17.森の最奥にて

 奥へ奥へと進むたび、森の様子が変わっていく。それも、よくない方向へ。

 台風が直撃したみたいになぎ倒された木々。隕石でも落ちてきたのかと思うくらいに陥没した地面。生臭く嫌なにおいがのたちこめる、濁って沼のようになってしまっている泉。

 案内の先にあったのは、そんな荒れ果てた土地だった。


「こんな……ひどい……」

「ひどいなー」「にげだしたときよりひどいなー」「とりかえしてもすめるかなー」


 バレットモールのみんなの声にも、いつもみたいな元気さがない。自分の住んでいた場所が、見る影もなくなっている。それを目の当たりにしてしまったのなら、そうなるのも当然だろう。


「でもあいつもいないー」「いまのうちー」「ぞんぶんにきろくしていくのだー」「もどってきたらあぶないからなー」「すぐにげろよー」


 そうだ、呆けてる場合じゃない。ここを取り戻すためにも、俺の役割を果たさないと。

 神様にもらったカメラを構えて、この惨状を収めていく。なにをバカなと思っていたけど、写真ほど説得力のある証拠はない。認めたくはないけど、あの神様はいつも、必要なものを俺に授けてくれるのだ。

 静かすぎる森の中、俺は撮影に専念していて。


「……あれ?」


 だから、気づけなかった。

 いつもにぎやかなバレットモールの気配が、すっかり消えてしまっていることに。


「みんな、どこ?」


 返事はない。嫌な予感がする。

 荷物をまとめて背負いなおす。ステータス画面を出し、『帰還』のスキルをセットしようとして。


「……帰るにしても、みんなの無事を確認してからだよな。例のモンスターが出たとしても『透過』があれば安全だろうし」


 いったんそれは保留して、ステータス画面を閉じる。荒れ果ててしまっているだけに、小柄な俺が身を隠すところはいくらでもある。最悪そこに逃げ込んで、それから戻れば大丈夫だろう。

 隠れ場所の当たりをつけながら、慎重に歩を進めていく。びゅう、と風が吹き抜けたとたん、まとわりつくのは獣の臭い。嫌な感じで……吐き気をもよおすような……これは、血の……?


 そう感じたとたん、俺はまっすぐに駆け出していた。

 そこにはほんの少しだけ、知っているにおいが混じっていたからだ。

 向かうのは真正面の奥、かろうじて森の体裁を保っていた場所。薄暗がりの中に、ちょこまかと動くちいさな影が見えたところで。


「くるなー!」「にげろー!」「うわー!」


 その影が、吹き飛ばされていった。

 一緒になぎ倒された木々の奥に、大きな大きな影が見えた。


 ぞくりと背中が震える。それは足へと伝わって、走る力を奪っていく。


「みんな、どうして! 調べに来るだけだったんだろ!?」

「いきてるなかまがいたー!」「たすけるからー!」「ぎんちちはもどれー!」「われわれもすぐににげるからー!」「きにするなー!」

「気にするなって、そんな……」


 声に力が入らない。遠くに見える獣の姿に、完全にビビってしまったから。


 大きな牙と角を持つ、たてがみを生やした巨大なイノシシ。その尋常じゃない大きさは、軽自動車くらいにも見える。

 文様が刻まれているみたいに、体を走る光の線。光を吸い込んでしまうみたいに、暗く濁った三つの瞳。


 俺の常識には存在しない、正真正銘の化け物だ。さっきのヘビとはワケがちがう、敵うはずのないものだ。

 夢中で暴れているそれは、離れた俺には気づいていない。俺にできることは、任された仕事は、戻ってこいつの存在を伝えることだけだ。

 でも、俺が逃げ出してしまったら。バレットモールのみんなはきっと、ここで。


 仲間は大事なんだと、みんなはそう言っていた。

 みんなは俺がバカをやっても、あきれずについてきてくれた。いまだって真っ先に、逃げろってそう言ってくれた。

 そんなみんなのことを、俺はもう、仲間なんだと思っているから。


「ふう……ふうう……っ!」


 大きく息を吸って吐く。まだ少し震えてるけど……大丈夫、動ける!


「わん……わんっ!!!!!!!」


 強く吠えながら駆け出す。全速力で走る俺を、化け物は意にも介さない。そりゃそうだ、こんな子犬が来たところで、なんの脅威にもならないんだから。それは俺が人間のままでも、きっと同じだったろう。

 だけど、ほんの少しの時間だけでも、邪魔だと思わせるくらいなら……!


「俺がこいつを引きつけるから! だから、逃げて!」


 叫びながら地面を蹴り、化け物の足へとしがみつく。岩山みたいなその体を、肩の辺りまでよじ登って……しっかり爪を突き立てながら、せいいっぱいの力で噛みつく!

 きっと化け物からすれば、なにかカユいな、くらいの刺激なんだろう。体を震わせただけで、簡単に俺は振り落とされてしまったけれど。


「がるる……! がる、わんっ! わんっ!」


 キャンキャン吠え立てる俺を、邪魔くさいと思ったんだろう。それは俺へと向き直り、前足で軽くなぎ払おうとして。


「……ブフ?」


 すか、と通り抜ける足に、不思議そうな声を出す。『透過』する俺を理解できず、ついには突進してくる始末。それも当然効果はなく、化け物はあさっての方向へと走り抜けていった。


「……よしっ! もういいだろ、みんな、逃げ」


 そんな化け物の姿を、振り向いて追ったのがいけなかった。


「ちがうー!」「しただー!」


 そんなみんなの声に、下を向いてしまったのもダメだった。


「そいつらもー!」「もぐるんだー!」


 ぐら、と地面が揺れた。どちらにせよ、それによろめいてしまった時点で負けだったんだろう。


「ブフオオオオオオオオオッ!!!!」


 荒々しい叫び声。真下から飛び出してきた、もう一匹の同じ化け物。

 ほんの少しでも動いてしまえば、透過のスキルは発動しない。その牙に突き上げられ、俺の体は冗談みたいに空を舞う。

 地面から顔だけを出し、ぱっくりと口を開けて待っているイノシシの化け物が見える。


 ――ああそうか、地面が陥没してたのは、こうやって狩りをするからか。考えてみれば、化け物だって一匹だけとは限らないよなあ。


 打ち上げられた痛みで、まともに考えることができない。待ち受けている絶望に、ぎゅっと強く目をつぶる。

 そんな、まぶたの裏に浮かぶのは、やっぱりいつものあの顔で。


(ごめん元宮、もういちど会いたかったけど、もう、ダメかも――)


 数秒後に襲いかかってくるであろう痛みに、体がぶるぶる震えるけれど――


「いやいや、ごめんごめん! ちょっと話し込んじゃってね、遅くなっちゃったよ!」


 ――襲ってきたのは予想外、脳天気な神様の声だった。

 おそるおそる目を開ける。天地が逆転した状態だけど、そこから落ちる気配はない。


 ……あ、そうか。絶体絶命のピンチ、スキル獲得のスロットだ。


「もしかして忘れてた? 大丈夫、どんな危機が訪れようと、君にはワンチャンあるからね。私はてっきり、それをあてにした捨て身特攻を選んだんだとばかり」

「そんな度胸ないです! って、あれ? 姿が見える?」


 ちょっと遠くに神様が見える。逆さまに浮かんでいるけれど、信用できないあの笑顔、間違いなく神様だ。


「やあやあ久しぶり。今日は録音なんかじゃなく、直接話をしにきたよ」

「……録音?」

「録音。誰がなんと言おうと、いままで君が聞いていた私の声はすべて録音だよ。それはさておき、例のスロットはお休みだ。代わりに君には、特別なスキルをピンポイントで授けてあげよう」

「……どうして? 今回は正真正銘、命が危ないからですか?」

「いままでスロットが回ったときも、すべて正真正銘の危機だったんだよ? 生きているのは神の祝福のおかげだね」

「あらためて言われると怖いな……少なくとも三回は死んでたってことでしょ……」

「特別待遇なのは、断れない筋から直接の依頼があったからでね。と言うわけでさっそく……これだ!」


 ぽんぽん! と目の前にふたつのアイコンが現れる。遠吠えをする犬と……翼の生えた天使……?


「そんなわけで、豪華にもふたつのスキルをお届けだ。群れを作り仲間を呼び出す『統率者の器』に、神の眷属の手を借りる『神の座よりの使者』。このふたつを組み合わせることで、君は神の使いを呼び出し、仲間にできるというわけさ! 本来ならEXランクのスキルを二度も自引きする必要のある、なかなかできない組み合わせなんだよ?」


 どやあ、と笑顔を向けてくる神様。なんだかすごいんだろうけど、まだちょっとよくわからない。スキルの内容はいいとしても、断れない筋からの依頼って……?


「それはすぐにわかると思うよ。というわけで、私の介入はここまで。無事にこの場を切り抜けることを祈ってるよ! グッバーイ!」

「しれっと心を読まないでくれませんかねえ!」


 その叫びをきっかけに、体に重力が戻ってくる。下には相変わらずな化け物、このまま落ちたらこいつの口の中なんですけど!?

 ばたばたと空中を泳ごうとしながら、なにも変わってないじゃないかと神様を恨んだ、その瞬間。




「ルゥウゥゥゥオォォォォォォン――――――――」




 歌声のように透き通る、大きな大きな鳴き声が、響いた。

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