29.村長の家にて

 突然の来訪にもかかわらず、ルリハルナ村の村長であるマクロイは、ハルナを快く迎え入れてくれた。


「儂のほうから出向こうかと思っていたのですが、先を越されてしまいました。こうしてハルナさままでが来られたと言うことは、やはり間違いはなさそうですな」


 老人と言われても反論できない年齢ではあるが、力仕事でもまだまだ現役。日に焼けた肌にこわもてと、見た目はかなりの威圧感がある。


 でも、怖そうなのは見た目だけ。気さくで面倒見の良いこうこうであることは、村の全員に知れ渡っている。なによりハルナにとっては、それこそ生まれたころからよく知っている、親戚の子供のようなものだ。


 そしてそれは、彼にも同じ。マクロイにとってのハルナはずっと「ときどき村の様子を見に来てくれる、きれいで優しい憧れのおねえさん」なのである。


「ささ、どうぞこちらへ。フルルお嬢様も今しがた、この村に来てくださったところでして」


 そうして通された部屋には、先客がひとり。

 それは、つややかに伸ばされた栗色の髪が美しい、気品のある少女だった。決して華美ではないものの、一見して上等だとわかる衣服を身にまとう彼女は、ハルナを見るなり立ち上がると。


「お久しぶりです、ハルナさま。長らくご無沙汰していること、父に代わってお詫び申し上げます」


 腰を折り、深々と頭を下げる。その仕草には、常人にはない品格が備わっていた。

 彼女の名はフルル=ブラン。領主たるアリラト=ブラン子爵の末娘である。


「そんな、顔を上げてください。無沙汰をしているのは、こちらも同じなんですから」

「いえ、そんなこと。今の当家が――平和なブラン領があるのは、すべてハルナさまのお力添えがあってこそ。我らが先祖が受けたご恩、忘れてはならないと言い伝えられております」

「何百年も前のことを蒸し返さないでください! 忘れてもらってかまいませんから!」

「おふたりとも、そのあたりで。日が落ちきってしまう前に、話をまとめてしまいましょう」


 そうして頭を下げ合うふたりを、苦笑いをしたマクロイが取りなす。本来であれば、領主の娘であるフルルのほうこそが礼を尽くされる立場にある。しかし相手はハルナ。大陸全土に名を響かせる不老の御使い――『慈愛の魔女エリクシル』は、王侯貴族に引けを取らない影響力を持っていた。


「……先ほど、当家の名で王都騎士団に調査を依頼しました。度重なる地震に加え、止まることのない魔力の揺らぎ。この村の近隣に『迷宮ダンジョン』出現の兆候ありと、父はそう判断しています。まずはこの情報の共有を、村人みなにお願いします」


 迷宮。

 それを一言で表すのなら『神が与えし試練の具現』である。


 一歩でも踏み込もうものなら、凶悪な魔獣や狡猾な罠など、様々な困難が手ぐすねを引いて待っている。しかしながら、見事にそれを乗り越えることができたなら――その勇者には例外なく「神の褒美」が与えられるのだ。


「迷宮の出現は神のご意志、この大陸のどこに現れようとおかしくはない、そう聞いてはいましたが……現実として、出現しやすい地域は決まっていたはずです。一生縁のないものだと、儂はそう思っていました」

「あらあら、そんなに目をキラキラさせて。そういえば、マクロイさんは冒険者を目指していたんでしたっけ。身長がまだこんなだったころ、いつも私に迷宮の話をせがんでいましたものね」

「男というものはですね、いくつになっても冒険の魅力に抗えないものなのですよ」


 にこやかに話すハルナを前に、マクロイが顔を赤くする。表情だけを見てみれば、間違いなく少年のそれである。


「とはいえ、迷宮にあるのは浪漫だけではないことも、この歳になれば重々承知しております。迷宮難度ランクによっては、村のありかた自体を変える必要がありますからな」

青級アクア緑級フォレストならばともかく、それ以上であれば攻略にも時間がかかります。そのため、長期的な人の出入りは確実ですからね。迷宮を中心に発展を遂げた地域の例は、枚挙に暇がありませんから」

「とはいえ、迷宮は踏破されれば消滅するもの。設備投資のさじ加減を誤り、領民を不幸にすることだけは避けたいと、父のみょうだいとしてご相談に上がった次第です。ハルナさまのお知恵を――数百年の知見を、どうぞ我らにお貸しください」

「まあ……! 16歳……成人を迎えて、お嬢様も頼もしくなられたものですね、ふふふ」


 思わず笑みを漏らすハルナに、今度はフルルが頬を染める。マクロイを子供と考えるのなら、彼女はひ孫かそれ以上。当然力を貸しますねと、ハルナは優しい笑顔を向けた。


 そうして、話し合うこと一時間ほど。話がひと段落したところで、フルルはもうひとつの用件を切り出した。


「現在この村には、もうひとりの御使いさまが滞在されているのですよね? いちど屋敷にお招きしたいと、父がそう申しています」

「ギンチチさまのことですな。そういえば、今はどちらに?」

「村長に挨拶がしたいと、ここには一緒に来たんです。ですが、途中で眠ってしまいまして……起こしてしまうのも忍びないと、表にいたふたりに預けてきたんです。ふたりとも、優しい瞳で銀一さんを見つめていましたから」

「……? もしかして、アデルとバデルのことですか? 確かに彼らは優秀ですが、御使いさまを預けた、とは……?」

「彼らもすっかり立派になって。お嬢様のボディーガードとしての貫禄が出てきましたねえ」


 うふふ、とおばあちゃんの笑みを浮かべるハルナに対して、困惑の表情を見せるフルル。確かに彼女は、護衛の従者を家の外に待たせてある。しかし彼らは一般的な使用人とは異なる、やや特殊な存在だからだ。

 加えて、御使いは異世界から来た成人男性なのだと聞いている。途中で眠ってしまったとして、外に放り出していくとは……? そもそも、徒歩での移動の途中で眠るのか……?

 思考に思考を重ねたフルルが、頭の中に大きなハテナマークを浮かべたところで――


「わふ……っ! ほんぎゃああああああああああああっ!!?」


 聞こえてきたのは、そんな悲痛な叫び声だった。

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