009 死にたいのか?
フェリエルは、とある侯爵家に仕える騎士一族の長女であった。しかし、グアドスコン王国内での政争により、後ろ盾であった侯爵家が没落したことで、彼女の人生は転落の一途を辿ってしまう。
「――逃げなさい、フェリエル!」
「逃がすかよ――!」
逃亡する彼女を捕らえたのは、グイナス商会所属のラライエという男だった。奴隷を扱う闇商人のまとめ役を務める彼は、フェリエルに『隷属の首輪』を強制し、奴隷に落とし込んだ。
「――無礼者!」
整った容姿と、目を引く金色の髪色。男の征服欲を掻き立てる清らかさに、初めは性奴隷としての価値を見出していた。
――しかし。
「……こいつは、使えるな」
強引に純潔を散らせようとした部下が、棒切れ一本のフェリエルに、返り討ちにされて以降、ラライエは彼女を戦奴隷として育てることを決意する。
「こいつは、史上最高額の奴隷になるぞ……!」
高貴なる身分の長女にして、男受けする外見。それに加え、戦奴隷の価値を付加すれば、金銭的価値はとんでもないことになる。幼すぎるが故、すぐに売り飛ばすことは難しいが、五年も経過すれば彼女を欲しがる人間は星の数ほどいるだろう。
――だが、ここで計算違いの出来事が発生した。
「――貴様っ! この俺に逆らおうとは、どういう了見だ!」
「私に、触らないで下さい。魂が汚れてしまいます」
フェリエルは、何らかの加護を受けており、『隷属の首輪』だけでは完全に従えることが出来なかった。彼女を傷付けるような命令や行為は、加護の力によって拒絶されてしまう。
「最悪だ」
このままでは、奴隷としての価値は暴落してしまう。戦奴隷として売り飛ばすか? いや、加護持ちの奴隷など、足元を見られるだけである。
「くそっ――!!」
結局、ラライエは彼女を自分の護衛として手元に残し、闇商人のまとめ役を続けながら、彼女の加護を破る方法を探すことにした。
◆
フェリエルが戦奴隷に身を落としてから、約一年の時が経過した。初めは気丈に振る舞っていたフェリエルも、いつしか誇りは汚れ、心を閉ざすようになっていく。
「――生きていれば、いいこともあるわよ」
奴隷に落ちたばかりの頃、年上の女奴隷が優しく抱きしめてくれた。その三日後、彼女は売られていった。二度と、会うことはなかった。
「いいわね、あんただけ加護があって」
似たような境遇の奴隷たちからは、冷たい目を向けられる。どこにも、味方はないなかった。
「いつか、お前を性奴隷として売り払ってやるからな」
ラライエの邪悪な笑みが、脳裏から離れない。お前もいつかこうなるのだと、目の前で性奴隷の仕事を見せつけられる。
「……いっそ、死ねば楽になるのにね」
――だれか、惨めな自分を殺してくれませんか。
いつしかフェリエルは、そう願うようになっていた。
終わりなき絶望から逃れるには、それしかないと。
「――
そんな彼女の前に現れたのは、規格外の少女だった。
「どうぞ、殺して下さいだって? ガキが口にするセリフじゃねえぞ」
「……え?」
「生憎、死にたがりには容赦はしねえよ。生きる意志のないやつが、オレの邪魔をするな」
「あなたは」
見たことのないような、美しい黒髪。少女とは思えない堂々とした立ち姿の中に、やや凶暴な牙が見え隠れする。ルールやしがらみなど、笑い飛ばしてしまいそうな豪快さ。縛られ続けた自分とは、真逆の生き様が感じられた。
――
それは、無意識に生まれた言葉だった。
「フェリエル! そいつを殺せ! お前なら、出来る――!!」
「――っ」
身体が、無意識に動いていた。隙だらけの少女を、切り刻もうと剣を握り締める。
「気の抜けた剣筋だな」
「!?」
だが、フェリエルの剣が少女を捉えることはない。
「殺気のない剣が、オレに届くと思うなよ」
「~~~~~~~~!」
天賦の才を誇るフェリエルの剣技は、洗練されていた。少女に侮られるほど、彼女は弱いわけではない。それなのに――少女に、まるで
「お前の剣筋から、覚悟が感じられねぇ。薄っすら見える障壁見てえなモンに守られてるからか?」
「な、何をっ……! 私だって、覚悟などとうに……!!」
フェリエルの脳裏に、理解できない言葉が繰り返される。これほど心を揺さぶられたのは、いつぶりだろうか。心を殺していたフェリエルにとって、少女の存在はあまりにも劇的すぎた。
「子供の割にはやるようだが、まだまだ甘えな」
「!?」
――
少女の拳が、フェリエルの顔面に襲いかかっていた。だが、寸前のところで拳は静止する。彼女を守る加護が、あらゆる攻撃を拒絶したのだ。
「……なんだこりゃあ」
目に見えない壁のようなもので守られていた。少女の攻撃は、届かない。
「――残念でした。フェリエルは、絶対防御の加護に守られているのです。あなたには、彼女を殺すことは出来ませんよ」
「はぁ?」
加護を授けたのは、フェリエルの母親だった。精霊の協力を得て、自身の持てる最大の術式を、彼女に施したのである。凋落する一族の辿る未来に、絶望が訪れる。それに抗えるよう託した、母親の愛情だ。
「てめぇ程度が、フェリエルに勝てると思うなよ! さぁ、そのクソガキを殺してしまえ!」
「はっ、笑わせるねぇ」
粋がるラライエへ、少女は言う。
「安全なところに引きこもっての攻撃なんざ、これっぽっちも怖かねえんだよ。それに、絶対防御だぁ? そんなもん、この世にあるわけねえだろうが!」
「っ!」
フェリエルの攻撃を紙一重で回避した少女は、ぐっと拳を握りしめる。銃でもなく、剣でもなく、ただ全力でぶん殴る。渾身の一撃を、フェリエルの加護に向けて繰り出した。
――
辺り一帯に、ひび割れるような音がした。
「……え?」
フェリエルの加護は、まだそこにある。だが、酷く、不安定に揺れていた。
「う、嘘よね? お、お母様の加護を、ぶん殴って、ヒビ入れるなんて……」
これまで彼女は、加護に守られて奴隷の身分を耐え忍んできた。心を壊さずに済んだのも、彼女が強かったからではない。ただ、守られていたからである。脳裏に過る、ラライエの言葉。
――加護が破られたら、覚えておけ。性奴隷として、売り飛ばしてやる。
「ひぃっ!?」
心が、絶望の匂いを思い出した。加護が破られた未来を、思い浮かべてしまった。
「
だが、少女は容赦しない。
「――
「やめてええええ!!!!」
――
ありったけの力を込めて、少女は加護をぶん殴った。これまで鉄壁を誇っていた彼女の守りは、激しい光とともに砕け散る。規格外の少女の一撃が、フェリエルを無防備な女の子に戻してしまったのだ。
「ば、馬鹿なっ……! こ、このクソガキが、フェリエルの加護を打ち破っただと!?」
「あっ……」
悲壮に満ちるフェリエルは、背後を振り返る。
「――
ラライエが、醜悪な笑みを浮かべていた。どれだけ試しても壊れなかった加護が、あっけなく崩れ落ちたのだ。ようやく、ラライエの悲願が達成される。
「
「~~~~~~~~~~~~~~!?」
加護を失った世界は、悪意に満ちている。
彼女は、理解していなかった。本当の絶望は、ここから始まるのだ。
加護を失って尚、気丈な態度を貫けるのか?
怯える唇が、彼女の心を真っ黒に染め上げる。
「……おい」
だが。
「タイマンの邪魔してんじゃねえよ馬鹿」
「――は? え?」
目に見えない速度でラライエの背後に回っていた少女は、容赦なく彼を殴り飛ばした。ど派手に吹き飛ばされたラライエは、呆気なく視界から消えていく。
「さて……ようやく、あんたの素の表情を拝めたな」
「……う」
――
生まれて初めて、フェリエルは本物の恐怖を知った。肌身一つで、この世の悪意に取り残されて。目の前には、自分よりも遥かに強い化物が血に飢えている。
「……フェリエル」
顎の骨が砕けて尚、ラライエは立ち上がっていた。
「こりゃ、驚いた……まだ、立てるのかい」
「――スキル『頑強』だ。伊達に、奴隷商人のまとめ役をやってませんよ。丈夫でなければ、いつ寝首を掻かれるかわかりませんからね」
「へえ」
生まれて初めて出会う、スキル持ち。だが、戦闘力そのものは大したことはない。脅威となり得るのは、フェリエルだけだろう。
「さぁ、戦奴隷フェリエルよ――そのクソガキを、今すぐに惨殺しなさい。加護を失った今なら、全力を出せるでしょう?」
「――っ!」
隷属の首輪が、鈍く輝いた。これまでよりも、命令の強制力が強すぎる。彼女の意志に関係なく、身体が動いていた。
「う、ううっ……!」
瞳に涙を溜めながら、剣を構えるフェリエル。少女を斬り殺したら、次は? 自分は、いったいどうなってしまうの?
「……今もまだ、オレに殺されてぇのか?」
フェリエルの表情は悲痛に染まっていた。達観したような表情は、とっくに消えている。蓋を開けてみれば、彼女は十歳の女の子。加護がなければ、ただか弱いのみ。
「わ、私はっ……」
ただ、願った。
「奴隷になんて、なりたくなかった……! 死にたくない……生きたいよぉ……!!」
本音を、口にする。
「誰か、助けて――!」
フェリエルの瞳に、生気が戻っていた。それを見た少女は、力強く頷いた。
「――オレに、任せておけ」
フェリエルの懐に潜り込んだ少女は、隷属に首輪に手を伸ばす。それは、彼女を奴隷たらしめる、仁義なき刻印だ。
「馬鹿め! それを外そうとしても無駄だ! 隷属の首輪は絶対なんだよ!」
「――へえ?」
勝ち誇るラライエを、睨み返す。
「
――
少女が力を込めた途端、あっけなく首輪が外される。
「……は?」
「嘘?」
「……何だよ」
三者三様、見事に違った驚き方で。
「大したことねーじゃねーか。くだらねぇ」
「ええええええええええええ!?」
「はあああああああああああ!?」
目を丸くするフェリエルと、ブチ切れるラライエ。
「……さて」
フェリエルの加護をぶち破り、隷属の首輪を容易くぶっ壊した。驚愕の事実を前に、ラライエは今更のように、少女の異常性に気が付く。
「お、お前は……何者だ……!? う、嘘だろ、そんな……こんなことが、あってたまるか……!!」
「確か、てめぇのスキルは『頑強』だったか? 打たれ強さを誇るってんなら、楽しみだ。新しい武器を試したかったんだよな」
邪悪な笑みを浮かべながら、少女は武器を取り出した。リンデン商会から譲り受けた、数々の名品である。
「――お願いだから、試し終わるまでは元気でいてくれよ。すぐに壊れちまったら、テストになんねえからよ」
「~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!?」
スキル『頑強』は、文字通り打たれ強かった。少女が怒涛の攻撃を繰り出しても、命尽きることなく耐え抜いた。
だが、本人の心が折れてしまえば、意味はない。ラライエは、痛みの雨の中で思考することを諦め、意識を手放してしまった。
「……凄い」
かくして、戦奴隷フェリエルは、キッカとの出会いによって、自由を縛る鎖から解き放たれる。死にたいと願っていた少女の言葉は、ただの強がり。幼気な少女が願うは、救いの手だった。
少女の背中に、フェリエルは祈りを捧げる。
「――このご恩は、生涯忘れません」
死にたくない。
生きたいと、思わせてくれた。
彼女にとってキッカとは、暗闇から救い出してくれる、一筋の光であった。
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