011 フェリエルの実力


 フェリエルがヘイケラー家に雇い入れられて、一ヶ月が経過した。

 彼女は非常に勤勉な性格をしており、先輩メイドの指導によく耳を傾けながら、学びを重ねていく。元々真面目な性格だったのか、すぐに仕事に慣れていった。


「ご主人様! お着替えを手伝いますね!」


「……おう」


 キッカの身の回りの世話は、彼女の担当だった。和風の衣装は構造がとても複雑で、初めは手間取ることも多かったものの、今ではすっかり慣れたようだ。


「そろそろ、ご主人様呼びは勘弁してくれねぇか。名前の方が気が楽だ」


「がーん!」


 何気なく口にしたキッカの言葉に、フェリエルは大袈裟にリアクションする。


「わ、わ、わ、私が、不要になりましたかっ!? ご主人様は、ご主人様ですっ! どうか、捨てないで下さいっ!」


「……いや、そういうことじゃないんだが」


 うるうると涙目で訴えてくるフェリエル。


「でしたら、ご主人様の奴隷でいさせてくださいっ……! 私は、全てを捧げるおつもりですから……!」


「奴隷なんかにならなくても、オレはフェリエルを捨てねえよ」


 仲間や家族を、決して裏切らない。だからこそ、フェリエルを奴隷という立場に落とし込みたくなかった。


「……でも」


「オレはもう、フェリエルのことを仲間だと思っている。それじゃ、不満か?」


 一ヶ月、彼女と暮らしてきたことで、キッカの中での評価は変わっていた。やや変わった性格をしているものの、彼女は忠義に厚い騎士であることを知ったのだ。そんな彼女を奴隷の契約で縛り付けることは、筋が通っていない。信頼とは、双方の志のもとに成り立つ。


「……ご主人様」


 フェリエルとて、それは理解していた。だが、帰る場所がなくなったフェリエルにとって、キッカの存在は救いそのものなのだ。奴隷として繋がりを得ていることが、心を落ち着かせてくれる。主を失うことを、彼女は本心から恐れていた。


「ったく」


 不意に訪れる、フェリエルの憂いを帯びた表情。キッカは、それを見るのが嫌いだった。


「……好きにしろよ。だが、時と場合は考えろよ」


「――はい!」


 山の天気のように、コロコロと表情が切り替わる。ため息をつきつつも、そんな彼女の雰囲気に心を許している自分がいた。気が付かないうちに、フェリエルを気に入り始めていた。



 ◆


 金属のぶつかり合う音が、青空に響き渡る。向き合う二人の少女が、互いに剣を構え、互いの技術を競い合っていた。


「おにーさん、がんばってー!」


 キッカの妹である、シューカ・ヘイケラーは手を叩いて応援する。


 対するは、キッカの戦奴隷であるフェリエル。類まれなるその才能を、いかんなく披露していた。


「――っ!」


 以前、闇商人のアジトで手合わせしたときとは、別人のような動きだった。加護に守られながら、不本意な戦いを強いられていたあのときとは違う。


「ご主人様は、本当にお強いのですね」


「……はっ、嫌味かよ」


 額に汗を浮かべながら、キッカは笑っていた。彼女もまた、全力を尽くして立ち向かっていたが、フェリエルの本気についていくことが精一杯だった。想定以上の、剣の実力。手加減されていることは、キッカが一番理解していた。


 打ち合いを始めてから、小一時間が経過していた。剣の腕では敵わないと理解するには十分だった。だが、同時に沸き起こるもう一つの感情。


 ――本気を出したフェリエルは、どれほど強いのだろうか。


「命令だ、フェリエル」


 好奇心が、止まらない。


「こっからは、本気でオレと戦え。ルール無用の殺し合いだ」


 キッカの得意とする近距離での戦い方は、剣ではない。己の拳が、彼女のもう一つの武器だった。


「――!」


 対する、フェリエルは。


「望むところです。どうか、死なないでくださいね」


 禍々しく、微笑んだ。


「――エリパレス流」


 本物の剣技、磨かれた流派。

 栄光ある騎士の一族が誇る、歴代最強の天才は――齢十一歳にして、完成していた。奴隷のときは味わえなかった殺気が、濁流のように放たれる。


「『泥遊火どろあそび』」


 神速の剣技が、キッカを襲う。


「!?」


 目で追えない程の剣速。上空から薙ぎ払われた衝撃が、キッカの身体を地面に平伏させた。


「がはっ――!」


 肺を強打したことにより、一瞬酸欠に陥る。久しぶりの血の味だ。追撃を加えることなく、キッカが立ち上がるのを見守るフェリエル。それだけの余裕があるということか。


「ご主人様も、本気を出していただけますか。これでは、鍛錬になりませんよ」


 返り血を舐め取りながら、フェリエルは笑っていた。戦いの高揚感が、フェリエルの本能を呼び覚ます。


 瞬きすら許さない、フェリエルの剣さばき。その速度は、キッカの想定以上だった。


「――!」


 二撃目。

 初撃とは違って、次は反応した。が、早すぎる手数に、圧倒されてしまう。


「――『隠恋慕かくれんぼ』」


 目の前の剣技を懸命に捌いていたキッカの背後で、金髪が宙に舞う。まるで、二人のフェリエルを相手にしているような錯覚を、キッカは感じていた。


「っ!?」


 身体をねじって、ギリギリのところで回避する。激しすぎるフェリエルの攻撃に、防戦一方だ。


「……やるじゃねえか」


 動きのレベルが、ぐんと上がった。生前の技術を使っても、目の前の少女に敵わない。キランの全盛期ならば、どうだろうか? まだ七歳の自分が、少し口惜しい。


「光栄です――!」


 剣の腕を競う戦いでは、相手にならない。

 だが、キッカたちが身を置く戦場は、何でもありの容赦なき世界。試合ではなく、殺し合いなのだ。


「行くぞ」


 スイッチを、切り替えた。フェリエルを殺すつもりで、相対する。


「……!」


 殺意を全開にして、フェリエルを見据えるキッカ。その威圧感に、一瞬心が気圧される。彼女の身体から漂う魔素は、常軌を逸した密度である。


「……さすがは、ご主人様です」


 この世界の化物と渡り合うには、剣技だけでは足りない。フェリエル自身、そのことは理解していた。


「まっすぐ走って、ぶっ飛ばす」


 キッカの真の強さは、『魔弾』のスキルによるものではない。前世から引き継いでいた、圧倒的な魔素の密度だ。人類を超越した潜在能力は、小手先の技術を容易く打ち破る。


「――!」


 ぴりついた感覚が、フェリエルの身体を萎縮させた。殺気を向けられて、思わず怯んでしまったのだ。宣言通り、キッカは拳を振り上げる。フェリエルまでの距離を一瞬で詰め、飛び込んできたのだ。


「『罪奇崩つみきくずし』っ!」


 咄嗟にはなった、対空迎撃用の剣技。


「――どこを見ている?」


 ふわり、と。

 剣筋を受け流しながら、空気を縫うように回避した。


「!?」


 見てから避けたのではない。フェリエルの実力を加味し、読み切った上での行動だった。剣を手放して以降のキッカの動きは、初動がまったく見えなかった。これが、彼女の得意とする近距離のスタイルだ。


「……お見事です」


 キッカの拳は、フェリエルの眼前で停止していた。敗北を悟ったフェリエルは、白旗を上げた。


「負けたのに、笑ってんじゃねえよ」


 築き上げてきた一族の剣が、まるで通用しなかった。それでもフェリエルは、笑みを崩さない。


「ご主人様に負けるのでしたら、本望です」


 あらゆるしがらみを吹き飛ばす、破天荒な人だ。精霊の加護や隷属の首輪を、無自覚に打ち破る規格外な振る舞い。まさに、自由奔放を体現したような生き様だ。


 少女の背中に、救いを見た。

 決して色褪せない輝きが、フェリエルの心を奪っていく。


「変なやつだな。悔しくねえのか?」


「これっぽっちも」


 ――この人と巡り会えたことに、心からの感謝を。


「我が剣は、ご主人様のために捧げました。その強さに、ただただ敬服するばかりでございます」


「……ったく。嬉しそうにしやがって」


 この人の剣になろう。

 この人を守れるほどに強くなろう。


 ――いつまでも、格好いい御主人様の傍にいられるように。


 それは、憧れか、それとも別の感情か。

 朱に染まるフェリエルの表情からは、判断することは難しい。


「すごーい! おにーさま、すごいー!」

 

 敗北が、少女を更に強くする。

 守りたい人は、はるか高みを駆けていく。

 


 

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