ポメとなり、一ヶ月
23.ポメラニアン、入学する
どうも、琴吹銀一です。いちねんせいです。
村に来てからひと月が経ち、無事に入学することができました。
黒板に書かれている短い文章を、肉球で挟んだえんぴつを使い、一文字ずつていねいに写し取っていく。日本語ともアルファベットとも違う異世界の文字……なかなか頭に入ってこないなあ……
「これだけ覚えていれば、簡単な会話文は書けるようになりますよ。もしも難しいところがあれば、そのままにせずになんでも聞いてくださいね」
壇上に立ち、ていねいに説明をしてくれるハルナさま(黒縁のメガネをかけておられる。ひかえめに言って女神)の声に、はーい! と明るい返事が続く。声の主は俺だけじゃなく、村の元気なちびっ子たちだ。
そう、ここは村の学校で。
「銀一さんも、授業の速さ、文字の大きさは問題ありませんか? 机はせまくないですか?」
「はい、大丈夫です! 気を遣っていただいて、ありがとうございます!」
読み書きを教わる子供に交じって、俺も授業を受けているのである!
「ぎんちち、書くのおそいもんなー!」「てつだってやるよ! かして!」「わたしもー!」
「うるさいよ! 自分でできるから!」
ちびっ子たちのそんな声に、わん! と一発吠えてやる。それでも怖がることもなく、それを合図にわらわら集まってくるくらいだ。
ここにいるのは、現代日本だと低学年にあたる子供たち。農繁期にはおうちのお手伝いをしている彼らだけど、そうじゃない時期は平日毎朝の勉強が義務づけられている。
集会所に集まり、大人から読み書きと計算を習うのがこの村の学校のかたちで。
「さあさあ、それでは確認の試験です。これが解けた人から、今日は帰ってもいいですからね」
ここ数年はハルナさまが、その先生役を買って出ているんだと。そういう縁もあって、俺にもこの世界の読み書きを覚えるチャンスがやってきたのだ。俺の目的にも――元宮を探すにも、絶対に必要になってくるだろうしね。
それにしてもテストかあ。社会人になったら縁がなくなると思ってたけど、資格試験や社内研修……やめやめ忘れよう、いまの俺はポメラニアン。ブラック企業とは無関係であるからしてしてしてわふわふわふ(社畜時代を思い出し動揺)。
気を取り直して姿勢を正す。俺が座っているのは、木で作られたちいさな座椅子。それを机の上にオン! さらにちいさなテーブルをプラス! して、子犬の体でも座って授業が受けられるというからくりだ。いろいろと用意をしてくれた村のみなさんには感謝しかないなあ。
授業は無償で受けられて、筆記具や紙も潤沢にある。食べるものにも困らないし、この村に滞在できたのは本当に運が良かった。みなさんの厚意を無駄にしないよう、きちんと勉学にはげみませんとね!
「えと……語順は日本語と同じだったからこうで……規則はローマ字と似たような感じだから……むむむ……」
「こーら。授業中、特に試験の間はおしゃべり禁止ですよ」
めっ、とくちびるに指を当てるハルナさまに、ぺこりとちいさく頭を下げる。そうだった、ここにいるのは自分ひとりじゃないんだった。ここからはきちっとおくちをチャック。無理を言って入れてもらったのに、迷惑をかけちゃあいけないからね。
そうしてまじめに、ハルナさまお手製の試験問題と向き合うことしばし。
「………………」「………………」「………………」
……机の周りに子供たちが集合してくるんですけど。
「………………」「………………」「………………」「………………」
はやくも試験を終えた彼らは、ルールを守ってひとことも喋らないでいる。しかしその瞳はみんなキラキラ、とつぜん現れた言葉を話す珍獣、テストまで受けている謎の毛玉に興味津々なのである。
「………………」「………………」「………………」「………………」「………………」
すっかり全員集結し、無言で視線を向けてくる彼ら。やりにくい、めっちゃやりにくい……がっ! こう見えても俺は三十代男性、精神的にも回答的にも、彼らに負けるわけにはいかんのですよ……!
プレッシャーを全方位から受けつつ、なんとか試験を終えて一息。結果は満点、これが大人の威厳ってやつですね!
「やっとおわったなー!」「いっしょにあそぼうぜー!」「はやく外にいこー!」
「いやいや、何度も言ってるでしょ。こんな姿になっちゃったんだけど、俺はきみたちのお父さんお母さんくらいの年齢なんだから。誘ってくれるのは嬉しいけど、子供は子供だけで遊んだほうが楽しいと思うよ?」
「ええー。せっかくボール持ってきたのになー」
「ボールっ!?」
その単語が聞こえた瞬間、わっふー!!! と大きな声が出ていた。
あれこそは神が生み出した至宝。まんまるに整ったフォルム、どこまでも転がる機動性、不規則に跳ねる予測のつかなさなどなど、どれをとっても極上のエンターテイメント。そのうえ質感も最の高。かぷっとくわえた時の達成感なんて、無上の喜びと言わずしてなんと表現できようか……!
「ふふ、銀一さん、ボール遊びがお気に入りですもんね」
「いっ、いえいえそんなことは! それにあのほら、今日はこのあと予定があるじゃないですか。ハルナさまにも同席していただくんですし、みんなと遊んでいる時間なんて」
「そーらぎんちち、とってこーい!」
「わっふわふーっ! かぷっ!」
……ええ、はい。ここまでやってしまった以上、変な言いわけはしませんよ。子犬の精神を受け継ぎしこのからだ、おさんぽとボール遊びには逆らえないようにできている。おひるねとおやつにも逆らえないけど、それはまた別の話である。
教室に転がされたテニスボール大のそれにかぶりつきながら、本能の怖さを思い知る。だってなあ……楽しいんですよこれ……追いかけるのもキャッチするのも、投げた人の手元に戻してあげるのも妙な快感があるんですよ……(すぐに放られた第二投をすばやく口で拾いながら)
「ほらほら、駄目ですよ。ボール遊びはお外で、です!」
「ごめんなさーい!」「だってさぎんちちー!」「おそとであそぼー?」
「ふが……ふがふかふ……(いや……でもしかし……)」
予定があるのは本当で、しかも大事な案件だ。それ以前に、子供に交じって遊ぶ三十代男性という図式はなかなかクるものがある。ボールをくわえてふがふが言ってる場合じゃないんだけど……けど……ちら……ちらり……
「ええと……そうですね! 私ももう少しだけ、学校の仕事が残っているんです。ですからそれが終わるまで、彼らのことを見ていてあげてくれませんか? そんなに長くはかかりませんし、予定に差し支えることはないと思いますから」
「ふがふがふふふが……ふがふふんふがふ……!(そういうことなら……しかたないですね……!)」
彼らはまだまだ子供なので、面倒を見てあげる大人が必要なのは道理。そういうことならこの犬めが、一肌脱いでさしあげましょう……!
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