003 三歳、転生前を思い出す


 生前の記憶を思い出したのは、三歳の頃だった。


 その日は、町を挙げての祭りの日。母親の腕に抱きかかえられながら、ぱちぱちと心地よい音を奏でる焚き火を眺めていたときのことである。燃え尽きた木材の端切れが、力なくぽつりと落下した。特になんでもないその光景が、生前の光景をフラッシュバックさせる。


「――っ!?」


 キラン。


 そうだ、自分はキランという名前の老兵士だったではないか。気が付いてしまえば、意識は身体に定着する。純白の三歳児の意識など、あっさりと塗り替えられていく。


 ――オレは、本当に生まれ変わっちまったのか。


 と、神様の力に驚いたのも束の間。


「……あー」


 炎。


 そう、焚き火の炎が、揺らめいていた。夜の星空の下で、人々がぐるりと囲んでいる。賑わいが、笑顔として花咲いた。窮屈な母親の腕の中から、幸福の景色が視界に飛び込んでくる。


 ――見える。


 世界に、色が取り戻された。


 視力を失っていたキランにとって、見えるというたったそれだけのことが、あまりにも感動的だった。生前、喉から手が出る欲しかった、健常な瞳。生まれ変わったことを、これほどありがたいと思った瞬間はなかった。


「あら? どうしたのかしら?」


 潤む瞳を覗き込む、優しい笑顔。それが母親なのだと、本能が気付く。


「まぁ、眠いのかしら。この子ったら、涙が出ているわ」


「あうー……」


 言葉を発しようとしたが、声の作り方がわからなかった。だけど、それでいいと思っていた。下手に言葉を口にしてしまえば、余計に涙腺が緩んでしまいそうだ。


 ――これが、生まれ変わるということか。


 柄にもなく、心がわくわくしていた。実感がなかったが、思い知ってしまえば止まらない。


「おれは」


 拙い言葉が、初めて声となる。


 無意識に沸き起こった、覚悟の言葉だ。


 ――今度こそ、守ると決めたものを守れるようになりたい。


 力なく息絶えた自分が、嫌いだった。年老いて無力に落ちることが、怖かった。それこそが、人生の心残りだったのだ。


「こら」


 しかし。


 そんな決意を嘲笑うように、母親は窘める。


「――乱暴な言葉は駄目でしょ。女の子なんだし、せめて”わたし”にしなさい」


「……?」


 女の子?


 不可解な言葉が、脳内に虚しく響く。


「橘花ちゃんは、お母さんに似て可愛く生まれたんだから、お淑やかに振る舞いましょうねー」


「……ふあ?」


 キッカ?


 それが、オレの名前?


 オレ? 私? 


「――ふえええええええええええええ!?」


 驚愕が、拙い叫び声となって沸き立った。


 老兵キランは、魔王討伐によって命を落とし、転生する。

 記憶やスキルを引き継いで――新たな肉体を得た。


 彼女の新たな名前は、橘花。


 齢三歳になる、ヘイケラー男爵家のご令嬢である。



 ◆



 記憶が目覚めてから、一ヶ月の時間が経過した。


 キラン改めキッカは、ゆっくりと身の回りの状況を理解する。どうやらこの世界は、生前とあまり変わらない世界らしい。ヘイケラー男爵家は伝統ある貴族のようで、とても裕福そうな暮らしをしていた。


 中でも目を引いたのは、ヘイケラー家のあちこちに見られる、独特の異文化。『和風』と形容される、見たことのない特色の調度品や衣類であった。どうやらこの異文化はヘイケラー家特有らしく、『和風』文化の最先端を進むことによってこの国で財を成しているようだ。


 ――珍しい髪色だ。


 鏡に写る自分の姿を見つめながら、長髪をつまみ上げる。漆黒よりも更に純度の高い、異質な程の純黒。あらゆる色を飲み込みそうな深い髪色は、まさに和風文化のために生まれてきたような色彩だ。お姫様のように切り揃えられた前髪に、真っ白な雪に覆われたような美肌。


 ――これが、オレ?


 何の冗談だと、キッカは笑いたくなってしまった。


「キッカ・ヘイケラー」


 和風文化の一つとして、『漢字』というものが存在した。ヘイケラー家では、漢字表記の名前を子供に与えることを風習としており、それが『橘花』と呼ばれる、彼女の真名である。


「信じた相手にしか、この文字を教えてはいけないの。いいわね?」


「……わかった」


 記憶が定着して以降、キッカは目覚ましいスピードで成長していく。元々、五十二歳の経験と記憶が、三歳の子供に内包されているのだ。身体さえ発達すれば、常識外れな能力を発揮できる。


 だが、キッカは冷静に理解していた。子供は子供らしく振る舞わなければ、嫌われてしまうと。


「キッカちゃんは偉いわねえ」


「んー!」


 故に彼女は、聞き分けの良い子供を演じていた。


「ママよ、まーまー?」


「ま……」


「ママー?」


「……ま」


 ……いや、どうだろう。

 五十二歳の魂が、ママと呼ぶことを心から恥ずかしがっている。どうやら、口調や意識まで切り替えることは難しいようだ。


「お、おふくろ」


「何処でそんな言葉を覚えてきたのかしら! ねえ、あなたー!?」


「お、俺は何も教えてねえぞ!?」


 素が出ることが、しょっちゅうだった。嘘をつけない性格が、思いっきり足を引っ張っている。


「こら! キッカちゃん! 女の子なんだから、そのはしたない座り方はやめなさい!」


「……うい」


 胡座をかいていることを咎められたので、肩ひじをついて膝を組んだ。煙草でもあればなと、生前の癖が視線に現れている。


「ま~~~~!! 本当にどうしてこうなったの!? あなた!? あなたが変なことを教えたのね!?」

 

「知らねえよおおおおおおおおお!!」


 三歳児のくせに、やけに格好が様になっていた。

 腰まで伸びた美しい黒髪に、幼い矮躯。着崩した普段着からは、絹のように白い肌が見え隠れしている。貴族のご令嬢としては、決して許されない振る舞いだ。


「まるで歴戦の戦士みたいな風格じゃないの~~~~!! 男の子だったら、とーっても格好良く育ってそうだけど~~!!」


 染み付いた癖は、中々に取れるものではなかった。キッカ自身、女の子であるという自覚はない。


「だめか?」


「ぐっ……!」


 ぶっきらぼうな、ストレートな言葉。

 黒髪から覗く宝石のような藍色の瞳が、母親の声をいともたやすく奪い去ってしまった。


「ああっ、凛々しくて素敵だわっ……! さすがは、私の娘っ……!」


 親バカだった。

 キッカの振る舞いを、凛々しくて素敵! という理由だけで許してしまう。


 立ち振舞は、野蛮な男のそれではある。だが、あまりにも芯の通った自信の感じる出で立ちと、常識離れした少女らしい美しさが、絶妙なバランスを取っていた。はしたないより、凛々しいが先にやってくるのだ。


「お前、俺より格好良くねえ……?」


 父親が、引きつった笑みで言う。


「ねんきがちげぇからな」


「キッカはまだ三歳だろ……」


 おおらかな両親の性格が、キッカの不思議な側面を受け入れてくれる。強制的に女の子として育てなかったことが、彼の異端さを推し進めていく。


 ――今更、女言葉なんて使えるかよ。


 キッカは、思春期の男の子のような、小っ恥ずかしさに染まっていた。器のでかい両親に感謝しながら、せめて自慢の娘でいられるようと腹をくくる。


「ああ~~キッカちゃんってば、本当に素敵な黒髪だわ~~~」


「俺に似なくて良かったよ。ちょっと変わってるが、それもまた俺達らしい! あっはっはっはー」


 おおらかな二人のおかげで、家族のぬくもりを知った。

 親という存在に触れたキッカは、ふと生前の記憶を思い返していた。


 ――両親の死に目にすら立ち会えなかったオレに、また親が出来るとはな。


 新しい人生では、親孝行をしよう。

 生まれ変わったら、後悔なく生きるために。


「だけど、キッカなら頼もしいお姉ちゃんになってくれそうだな」


 父親は、笑いながら言う。


「――妹には、優しくするんだぞ」


「ああ」


 母親のお腹が、幸せに膨らんでいる。やがて訪れる新しい家族が、キッカの知らない幸福を運んでくれる。


「……妹か」


 生前、知ることの出来なかったことばかりがやってくる。

 楽しみが、止まらないのだ。

 




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