35.騎士さん、メロメロになる

「こわくないでちゅからね~、なでなでさせてくだちゃいね~。にげちゃだめでちゅよ~」


 そんなことを言いながら、シュバッ! と地面を蹴って跳ぶ。思わず逃げようとしたけれど、その腕は素早く俺の首根っこを、ガッシリと。


「ああんもう~~~! ちっちゃいもふもふ~~~! かわいいかわいい~~~!」

「わ、わわわ……わふっ……わんっ……」


 もしゃもしゃもしゃ! となで回されて、思わず声を出してしまう。それを聞いた隊長さんは、機嫌を良くしてもふもふわしゃわしゃ。あっ……だめ……この人なでるのうまい……ちからがぬけちゃう……


「きもちいいでちゅか~? わたしもとってもきもちよくて、うれしいでちゅからね~!」


 気づけば腹見せで地面に転がり、お腹をモフモフされっぱなしの俺。しゃがみこんでいる隊長さんの顔はというと、とろけそうなくらいに崩れきってしまっている。


「おとなしくなでなでされて、とってもえらいでちゅね~! うちの子になりまちゅか~?」


 ……これはもう、ぜんぶ想像なんだけど。


 きっとこの人は立場上、部下には厳しく当たらなければいけないんだろう。日々の過酷な仕事のなか、弱みを見せることはできない。自分の趣味や楽しみなんて、二の次三の次が当然だ。

 だからこそ、こうして誰もいないところでは、抑圧されていたそれ――モフモフ動物好きが爆発してしまうのだ。


 元社会人として、気持ちはとってもよくわかる。わかるんだけど……ね……?


「あの……すみません、すこしいいでしょうか……?」

「……ッ!? 誰なのっ!!!」


 がばっ! っとバネ仕掛けのように立ち上がり、腰に吊った剣に手を添える隊長さん。注意深くまわりを見ているけれど、声の主は転がされている犬ですよ。


「こっちです、こっち。ええとですね、色々とお聞きしたいことがあるのですが……」

「………………は? たぬきさんが? しゃべった?」

「たぬきではなく、いぬです。わたくしあの、御使い、というやつでして……こう見えて元はにんげんで、この姿は被呪カースの影響で……」

「いぬ……? いぬなのに、もふもふの、にんげん……? みつかい……?」


 ぴた、と動きを止めたあと。30秒ほどぴったり停止。なあるほど、と納得したあと、すらりと腰の剣を抜いて。


「無様をさらしたわね。喉を突いて死ぬわ」

「思い切りが良すぎません!?」


 あわてて足にしがみつき、やめてくださいと首を振る。あっまたふにゃっとした笑顔に……いやいや凜とした表情……へにゃ……きりっ……本能と理性の間で揺れておられる……


「……離れたほうがいいですか?」

「助かるわ……」


 思いとどまってくれたんだろう、ちゃき、と剣を納刀する。それをちゃんと見届けながら、すこし離れてちょんとおすわりしてみれば。


「はにゃあ~! れいぎただしいおすわりだよぉ~……ンッ! ゴホンッ! ンンンッ! ……大丈夫、うん、大丈夫」


 耐えてくれた。なんとか会話ができそうでよかった。


「私からも聞きたいことはたくさんあるの、あるのだけれど、その前に……」


 そうして隊長さんは、真剣な顔を俺へと向けて。


「さっきのことを忘れろとは言わない。でも他言したその瞬間、私はどんな手を使ってでも自害するということを覚えておいてもらえるかしら」

「真顔で怖いことを言わないでください! お前を殺すって言われたほうがまだ良かったですよそれ!」

「殺せるはずがないでしょう……もふもふ……ちっちゃ……きゃわわ……」


 あっまた本能が勝ってる。がんばって、理性さんがんばって。


「言いません、言いませんから。自分で言うのもなんですが、めちゃくちゃかわいいですもんね、子いぬって。動物好きのひとだったら、ああなってもしかたがないです」

「犬を見るのは初めてなんだけれど、こんなにも愛らしいのね。話に聞いていたものとは違って、毛並みがふわふわで……ころころまるまるで……」

「俺はまだ子いぬなんですが、成犬になるともっとさらさらふわふわになりますよ。いぬにもいろいろあるんですが、ポメラニアンという種類はそれが特徴なんです」

「そんなの、耐えられる人がいると思っているの……? 法で取り締まるべき事案よね……?」


 だめだ、理性の敗北が近そう。さっさと本題に入ろう。


「それはさておきですね。俺はいま、この村のみなさんにお世話になっているいぬでして。お話が聞こえてしまったのですが、なにか危険が迫っているんですか? だとすれば、他人事ではありませんから」

「そうね。私たちは元々、ここに現れるという迷宮の調査に来たの。でも、その途中で――」


 と、隊長さんが話し始めたところで。


「おーい、リルー! すっげえ人がいたぞー!」


 がっちゃんがっちゃん金属音に、大きく張られた叫び声。思わずそっちに顔をやれば、猛ダッシュしてくるチャラ男さん。


 ……だけではなく。


 彼の腕に――いわゆるお姫様だっこで――抱かれている女性がひとり。

 恥ずかしそうに顔を赤らめつつも、彼に身を預けているその人は。


「は、ハルナさま……!?」


 それを確認した瞬間、俺は地面を蹴っていて。


「がるるるる……わふっ! わんわんっ、がるぅ!」


 チャラ男の前に立ちはだかり、犬生じんせい三度目のマジ威嚇。その手を離せや金髪ゴリラ……!


「わわっ、なんだこのちっちゃいの! 危ないからあっちいけ!」

「ぐるるるる……」

「おお、見ろよリル。子だぬきに威嚇されてるぞ、おれ」

「『隊長』でしょう?」

「あだあっ!? だからなんで殴るんだよ、お前は!」

「殴られることをしているからよ。この緊急時に若い女性を口説くだなんて、ついに頭に虫がわいたの?」

「ふふふ、若い女性ですか。お世辞とはわかっていても、嬉しいものですね」


 そんな声を聞いた瞬間、隊長さんが驚きに目を見開いた。


「うそ……ハルナ先生っ!? まさか、この村にいらっしゃったなんて!」

「ラニくんも、そろそろ下ろしてください。いくら私がおばあちゃんでも、女性とあまり密着するのは……めっ、ですよ」

「おっと、すみません。これが一番速いと思ったんで、つい」


 ……えっと? もしかしてみなさん、お知り合い……?


「銀一さんも、怖い顔をしないでください。ふたりはね、こーんなちいさなころから知っている、私の大切な教え子なんです」


 チャラ男の腕から降りたハルナさまは、そのまま俺を抱き上げて。


「でも、私を守ろうとしてくれたんですよね。それはとっても嬉しかったですよ」


 ぎゅっと俺に体を寄せて、そんなふうにささやいてくれた。

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