021 格の違いを見せつけよう
思えばキッカは、理解していなかった。この世界において、女性という存在がどのように扱われているのかを。女性は男性を支える存在であり、剣を握るなどとんでもないという常識。長く続いた平和な世の中は、凝り固まった偏見を打ち立ててしまっていた。
王国から派遣されてきた二人の騎士は、当然その価値観を有している。血統に恵まれた貴族や選ばれし御子ならともかく、世話係のメイドが剣を握るなど、彼らの常識には存在していなかった。
「……キッカ様、これ何かの冗談ですか?」
手合わせの準備を終えたニコライは、現れた少女を見てため息をついた。
「彼女が、フェリエル殿? 私をからかうのも、いい加減にしていただきたい」
「……あら」
苦笑いを浮かべるフェリエルは、困り果てていた。主の指示通り、模擬戦の準備を済ませて顔を出してみれば、不機嫌そうな視線に晒される。
「冗談じゃねえよ。てめぇが望んだ対戦だろ? 四の五の言わずに構えろ。王国直属の実力を見せてみな」
「困ったものですね」
二度目のため息をつきながら、ニコラスは剣を抜いた。
「いいでしょう、相手になります。王国には、私の方から報告しておきましょう。パカサロの英雄は、ガセ情報でしたと」
いつものポンコツっぷりが嘘のように、美しい構えを披露する。漲る自信が、ニコライの積み重ねてきた鍛錬を表していた。
「剣技を競う場ですから、スキルは使いません。これ以上、騎士としての誇りを汚されたくないですからね」
「……ご主人様」
躊躇いを見せるフェリエルは、キッカをちらりと見つめた。
「好きにやれ」
「かしこまりました」
メイド服を身にまとったまま、剣を抜く。
「一瞬で終わらせてあげましょう、フェリエル殿」
互いに視線が交錯したその瞬間、合図もなく戦いは始まった。
王国騎士団序列七位。
遊撃隊でも敵なしのニコライの剣技が、齢十四才の少女に放たれる。音を置き去りにして、互いの剣が交わった。予備動作のないニコライの一撃を、フェリエルは同じ速度で合わせ撃つ。
「……なんと」
ニコライは、一撃で終わらせるつもりだった。少し怪我をさせてやれば、泣いて白旗を上げるだろうと。だが、現実は違っていた。少女は、冷ややかな視線で刃越しのニコライを観察していた。
「なるほど、女性にしては中々の反応です。褒めて差し上げましょう。速度も、反応も、私と同じくらいはあるようですね。少々、驚きました」
だが。
「腕力が、違いすぎますね。刃を交えるだけで、力量差が分かってしまいます。悲しいことに、あなたでは相手になりません」
打ち合う二人の動きは、まるで鏡合わせのように互角であった。だが、ニコライの言う通り、筋力で劣るフェリエルはやや押され気味だ。
「…………」
だが、当の本人は涼しい顔でニコライの剣撃を捌き続けていた。確かに押されてはいるのだが、焦る様子は一切ない。
「騎士道というのは、性別の違いを鼻にかけることなのですか?」
「……っ?」
刃先が息すらつけぬほどの速度でフェリエルを襲うが、当の本人には口を開く余裕があった。ニコライの瞳が、わずかに見開かれる。先程よりも踏み込みを深くしているのに、押し込むどころか返され始めていた。
「私が知っている誇りとは、随分と違うようですね。少し、残念です」
互角に見えた撃ち合いが、フェリエルによってもたらされた演出だと、キッカは見抜いていた。いつもはにこやかな少女が、珍しくお冠だ。
「……!?」
――
ニコライの眼に移るフェリエルが、虚ろに揺らいだ。殺意をその瞳に宿らせ雷撃の如く弾ける。悪寒がニコライの背筋を襲うと同時、明確な死のイメージが実現された。喉元に突き付けられた刃が、ニコライの常識を打ち壊す。
気が付けば、詰んでいた。これが本番であれば、ニコライは理解する暇もなく殺されている。フェリエルの剣速は常軌を逸していた。
「……は?」
油断していたわけではない。手を抜いていたわけでもない。全力で叩き潰さんと対峙していたはずが――どうしてこうなった?
「鈍い人ですね」
耳元で、甘い声が恐怖とともに囁かれる。
「まだ、白旗をあげないのですか?」
「――っ!!」
心が折れるのと同時、膝から崩れ落ちた。圧倒的な力量差を、ようやく彼は理解したのだ。
――英雄。
その名に恥じない、人間離れした少女の剣。
ニコライが優れた騎士であるからこそ、彼女の底しれぬ強さを理解する。
「君は……何者だ?」
見えなかった。反応できなかった。何をされたのか、どう動いたのか、何もかもが理解できない。気が付けば、ニコライは震えていた。理解できないことに、恐怖を抱いている。
「私は、ただのメイドですよ」
毎日のように、キッカと手合わせをしているのだ。彼女の剣技は、既に常識を軽く突破している。
「全ての言葉を撤回させて下さい。無礼を働いたことを、お詫び申し上げます」
すべてを悟ったニコライは、白旗をあげた。
「……いえ」
剣を鞘に納めながら、フェリエルは目を閉じて頷いた。主の前で、感情的に剣を振るったことを恥じていた。
「失礼を承知でお聞きしたいのですが……年齢を、お尋ねしても?」
「…………」
「他意はございません。あなたは本当に、スキルを持っていないのですか?」
「十四才ですよ。二年前に、選別の儀式を受けました。神は、私を見てくれはしなかったようですが」
「……信じられない」
口元を抑えながら、動揺を隠せないでいる。優秀な人間にはスキルが与えられると、彼らは教えられてきたのだ。彼女が選ばれないという現実に、戸惑いを隠せなかった。
「スキルに頼って戦っているから、剣技が磨かれないんですよ。剣一本で戦っている私とは、土俵が違うのです」
「完敗ですよ、フェリエル殿。私の剣は、何一つ通じませんでした」
だが。
「だからこそ、残念です。剣技だけでは戦えない世界があるのです。真実の神ヴァルランの加護がなければ、あなたはナイトメアの前に立つことすら出来ません」
ニコライにはまだ、奥の手がある。フェリエルとは違い、彼は神様からスキルを授けられていた。
「お手合わせいただいて、ありがとうございました。今後とも、よろしくお願いします」
侮っていた相手に、ボコボコにされてしまった。その悔しさが、ただただ自分自身を貶める。
「――待て」
不意の来訪者が、この場に混乱をもたらす。
「そこの女、名前はなんという」
「……ヴェスソン?」
赤毛の騎士がフェリエルに歩み寄る。その瞳は、期待に満ち溢れていた。
「ニコライの剣技を上回るとは、気に入ったぞ。早く名乗れ。俺様が直々に聞いてやっているんだぞ?」
傲慢さを全開にした、尊大な態度。だが、高貴な外見が合わさると、様になって見えるのは何故だろうか。嫌味よりも豪胆さの方が先にやってくる。
「駄目です、ヴェスソン! あなたともあろう人が、平民のメイドなどに興味を持っては……!」
「――うるせえ」
ガンを飛ばして、黙らせる。
「……フェリエルと申します。何か……ご用でしょうか」
「フェリエルか」
名前を口にしたヴェスソンは、次にキッカへと視線を向けた。
「――ヘイケラーの娘よ。貴様のメイドは、俺様がもらっておく。異論はないな?」
「……は?」
その言葉が予想の斜め上すぎて、キッカは呆気にとられてしまう。
「今夜、俺の部屋に来い。そして、俺の子供を産め」
「え、えええ~~~~~~!?」
強引な誘い文句に、たまらず赤面するフェリエル。こんな風に男性に迫られたことなど、一度もなかった。
「……寝ぼけてんのか、お客さん? 人の屋敷のメイドに、手出ししてんじゃねえぞ? フェリエルは、安い女じゃねえんだよ」
「貴様こそ、勘違いをするな。メイドの一人や二人、喜んで差し出せ。俺たちをもてなすのが、お前たちの役目だろう?」
尊大な態度は、まるでそれが当然だと言わんばかりの自然さ。傲慢というよりは、常識知らず。悪びれることのないヴェスソンの表情は、抵抗されていることに理解が出来ていないようだ。
「……っ!」
フェリエルの手首を掴んで、強引に引っ張ろうとする。
「これもまた、お前の仕事だろう? 心配するな、子を産ませたらすぐに返してやる」
「い、嫌ですっ、離して下さい!!」
強く握りしめる手をなんとか振りほどいて、距離を取るフェリエル。
「私は、身も心もご主人様に捧げています。お手つきは、禁止ですから……!!」
「ほう?」
フェリエルの言葉に反応したヴェスソンは、ゆっくりとキッカの方へと視線を向ける。
「手荒な扱いはしないと約束する。将来の保証もしてやろう。どうだ、素晴らしい条件だろう? 俺はただ、優秀な女に子種を孕ませたいだけだ」
ヴェスソンは、王国直属の騎士の中でも特別な立場にある。ラーネリード侯爵家の三男であり、王国騎士団の中でも特に身分の高い出自をしている。そのため、生まれながらにして尊大な対応を振る舞うことが染み付いており、ヘイケラー卿が彼に強く出ることが出来ないのも、背後にある侯爵家の存在が大きかった。
「オレに聞くなよ。フェリエルが嫌がってんなら、諦めろ。女を口説くのに、他人を仲介してんじゃねえよ」
「礼儀を知らぬガキだな」
だからこそヴェスソンは理解できない。何故彼らは、大人しくメイドを差し出さないのだろうと。自分に恩を売ることが、ひいてはヘイケラー家やメイド本人の利益となるだろうに。
自らの正しさを、彼は疑わない。なんて愚かなのだろうと、見下している。
「――何なら、貴様にも俺の子種をくれてやろうか? 貧相なその身体では、ろくな相手を見つけられないだろうしな」
「!」
主を愚弄する言葉は、フェリエルにとって地雷だった。
「無礼者っ!」
無意識のうちに、フェリエルは抜刀していた。どれほど自分が貶められても怒ることはないが、キッカに向けられるとなれば話は違う。恐れ知らずの無鉄砲な行動は、時に命取りになってしまうが――今回は、大事には至らない。
「……見事だ」
「――!?」
確かに、刃は赤毛の騎士の身体を捉えていた。反応することも出来なかったヴェスソンは、フェリエルの怒りの刃に屈するはずだった。
「
ヴェスソンの身体を通過したフェリエルの剣は、何の手応えも得られなかった。切られたはずのヴェスソンの上半身は、まばらな粒となって宙を舞う。
「――『
それが、真実の神ヴァルランから与えられた、ヴェスソンのスキルであった。
「お前の刃は、俺様には通用しない。いわばこれは、完全なる物理無効。どれだけ剣技に優れようとも、空気は斬ることが出来ないだろう?」
「なっ……!?」
蜃気楼のように揺らめくヴェルソンの身体。常識を超えた驚異となって、フェリエルの身体にまとわりつく。なんとか払いのけようとしたが、気体と化した彼の身体を拒むことが出来ず、両手を拘束される。
「……お分かりいただけましたか」
ニコライが、補足する。
「スキル持ちというのは、常軌を逸しているのです。スキルが優れていれば、剣技などおまけで良いのです。いざというときの、護身術。本気で打ち込むようなものではないのですから」
「くっ!」
「強引にされるのが好きなのか? 気の強い女は、嫌いじゃないぞ」
「……おい」
だが。
「駄目だろ、フェリエル。これでも一応、お客さんだ。背後から斬りかかるのはいただけない」
「……ご、ご主人様っ……!」
一連の流れに動じることなく、キッカはフェリエルを見つめていた。
「オレは政治ってもんがよくわかんねえ。だから、こいつの言葉がピンとこないんだ。お前は、こいつに抱かれて幸せになれんのか?」
囚われるフェリエルに、優しく問いかける。
「それとも、こいつはただの勘違い野郎で、年下の女に権力を振りかざして迫ってるド変態なのか?」
「そ、それは――!」
フェリエルは、理解していた。彼らは王国の名前を背負って派遣されている。貴族にとって、メイドをつまみ食いすることはそう珍しいことではない。顰蹙を買えば、ヘイケラー家が危ういかもしれない。
「わ、私は……」
「大人しく、言うことを聞いて下さい。ヴェスソンは、女性を粗末に扱いません。悪いようにはしませんよ。むしろ、最高の誉れであると――」
「うるせえ」
キッカが、睨みつける。
「てめえには聞いてねんだよ。どつき回すぞ、ポンコツ」
「……っ」
たったそれだけで、萎縮してしまう。
「もう一度聞くぞ、フェリエル。今度は、わかりやすくだ」
ただ、まっすぐに。
「――こいつは、お前の敵か?」
どこまでも突き進む、力強い眼差し。
この自由奔放さに憧れて忠誠を誓ったのだと、フェリエルは思い返していた。
ならば、気を回す必要などどこにもない。自分の気持ちを正直に伝えよう。
それが、フェリエルの答えだった。
「敵です」
ぐっと、言葉を吐き出した。
「全ての女の子の、敵です――!」
「……そうか」
ふぅ、と。
息を一つ履いたキッカは。
「じゃあ、フェリエルは悪くねえな。斬りかかったことを、詫びる必要はねえ」
「……貴様、何か勘違いをしていないか? これは、交渉や取引じゃない。命令だ」
フェリエルから手を離して、凄まじい殺気を放つキッカに向き直る。
「世間知らずの坊やには、お仕置きをしてやらなきゃいけねぇか」
ぐるぐると肩を回して、準備運動をするキッカ。
「女を口説きたいのなら、甘い言葉でも口に出来るようになってからこいよ。男として、てめぇは何の魅力もないことを教えてやる」
「無礼者め。この俺様自らが、躾をしてやろう」
「――上等だ」
互いの自信が、臆することなく衝突する。
「お止めなさい! あなたではヴェスソンに勝てません! 先程の『気体化』を忘れましたか!? 物理攻撃は効きません! いますぐ、真摯に謝罪をするのです!」
「知らねえよ」
キッカに、勝算があるわけではなかった。ただ、自分の誇りが身体を突き動かしていたに過ぎない。後先考えずに、本能に赴くままに行動する。それが、キッカ・ヘイケラーの生き様だ。
「――気に入ったぞ、クソガキ」
対するヴェルソンは、嬉しそうに笑っていた。
「この俺様を前にして、そこまでの啖呵を切れるやつはそうはいない。フェリエル共々、愛人にしてやろう。ヘイケラー家は、おもしれー女ばかりじゃねえか」
「気持ち悪ぃ」
げんなりとした表情で、ドン引きするキッカ。ゆっくりと、ヴェスソンに近付いていく。方やヴェスソンも、手を広げてキッカを挑発する。
「殴れるもんなら、殴ってみやがれ」
「おう」
力いっぱいに、魔素を練り上げて。
「――よくわからねえが」
渾身の拳を、ヴェスソンに向けて解き放った。
「
「……え?」
空間を切り裂くほどの風圧が、ヴェスソンを襲った。めりっ、と。拳が肌を喰らう音が、この場に居合わせた者の耳に届けられる。キッカが拳を振り抜いた頃には、ヴェスソンの身体は空中に投げ出されていた。受け身を取ることも出来ず、ぐちゃりと地面に落下した。
「え?」
「は?」
「……なんだよ、ニコライ」
気絶したヴェスソンを確認したキッカは、流し目を向ける。
「やっぱお前は、ポンコツだな。これのどこが、『物理無効』だ?」
「~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!?」
骨が砕け、ひしゃげた顔面。既に意識は彼方まで消し去って、醜態を晒している。
この日、初めて王国は理解したのだ。
パカサロに生まれ落ちた、未曾有の化物を。
「女は優しく扱うもんだと、生まれる前から学び直してこい」
全てのしがらみを吹き飛ばしたキッカを見て、フェリエルは自然と笑みがこぼれていた。
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