30.ポメラニアンとお嬢様

 ゆったりゆらゆら体が揺れる、そんな動きで目が覚める。首のあたりで吊られてるみたいだけど……落ち着くなあ……お母さん犬にくわえられてるとこんな感じなのかな……わふわふ……わふ……?


 そこでパチっと覚醒する。やばいっ!? 村長さんに会いに来たのに、もしかして寝てた…!? だからゆすって起こされて…!?


 と、あわてて目を開けた、その瞬間。


「わふ……っ! ほんぎゃああああああああああああっ!!?」


 目に飛び込んできたのは大きな口と、立派に尖った牙だった。


「わ、わわっ、わわわわっ!!!?」


 あわてて逃げようとするけれど、地面に足がついていない。どれだけ手足を動かしても、ただ空中を泳ぐだけだ。

 暴れる俺を止めるみたいに、真っ赤な舌がべろりと動く。顔全体をべっちょり舐められ、動く気力が失われていく。


「あば……あばばば……」


 ぷらぷらと体を揺らしながら、必死で思考をぐるぐる回す。ハルナさまに抱かれて歩いて、村長さんの家に向かって、寝てしまったみたいで、宙吊りで、目の前にいるのは…大きな獣……!? 大口を開けて……まさか俺を……!?


「やめて……たべないで……貧相な子いぬですから……おいしくないですから……」

「いえいえひんそうだなんて」「りっぱなけなみ」「ふとましいてあし」「たくましくなることでしょう」「しょうらいがたのしみです」


 ふるえる俺の懇願に、返事はふたりぶんの声。どうやら俺は2体の獣に、前後を挟まれているらしい。

 状況がわからないけど、吊られているから逃げもできない。そもそも俺はどうして、なににつられて……


「銀一さんっ!? いったいどうしたんですかっ!?」

「はっ、ハルナさま! たす、たすけてっ!」


 飛び出してきたハルナさまに、必死の声で助けを求める。すぐに目があったハルナさまは、血相を変えていたけれど。


「……ぷっ、ふふっ。銀一さん、ぬいぐるみのキーホルダーみたいになって」


 俺の姿を見るなり、こらえきれないと吹き出してしまった。


「アデル! バデル! はやく降ろしなさい!」

「……わふっ!? わ、わああっ!」


 聞き覚えのない声がしたあと、やっと地面に足がつく。駆け出し逃げ出すその先では、ハルナさまが腕を伸ばして待っている。


「よしよし、もう大丈夫ですよー。驚いてしまったでしょうけど、なにも怖いことはありませんからね」


 抱き上げられ、いつもみたいにぽんぽんぎゅー。ようやくそれで落ち着いて、おそるおそると俺がいたところを見下ろしてみると……


「……おおきな、いぬ……?」


 しかもモフモフふさふさ。サイズ感は違うけど、ポメラニアンの面影がある……いや逆だ、ポメラニアンにこの犬の面影があるんだ。


 つまり、この人たちは系統的なご先祖さま。量感のある、たてがみにも似たふわっふわの首まわり。狼を思わせるその顔つきは、せいかんでとてもかっこいい。

 そんな特徴を持つものは、ポメラニアンの系譜の中で、唯一と言っていいほどの大型犬。強い体に勇敢さをも併せ持つ、その犬種は――ジャーマン・ウルフ・スピッツ!


「おどろかせてしまいましたね」「おつかれでけなみがくたびれていたので」「けづくろいをしてあげたかったのです」「もうしわけなかったです」


 ごめんね、と頭を下げて、そう言ってくれるスピッツさんたち。その言葉に合わせるように、長い尻尾がゆらゆら揺れて……いやちょっと、その尻尾変じゃない? すごく長いし、鞭みたいにしなってない? 毛の色だって見たことのない、きれいな淡いブルーだよ?


「われわれ、あかちゃんはしっぽをつかってあやします」「おやにはよくつられましたし」「おじょうさまもゆらすとよろこびました」


 なるほど子育ての……俺も見た目は子犬だもんな……犬の世界……おくがふかい……いや犬じゃないよねこのひとたちって……


「銀一さん、ここにくる途中で眠ってしまったじゃないですか。私が話し合いに集中できるようにと、彼らがここで預かっていてくれたんです」

「そうでしたか……それじゃあ、おふたりは村長さんの飼い犬なんですか?」

「それは私の護衛で、流水狼フロウテイルという魔物なのです。きちんと躾けていたはずなのですが、とんだご無礼をいたしました」


 声と一緒にふわりと香る、かいだことのない上品なにおい。その方向を見てみると、そこにはひとりの女の子がいた。

 おっとこれはひと目でわかる。着ているものから仕草から、貴族のオーラが滲み出ているぞ……!


 ハルナさまには聞いていた。このあたりの雑多なお仕事は、領主様の成人したての末娘さんが一手に引き受けているのだと。お会いしたことはなかったけれど、この人なのは間違いない。まだお若いだろうに、キリッとして落ち着いた女の子だなあ。


「無礼だなんて、そんな。俺の毛並みがくたびれていたので、毛づくろいをしてくれていたみたいです。大きな声を出してしまい、すみませんでした」


 ぺこ、とちいさく頭を下げると、びっくりしたように俺を見てくるお嬢様。そりゃそうだ、普通は犬はしゃべらないもんなあ。村の人たちは簡単に受け入れてくれたけど、正しいのはこの反応でしょ。


「本当にあなたが御使いさまなのですね。申し遅れました。私はフルル=ブランと申します」

「領主様のお嬢様ですね! ご挨拶が遅れましたが、琴吹銀一と申します。神様に子いぬにされてしまいましたが、いちおう元はにんげんです」

「アデルです」「バデルです」「おじょうさまとはきょうだいのようにそだち」「ごえいとしてつきしたがっております」


 スピッツさんたち――流水狼のふたりも自己紹介をしてくれる。護衛……たしかに大型のスピッツは、とても勇敢だとは聞くけれど……


「流水狼はとても強い魔物で、長い尻尾を自由に扱い戦うんです。鞭のように振るうだけでなく、人間の指先よりもずっと器用なんですよ?」

「なるほど、それで俺の首をつかんでゆらしていたんですね。牙や爪も立派ですし、寝ぼけていたのもあって、そのまま食べられてしまうのかと……」

「おじょうさまにきがいをくわえるのなら」「がぶっとやりますけどね」「よからぬことをかんがえたにんげんなど」「なんどもしっぽでうち、かみつきました」


 ふんす、と鼻を鳴らして誇らしげなふたり。魔物と人間であっても、ペットや家族という関係のひとたちもいるんだなあ。


「そもそも、本当に命が危ないのなら『祝福ブレス』が発動していたはずです。そんなこともわからないくらい、ぐっすり眠っていたんですね。ふふふ」


 よしよしと鼻先をくすぐられて、顔がかあっと熱くなる。いつも情けないところばかり見せてしまって……わふん……

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