002 裏切りの報いは人知れず
キラン自身、自分が戦っている相手が魔王なのかどうか、判断できていなかった。ただ、感知できる圧倒的な魔素の量と、「お嬢ちゃん」の声を聞いた上での認識である。
「……っ!」
勝てるはずがない。相手になるはずがない。全盛期ならまだしも、老いぼれたこの身体で敵う相手ではなかった。しかし、現実はどうだろう? 際限なく、力が湧いてくる。イメージ通りの動きができている。まるで、全盛期のように――。
――オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!
魔王の咆哮が、辺りの大地を揺らした。
「ああ、エグいねえ」
手にした剣が、どろどろに溶けていた。右腕は吹き飛ばされ、左脇腹も抉られている。迫りくる死の訪れ。致命傷などとっくに越えていた。意識を失った瞬間が、全ての終わりである。
――タダでは殺されねえ。
足掻け、足掻け、足掻け、足掻き続けろ――!!
横たわる「お嬢ちゃん」が、助けを求めている。魔王に立ち向かうには、十二分な理由だと心が叫んでいた。
「バカ野郎が」
とてつもない魔素を凝縮した、魔王の術式。人間一人を殺すには、大げさな技。それを半身で受けつつも――残された左腕を、懸命に伸ばした。決死の特攻だ。
「人間を、舐めんじゃねえ」
最後の力を振り絞って、魔王の喉元に剣を突き立てた。聖なる加護がなんとかかんとかと、子供たちが説明していたが、年寄の脳みそには理解できなかった。
――オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!
効いている。
キランは確信を持って、一歩を踏み出した。
止まれば、死ぬ。もう、身体は限界だ。だが、魔王は生きている。ここで殺さなければいけない。出来るか? やるんだよ。力強い言葉を自身に向け続ける。
「ありがとな、嬢ちゃん」
キランは、悟った。
「――オレ一人じゃ、何も出来なかっただろうさ」
二度目の刃が、魔王に届くことはなかった。
先に、キランの身体が限界を迎えたのである。
小難しいことは分からないが、全盛期のように動けたのは、『お嬢ちゃん』の術式だとキランは確信していた。風前の灯ではありながら、最後を迎えるまで彼女は力を貸してくれていたのだ。
「……ちっ」
力なく、倒れるキラン。奇しくもそこは、異形の化け物――『お嬢ちゃん』の隣。
頭上では、魔王がど派手な術式を再び展開していた。油断することなく、キランを異形の化物ごと葬り去ろうとしている。
「すまねえな、助けられなくて」
命の火が、燃え尽きようとしていた。
――いいの。
刹那に見た景色は、幻だろうとキランは判断する。目が見えない自分の瞳が見せるものに、幻影以外のものはない。
――戦ってくれて、ありがと。
この身を滅ぼす黒炎にしては、いささか暖かった。死ぬというのはこんなに安らかなのかと、笑みがこぼれ落ちる。
そして、二人は同時に命を落とした。
魔王によって、一切の救いなく殺されたのである。
◆
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………ん?」
そこは、真っ白な世界だった。白いインクをバケツで塗りつぶしたような、白以外何もない空間が広がっている。自分はどうだと確かめてみたが、やはり真っ白だった。どうやら、姿形は存在していないらしい。
「なんだ、ここは?」
「神様のお膝元ですよ」
突然、真っ白な世界の中に、麗しい女性が舞い降りる。
「神様? いかにもそれっぽいが……そういうやつは、大抵が悪人なんだよな」
「まぁ、ひねくれものですね。別に、どうでもいいんですけど」
自称神様は、優しく微笑みながら手をたたく。
「――おめでとうございます! あなたのおかげで、世界は救われました。討伐こそ叶いませんでしたが、魔王に深傷を与えた初めての人間です。凄いですねえ!」
「あ?」
理解できないキランを放置して、自称神様は語る。
「あの魔王には、私たちも手を焼いていたのです。どうにかして消滅させることは出来ないかと四苦八苦していたのですが……あなたが弱らせてくれたことで、好機が生まれたのです。私たちは、ずっとその機会を伺っていました」
「……ん? なんでい、あんたらがトドメを刺してくれたってわけか。なら、オレとしても願ったり叶ったりよ。しっかし、よくあの魔王を殺せたな。オレが手傷を負わせたところで、あんたが殺せるとは思わねえんだが」
「ええ、殺してはいませんよ。私たちは、あの世界の生物に直接関与することが出来ません。私たちは、世界の管理者ですから」
「……あん? でもお前さん、さっきは消滅させたって……」
「はい、だから消滅させたのです」
満面の笑顔で、自称神様は言う。
「――
彼女の答えは、キランの想像の遥か上を行く。
「駄目になったデータをゴミ箱に突っ込んでしまうような感じです。深傷を負わせてくれたことで、管理者権限を発動することが出来ました。多少、犠牲が生まれましたが、仕方のないことです」
「は?」
全て? 消滅?
「じゃあ……オレの、あの、教え子や……その、家族は……?」
「
「て、てめぇ――ッ!!」
掴みかかろうとしたが、身体がなかった。意識だけがここにあって、キランは何もすることが出来ない。
「どうして怒るんですか? あなたはとても優秀な方でしたのに、狂人扱いされ、見捨てられてしまったではありませんか。追放した世界なんて、滅んでしかるべきでしょう?」
「~~~~~~~~~!」
駄目だ、価値観が違う、と。
キランはすぐに、理解した。
ここでどれだけ怒りに身を任せても、何の意味もないのだろう。
「……オレの代わりに、あんたが復讐してどうする。落とし前は、自分でつけるもんだろ。それが、筋ってもんだ」
深い溜め息を吐く。
自分を嵌めた黒幕が、一体誰だったのか。もはや、真実は魔王や世界ごと葬られてしまった。
「面白い冗談ですねえ。既に死んでいるのに、どうやって落とし前をつけるっていうんですか」
「……じゃあ、何でオレはここにいんだよ。他の奴らと一緒に、消滅されるのが筋ってもんじゃねえか」
「いい質問です! それこそが、あなたをここへ招待した理由なのです!」
自称神様は、ハイテンションに説明する。
「魔王消滅に貢献してくれたあなたに、特別なご褒美を差し上げましょう! 本来なら生き返らせてあげたいのですが、元の世界は消滅してしまいましたし……えーと、ここは一つ、『転生』で手を打ちませんか?」
「てんせい?」
キランの常識に、そのような単語は存在していない。
「ああ~~~~そうですね、あの世界ではそういう文化はありませんものね。説明、面倒ですねえ……もう、勝手に飛ばしてしまいましょうか」
「お、おい! お前さん、明らかに役目を放棄しただろ! ちゃんと説明しやがれ!」
「――
キランの魂を、眩い光が包み込む。
「ご活躍とは裏腹に、恵まれない生を歩んできたご老人に、新しい未来をプレゼントしましょう。今度こそ、信じていた人たちに裏切られることのない、満たされた幸福を」
「待て待て! お前さんの言葉はさっぱり理解できねえが、ろくなことにならねえのはわかった! いらねえよ、そんなもん! これでもオレは、自分の人生に満足してんだ! 今更、新しい人生なんて――」
「――
鋭い眼差しで、自称神様は言う。
「もっと上手く立ち回れていれば。もっと自分が強ければ。もっと、もっと、もっと――そうやって、後悔してきた五十二年では?」
「…………」
「魔王消滅に協力してくれたのです。少しくらい、報われたっていいではありませんか。というわけで――これからあなたは『転生』します。幸福になれるかどうかはあなた次第ですが、元いた世界よりも、遥かに平穏な世界ですよ」
「……そうかい」
後悔がなかったと口にすれば、嘘になる。だが、自称神様の言葉を真に受けるのもまた、癪だった。キランは、言葉には言い表せない不思議な気持ちでいっぱいだった。
「もし、転生先の世界が不幸に覆われるようなら、あなたの手で解決してくださいね。そういった目論見もありますので!」
「そんなこったろうと思ったよ」
結局のところ、自分は駒であるとキランは理解していた。神様という存在が、ちっぽけな個人の思惑を
「最後に聞かせてくれ。あんたの名前は?」
「――女神フォーリン・ラー。聞き覚えのある名前でしょう?」
「……なるほどね」
彼女が口にしたのは、元の世界で崇められていた女神の名前だ。
「それでは、キランさん。これまでの人生、お疲れ様でした。そして、新たなる人生を謳歌してくださいな」
慈愛のこもった、美しい声色で。
「――いってらっしゃい」
その言葉をきっかけに、眩い光が放たれた。
そうして、老兵キランは新たな人生を歩み始める。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます