ポメラニアン、村で暮らす

07.ポメラニアン、もぐらになる そのいち

 どうも、琴吹銀一です。もぐらです。

 まっくらな穴をかきわけかきわけ、ゆっくりながら進んでいく。土はしっとり湿っていて、もみじ饅頭みたいな子犬の手でも掘りやすい。


「銀一さーん! 無理をしないで戻ってきてくださいー!」


 ハルナさまの心配そうな声が聞こえる。それでも、簡単に諦めるわけにはいかない。ここに入れるのはちいさな体の俺だけで、入り口で覚えた獣の臭いは、まだ途切れてはいないからだ。

 いわく、ダックスフンドは穴を掘り進むことを生業とする猟犬であったと聞く。それならば、同じ犬であるポメラニアンでも似たようなことが可能なのでは……?


「わふっ……きゃわんっ!?」


 ……不可能でした。


 新たな一歩を踏み出したとたん、どさっと土が降りかかる。完全に見えなくなった視界、重くて動かない体。だめだこれ、あとちょっとでも崩れてきたら、待っているのは生き埋めだ。

 鼻を突き出し、なんとか呼吸をしながら、ことの発端を思いだす。どうして俺がこんなところに――魔物が畑に掘った穴、天然のダンジョンに足を踏み入れたのかというと――



 ※ ※ ※



「……と、いうわけで。畑への被害が、日に日に大きくなってるんですよ」

「彼らは縄張りを重視しますし、村にまで出てくることはほとんどなかったんですけどねえ……」


 心配そうなハルナさまの声に、重たいまぶたをこじ開ける。木造と石造を組み合わせたような、日本では見ない家のつくり。俺を包んでいる毛布と、俺そのものが入れられているちいさな籐籠。ふんわりとただよってくるのは、柑橘系のお菓子のにおい……?


「……あら? 銀一さん、目が覚めたんですか?」

「ギンチチさま! お目覚めですか!」


 優しい優しいハルナさまと、なにか変な勘違いをしている若者。そこまで情報が入ってきて、やっと事情を思い出す。


「……そうだった。俺は転生して、いぬになったんだ……」


 わふーん、とあくびをしてみれば、まっくろな鼻がちょこんと見える。手を上げてみればふさふさもふもふ、うん……犬だなあ……


 もうすこし周りを確認してみる。俺の寝床は机のすみに置かれていて、すぐ隣にはハルナさま。机を挟んでその向かいに、昨日出会ったうちのひとりが座っている。

 歳はといえば、二十代に入ったところだろうか。人なつこそうな笑みを浮かべた彼は、どうやら俺に話しかけられるのを待っているみたいだ。


「昨日は驚かせてしまったみたいで、すみませんでした。あらためまして、私は琴吹銀一といいます。いぬです」


 いくら年下に見えるとはいえ、ハルナさまの例もある。それ以前に、この世界の俺はポメラニアン一年生。右も左もわからないんだから、どんな相手にも謙虚に礼を尽くすべきだろう。


「ご丁寧に、ありがとうございます! コトブ・ギンチチさまですね!」

「違います。ことぶき・ぎんいち、です」

「……モトブシ・ギニチチ?」

「ことぶき! ぎんいち!」

「トブニ……ギンティ……?」

「原形を留めていない……」


 そんな俺たちのやりとりを、くすくすと眺めるハルナさま。やさしい笑顔を浮かべたまま、俺をひょいっと抱きかかえて。


「このあたりでは珍しい響きですからね。銀一さん、と呼べるのは、私だけなのかもしれません」


 言いながらお腹をもふもふ。どうしてだろう、とっても笑顔が輝いていらっしゃる。


「そういうことならしょうがないです。そもそも、ただのいぬの名前ですしね。ええと……」

「彼はトト。村の若手のまとめ役、ですかね」

「よろしくお願いしますね、ギンチさま!」


 ……まあいいや。シルバーおっぱいは脱したみたいだし。


「最近彼女ができたからか、気合いじゅうぶんなトトくんです。それはそうと銀一さん、お腹がすいてはいませんか?」

「あ……すみません、出直してきましょうか? 朝早くに来すぎでしたよね、おれ」

「いえいえ、早いうちに報告が欲しいと言っていたのは私のほうですから。ほかの場所の様子を見に行ってくれているみなさんも、じきに集まってくるでしょうし」

「おれたちの村の問題なのに、いつも頼ってしまってすみません」

「ふふ、いいんですよ。この村のみなさんは、みんな私の孫みたいなものなんですから。おばあちゃんに任せなさい、です」


 ぷにぷにと肉球を揉みながら、にっこりほほえむハルナさま。その笑顔はまさに聖母、だめだ赤ちゃんになる……ばぶー……


「……はっ、あぶないあぶない。ええと、なにかこれから集まりがあるんですよね? それなら邪魔になるでしょうし、俺はここから出ていきますから」


 その提案をしたとたん、ハルナさまの表情がくもる。おっとしまった、今のは言葉が足りていないぞ。


「朝食はありがたくいただきますが、食前の運動がてら軽くおさんぽをしてこようかと。この世界のことも知りたいですし、ちょっとした探検をかねてのことです」

「そういうことなら……でも、あまり遠くへは行かないでくださいね。もしもこれが方便で、こっそりと村から出て行くつもりなら……」


 体を折り曲げ、俺を全身で包み込むような姿勢になったハルナさまは、犬の耳にくちびるをよせて。


「どんな手段を使ってでも、追いかけて反省させますから……ね?」

「ひえっ」


 こっわ思わず声が出たこっわ! だいじょうぶです、そんなつもりは毛ほどもないです!


「もしも困ったことがあったら、遠慮なく私の名前を出してください。この村のみなさんなら、きっと力になってくれるはずですから」


 言いながら、俺を床に下ろしてくれるハルナさま。いつの間に動いていたのか、トトくんはドアノブに手をかけて待っている。なるほどこれが絶対強者かのじょもちの気づかいかあ。


「それではギンチさま、お気をつけて!」

「ありがとうございます!」


 わっふ! と元気に返事をして、ハルナさまのおうちを出ると。


「おお……なるほど……」


 目の前に広がっているのは、牧歌的な農村の風景だった。

 高い空を悠々と飛ぶ鳥たち、広い草地でのんびりとすごす馬や牛。道や水路、家屋を作っているのは木材やレンガなんかだけ。電信柱や機械のような、いわゆる現代文明の人工物はどこにも見当たらない。


「家の見た目も完全にRPGのアレだなあ。引き出しとか壺の中に薬草入ってそうな……」


 とはいえ盗みをはたらく気はなく。気持ちのいい朝の風を浴びながら、ぽってぽってと歩いてみる。早いうちに犬の視点・犬の歩幅に慣れておかないと、これから苦労するだろうし。


「ふんふんふん……辺境の村って言ってたけど、思ったよりも人がいるなあ。子供だってたくさんいるし、みんな生き生き仕事してるし。不便なことも多いだろうけど、ちょっと憧れの生活かも……あれ?」


 そう。不便と言えば、なんだけど。

 思い返せば昨日の夜、ハルナさまの家は違和感なく明るかった。食事もすぐに温めてくれたけど、蛍光灯や電子レンジがこの世界にあるとも思えない。


「俺の体もブローしたみたいに乾いてたっけ。強火の遠火であぶった……うーん」

「まったく、なにをブツブツと。うるさい子だねえ」

「あっ! すみません、口に出してしまっていましたか!」


 そんなふうな声が聞こえて、謝りながら声の主を見る。すこししわがれたその声は、女性のものに聞こえたけれ……ど……


「なんだい、ジロジロとこっちを見て。そういうアンタは……毛の色からして熊の子かい?」

「いいえ、いぬの子なんですけど……そういうお姉さんは、ねこですね?」


 返事の代わりににゃあんとひと鳴き。目の前にいるこのかたは、気品のある黒猫さんですね。


「ふぅん、あんたが犬かい。ここらでは見ない種族だけど、私たちの言葉が通じるんだねえ」

「自分もびっくりしてます。通じるんですねえ」

「だからと言って、村を荒らしに来たんなら容赦はしないよ。私はここの番を任されてるんだ、あんたも野生の獣なら、食べ物は村の外で探しな」


 考えながら歩いているうちに、倉庫のようなところに来てしまっていたらしい。そういえば、農家ではネズミ避けに猫を飼ったりするんだっけ。


「さっさと行きな。それともなんだい、痛い目を見たいのかい?」

「いえいえそうではなく。私はハルナさまのおうちにご厄介になっているいぬでして。このあたりのことはなにも知りませんし、すこしお話を聞けたらなと。お忙しいですかね?」

「ああ、そういうことかい! それならそうと早く言えばいいんだよ!」


 秒で軟化したこの態度、ハルナさまの雷名は猫の業界にも轟いている……!


「あれは私たち猫も分け隔てせずにかわいがってくれてねえ。この間なんて、迷子になった子供をずぶ濡れになってまで探してくれて、そのあと飼い主まで見つけてくれたんだよ! ほかにもねえ、私がちいさかったころの話なんだけどねえ」


 止まらないマシンガントークに、時々混じる甘え声。さてはこのお姉さん、ハルナさまのことが大好きだな? 俺もかなり好きですけど?

 と、最初はほほえましく話を聞いていたんだけど。


「……とまあ、こんなところかね。ああそうだ、こんなこともあったっけね」

「えっと、すみません! そろそろ帰らないと心配されそうなので、お話はまた!」


 礼儀知らずは承知のうえで、頭を下げてダッシュで逃げる。たぶんこれ、軽く一時間は拘束されてたぞ……!


「わっふふ……わふふ……!」


 みじかい足で全力ダッシュ、もと来た道を駆け戻る。案の定、家の前ではハルナさまが、心配そうに俺を待ってくれていた。


「ただいま戻りました! すみません、遅くなってしまって!」

「ああ、よかった。なにかよくないことでもあったのかと、いやな想像をしてしまって」


 足の裏の汚れも気にせず、俺を抱き上げてくれるハルナさま。心配したんですよーと、鼻をツンツンくすぐられてしまう。


「ほんの十分で戻るつもりだったんですが、話し好きのお姉さんにつかまってしまいまして……」

「はなしずきの おねえさん?」


 俺の言葉を聞いたとたん。すん、と表情が抜け落ちる。あの、どうして目からハイライトが消え去っているんですか? それは闇堕ちしてるひとの顔ですよ?


「……倉庫? にいた黒ねこのお姉さんです。ハルナさまのお名前を出したとたん、お話が止まらなくなってしまって」

「……あ、ああ! そういうことですよね! あの子は野良猫なんですけど、とっても賢いんですよ? 銀一さんの面倒も見てあげないとって、そう思ってくれたんでしょうね」


 ……よかった、いつものハルナさまだ。なんだったのいまの……


「ふふ、それじゃあ、朝ご飯にしましょうか。私ももう、お腹ぺこぺこです」

「待っていてくださったんですか!?」

「私がそうしたかっただけですから。それに、村のみなさんとのお話もありましたし」

「問題は解決しそうなんですか?」

「食べてからのお話にしましょうか。銀一さん、甘いジャムはお好きですか?」

「はい! 甘党なので!」

「元気なお返事で嬉しいです。お客様用にと思っていた、とっておきのものを用意しますね」


 そうと話を聞いたとたん、犬の鼻が『おいしいにおい』をキャッチする。すんすんすん……起き抜けに嗅いだ柑橘系のにおいはこれかあ。なんだか高級な……そんな気配もする……!

 犬にはもったいない気がするけど、せっかくなのでいただきましょうね。お断りするのも失礼ですし。わふわふ!

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