11.ハルナの提案

 ……………………

 ………………

 …………

 ……っ!


「はっ! すみません寝てましたっ!?」


 がばっと体を起こしてみれば、窓の外はもう真っ暗。机の上、籠のベッドに俺の体も移動していて、毛布の周りには甘いにおいのする小袋がこれでもかと詰め込まれていた。


「……なにこれ」


 鼻を近づけ、慎重に中身をすんすんすん。クッキーとかドーナツとか……そういう焼き菓子のにおいだなこれ。すごく美味しそうだけど、いただいてしまってもいいものか……じゅるり……


「駄目です。もうすぐお夕飯なんですから、今日は我慢してくださいね」

「そんなに寝ちゃってましたか……なんだかすみません……」


 そんな声に顔を上げれば、ちょうど正面にハルナさま。なにやらたくさん紙を広げて、書き物をしていらっしゃる……?


「仕方がありませんよ。銀一さんの体は、かわいいかわいい子犬さんなんですから。よく食べて、よく運動して、よく眠る。あたりまえのことです」


 そうは言ってくれているけど、なぜだか俺を見ようとはしない。声にもなんだかトゲがあるし、あきれられてしまったかなあ。


「本当にもう……ぬいぐるみみたい、ふわふわの妖精さんみたいって、若い女の子たちにきゃあきゃあ言われて……そんなにたくさんお菓子ももらって、銀一さんは幸せですねえ」

「いえ、あの? いったいなにを言っているんですか?」

「銀一さんはかわいすぎると、そういう話をしているんです。なでなでしたい、抱っこしたいって、それはもう大人気だったんですよ? なんの抵抗もしないし、止めるのが大変だったんですから」

「ひとつも覚えがありませんけどっ!?」

「ですから!」


 ようやく顔を上げてくれたハルナさまだけど、その眉はしっかりとつり上げられていて……あっメガネだメガネ。知的美人って感じだこれはすごいぞ女神だぞ。


「銀一さんが眠っているあいだに、ここで村の人たちに現状を説明していたんです。そうしたら、これが噂の御使いさまか、本当に天使みたいだ、寝顔が尊すぎる、ふわふわかわいい持って帰りたい、推せる、などと、若い子たちが騒ぎ出して。起こさないようにとたしなめたら、せめて贈り物をと、みんながみんなこぞって籠に詰めはじめたんですよ。その結果がお菓子のベッドです」

「はあ……」

「なんなんですか、その気のない返事は!」

「いやあの……申し訳ないんですが……どうして俺は怒られているんですか……?」

「わからないんですか! だからっ」


 と、ひときわ声を荒げかけたところで。


「………………」


 ぴた、とハルナさまの表情が止まって。


「ああああっ、あのっ、あのあのあのっ、だからそれはっ、ええとっ」


 ぼう! と火がついてしまったみたいに、耳の先までまっかっか。違う違うとつぶやきながら、頬に手を当て首をぶんぶん。


 しばらくそう、もだえ続けていたハルナさまだけど。


「……銀一さんのかわいさをいちばん知っているのは私なのになあ、と、やきもちを焼いてしまいした……八つ当たりです……ごめんなさい……」


 うなだれながら、ぺこり、と俺に頭を下げる。いえ、あの、はい。ありがとうございます……そんなにも好きだったんですねポメラニアン……俺も人間の時は大好きでした……

 しかしガワがかわいいとしても、俺の中身は三十代男性。そんなふうに言われても、どうしていいのかわからない。わかるのは、このままだと気まずい沈黙が続いてしまうことだけだ。


「……食べましょうか、おかし。とっても美味しそうなにおいがしていますし」

「そう、ですね。この村の女の子たちは、みんなお料理が上手なんですよ」


 袋をふたつ手に持って、ハルナさまへと歩いていく。これぞ大人のテクニック、露骨に話題を変えることで、先の話には触れないとアピールしながら会話は続けるの術である。あっほんとだ、お店の味だぞこのクッキー。冷めてるのに香ばしくてサックサクやぞ。


「そういえば、村の人たちとの話し合いは終わったんですか? 畑はあのままで良いと?」

「これで解決に一歩近づいたと、逆に気を遣われてしまいました。その件なのですが……銀一さんに相談したいことがあるんです」


 お菓子の袋を脇に置いて、俺を見つめるハルナさま。おっとこれは真面目なお話、こちらも居住まいを正さなくては。しゃんと背筋を伸ばして……よし、われながら見事なおすわりだぞ。


「単刀直入に言いますね。しばらくこの村にとどまって、私たちに力を貸してはいただけませんか?」

「わん?」


 見事すぎて犬になりきってしまった。疑問符まで犬になってしまった。


「あ、いえ。ハルナさまにはたくさんのご恩がありますし、ぜひそうしたいところではあるのですが……まず、俺はただのポメラニアンです。いや、『ただの』かはちょっと怪しいですけど、基本的にはふつうの小型犬です。お役に立てることなんてありますか?」


 俺の疑問には答えず、うなずくだけのハルナさま。言いたいことは言ってくれと、そういうことなんだろう。


「あと、最初にお話ししたとおり、俺の目的は元宮を探すことです。どうやら神様は、この世界の色々なところにそのヒントを隠しているみたいで……ひとつのところに留まり続けるよりは、旅をしたほうがいいのではないかと、そんなことを思っています」

「わかりました。順番が逆になりますが、ふたつめの疑問からお答えしますね」


 言いながら、手元の紙を差し出してくれるハルナさま。なんだか手紙みたいだけど……だめだぜんぜん読める気がしない。神様が補助してくれたのは会話だけみたいだ。


「親交のある各地の領主に、こんなお願いをしようと思うんです。『私と似た顔の人を見つけたら知らせてほしい』と。元宮さんは、私そっくりな見た目をしているんですよね?」

「は、はい、それはもう。でも、領主って……その、地域を治めるえらいひと、ですよね?」

「こう見えて、けっこう顔は広いんですよ? みなさんに了承していただけたなら、主要な土地をほぼすべて補えるくらいには、です」


 なにそれすごい、ハルナさまちょう有名人。まあなあ……聖母だもんなあ……


「もちろん、これは私が勝手にやっていることで、銀一さんの行動をなんら縛るものではありません。それでも、やみくもに探し回るよりは効果が高いと思いますよ」

「ありがとうございます……こんないぬのために、そこまでしていただいて……」

「銀一さんのお気持ちは、私にもよくわかりますから……あっ、ええと、今のは聞かなかったことにしてくださいね?」


 ふふ、と大人の笑みを浮かべて、ないしょですよ、と口元に立てた指を当てる。ハルナさまにも想い人が……なにものだそのけしからん男は……! がるる……!


「この村にだって、元宮さんに繋がる情報があるかもしれませんし。なので、手掛かりが見つかるまではこの家にいてもらってかまいません。いえ、違いますね。よかったらこの家にいて、私の話し相手になってくれませんか? おばあちゃんはね、本当はほんのすこしだけ、ひとりがさみしかったんです」

「わかりました! 立派ないぬとして、恩返しができるようにつとめますね!」

「こちらこそ、よろしくお願いしますね」


 俺に笑いかけながら、首の後ろをわしわしなでなで。願ってもないその配慮、いつか必ず、きちんとご恩はお返ししますからね……!

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