニコライ様? どうしてニコライ様は、わたしの部屋にきてお喋りをしているのかしら? お招きした覚えはないのですが……」
「すまない」
メガネの位置を調節しながら、格好つけて。
「……どうやら、道を間違えたらしいのです。兵舎へいくには、どうすれば?」
「まずは屋敷を出て下さい!」
大真面目な顔で、間抜けなことを口にするニコライ。
「なるほど、その発想はありませんでした」
「ええ……」
最初はわざとやっているのかと思っていたシューカは、徐々にそれが素であることを理解していく。知的な風貌をしているくせに、ニコライはポンコツなのだ。それも、とんでもなく。
「あの、キッカ様」
例えば、こんなことがあった。
「手合わせをお願いできないでしょうか。噂によると、キッカ様は剣術に優れているとお聞きしています」
キッカの強さを耳にしたニコライは、鎧に着替えて手合わせを願い出た。
「私は、もっと強くなりたいのです。どうか、よろしくお願いします」
「……あの」
だが。
「もしかして、私に仰っていますか? 私の名前はティルザです。シューカ様の魔術の先生……剣術なんて、とてもとても」
「……おや?」
高齢の老魔術師と、十歳の少女を間違える意味不明さ。
「失礼、よく似ていたもので」
「それ、キッカ様に対して本当に失礼ですよ……? お婆ちゃんとキッカ様を似ているだなんて……」
「なるほど、勉強になります」
「あなた、もしかしてどこかに頭をぶつけたのかしら? 心配になってきたわ……」
魅力に溢れているのは、見た目だけであった。中身は、本当の本当に、残念過ぎる。本人は大真面目だから、なおさら残酷である。
一週間もすればニコライのポンコツっぷりは屋敷の中でも常識となり、なるべく他人に迷惑をかけないよう気を配ってあげることがメイド達の中の暗黙のルールとなっていた。騎士として、恥ずかしい限りである。
「……申し訳ございません。これでも、気を付けているつもりなのですが……」
何かをやらかす度に、ニコライは真摯に頭を下げていた。開き直ったり、逆ギレすることがないだけ、まだマシなのかもしれない。一線を越えると、どこか許してしまいたくなるのが人情というものだ。
「面白い」
知的な見た目通りの中身であれば、何とも思わなかったが。
「――それでも騎士の称号を得たんだろ? だったら、弱みを跳ね返す何かがあるはずだ」
本当に使えなければ、左遷するどころかクビにするはずだ。彼らは王国の名を背負ってここに来ている。癖があっても、優秀でなければいけないはずだ。
「いえ、買い被りです。普通に無能扱いされていましたよ、私は」
「…………」
意気揚々とニコライを呼びつけたら、斜め下の回答をされてしまった。さすがのキッカも、あんぐりと口を開けてしまう。
「……お前、とんでもねえな」
「よく言われます」
「はぁ~~~~」
無表情で頭を下げるニコライ。謝罪する所作だけは、誰よりも美しい。何度も繰り返されていたことが伺える。
「……オレと手合わせをしたいんだっけか? ティルザから聞いたよ」
「はい……ですが、ご迷惑をおかけしてばかりなので……その、過ぎたるお願いかと……」
「…………」
寂しそうな表情で、俯いてしまう。見た目だけは美しいせいか、なんだかいじめているような気持ちになってしまった。
「お前は、昔からこうだったのか?」
「いえ……幼い頃は、もう少しまともだったのですが……その、昔、瘴気の呪いを受けてしまって……意識に、穴が空いてしまうのです。考えていたことが、すっぽりと抜け落ちてしまうような」
「解呪は出来ねえのか?」
「はい、していただきました。呪いはもう、解除されています。ですが、呪いによって傷付いたものまでは治らなかったようです」
「……なるほどな」
転生前、視力を失った経験から、ニコライの気持ちが理解できてしまう。瘴気の呪いによってこうなってしまったのなら、同情の余地がある。
「手合わせなら、許可してやる。たまにはお前の優秀なところを、オレに見せてみろよ」
「ほ、本当ですか!? 光栄でございます……!」
「だが、相手はオレじゃねえよ。剣術の腕を競いたいんだろ? だったら、オレ以上の手練を用意してやる」
「……!」
「本当は、こっちが本命だったんじゃねえか? 先日の一件で、あいつの名前は随分広まったからな」
「参りました」
嬉しそうに、口元を緩ませるニコライ。
「――仰るとおりでございます。本当は、パカサロの英雄、フェリエル殿と手合わせを願っていました」
フェリエルは、キッカの従者である。主を差し置いて、従者との手合わせを望むことは出来なかった。
「この屋敷に来たときから、彼の存在を探していました。パカサロを救った屈強な騎士は、どこにいるのだろうと。人型ナイトメアを斬り伏せたその豪剣は、いかにして身につけたのか。いやはや、わくわくしてしまいますね。剣の道を進む男同士、腕を競い合いたかった……!」
「……ん?」
あれ? 彼? 男?
「フェリエルと会ったことはあるだろ? いつも、オレの近くにいるじゃねえか」
メイドとして、付き従っている。たまたま、今は席を外しているが……そういえば、喋ったことはなかったかと、キッカは首を傾げていた。
「なんと! さすがはフェリエル殿ですね! まさか、気配を殺して主を護衛していたとは! 私もまだまだ未熟でございます。一度だって、あの御方の気配を感じられませんでした!」
「……いや、感じるも何も、あいつは気配を隠してなんかいなかったぞ?」
むしろ、ニコニコと笑いながら、キッカのお世話を楽しそうに行っている。
「末恐ろしいお方ですね。真に強い騎士というのは、意図しなくても気配を殺すことが出来るとは……! まさに、至高の領域です」
「……まぁ、いいか」
会話が噛み合っていないことに気が付いたキッカは、説明することを諦めた。実際に対峙すれば分かる話である。
「ありがとうございます、キッカ様! 手合わせを、楽しみにしていますね」
「おう」
なんとかなるだろうと、楽観的に頷いた。
フェリエルが男か女かなんて、キッカにとって些細な話である。
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