10.ポメラニアン、とろける
「よかったんですか? それまでは畑に住んでていいし、食べものも用意するなんて約束してしまって」
「勝手に決めてしまったことは、村のみなさんに謝らなければいけませんね。この機会を逃してはいけないと、すこし焦ってしまっていたのかもしれません」
「みんなわかってくれますよ! 気ままに村を荒らされるより、はるかにいいはずですし!」
「ありがとうございます。銀一さんは優しいですねえ」
ぎゅうっと一回抱きしめたあと、俺を玄関に下ろすハルナさま。バレットモールとの話し合いを終えて、おうちに帰ってきたんだけれど。
「やっぱり銀一さん、見れば見るほど、どろんこですね。すみませんが、そこで待っていていただけますか? すぐにお風呂の準備をしますから」
「本当にすみません。俺を抱いていてくれたから、ハルナさまだって土だらけで」
「気にしないでください。農作業をしていればよくあることですから」
「じゃあ、せめてお風呂はハルナさまが先に」
「いえいえ、お客様が先ですよ」
「ただのいぬに気を遣わないでください。なんなら、庭先で水をビシャーでもかまいませんよ?」
「川で水に濡れたあと、倒れてしまったのは誰でしたっけ?」
「ぐっ……でも、一番風呂は納得できません。やっぱり先に入ってください」
「そうですか。なら……」
お座りポーズの俺の前にしゃがんで、視線を合わせるハルナさま。つん、と鼻をひと突きしたあと、にっこり満面の笑みを浮かべて。
「私と一緒に……入ります?」
「ひょうえっ!?」
「ふふ、冗談です。いくらおばあちゃんだからといって、そのくらいの分別はあります」
「びっくりさせないでください! 言ったでしょう、俺の中身は三十代男性なんですから。たとえ冗談でも、そういうのはだめです」
「顔が真っ赤ですよー? もう、銀一さんはえっちですねえ」
「いぬなんだから顔色変わらないでしょ!?」
「これも冗談です。それでは、お言葉に甘えて。お先に失礼しますね」
うわあおどろいた。やめてくださいよ彼女いない歴=年齢の俺にはきつすぎる冗談ですよ。ただでさえ元宮に似てるっていうのに、想像させるようなことを言うんじゃありませんよ。
跳ねる心臓を落ち着かせるため、お腹をぺったり地面につけてみる。とたんにリラックスするこのポーズ……そうかあ……これが伏せかあ……実家のような安心を感じるなあ……
そうしてまったり待つことしばし、扉が開く音がして。
「お待たせしました。部屋が汚れてしまいますから、抱っこして運んでも大丈夫でしょうか」
「そうですね、ご迷惑をおかけしま……」
そんな声に顔を上げれば。
「……? 急に黙ってしまって、どうしたんですか?」
タオルを手にした湯上がりのハルナさまは、長い銀髪をポニーテールのように頭の後ろでくくっていて。
着ているものは胸元の開いた、丈の短いタンクトップ。ほっそりとした腰回りを包んでいるのは、これまた丈の短い短い、ホットパンツのようなもの。
必然的に露出するのは、ほんのりと紅潮したきれいな手足だけではなく。
ちらりとのぞく、おへそが。
どっかんとおおきな。おおきなおおきなむねの、おむねのたにまが。
「もしかして、お風呂は苦手ですか? 大丈夫、優しく洗ってあげますからね」
かがんだんしゅんかんに、ぷるんぷるん、ばるん。もしかしなくてもこれはノーブ……ノー補整下着……
「……にゃーん」
「えっ……えっ? 銀一さん、銀一さん? どうして空中をじいっと見ているんですか?」
「はっ……! いえあの、すこし驚いてしまって! そんな服装もされるんですね!」
「濡れてしまってもいい服をと思ったんですが……どこか変でしたか?」
「いえいえ、とてもよく似合っています。でも、ほかの人の前ではその格好はしないでくださいね。自分はいぬだからかまいませんけど、約束ですよ?」
「はあ……よくわかりませんが、わかりました」
なんだこの無防備女神。これは飼い犬であるこの俺が
そんな女神に抱っこをされて、ほっかりとけむる浴室へ。石造の床に木の浴槽、田舎のおうちって感じだなあ。
「……って、この浴槽、どうなってるんですか? つなぎ目が見えませんけど、木でできているんですよね?」
「
「ほえええ……」
人間がふたり並んで足を伸ばしても余裕がありそうなサイズだけど、これが輪切りにした枝だったとは。さすがファンタジー世界、いろいろとスケールが違うなあ。
「桶にお湯を張るつもりだったんですが、浴槽に浸かりたいですか?」
「桶でお願いします!」
元気な返事にハルナさまもにっこり。いや別に、川に落ちたのがトラウマになっているとかではないですからね。足がつかないと不安だとかそういうのは一切ないですからね。
そうして彼女は浴槽に桶を入れ、よいしょとお湯を汲んでくれる。ほっかほかのお湯のにおい、なるほどこれはいい湯加減……って、あれ? よく見たらこの浴室、ただ浴槽が置いてあるだけだぞ? お湯を沸かす機構はどこ……?
そもそも機械、つまりは給湯器がないであろうこの世界。足下を燃やす五右衛門風呂か、外の薪ボイラーでお湯を沸かすくらいしか思いつかないし、そもそも浴槽が完全に木でしょ……燃えちゃわない……? まさか温泉が湧いてるとか……?
「このお風呂、仕組みはどうなっているんですか? そもそも、沸くまでがすごく早いですよね?」
「ごく一般的な魔石式ですよ?」
「ませき……とは……」
「あっ……銀一さんの世界にはないものなのですね。ええと……これです」
ざぶ、と浴槽に手を入れるハルナさま。お湯の中から引き出されたものは、ちいさなランタンのような、ぼうっと赤い光を放つ器具だった。
「魔力を貯め込む性質を持つこれらは、さまざまな自然の要素を秘めています。この中で光っているものは『火の要素』の魔石ですね」
「火……つまり熱を出すから、それでお湯を沸かす……みたいな……?」
「大正解です。本当に、銀一さんは賢いですねえ」
もふもふと頭をなでられながら、光る魔石をじいっと見る。つまりあれかな、直接湯船に入れるタイプの、簡易追い焚き機みたいなものかな。
「ほかにはお台所で使ったり、寒い夜にお部屋を暖めたり。『火の要素』を組み込んだ道具は、そういった使いかたが主流でしょうか。夜を明るく照らす『光の要素』、汚れた水をきれいにする『水の要素』など、魔石がなければ私たちの生活は成り立たないでしょうね」
「一般的とおっしゃっていましたが、魔石は簡単に手に入るものなんですか?」
「ものによりけり、でしょうか。地域ごとの産出量の違いや質の問題もありますが……今言ったようなものは、どのお家でも用意していると思いますよ」
言いながら俺を抱き上げて、ちゃぷん、とちいさな桶に漬ける。じんわりとした暖かさ、染み渡るような気持ちよさに、思考を放棄しそうになるけど。
「すみません、もうひとつだけ。それは半永久的に使えるものなんですかね?」
「魔力を使い切ってしまえば、いったんはそこで終わりです。ですが、魔力は自然界に満ちあふれていますから。ひと晩もゆっくり休めておけば、また使えるようになりますよ。破損しない限りは、ですけどね……ふふっ」
「……どうして笑ったんですか?」
「ふかふかの毛が水を吸って、溶けちゃったなあって。だいじょうぶ、溶けてしまった銀一さんも、とってもとってもかわいらしいです」
「この姿のおかげで退治されかけたんですけどね……」
お湯を吸って溶けラニアンな俺に、せっけんのような液体が降りかかる。
「それじゃあ、かゆいところがあったら言ってくださいねー」
ハルナさまの手がわしわし、俺の体をなでていく。ちょっと前屈みなその姿勢、りっぱなおむねが強調されて……いやいやよこしまなことを考えてはいけない、俺は犬……性欲などないただの犬……にゃーん……
そんなふうに、しばらく天国を味わいまして。
ぶおおおおー。ぶおおおおーん。気持ちのいい風がぶぶんぶーん。
……気持ちよすぎて知能が下がっている。なにかこう、知的なおはなしをしなければ。
「ええと、これは『火の要素』『風の要素』の合わせ技ですか?」
「そうですね。髪の毛を乾かすのにとっても便利です」
取っ手つきの筒を当てられると、わしゃわしゃと毛が乾いていく。つまりはコードレスなドライヤー、ものによっては機械より便利かもしれないなあ。
暖かな風を当てられながら、優しい手つきでなで回されることしばし。だめだ、まぶたがとろんとしてきた。まだお昼前なんだし、ここで寝るわけには……なにか会話を……
「色々な道具があるんですね……こういったものは、どなたが作られるんですか……?」
「
「それは……すごい……ですね……」
なるほどなあ……すごいなあ……すごい……とろ……むにゃ……
「……あらあら、ふふ」
……すやあ……
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