08.ポメラニアン、もぐらになる そのに

 そうして朝食を終えたあと、向かい合ってお茶を飲む。おっとこれは初めての味……紅茶みたいな風味だけど、ちょっと苦みが強いかな? 甘いもののあとにはいいなあ。


「銀一さん、かわいいお手々なのにティーカップも持てるんですねえ」

「自分でも驚いてます。スプーンだって持てましたし、どういう仕組みなんでしょうね」


 そういえば、きのう俺の説明書が降ってきたんだった。なにを言っているのかわからないけど、事実なんだからしょうがない。

 まあそれは、時間のあるときにゆっくり読み込むことにして。一宿一飯の恩義ではないけど、俺にもなにか、手伝えることがあるかもしれないし。


「バレットモールという、やや大型のモグラのような魔物がいるんです。おとなしい気性で、人の生活を荒らすことはめったにない子たちなんですが」


 いまはこの、村に起こった問題の話を聞くのが先決だ。


「魔物なのにおとなしいんですか? てっきり、どうもうなモンスターを指す言葉なんだとばかり」

「この場合の『魔』は災いの意味ではなく、『ふしぎな』とでも言いましょうか。魔力を糧とし、人間を含む動物とは異なる法則で生きているもの。私たちは、それを魔物と呼んでいます。危険な生物の総称というわけではないんですよ」

「納得しました。よく考えれば、動物にも危険なものはたくさんいますもんね」


 それよりも、さらっと出てきた魔力という言葉のほうが気になるんだけど。


「そのバレットモールが、夜中に村の畑を荒らすようになったんです。今はまだ西の端だけのようですが、日に日に範囲が広くなっていると、村のみなさんから報告がありました」


 これも今の説明通り、『ふしぎな』力のことなんだろう。この世界では、不思議=珍しい、の図式ではないみたいだ。


「彼らは作物を食べ荒らすだけではなく、移動のため、地面にたくさんの細く深い穴を開けてしまうんです。農地として利用できなくなるどころか、地盤が緩んだり、川の水を引き込んでしまったり、最悪の場合は陥没してしまうこともあって……」

「それは確かに一大事ですね。それじゃあ、村のみんなで退治に向かう……とか、そういう相談をされていたんですか?」

「このまま被害が広がってしまうなら、それもやむなしかもしれません。でも、彼らは賢く、警戒心がとても強いんです。姿を見せることはめったにありませんし、罠にかかったという話を聞いたこともありません」


 うーんなるほど厄介そう。似たような例はあったのかと聞くと、ハルナさまは首を振って。


「普段は森の奥を縄張りにしていて、そこから出てくることはありませんから。まれに迷い出てくる子もいるんですが、おどかすために臭いのきつい薬を撒けばすぐに離れていくんです。ですが、今回はそれも効果がなくて……」

「だったら、縄張り自体になにか問題が起こっているんですかね? 食べるものがなくなってしまったとか、住めなくなってしまったとか」

「銀一さんとこうしているみたいに、彼らともお話ができれば事情を聞いてみるんですけどね。まあ、会うこと自体が難しいんですけど」


 ティーカップを両手で包みながら、困ったようにそう笑う。表情から察するに、冗談のつもりで言ったんだろう。


 でも。


「それ、やってみましょうか?」

「え?」

「ほら、さっき黒ねこのお姉さんと話をしたと言ったじゃないですか。よくよく考えてみたら、あれはいぬとねこで通じ合ったわけではなく、祝福のおかげだと思うんです」


 あのとき俺が得たスキルは、意思疎通【会話】。これはつまり、種族の垣根を越えて会話ができるという、翻訳機のようなものなのでは?


「それにくわえて、今の俺は見ての通りのいぬです。なので、バレットモールをにおいで追跡できるかもしれません!」

「……におい、ですか?」

「胃袋は人間ですが、それ以外はいぬですので。現場を確認できれば、きっとお役に立てるんじゃあないかと!」


 これはスキルなんかじゃなく、犬の基本機能なんだろう。こう……なんだろう、言語化するのは難しいんだけど……今の俺は、とっても鼻が利くのである!


「では……もしかして、わたしの、においも……?」

「ばっちりです! 忘れようにも忘れられないくらい、しっかりと覚えています!」

「……銀一さんの、えっち」


 どうしてか胸をかき抱きながら、そっぽを向いてしまうハルナさま。なんだろ、変なことでも言っちゃったかな……



 言ったわ。変というか、変態だわ。



「あっいえ、そういうことではなく! この体になってから、感じかたがすこし変わったんですよね。感覚的になったというか、『こっちからは怖いにおい』『この人はせっかちなにおい』みたいな。もちろん『これはおいしいりんごのにおい』とかもわかるんですけど」

「……それじゃあ、わたしは?」

「うーん……『おうちのにおい』ですかね。安心の極みというか、ここに帰ってくるのが当然というか。ご迷惑かもしれませんが、そんなことを感じています」

「……そういうことでしたら、まあ。でもでも、いくら私がおばあちゃんだからといって、女性にそんな話をしてはいけませんよ? 失礼に当たりますから……ね?」


 めっ、と指を突き出すハルナさまだけど、すこし頬がゆるんでいる。よかった、誤解は解けたみたいだ。

 ……まあ、普通にいい匂いもするんだけど。せっかく丸く収まったんだし、そこは黙っておきましょうね。


「重々承知しました。というわけで、いちど畑に案内してもらってもかまいませんか? 話し合いで解決できるのなら、それに越したことはないと思いますし」

「それなら、今から行きましょうか。緊張感に欠けると言われるかもしれませんが、食後のお散歩もかねて、ということで。あくまでも、今日は確認をするだけですよ?」

「はい! よろしくお願いします!」


 そうして歩くこと20分ほど。村のはずれにあるという、広い畑に足を踏み入れると。


「なるほど……これはひどいですね」


 そこで栽培されていたのは、とうもろこしのような背の高い作物。本来なら整然と、それらが並び立っているはずなんだろう。

 でも、それらはもうめちゃめちゃに、崩れるように地面へと引き倒されていて。

 収穫間近だったであろう実は、猛獣にでも襲われたかのように食い散らかされていた。


「地面も穴ぼこだらけでしょう? こうなればもう、畑自体を諦めるしかないんです」

「思った以上だなあ……でも……すんすんすん……」


 掘り返された土のにおい、倒されてしまった茎のにおい、食い荒らされた実のにおい。そんな畑の色々が、濃厚に鼻を包んでいるけれど。


「……あっ、これだ、これです! わかります!」


 それらとは明らかに種類が違う、野性味あふれる濃いにおい。これは……「あせってるにおい」とかそんな感じかなあ……やっぱりなにか、バレットモールにも想定外が起こってる……?

 やわらかな土を踏みながら、においの元をたどってみる。それは畑を歩き回ったあと、地面に掘られたひとつの穴へと収束していって。


「ここから逃げたみたいですね……さすがに俺は入れない……鼻くらいなら……?」


 試しに鼻先をつっこんでみると、するりと頭が入る感触。あっそうか、ポメラニアンの体積の9割はもふもふの毛(俺調べ)。自分で思っているよりも、狭いところに入れるんだ。

 当然ここからは地下世界、光はほとんど差し込まず、真っ暗闇が広がるけれど。


「においがわかるからか、見えなくてもあまり怖くないです。ちょっとだけ探索してきますね」

「そんな、危ないですよ!」

「ほんのすこし、様子を見てくるだけです。すぐに戻ってきますから」

「あっ……! ほんとうに、本当にすぐ戻ってくるんですよ!」


 ……思えば俺は、すこしハイになっていたんだろう。遊び場に連れてきてもらって、はしゃいで走る子供と同じだ。

 ちいさな体が潜り込むのが、よく利く鼻が役に立つのが、どんどん楽しくなっていって――

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