016 決死隊の人選



 三匹のナイトメアを退けたキッカは、呪われたフェリエルを抱き抱えながら、一時撤退する。戦えない者を連れて、森の奥に進むわけにはいかなかった。


「お兄さん――!!」


「シューカ! 無事だったか……!」


 幸か不幸か、シューカはパカサロの町の城壁前にいた。異変を察知したティルザが、課外授業を切り上げて、退避していたようだ。


「『ナイトメア』が現れました。すぐに、王都に知らせないといけません……!」


 キッカたちが森の中で戦っている間に、パカサロの町は厳戒態勢を取っていた。ティルザの報告を聞いたヘイケラー卿が、兵力を総動員して守りを構えようとしている。


「瘴気領域の中から、ナイトメアが出てきただって!?」


「あれは、伝説上の存在じゃなかったのか……!」


「どうすんだよ、俺たち! 化物に、勝てるのか……!?」


 生まれて初めて経験する、外敵の襲来。動揺が走るのも無理もないことである。混乱が起きていないだけ、彼らは優秀だ。


「……ティルザ、フェリエルの呪いを解くことは可能か?」


「瘴気を吸い込んだのですか!?」


 無言で頷くキッカに対して、険しい表情を浮かべるティルザ。幸か不幸か、彼女は数少ない解呪の術式を習得していた。フェリエルを治せるのは、彼女しかいない。


「すぐに、解呪を行いましょう。どなたか、手を貸してください!」


「……任せたぞ」


 フェリエルを任せたキッカは、シューカとともにすぐに作戦本部に向かった。父親であるバイル・ヘイケラーが、各守備隊長と地図を広げながら、今後の対応を協議している。


「おお、キッカ……! 無事だったか! 報告を頼む!」


「シューカを探しに森に入ったら、ナイトメアに遭遇した。なんとか四匹ほどぶっ殺したが、フェリエルが呪われちまった。シューカは、何か気付いたか?」


 ナイトメア討伐の報告に、どよめく作戦室。


「ううん、何も。ティルザ先生と魔術訓練をしていたら、急に辺りが暗くなって……ナイトメアが現れたの。危ないからって、先生と一緒にすぐに退散したわ。だから、何も……」


「……あの森の奥には、瘴気領域が広がっている。奴らは、そこから来たとしか思えん……! あと、何匹やってくる……!? 数次第では、パカサロは滅んでしまうぞ……!!」


 ぎりっと、唇を噛むバイル。


「ナイトメアなど、歴史上の生き物のはず……! なぜ、今更になって……! すぐに、中央に救援を要請しなければ――!」


「――ヘイケラー卿、ご報告がございます」


 ドラン・リンデンが険しい表情を浮かべながら駆けつける。


「王国各地の瘴気領域から、ナイトメアが湧き出している模様です。数はそう多くないようですが、脅威度はとてつもなく! 既に、小さな村は彼らに滅ぼされているとか……!」


「……そんな」


 思わず、後退りをするバイル。

 パカサロの町が、特別だったわけではない。


「王都からの救援は望めません。各地の領主は、各々で対処に当たるようにとのことです……! 」


「馬鹿な」


 ナイトメアの脅威は、王国全土に及んでいた。大抵の領地は、瘴気領域に隣接している。奴らが現れた理由は不明だが、それを究明している時間はない。


「……覚悟を決めなければならないようだ」


 直近百年ではあり得なかった、外敵による侵略戦争。犠牲を覚悟しなければ、パカサロの町は滅びを免れない。


「現在確認されているナイトメアの数は?」


「……およそ三十体程になります。そのうち半数は、既に森を抜けています。残りの個体も、全てこちらに向かっていると」


「……そんな……!!」


「突然過ぎる……! せめて、もう少し時間があれば……!」


 動揺が広がる中、キッカは心の中で舌打ちをしていた。ナイトメアの数が、想定を超えていた。パカサロの防衛軍では、勝ち目はかなり怪しい。


「迎え撃つしかあるまい……! 幸い、リンデン商会の助力により、高火力の重火器は揃っている。文明の利器を、奴らに思い知らせてやれ! 跡形もなく、消し飛ばすのだ!」


「し、しかし――! 先行していた部隊によると、奴らの再生能力は圧倒的で……! 何体か討伐報告が上がっておりますが、完全に消滅させるには非常に時間がかかると……! 数体なら対応できるかもしれませんが、十体以上になると、押し潰されてしまいます……!」


「――囮役を、用意しましょう。足止めが必要です……!」


 まだ若い守備隊長は、覚悟をもって口にする。


「馬鹿を言うな! 時間を稼ぐには、奴らに接近しなければならん! あの瘴気に触れてしまえば、呪い殺されるんだぞ……!! 死ににいくのと、変わらない作戦ではないか……!」


「承知の上でございます!」


 誰よりも大きな声で、彼は言う。


「こうしている間にも、奴らはパカサロに接近しているのです! もはや、迷っている場合ではございません!」


 彼の言うことは、正しかった。ナイトメアを殺すためには、高火力で圧倒することが重要だ。それは、何人もの兵士が足を止めて火力を集中させてこそ実現できる。


 反論できるものはいなかった。


 だからこそ、話題はその一歩先を行く。


「……誰が、囮役をやるのだ」


 ため息交じりの、父親の言葉。


「ナイトメアを引き付ける役目など、誰が出来る。使い捨ての駒では無理だ。時間を稼ぐために、奴らの攻撃を凌ぐ必要がある。生半可なものには任せられない」


「それは――!」


 誰もがやりたくない、囮役。

 会議の行き止まりを見たキッカは、足を組んで宣言した。


「――オレが出る」


「え?」


 周囲の人間は、目を点にさせて驚いていた。


「ナイトメアの相手が出来るのは、オレくらいだろ。時間稼ぎなら余裕だ。何なら、半分くらいは引き受けてやる。適当に暴れまわるから、孤立した個体を狙って集中砲火してくれ」


 それが、もっとも効果的な作戦だと、キッカは結論を出していた。


「すまねぇが、人手が欲しい。死ぬ覚悟がある勇敢な馬鹿を、五人くれ。オレの指示を守れる、イカレた奴がいいな。度胸があれば、能力はいらない。総勢六名の、決死隊だ」


「――いけません、キッカお嬢様」


 だが、予想外の人物が反対の声を上げた。


「それだけは、許されません。キッカお嬢様は、パカサロの希望なのです。我々のために囮役を引き受けるなど、誰が許しましょう。それだけは、断固として拒否します」


 ドラン・リンデンは、必死の形相で語る。


「ドラン、てめぇもわかってんだろ。囮役を遂行できるのは、オレだけだって」


「ええ、もちろん。そして、お嬢様が命を落とす可能性が、それなりに高いことも。残念ながら、その作戦に価値はございません。百人が死んでも、あなたが生きていれば我々の勝利ですが――あなた一人が死んで、ほかが生き延びたとしても、我々の敗北なのです」


「……は?」


 何を馬鹿なことをと、キッカは目を丸くさせる。かつて私利私欲を貪っていた男の発言だとは思えない。

 だが、首を傾げていたのは、キッカだけであった。領主である父親以下、その場に居合わせた全ての者たちが、ドランの言葉に頷いていた。


「我々兵士は、主のために命を捧げるのです。どうして、主を危険に晒す作戦に承諾できましょうか。見たところ、キッカ様は既に消耗していらっしゃる。決死隊など、認めるわけにはいきません」


「お、お前ら……!」


 彼らの誇りが、キッカの参戦を許さない。


「――ヘイケラー家の当主として、命ずる。キッカ・ヘイケラーは、此度の防衛作戦に加わることを禁ずる。以後、後方支援に徹し、前線が突破されたことが確認された場合は、妹のシューカ・ヘイケラーとともにパカサロを脱出しなさい」


「……なんだそりゃぁ!?」


 今度はもう、意味がわからなかった。囮役はともかくとして、参戦すら認めないだと!? 十歳の自分が、子供扱いされていることは明白だった。


「ご理解下さい、キッカお嬢様」


 ドラン・リンデンは、キッカの肩を掴んで言う。


「――万が一にでも、あなた様に死なれたら困るのです。今回ばかりは、相手が悪い。いくら比類なき至高の強者とて、ナイトメアの瘴気に触れたらひとたまりもありません」


「……それは……!」


 ドランの言葉は、真実だった。キッカとて、ナイトメアの瘴気は耐えられるものではない。


「……キッカ様、私の目は誤魔化せませんよ」


 作戦室の扉が、無造作に開かれた。

 治療を終えたティルザが、鋭い視線をキッカに向ける。


「――フェリエルさんを助ける際に、瘴気を吸い込みましたね? あなたは既に、呪われています」


「……ちっ」


 罰が悪そうに、視線を外す。彼女の指摘は、正しかった。触手に捕らわれたフェリエルを救出する際に、近付きすぎたのだ。


「何故、隠していたんですか!! こんな状態で前線に向かうなど、ありえません! すぐに、解呪の術式を行いますからね! 手遅れになる前に、気が付いて良かった……!」


 強引に、キッカを連れて行こうとする。


「このくらい、大したことねえよ。ケリがついてからでも遅くはねえ」


 ティルザの手を払い除けて、キッカは言う。


「オレがやらなきゃ、誰がやるんだよ。ナイトメア相手に、バカみてぇに立ち向かえる奴がいんのか? ビビったら、時間稼ぎなんて出来ねえぞ。実物を目にしてねえと、わからねえんだろうな――!」


 キッカの指摘もまた、真実だ。


 ただ、一点。


 キッカ以外にも、それが可能な人物がいることを除けば、だが。


「――


 突きつけられた、容赦なき回答。

 満面の笑顔が、不安を吹き飛ばすかのように咲き誇る。


「ご主人様を除けば、この町で一番強いのは私です。決死隊の切り込み隊長は、お任せ下さい!」


「……フェリエル、お前、呪いは……!」


「解呪していただきました。もうすっかり、元気いっぱいです!」


 回復をアピールするフェリエル。咄嗟にティルザに視線を向けたが、目を逸らされる。


「確かに、フェリエルなら可能かもしれないな」


 キッカを危険に晒すよりは遥かにマシだと、彼らは暗に示していた。


「でしょう!」


 当主の言葉に、どや顔を浮かべるフェリエル。笑えない。まったく、笑えない。キッカは駄目で、フェリエルは可能? 命の重さが、どうしてこんなにも違う?


「駄目だ、フェリエル。それは、許さない」


「ご主人様が私の身を案じてくださるように、私たちはご主人様の身を案じているのです。そうまで必死に止めていただけると、嬉しくて嬉しくて、誇らしくなってしまいますよ。御主人様……どうか、納得してくださいませ」


 優雅に一礼をして、フェリエルはかしずいた。


「――ご主人様の気高き剣は、あのような侵略者に折れることはございません。安心して、任せていただければと」


「……それは、卑怯だろ」


 感情の歪みが、表情として現れる。優雅に忠誠を誓う少女に、キッカはこれ以上の言葉を向けることが出来なかった。見事な覚悟を見せられて、否定など出来るはずがない。これ以上の問答は、フェリエルの誇りを傷付ける。


 たくさんの感情が、喉の奥までせり上がる。それを食い止めたのは、青空のように晴れ渡るフェリエルの微笑みだった。


「……わかったよ」


 どん、と。

 フェリエルの胸元に、拳を突き付けて。


「命令だ、フェリエル。必ず生きて帰ってこい」


「――かしこまりました」


 穏やかな眼差しが交錯する。それは、死を覚悟したものの瞳だ。


「ティルザ! すぐに解呪の用意をしろ!! それを済ませたら、すぐに駆けつける。後方からの支援なら、問題ねえんだよな!」


 全てに納得したわけではない。

 ただ、仲間の覚悟を、斬り捨てられなかっただけだ。


「はい!」


 踵を返して、前線から撤収するキッカ。少女の背後を見守りながら、大人たちは胸を撫で下ろす。


「……ヘイケラー卿、あなたは下がらないのですか?」


「まさか。領主が前線に立ってこそ、兵士の士気が上がる。たまには、格好いい大人がいることを、キッカにも教えてやらなきゃいけない」


 バイル・ヘイケラーもまた、覚悟を決めていた。


「いざという時は、娘と妻を頼む。必ず、パカサロから逃してやってくれ。後のことは、君に任せた」


「……承知しております」


「だけど、簡単にやられるつもりはない」


 周囲の守備隊長たちが、屈強な眼差しを浮かべていた。


「――キッカに負けていられないと、奮起した者も大勢いる。あの子の勇姿は、希望をくれたんだ。そうだろう、パカサロ防衛軍たちよ――!」


「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」


 悪夢など、知った事か。


「――虚無の大食らい共に、裁きを下してやろうぞ!」


 彼らの誇りは、ナイトメアの喉元に届きうるはずだ。

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