018 英雄降臨


 フェリエルが人型ナイトメアと対峙していた頃。城門前では、防衛軍とナイトメアの激しい攻防が繰り広げられていた。


「距離を取れ! 近付くなよ! 用意ができたら、一斉に銃弾を浴びせろ!」


 リンデン商会が提供する散弾銃は、凄まじい威力だった。ナイトメアの血肉をえぐり取り、吹き飛ばす。連射性こそ劣るものの、一時的に再生能力を上回る破壊力を示していた。


「――駄目です、隊長! 奴ら、殺し切ることが出来ません!」


 だが、散弾銃の性質上、高火力を継続することは難しい。結局のところ、持ち前の装備では火力で押し切ることは不可能だった。


「諦めるな!! 倒せない相手ではないんだ! 奴らにも、必ず限界は訪れる!」


 守備隊長の怒号と共に、それでも彼らは撃ち続ける。逃げることは、許されない。いつか来るナイトメアの限界を、彼らは願い続けるしかなかった。


「…………」


 苦戦を強いられる防衛軍を眺めながら、シューカは前世を思い出していた。中心核と呼ばれる、ナイトメアの急所。紫黒に輝くシューカの瞳は、はっきりとその位置を捉えていた。


 ――どうして彼らは、そこを狙わないのだろう?


「そっか」


 シューカの瞳が、真紫色に渦巻いていく。


「――わたしにしか、見えないんだ」


 生まれつき宵闇に愛されている少女は、人ならざるものの真実を見通すことが出来る。彼女の瞳は、戦場を俯瞰し、掌握していた。それは、自らの前世から引き継いだ、彼女の特殊体質である。


「撃てー! 撃ちまくれぇえええ!!」


「ここはなんとしてでも死守するんだ!!」


 前方では、サソリ型のナイトメアが防衛戦を突破仕掛けていた。既に数人、喰われている。散弾銃の威力は凄まじいが、中心核を撃ち抜かなければジリ貧だった。


「……お兄さん、わたしも頑張るね」


 記憶を解きほぐして、かつての自分が習得した術式を引っ張り出す。『古代魔術』と呼ばれる、魔女の秘術だ。


「『呪言』」


 二文字に圧縮された術式の束が、紫がかった光を放ちながら展開されていく。それは、人ならざるものの戦い方だ。


「――"止まれ"」


 サソリ型のナイトメアの影が、宵闇の少女に従僕した。主となる実体は、動かない影に囚われる。


「!?」


 実体と影は、相関関係にあるものだ。片方が動けば、片方が従う。今、ナイトメアの影は、シューカの支配下に置かれたのだ。以降、ナイトメアの行動は、影によって縛られる。


「と、止まった!? チャンスだぞ! 撃てえええええええええええ!!」


 ――ギィイイイイイイイイ!??


 縛られたナイトメアは、何が起こったかすら理解できずに、銃弾の雨を喰らう。


「――っ! 何をしているのよ……!!」


 だが、不幸にも銃弾は中心核に当たらない。リロードの合間に、ナイトメアは再生してしまう。強大なナイトメアを縛り付けておくにも、限界があった。シューカの魔素は高密度だが、馬力に欠けていた。


「”剥き出せ”――」


 重ねて、呪いの言葉を解き放つ。


 ――ギャアァアアアアアアア!?


 ナイトメアの身体が、ぱっくりと引き裂かれた。自らの身体が、命を差し出すように右胸に埋め込まれていた中心核を剥き出しにさせる。たまらず、ナイトメアは核を隠そうとするが、シューカの影縛りがそれを許さない。


「――あれが、ナイトメアの弱点よ! 早く、撃ち抜いて!」


 銃を構える兵士に向けて、シューカは叫んだ。彼女の能力では、破壊には至らない。だからこそ、攻撃は彼らに頼るしかなかった。七歳の少女には、妨害や支援が精一杯だった。


「狙えええええええええええええ!!」


 迷うことなく、兵士たちは引き金を引いた。今度こそ、銃口は中心核を捉えていた。


 禍々しい中心核は、鈍い光を放ちながら音をたてて崩れ落ちる。サソリ型のナイトメアは、絶叫を上げながらのたうち回っていた。コアを失ってしまえば、肉体を維持することが出来ない。


「……よし」


 緊張した面持ちで、シューカはぐっと拳を握りしめた。自分の力がナイトメアに通じることを、確信する。サソリ型のナイトメアによる被害は、二名程。次は、もっと上手くやれる手応えがあった。少しでも力になりたいと願った少女は、次なるナイトメアに目を向けた。


「……え?」


 城門前では、拮抗した戦いが繰り広げられていた。五つの迎撃部隊が、犠牲を出しつつもなんとかナイトメアの侵攻を食い止めている。だが、戦っているナイトメアは、先程のサソリ型を含め三体。あまりにも、少なすぎるのだ。他のナイトメアは、どこに――?


「フェリエル?」


 不意に、度し難いほどの不吉な波動が、シューカの瞳に伝わった。遥か前方から放たれる無邪気な悪意だ。


 宵闇の瞳が捉えたのは、絶体絶命に陥るフェリエルの姿。彼女を取り囲むは、邪悪に進化を遂げた人型ナイトメアだった。誰も、フェリエルの危険に気が付いていない。


「……あ」


 ――ダメだ。


 早く、助けないと――フェリエルが、殺されてしまう。


 だけど、どうやって?


 まだまだ未熟なこの能力で、それは可能なのか?


「……っ!!」


 シューカは、冷静な判断を下していた。


 今、自分のするべきことを、確信する。


「お兄さん」


 フェリエルを助けられるとしたら、キッカだけだと。



 ◆



 『瘴気』とは、生命の魔素を蝕む毒のようなものである。高密度の魔素を纏うものは、多少の耐性を備えているものの、一般的には一呼吸で死に至る程の呪いであり、瘴気を振りまくナイトメア戦においては、離れて戦うのが鉄則だった。


「……無茶しましたね、キッカ様」


 解呪の術式を展開しながら、ティルザは言う。


「普通の人なら、とっくに死んでいましたよ。よく、これほどの瘴気を我慢できましたね……」


 とっくに、致死量を越えていた。それでも死なずに済んだのは、持ち前の規格外の魔素のおかげである。


「二度と、瘴気に近付いではなりませんよ。解呪が出来るものなど、そうはいないのですから」


「わかってるよ、助かった、ありがとう」


 治療が済んだことを確認したキッカは、すぐに立ち上がった。


「じゃあ、オレはもういく」


「え? キッカ様!? まだ、安静にしていないと――」


 医療室を飛び出していた。ティルザの静止にも耳を貸さず、全速力で駆けていく。


 パカサロの中心には、時計塔がそびえ立っていた。毎日、昼の十二時になると天辺に掲げられている鐘が鳴り響く。以前からキッカは、この時計塔に目をつけていた。時計塔の頂上では、パカサロの周辺をぐるりと見渡すことが出来る。


「……よし」


 予め下見をして、準備をしたかいがあった。ここは、後方支援を行うにはうってつけの環境である。手早く準備を済ませ、今も尚激しさを増す戦場を見下ろした。


 ――『超遠距離狙撃』


 生前、彼を最強たらしめる至高の能力であった。圧倒的な命中精度は、相手のみならず味方の兵士ですら彼を恐れるほどだ。凄腕の狙撃手は、えてして恐怖の対象となる。


 だが、キランは魔物との戦闘の最中に、呪われてしまった。両眼の視力を失い、狙撃能力は使い物にならなくなってしまった。奇しくもそれは、『瘴気』によるものであった。


「……ちっ」


 『瘴気』は、転生後もキッカの瞳を呪っていた。先程のナイトメアによるものではない。かつてキランだった時代に受けた呪いが、どこまでもキッカを苦しめるのだ。転生して引き継いだのは、記憶や能力だけではない。呪いまでもが、後を追いかけてくる。


 狙撃のような、針の穴を通すような精密さを求められる動作ほど、その瞳は対象を捉えることが難しくなる。だからこそキッカは、生まれ変わってからは近距離戦を主体として戦っていた。


 だが、それでもやらなければならない。ゆっくりと、息を吐いた。ぐっと力を込めて、スコープを覗き込む。狙いは、最前線で戦っているサソリ型のナイトメアだ。


「『消音弾』」


 漲る魔素を練り上げて、装填した。意識を一点に張り詰める。無意識に、息が止まっていた。指がトリガーを引く。


「――っ!」


 ほんの僅かな発砲音とともに、銃口が跳ねた。放たれた弾丸は、しかし狙いすました場所とはかけ離れた場所に着弾していた。


「……やべぇな、これは」


 ――まるで、命中する気がしなかった。


 多少、視力が低下していても、スコープさえあればなんとかなると踏んでいた。だが、現実はそうもいかない。スコープに頼って尚、その目は対象を正確に捉えることが出来ていなかった。


 だからといって、諦めるわけにはいかなかった。歯を食いしばりながら、もう一度銃を構える。


「……変だな」


 そこでキッカは、戦場の異変に気が付いた。想定よりも、ナイトメアの数が少ないのだ。今、パカサロ防衛隊と交戦しているナイトメアは、合計三体。他の奴らは、どこに行った? 何故、追加がやってこない? キッカは、すぐにその理由に気が付く。


「まさか」


 スコープから目を離し、双眼鏡を取り出した。


「フェリエル……!!」


 予感は的中していた。決死隊の囮作戦が、想定以上に効果を発揮していた。城門前よりもはるか遠くで、フェリエルは人型のナイトメアに囲まれている。


 明らかに、追い詰められていた。周囲には誰もいない。このままでは、フェリエルは捕食されてしまう。


「――畜生が!」


 四の五の言っている場合ではなかった。やるしかない。やるしかないんだ。


「落ち着け、落ち着けっ――!!」


 ――本当に、できるの?


 冷静なもう一人の自分が、囁きかけていた。当てられるはずがないと、冷酷に否定する。無駄なことをせずに、撤退するべきだと理性は語っていた。


 何のために、自分はここにいる。狙撃の腕を買われて、のし上がった転生前の自分。ここで出来なきゃどうする! 人生をかけて、狙撃を遂行するんだ――!


 何度もキッカは、自らの心を奮い立たせる。震える指が、心の弱さをよく表していた。いつもは自信満々のキッカが、不安を抱いている。それが、現状の答えなのだ。


 ぎゅっと、唇をかみしめて。


「――フェリエルは、殺させない」


 その瞬間。


「お兄さん」


「……っ!?」


 キッカの視界が、闇夜に包まれる。


「わたしに、任せて」


 現れたのは、七歳の妹。同じ転生者。紫黒に輝く双眸が、キッカの向こう側――ナイトメアを捉えている。

 既に彼女は、術式の詠唱を始めていた。恐ろしいほど禍々しい魔素が、うねりを上げてキッカを飲み込もうとしていた。

 

「……シューカ?」


 展開された術式は、明らかに常軌を逸していた。複雑に重ねられた解読不可能な文が、いくつも折り重なる。それは、禁術に分類される、失われたはずの古代魔術だった。


「『久遠の呪法:一蓮托生』」


 術式を宣言したシューカは、自らの爪で手首を切った。どくどくと溢れ流れる血液が、刻まれた魔法陣に染み込んでいく。だが、不思議とキッカに不安はなかった。禍々しい術式ですら受け入れられるのは、シューカを心から信じているからである。


 紫がかった光が、キッカを包み込んでいた。奇妙な手応えが、徐々にキッカの奥底に植え付けられていく。


「お兄さん、早くフェリエルを助けてあげて」


「――!」


 言われるがまま、再び狙撃の態勢を構えるキッカ。スコープを覗こうとして――異変に、気が付いた。


「――おい、なんだこりゃ」


 脳味噌に叩き込まれる、処理しきれない圧倒的な情報群。先程まで曇っていた視界が、今度は気持ちが悪いほど晴れ渡っているのだ。


「――


 人型ナイトメアが、五体。今にもフェリエルを殺そうとしていた。その光景が、鮮明に映し出される。スコープなど使わなくとも、千メートル先の光景が掌握できるのだ。


 本能が、忠実に命令していた。


 理解など置き去りにして、まずは役目を果たせ、と。


「『魔弾装填』」


 ただ、思いっきり魔素を練り込んだ。最速で放つことの出来る、威力だけを追い求めた通常弾。


「――くそったれが」


 それは理不尽に戦場を貫く、災害のような攻撃だ。視認することが出来ない超遠距離から、一方的に命を刈り取っていく。それは、狙撃と呼ぶにはあまりにも桁違いな威力の砲撃だった。撃たれたナイトメアは、中心核ごと消し飛んでいた。


「命中」


 シューカが、静かに結末を口にした。


「――残り、四体よ」


「……!」


 狙撃銃を構えながら、キッカは不思議な感覚に包まれていた。異常なほどよく見える瞳と、今も絶えず流れてくる圧倒的な情報量のうねり。本来は二つのはずの瞳が、その百倍にも増えたような感覚だ。いろいろなものが見えすぎて、気持ちが悪い。


「座標は、ここよ」


 情報量に溺れるキッカの手を引いてくれたのは、シューカだった。必要な情報だけを指し示し、狙うべき対象を指示してくれる。


 ――『


 それが、キッカの身に起きていた術式の正体であった。


 生まれながらにして特異体質を持つシューカは、瞳に魔素を込めることで遥か遠くの光景すら見通す。彼女の深淵の瞳からは、何者も逃れることは出来ない。加えて、先程の術式によってキッカとシューカの間に『血盟』が結ばれていた。この術式が発動している限り、両者は互いの感覚や意志を共有する。


「ウ、ウアアアアアアアアアアアアアア!!!!」


 ナイトメアが叫び声を上げている。

 だが、千メートル遠くにいる二人の耳には届かない。


「――命中」


 轟音が、再びナイトメアの存在を抹消する。キッカが引き金を引く度に、この世から命が消えていく。


 狙撃の技術は、キッカが担う。

 対象の情報は、シューカが掌握する。


 シューカによって脳に直接送り込まれる、対象の座標。キッカはただ、その情報に従って引き金を引くだけでいい。精密射撃に、全神経を集中させられる。整えられた状況が、キッカの狙撃能力を最大限にまで引き上げていた。



「対象を確認――」


 逃げ惑う人型ナイトメアの座標を、意志一つで共有する。その座標は、ただナイトメアの位置を伝えているのではない。拳ほどの大きさの中心核の位置を、寸分違わず指し示していた。


「イヤアアアアアアアアアアア!!!」


 逃げ惑う姿は、無様である。

 その頭部を、一筋の極光は容赦なく飲み込んでいく。


「――命中」


 千メートル先から繰り返される、無慈悲なヘッド・ショット。見えない巨人に吹き飛ばされたかのように、ナイトメアの身体は吹き飛んでいく


「対象を確認」


「コワイ、ヨォ……! ダレカ、タスケテ……」


 最後のナイトメアは、命乞いをしていた。

 全身の震えや動揺すら、その瞳は捉えていた。


「とても、狙いやすいですね」


 好都合だ、と。

 躊躇うことなく、キッカは引き金を引いた。


「タスケテ、タスケテ、タスケテ――」


 人類の怒りが、震えるナイトメアを容赦なく轢き殺す。


「――命中」


 中心核を、的確に貫いた。

 

 彼らは最後まで、何が起きたかを理解できずに死んでいった。千メートル先からの狙撃というのは、想定すら出来ないほど強力無比な攻撃である。狙撃の成功を喜ぶこともせず、キッカは立ち上がった。自分の身に何が起きていたのかを、キッカ自身は理解できていない。だが、シューカのおかげで全盛期の狙撃を取り戻せたことだけは間違いなかった。


「見事だ、シューカ」


「……うん!」


 笑み浮かべならが、妹の頭を撫でる。褒められたことで、シューカは嬉しそうにキッカの手のひらに頭を擦り付ける。


「さぁ、フェリエルを迎えに行こう」


 後にこの戦いは、パカサロの歴史に刻まれることになる。平穏を打ち破った、ナイトメアの突然の襲来。囮役を買って出た勇気ある少女と、規格外の狙撃によって凶悪なナイトメアを皆殺しにした姉妹。


 この日を境に、彼女たちの名前は王国中に広まっていく。


 だが、ナイトメアの脅威は、これで終わったわけではない。瘴気領域の異変は、キッカたちにさらなる試練を与えていく。

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