010 宣誓の儀式


 ラライエが拘束されたことで、パカサロにおけるグイナス商会の影響力はぐんと低下した。奴隷制度が禁止されているこの国で、奴隷売買を行っていた事実は、どうあがいても揉み消すことは出来なかった。


「――悪鬼羅刹のご令嬢、キッカ・ヘイケラー様が、悪党に鉄槌を振り下ろす!」


 母親であるエンリが、踊るような声で新聞を読み上げる。


「勇ましいその姿は、かつての英雄の再臨か! 齢七歳にして、一騎当千の実力を誇る! 彼女は敬意を込めて、こう呼ばれているようだ。『極悪令嬢』、と――!」


 大袈裟に彩られたゴシップ記事が、パカサラの町にばら撒かれていた。新聞の一面を飾る活躍っぷりに、住人たちは話題に花を咲かせている。


「……か、勘弁してくれ」


 やられた、と。

 新聞を目にしたキッカは、ため息をつく。


 わざとらしい言い回しで、過度にキッカを持ち上げる内容。間違いなく、ドランの手回しによるものだろう。


「嬉しいわ~~~キッカちゃんったら、有名人よ! 凄い人気ね!」


 脳天気な母親は、娘の活躍に満面の笑みを浮かべている。


「おにーさま、すごい! おにーさま、さいきょー!」


 四歳になる妹、シューカも、きゃっきゃきゃっきゃと喜んでいた。


「……広告塔に利用しやがって」


 記事に収められる写真には、リンデン商会による装備品がさり気なく映し出されている。ヘイケラー家御用達の商会だと、この記事は宣伝しているのだ。


「いいじゃない、ドランさんにはお世話になっているのでしょう? キッカちゃん、随分と良くしてくれているじゃないの」


「まぁな」


 商魂たくましいと、認めざるを得ない。


「だが、『極悪令嬢』はどうなんだ? うら若き少女につける異名じゃねえだろ」


「あはは……ほら、キッカちゃん、だってそれは……」


 気まずそうに、記事の写真を指差す。


「すっごく怖い顔で、犯人をねじ伏せているんだもの。どちらかといえば、キッカちゃんの方が悪者に見えるわよ?」


「…………」


 確かに、と。

 思わず、納得してしまうキッカ。


「……まっ、正義の味方なんてのは、オレには似合わねえか」


 自分の性質を、彼女は深く理解している。喧嘩っ早く、考えるよりも行動してしまう。善悪よりも義理と人情を優先する。とてもじゃないが、滅私奉公の清らかさとはかけ離れていた。


 それに、多少悪ぶっていた方が、厄除けにもなるだろう。ラライエのような小悪党は、キッカの名前に臆してパカサロに近づかないでくれたらありがたい。



 ◆



 パカサロの町におけるキッカの知名度は、本人の予想を超える速度で高まっていた。元々、すれ違う人々が振り向くような、人を惹き付ける美しさを秘めているのだ。そこに実績が加われば、彼女の存在は浮き彫りになっていく。


 町を歩けば、好奇心の視線に晒される。以前のように、身分を隠して子供たちと戯れるわけにはいかなくなってしまった。


「そういえば、キッカ。今度、新しいメイドを雇ったよ。主に、君のサポートを担当することになる。用があるときは、彼女に声をかけるといい」


「……メイド? いらねえよそんなもん。今いる奴らだけで十分だろ」


 着替えや食事のサポートは、ヘイケラー家に代々使える専属メイドが一手に引き受けている。ズボラなキッカにとって、なくてはならない存在だ。


「ヘイケラー家じゃなくて、キッカ専属のメイドさ。どちらかと言えば、秘書のようなものだよ。ドランのお墨付きだから、安心して欲しい」


「……ふぅん」


 面倒事を押し付けられるのなら、それもアリかと適当に返事をする。興味のないことに関して、キッカはかなり杜撰だった。


 そして。


「――初めまして、ご主人様。本日よりお付きのメイドを任されました、フェリエルと申します。以後、お見知りおきを」


「……こいつは驚いた。あのときの戦奴隷か」


 予想もしていなかった相手が現れた。


「はい」


 優雅に微笑みながら、彼女は肯定する。


「ご主人様には、私の命と尊厳を救っていただきました。恩義に報いるため、馳せ参じた次第でございます」


 かつての怯えは、今はもう見当たらない。見事にメイド服を着こなしながら、彼女は忠誠を誓う。


「……お前さんも、物好きなやつだな」


 呆れながら、キッカは言う。


「こんなクソガキの世話係なんて、好き好んでやる仕事かねぇ」


「とんでもありません! ご主人様が、ただの少女ではないことはよく存じております」


「……そうかい」


 来る者は拒まず。

 彼女の意志でここにいるのなら、断る理由がなかった。


「……あの、ご主人様にお仕えするにあたって、一つご相談があるのですが」


「言ってみろ」


「こちらを、手にとって頂きたいのです」


 フェリエルが差し出したのは、小さな宝石があしらわれた指輪だった。


「一族に伝わる、術式の組み込まれた指輪でございます」


「……ほぉ」


 宝石は人の心を狂わせるというが、確かに素晴らしい輝きを放っていた。興味がないキッカでさえ、良いものだと思わせる力がある。込められている術式はわからなかったが、決して悪いものではないのだろう。持ち主の誠意が、手に取るだけで伝わってくる。


「宝石には興味ねえが、見事なもんだ。よく、没収されなかったな」


「魔素を込めなければ、ただの石ころにしか見えません。ここに来るまでに、ありったけの魔素を注いできました。どうか、この指輪を――私の薬指に、はめていただけないでしょうか」


 そう言って彼女は、跪いて左手を差し出した。


「今は亡き、我が一族に伝わる成人の儀式なのです。私を救ってくれたご主人様にこそ、お相手をお願いしたいのです」


「そうか」


 彼女の横顔が悲痛に歪む。孤独に呑まれた少女は、幼いまま家族を失った。その代わりを求める気持ちは、わからなくもない。キッカは、躊躇うことなく指輪に触れた。


「……おぉ」


 キッカの魔素に同調して、宝石の輝きが増した。だがその輝きは、キッカの黒髪のように塗りつぶされていく。持ち主の魔素の性質に、同調している。この不思議な宝石を生み出す技術こそ、彼女の一族の秘術なのかもしれない。


「これを、薬指につければいいんだな」


「はい」


 まるで、婚姻の儀式のようだ。このようなやりとりが、成人の儀式として行われるとは……不思議な文化があるものだと、キッカはぼんやり考えていた。


「これで……いいのか?」


 慣れない手つきで、指輪を優しくはめてあげる。その瞬間、宝石の色彩が切り替わった。フェリエルの瞳と同じ、碧色へ。


「――"盟約に結ばれた穢れなき精霊へ、我が誓いを聞き届けよ"」


 跪いたフェリエルが、何かを詠唱する。


「……ん?」


 ようやく、キッカは何かがおかしいと気が付いた。しかし、もう手遅れである。


「"彼の者を我が主と定め、永遠の忠誠を誓わん。この命が尽きるまで、主の剣とならんことを"――」


 フェリエルは、宝石に口付けをした。瞬間、眩い光が二人を包み込む。


「て、てめぇ、何をしやがった……!! ちゃんと、説明しやがれ!」


「ご安心下さい、ご主人様。既に、儀式は終わりました」


「終わりました、じゃねぇんだ! これは、なんの儀式だと聞いている! 成人の儀式じゃなかったのか!?」


「成人の儀式ですよ?」


 きょとん、と。フェリエルはあっさりと応える。


「――うちの一族は、成人になったとき、生涯にわたって仕える相手を精霊に誓うのです。またの名を、主従宣誓の儀式といいます。……ずっと、この命を捧げるご主人様を探していました。奴隷に身を落としてからは、諦めていたのですが……!」


 感極まって、喜ぶフェリエル。


「この度、ようやく出会うことが出来ました! 私の親愛なる。ご主人様――!」


「そういうことは、先に言え――!!!!!!!!!」


 さすがのキッカも、声を荒げずにはいられなかった。


「この野郎、騙しやがったな! 勝手に、誓いを結びやがった! オレぁ、騎士なんて従えるつもりはねぇんだよ!」


「あ、騎士じゃないです。奴隷です。ご安心を!」


「奴隷だって!?」


 思わず、キッカは気を失うかと思った。


「はい。私の全てを捧げる、奴隷契約です。ご主人様の命令一つで、何だって行いますよ。私に、拒否権はございません」


「騎士一族って話はどこいった!?」


「騎士も奴隷も、あまり変わらないような気がしますが……」


「今すぐ、全ての騎士に謝れ!」


 フェリエルの価値観は、ぶっ飛んでいた。少なくとも、キッカの常識の外に生きている。


「この国では、奴隷制度は禁止だ! 契約を解除しろ! 今すぐにだ!」


「えええ~~~」


 ぷくっと頬を脹らませて、いじけるフェリエル。


「どうしてもですか?」


「どうしてもだ!」


「なら、どうぞ……」


 しぶしぶ、キッカは剣を手渡した。


「何だこりゃ?」


「どうぞ、斬り捨ててくださいませ。奴隷の誓いを解除するには、命を奪えばよいのです!」


「出来るかぁー!!」


 思わず、剣を床に叩きつけた。キッカにここまで冷静を失わせられるとは、大したものである。


「さらりとオレを奴隷殺しにさせんじゃねえ! もっと重罪じゃねえか!」


「奴隷の誓いですから、仕方がありません。騙されたと思って、観念して下さい」


「やっぱり、確信犯か!」


 けっ、と。

 悪態を付きながら、ソファーに座り込むキッカ。


「……ったく、とんだじゃじゃ馬じゃねえか。ドランの野郎、厄介な奴を送り込みやがって……」


「……だめでしたか?」


 不安そうな表情で、フェリエルは言う。


「ご主人様にとって、私はただの元奴隷です。出自の怪しい者を、側においておく道理はありません。だから私には、こうするしかなかったのです。奴隷ならば、ご主人様を裏切ることは出来ません。これならば、少しは信じていただけるのではないかと……!」


「だからって、自分の命すら捧げるか? 発想がぶっ飛んでんぞ。奴隷から抜け出せたのに、また戻ってきてどうすんだよ」


「同じ奴隷でも、違うのです。だって、私は相手を選ぶことが出来ますから」


 キッカのためなら、全てを捧げられる。そのことを、彼女は契約によって証明したのだ。


「……正気じゃねえな。あんたは一度、地獄を見て、ぶっ壊れちまったんだ」


 やり方は強引だが、フェリエルは覚悟を示した。キッカに仕えるため、腹の中をすべて晒したのだ。ここで日和ったら、男じゃねえ。キッカの中で、答えはもう決まっていた。


「いいだろう、認めてやるよお前のことを。――ただし、奴隷としてじゃねえ。そこんとこ、履き違えるんじゃねえぞ」


「――はい!」


 キッカの言葉に、目を輝かせる少女。


「この命が尽きるまで、精一杯お役に立てるよう努力を重ねてまいります」


「……酔狂な女だよ」


 こうして、キッカに新たな仲間が加わった。

 騎士一家出身の、奴隷少女フェリエル。メイド服に身を包んで、彼女の人生に傅く。

  


 

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