005 大商人の理不尽な要求



 ある日の夜。


「なぁ、キッカ。リンデン商会の坊っちゃんは知ってるか?」


 父親であるバイル・ヘイケラーは、神妙な面持ちで問いかける。


「りんでん?」


 人の名前を覚えるのが苦手なキッカは、父親の言葉に首を傾げる。


「いや、知らねえな」


「リンデン商会は、うちの領地パカサロに根を張る、大商会だ。ヘイケラー家としても、彼らとは持ちつ持たれつの関係を代々築いてきたが……近頃、どうも動きが怪しいんだ」


「怪しいって?」


「パカサロにおける物流の大半を、強引に握ろうとしている恐れがある。物流は、人の生命線だ。この地を治める領主として、外部の人間が肥えていくさまは見過ごせない。……正直、どこからそんな資金を生み出しているか分からんが……放置しておけば、リンデン商会はいずれヘイケラー家をも喰らう怪物になってしまうだろう」


「……んで? そのリンデン商会とオレに、何の関係があんだ?」


 引きつった笑みを浮かべて、父は言う。


「グリム・リンデン坊っちゃんに、怪我を負わせたのはお前か?」


「……怪我?」


 うーん、と少し考えてから。


「そういや、そんな名前の鼻垂れ坊主を、軽くあしらったことがあるな。そうだ、三日前くらいだったな」


「……はぁ~~~~~~」


 がっくりと、肩を落とすバイル。


「……リンデン商会の人間がうちに向かっているようだ。物申したいことがあるとのことらしい」


「問題ねえだろうが。ありゃ、男と男の一騎打ち。その結果に親が出張るようじゃ、あいつに恥をかかせるようなもんだぜ」


「お前は女の子だろ……」


「そういや、そうだったな」


「大事にはならないだろうが、弱みを見せることになる。これもまた勉強だと思って、キッカも同席しなさい。少し早いが、貴族の交渉の場に慣れておくことも大切だろう。キッカは、あまりにも早熟だからね」


 バイル・ヘイケラーは、早くからキッカの異常性に気が付いていた。子供扱いすることを早々に諦め、自分と対等に扱う。その上で、父親らしくこの世界の生き方を教えていた。


「喧嘩っ早いことが、キッカの弱点だ。ムカつくことがあっても、早まっちゃいけないよ。手を出したほうが、不利になる場合もある」


「旦那様、ドラン・リンデン様がお越しになられました」


 屋敷付きのメイドが、報告する。


「丁重に、おもてなしを」


「……迷惑はかけらんねえな」


 昔から、政治ごとには疎かったことを思い出す。

 親を泣かせることはあっちゃならないと、ぐっと拳を握りしめた。



 ◆



「お久しぶりでございます、ヘイケラー卿」


 応接間に姿を表したのは、ドラン・リンデン。リンデン商会の代表である。傍らには、左手を包帯でぐるぐる巻きにされているグリムの姿があった。


「挨拶はいい、手短に済ませてもらえるか」


 言葉遣いこそ、貴族を敬う形は崩さない。だが、軽薄な笑みが、裏側の立ち位置をよく表していた。


「いえ、大したことではございません。先日、うちのグリムとそちらのキッカ様が言い争いを起こしたようなので、事実確認をと」


「言い争い?」


「ええ。失礼な言い回しになってしまいますが……そちらのご令嬢様は、少々手がお早いご様子で……声をかけたうちのグリムに、不意打ちを行ったと聞いております」


「……不意打ちだぁ?」


 ぎろりとグリムを睨みつけたが、当の本人は気まずそうに視線を逸らすのみだった。


「キッカ、君は黙っていなさい」


「…………」


 ぷっつんしかけたが、父親の言葉で引き下がるキッカ。


「グリム君、それは本当かな」


「あ、ああ……っ! そ、そうだよ……!」


 挙動不審に肯定する。口裏を合わせていることは、明白だった。


「誤解しないでいただきたい! 私とて、子供の喧嘩に口を出そうとしているわけではありません。ただ、このままではヘイケラー家の名前に傷がついてしまうのではと心配になった次第でございまして」


 にやにやと、用意していた文章を語る。


「良からぬ噂が流れては、ヘイケラー卿も大変でしょう? 我らの関係が悪化すれば、パカサロの繁栄に影を落としてしまいます。……おわかりですよね?」


「……何が言いたい?」


「どうでしょう、ここは。互いの友愛の証明として、キッカ様とうちのグリムの、婚姻の誓いを結ぶというのは? どうやら、ヘイケラー家には男子に恵まれていないご様子ですし……!」


「なっ……!?」


 リンデン商会の爪痕が、ヘイケラー家の喉元に迫る。


「多少の喧嘩など、夫婦間ではつきものでしょう。とてもよい提案だと思うのですが? そちらも、跡継ぎにお困りのはずだ……!」


 貴族の世界において、子供の結婚は家の事情で決められることが大半である。物心ついたときから、結婚相手が決められていた、なんてケースも珍しくない。政治の道具として利用されるのは、世の常。


 グリムの怪我を水に流す代償。もし、この婚姻が成立すれば、いよいよヘイケラー家は乗っ取りの危機に瀕する。


「そ、それはっ……! 承諾しかねる提案だ……!!」


「ほう、なら悪い噂が流れてもいいんですね。うちを敵に回すと、ヘイケラー家にとっても良くないことになると思いますが。領地内の食糧が、不足してしまいますよ?」


「……!」


 返す言葉が見つからない父親を見て、キッカは冷めた目で状況を分析していた。細かい事情は分からないが、リンデン商会はかなり前からヘイケラー家に狙いを定めていたのだろう。何せ、父親も母親も、お人好しの甘い人たちだ。能力はあるものの、付け入る隙だらけだ。


「い、今すぐには、返答しかねる……! こちらにも、考える時間が必要だ……!」


 この二年、両親の仕事を観察してきて、彼らが優秀な貴族であることは知っていた。一方で、平和に毒されていることも知ってる。少々、パカサロの街は繁栄しすぎていた。転覆を狙う輩も現れるのは当然だ。


「いいでしょう。将来に関わる、重要な決定ですからね。キッカお嬢様も、よく考えることです」


 立ち上がり、背を向けるドラン・リンデン。それに続く、グリムの横顔を見て――キッカは、口を開いていた。


「――なぁ、グリム」


「っ!」


 びくっと、肩を震わせる。


「あれは、一騎打ちだったんじゃねえのか?」


「…………」


 グリムは、何も答えない。


「それが、お前の答えか?」


「……行くぞ、グリム」


 はい、と。

 キッカと目を合わせることなく、立ち去っていく。


 小さな背中が、更に小さくしぼんでいく。



 ◆


「……参ったな」


 引きつった笑みで、父親は言う。


「こうなったら、徹底的に抗戦するしかないな。いわゆる、経済戦争ってやつだ。リンデン商会に異を唱える人々を集めて、力を貸してもらう。奴らから、物流を取り戻すぞ」


「……ん? オレを嫁に出さねえのか?」


 キッカは、素直に驚いていた。


「家名のために、娘を差し出すほど悪人にはなれないよ。それに、まるっきり勝ち目がないわけでもない。リンデン商会には、必ず弱みがあるはずだ」


「格好いいねえ。あんた、良い父親になるぜ」


「あはは……それ、娘に言われるセリフなのかな?」


 恥ずかしそうに、頬を掻く。


「……だが、悪手だな。あの狸爺は、それを見越してんぞ」


 人が良いからこそ、悪人の手の平の上で踊らされやすいのだ。選択肢を削って、悪い方を選ばせ続ける。相手から、宣戦布告をされているのだ。相手のペースに付き合っていれば、破滅は必至だ。


「あの胡散臭い表情から、ぷんぷん臭うんだよ。私利私欲に満ちた、悪人の匂いがよ」


「……キッカ? なんか、よくないこと企んでいない?」


「いいや?」


 キッカ・ヘイケラーは、笑っていた。


「ただ、猶予を与えたことを、後悔させてやるだけだ」


 百戦錬磨の怪物が、瞳をギラつかせて立ち上がった。



 ◆


 数時間後。

 リンデン商会の屋敷の正門では、衛兵たちが雑談に興じていた。


「ドラン様も、警戒しすぎだよなー。この街で、リンデン商会に弓を引くやつなんているわけねーだろうに」


「やましいことでもあるんじゃね? あの人、腹黒そうな顔してんだもん」


「おい! こんなところで馬鹿なこと口走るんじゃねーよ。誰かに聞かれたらどーすんだよ!」


 平和なこの世界では、争いが起きることはあまりない。衛兵たちも、実戦経験などほとんどなかった。


「ん?」


 その中のひとりが、何かに気がついた。


「誰だ? 女の子?」


 和風の衣服を身にまとった、夜に吸い込まれそうな黒髪。ひらひらと、優雅に手を振っていた。


「ホントだ……迷子か?」


 お人形のような美しさを漂わせながら、音もなく忍び寄る。


「びっくりするほど可愛い子だなー」


 彼女は、理解していた。幼い見た目こそが、今の自分が持つ最高級の武器であると。


「ドラン様の愛人か? それにしては――ぶっ!?」

 

 ――一閃。


 射程範囲に入ったその瞬間、衛兵の身体が吹き飛んだ。


「は?」


 白く細長い足から生み出される、人外の蹴り。


「ぐっ――!?」


 二人目が気絶したところで、彼らはようやく襲撃を受けていることを理解した。


「な、何者だっ――!」


 だが、多少の抵抗は無意味だった。

 人間離れした凄まじい速度と威力が、可憐な少女から繰り出される異常。衛兵ごときが、相手になるはずがなかったのだ。


「はっ……!」


 横たわった衛兵の身体を踏みつけて、黒髪が夜空に舞う。シニカルな笑みを浮かべながら、少女は吐き捨てる。


「――カチコミだよ、馬鹿野郎」


「ひぃっ!?」


 ドラン・リンデンは知らなかった。


 自分が征服してやろうと思っていた相手が――規格外の、化物であることに。


「先に仕掛けてきたのは、てめぇらだ。容赦しねえからな」


 キッカ・ヘイケラーは単身で突撃する。


 売られた喧嘩は残さず平らげるのが、彼女のモットーだ。

 


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