017 捕食の時間


 己の弱さを、これほど悔いることはなかった。自分を守るために、主を危険にさらしてしまった。自分のミスがなければ、キッカが瘴気に犯されることはなかったはずだと、フェリエルは唇を噛む。


「――今度こそ、お役に立ってみせましょう」


 決死隊の隊長として、大役を任せてもらえた。他の五人の隊員も、自ら立候補した勇気ある者たちである。


「瘴気対策として、聖なる加護を刻んでおきます。ただ……効果はあまり期待しないで下さい。気休めのようなものですから」


 出発前、ティルザは決死隊のために祈りを捧げた。死地に送り込むことに、拭いきれない負い目があるのだろう。


「……ありがとうございます」


 思えばあの日、スキルを授からなかったことは、今日という日に備えてのことだったのかもしれない。神様に選ばれていれば、この最悪の状況に居合わせることが出来なかった。


「隊長」


 彼女の背後に並び立つ、勇気ある志願兵五名。リンデン商会から支給された散弾銃が輝いていた。剣をメインの武器としているのは、フェリエルだけであった。


「――地獄の底まで、お供します」


 決死隊が仕掛けるのは、ナイトメアたちの後方だ。防衛軍が先頭のナイトメアに攻撃を仕掛けたと同時に、突撃する。攻撃の目標を、パカサロの防衛軍と、決死隊に分散させることが狙いだ。


「ナイトメアの一団が姿を表しました! その数、七体! 適度に距離を取りながら、ゆっくりと前進しています!」


 ナイトメア用に再編された小隊が、各個撃破に挑んでいく。小隊の数は、全部で五隊。つまり、パカサロ防衛軍が一度に対処できるのは、ナイトメア五体だ。


「――七体のナイトメアのうち、二体をこちらに引き付けます。五体までなら、通して構いません。それ以上は、必ずここで食い止めるのです」


 必要であれば、命を消費してでも。誰もが、言われなくても理解していた。


「「了解!」」


 覚悟の決まった声色に、頼もしさを覚えるフェリエル。勇ましく、主のために剣を振る。


「――決死隊、出撃します!」


 だが、彼らはまだ理解していなかった。ナイトメアの、本当の恐ろしさを。



 ◆



「――待ちなさい!」


 言葉が通じないことは、わかっていた。それでも、彼らは感情に反応する。声高に主張した方が、効果があると踏んでいた。


 フェリエルがナイトメアと相対するのは、これで二度目。もう、あのときのように恐れることはなかった。


 今度のナイトメアは、クラゲのような形をしていた。ふわふわと宙を漂いながら、数多の触手を地面に這わせている。毒々しい紫色が、気持ち悪さを助長させていた。あちこちに存在する口のような刺々しい穴が、食事を待ちわびている。


「これは、私が引き付けます。他の隊員は、残り一体をお願いします」


「了解!」


 たった六名の決死隊で、どうやって時間を稼ぐか。大した策など、用意していない。彼らが行うのは、命懸けの鬼ごっこなのだ。


 ――ただし。


「やられっぱなしは、性に合いません」


 フェリエルだけは、別の目的を胸に秘めていた。


「今度こそ、斬り伏せてみせます。私の剣は、ナイトメアにも勝ることを!」


 時間稼ぎだけでは駄目だ。生き延びるためには、単独で討伐しなければいけない。脳裏に過るは、キッカの戦闘方法。圧倒的な火力で、再生する暇も与えずに消滅させていた。


「細切れにしてしまえば、再生できないのでは?」


 抜刀しながら、ナイトメアに殺意を向ける。


「答え合わせは、あなたの身体で行いましょう!」


 気高き騎士が、弾けるように飛び出した。

 緩慢な動作のナイトメアは、ゆっくりと触手を構える。



 ◆



 少女の手より放たれた神速の刃は、クラゲ型のナイトメアの触手を意図も容易く切り刻んだ。宙に舞う血肉は、元の形を取り戻そうと寄り添い合う。驚異的な再生能力が、フェリエルの剣技を嘲笑っていた。


「だから、なんですか」


 ナイトメアの挙動は、とにかく緩慢なのだ。獲物を攻撃するための触手以外は、あくびが出るほど鈍い。意志がなければ、目的も在らず。中身が空虚が故に、前に進む速度も遅いのだ。


 瘴気さえ喰らわなければ、ナイトメアの触手がフェリエルを捉えることは出来ない。それは、最初に対峙したときから分かっていたことだ。


 ――オオオオオオオオオオオ!!!!


 だが。


 ナイトメアは、適応する。


 意志はないが、学習するのだ。


 目の前の餌を喰らうには、どうすればいいのか。

 脳で考えるのではない。本能が結論に到達する。


「――っ!」


 答えは、単純だった。

 より多くの触手を、より早く、より鋭く、繰り出せばいい。


「――『罪奇崩し』」


 対空用に放たれた、横薙ぎの一閃。真っ二つにされた触手の群れは、その勢いを殺すことなく、その場で瞬時に再生する。


「!?」


 斬られることを前提とした攻撃だった。意識の隙間を縫いながら、無数の触手が降り注ぐ。


 ――ぐらりと、視界が歪んだ。


 瘴気を少し吸い込んだのか、平衡感覚が狂い始める。


「――っっ!!!!」


 知らず唇の端を噛み切っていた。痛みが正常な感覚を取り戻す。見開いた瞳が、生きる可能性を探していた。彼女の本能が、叫んでいたのだ。無限の再生など、ありえないと。


 触手の雨を前にして、彼女は一筋の光明を見た。触手の雨を掻い潜りながら、狙いすましたように、彼女は渾身の突きを放つ。


 ――キエエエエエエエエ!!


 彼女が貫いたのは、無数にあるナイトメアの瞳の一つ。確信があったわけではない。ただ、声が聞こえたような気がしたのだ。ナイトメアの弱点――生きるための、中心核を。ナイトメアの弱点は、瞳に擬態して埋め込まれていた。


「……消えていく」


 キッカのように、圧倒的な火力で押し切ったわけではない。まったく別の方法で、ナイトメアの弱点を貫いたのだ。それは、近距離でしか成し得ない、フェリエルの戦い方だ。


「……まずは、一匹目」


 気を緩めてはいけない。

 後続は、次々とやってくるのだ。


「タイチョウ!」


 弾む声がした。


 決死隊の隊員が、ナイトメア討伐に喜びの声を上げているのだろうか?


 ぎゅっと拳を握りしめて、フェリエルは振り返った。


「タイチョウ!!」


 首だけが、フェリエルの眼前にぶら下がっていた。


「……え?」


「タイ、チョウ、タイチョウ! タイチョウタイチョウ!」


 触手に貫かれた生首が、同じ単語を繰り返す。既に、彼の意識はなく――ナイトメアによって弄ばれていた。生首の数は、五つ。フェリエルが一体を相手にしている間に、彼らは人知れず捕食されていた。


 ――失敗した?


 たった一匹に?


 違う。


 一匹じゃ、なかった……。


「嘘、ですよね……?」


 フェリエルを取り囲むナイトメアは、。観測されていた大半のナイトメアが、決死隊に狙いを定めていた。彼らは、パカサロの町に向かうよりも、より美味しそうな獲物に矛先を切り替えていたのだ。


「タイチョウ、タイチョウ」


 強大な無自覚の悪意が、フェリエルを覗き込む。意志がない? 目的がない? だが、知恵はある。憎たらしく、絶望するフェリエルを嘲笑う。まるで人間のように、振る舞っているのだ。死体の声帯を使って、声を発し続ける。それが、人の心を揺さぶることを理解している。


「ふぇり、える! ふぇりえる!」


「……っ!」


 ナイトメアが、進化している。これまでの意志なき化物ではない。人型の――もっと恐ろしい、別種の生物。無邪気な子供のように、彼らははしゃいでいる。ここまで進化するのに、彼らは一体、何人の人間を喰らった?


「マッテ、フェリエル、美味シソウ」


「ボクガ、食ベタイ、ボクガ!」


「ダメ、ダメダ、ダメダメダ!」


 フェリエルを取り囲むナイトメアのうち、人型への進化を果たしたのは五体。残りの十三体は、彼らにお預けを喰らっている。今にもフェリエルに飛びかかろうとしているが、人型には逆らえないらしい。


「ヌカゲケ、禁止ダヨ」


「え?」


 我慢の出来ないナイトメアが、気配を殺しながらフェリエルに触手を伸ばしていた。


「――イウコト、キケ!!!!」


 、と。


 人型のナイトメアの頭部が、ぱっくりと割れた。そのまま、粗相をしたナイトメアを丸ごと捕食する。喰われたナイトメアは、耳をつんざくような悲鳴をあげている。その音を心地良さそうに聴きながら、ばりばりと残さず平らげる。


「ウマァアアアアアアア!!!!!!」


 悲鳴のような歓声が、辺り一帯に響く。


「オイシイノ?」


「オイシインダ?」


「ナイトメア、ゴチソウ?」


 それは、異常な光景だった。


「待ッテェエエエエエエエエエエエエエ!!!!!!」


 仲間の味を知った人型のナイトメアは、フェリエルを放置して共食いを初めたのだ。悲鳴を上げながら、ナイトメアは抵抗するが――人型のナイトメアは、彼らよりも遥かに強かった。


「美味シイ、ネェエエエエエエエ!!」


「……あ、ああ……っ!」


 不意に脳裏に浮かんだのは、奴隷時代に感じていた絶望の味。心の奥から身を凍らせる、絶対的な恐怖。がたがたと、唇が震えていた。どうにか、今のうちに逃げなければ……!!」


「フェリ、エル」


 人型のナイトメアが、歪な角度で首を曲げた。瞳のない顔が、作り笑いを浮かべている。


「――君ハ、トッテモ、美味シソウ!」


 気が付けば、人型のナイトメア以外は捕食されていた。辺り一帯には、見にくい瘴気と喰い残しが散乱している。彼らは、次の餌を見つめていた。


「フェリエルハ、美味シイ?」


 子供のような、高い声。愛らしさと恐ろしさが同居する、気味の悪い響きをしていた。六本の腕から伸びる禍々しい爪が、フェリエルの鼻の先に向けられる。ナイトメアは、本能的に知っていた。恐怖が、肉の味をよくすることに。


「ひ、ひぃっ――!!」


 がくがくと、震えが止まらない。一秒先の未来が、怖くて怖くて仕方がない。死ぬのが、怖いのか? ナイトメアが、怖いのか? ああ、フェリエルは、今にも気を失いそうなほどに、悪夢を見せられていた。


 ――フェリエル。


 悪夢をかき消す、主の声がした。


 ぐっと、拳を握りしめる。血が滲むほどに、痛みを求めて。


「――違う!」


 こみ上げる涙が、朧気ながら主の姿を思い出させてくれる。命令されたのだ。生きて帰れと、命じられた。奴隷ならば、逆らうわけにはいかないのだ。こんなところで、震えている場合ではない!!


「ご主人様……っ!」


「――ノウズイ、食ベサセテ?」


 それは、無意識の斬撃だった。呪いに犯されたフェリエルが、自分でも剣を振るったことに気が付かないほど、自然に振り抜いていた。力は、入らない。踏み込みも、出来ない。それでも斬撃はかつてないほど鋭く、人型ナイトメアの身体を中心核ごと両断した。


「エ?」


 思いもよらない反撃を受けたナイトメアは、斬られたことを理解していなかった。遅れて、中心核が破壊されたことに気付く。 


「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!」


 強烈な断末魔を挙げて、消滅していくナイトメア。


「フェ、フェリエルゥゥゥゥ――!!!」


 往生際が悪く、フェリエルに手を伸ばそうとするナイトメア。伸びた爪が、フェリエルの目と鼻の先まで達したところで、ナイトメアの身体は崩れ落ちた。


「キエェエエエエエエエエエエエエ!!」」


 残り四体の人型ナイトメアが、怒りの声を上げる。どうやら人型には、仲間意識があるらしい。そんなところまで人の真似をしているのかと、フェリエルは鼻で笑う。


「人の真似をして、人に勝てると思わないことですね」


 瀕死の身体を引きずりながら、剣を向けた。


「――私は、お前たちに屈しません!」


 空元気であることは、わかっていた。立っているだけで精一杯で、もう剣を振るうことすら出来ない。それでも強がりを続けるのは、主が自分を待ってくれているから。


「生きたい」


 フェリエルは、出会った頃の記憶を思い出していた。殺してと願ったフェリエルの、本当の気持ちをあの人は見抜いていた。


 だからもう、フェリエルは嘘を吐かない。


 希望を口にするのだ。


「私は……ご主人様と、一緒にいたいから!」


 死に至るその直前でも、フェリエルは希望を捨てることはなかった。


「――よく、耐え抜いたな」


 ナイトメアの鉤爪が、フェリエルの首を刈り取ろうとした、その時だった。誰もが反応できない速度で、一筋の光が線を描いた。


「――エ?」


 


 前触れもなく、突然に殺されたのだ。


 肉片が舞う中で、中心核の残骸が風に消えていく。


 誰もが、状況を理解することが出来なかった。フェリエルですら、呆気にとられたまま頭部の消えたナイトメアを見上げている。


「――命中」


 そこから、千メートルほど離れた時計塔の屋上。二人の姉妹が、戦場を見下ろしていた。


「次」


 大口径の狙撃銃を構えた少女が、極限状態の中で神経を尖らせていた。スコープ越しに、進化した人型ナイトメアの挙動を確認する。


「『魔弾装填』」


 高密度の魔素を練り上げて、狙撃用の銃弾を生成する。


「――くそったれが」


 殺意と怒りを込めながら、キッカは引き金を引いた。ど派手な爆音とともに、銃口から放たれる眩い光。一筋の極光が、今も尚フェリエルを取り囲むナイトメアに向けて突き進んだ。音すらも置き去りにして、ナイトメアの頭部を貫通する。無慈悲なその魔弾は、射線にあるもの全てを消滅させていた。


「――ご主人様」


 二発目が着弾したその瞬間、フェリエルは全てを理解した。


「私が、出来ることは――!」


 歯を食いしばって、己に活を入れた。最愛の人のおかげで、活路が開いた。この好機を逃す訳にはいかない!


「――生きることを、諦めないこと――!!」


 限界を迎えた身体を、奮い立たせた。

 主の援護が、フェリエルに力を与えてくれる。


 再び、フェリエルは優雅に舞う。


「フェリエルゥゥゥゥゥ――!!!!!」


 手痛い反撃を受けたナイトメアは、凶暴さを剥き出しにして襲いかかる。人型ナイトメアは、残り三体。転がる仲間の死体を見て、彼らは生まれて初めて恐怖を感じていた。ただし、千メートル先からの狙撃だとは想定できない。彼らは、フェリエルこそが仲間を殺したと思いこんでいる。


「――ナニヲ、シタ? フェリエル、ナニモノ? 許サナイ――!!」


 だからこそフェリエルは、立ち上がった。

 自分に注意を向けさせることが、何よりも重要なのだ。


「ア――」


 獲物を狙う瞬間は、無防備だ。


 牙を向いた三体目は、防御することも出来ずに貫かれる。


「――ナニコレ?」


 残り、二体。

 仲間が次々と殺される光景を見たナイトメアは。


「ウ、ウアアアアアアアアアアアアアア!!!!」


 あまりの恐怖に、一目散に逃げ出した。


「イヤアアアアアアアアアアア!!!」


 人を喰らい、人の声質を真似ようとしたナイトメアたちは、余計な感情を学んでしまった。恐怖なんて知らなければと、後悔しても手遅れだ。


 四度目の極光が、ナイトメアを背後から撃ち抜いた。容赦のない一撃は、的確に中心核を破壊している。人形に成長したことで、中心核の位置がわかりやすくなっている。


「コワイ、ヨォ……! ダレカ、タスケテ……」


 背を向けたとて、撃ち殺されることに変わりはない。本能でそれを察した最後の一体は、フェリエルに向けて命乞いを始めた。


「ゴハン、返ス、カラ……ホラ、ネ……?」


 げろげろと、原型を留めていない肉片を吐き出すナイトメア。人の真似をしたところで、人の気持ちは理解することが出来ない。


「フェリ、エル……タスケテ」


「……哀れですね」


 目の前のナイトメアは、最後までフェリエルの攻撃だと思っていた。撃ち抜かれた他の個体も、死ぬ直前まで理解できなかったはずだ。


「タスケテ、タスケテ、タスケテ――」


 媚びるように、無防備を晒す。だが、遠く離れた狙撃手に、その思いが届くことはない。


「――ア」


 ――BANG!


 ナイトメアの頭部が消し飛んだ直後、音が遅れて聞こえてきた。


 全てのナイトメアが討滅されたことを確認したフェリエルは、ゆっくりとパカサロの方角を見つめる。ここからでは、何も見えない。だけどこの先に、主がいる。


「ご主人様」


 声が、届くはずがない。


 だが、狙撃手はスコープ越しに唇を見た。


「――私は、幸せものですね」


 ぐったりと倒れる、少女の身体。

 瘴気に蝕まれた身体は、限界を迎えていた。



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