06.元宮桜子というひと

「……眠っちゃった、かあ。そうだよね、きっと大冒険だったもんね」


 胸の中でくぅくぅ眠る、かわいいかわいいちっちゃなワンちゃん。ふかふかの体をひとなでして、籠のベッドに寝かせてあげる。


「ふふ、かーわいい。なんでだろ、寝顔は琴吹くんにそっくりだなあ。授業中に居眠りとか、得意技だったもんね」


 そんなことを思ってしまえば、感情がどっと押し寄せてくる。万一があってはいけないと、居間から離れた浴室へと移動。きっちりとドアを閉めて、誰もいないのを確認して。


「~~~~~っ、はああああああああああああ~~~~~~~~~~~!!!!」


 発するのはクソデカため息。ずっとずっと被りつづけた『ハルナさま』という猫を、力いっぱいブン投げて、ごろんと床に寝転がり。


「なんなのなんなのすっごい、すっごい嬉しいんだけど! 琴吹くんに、琴吹くんに会えた、会えたよう! それも私に会うためだけ、告白するためだけに、なにもかもを乗り越えてだよ! っはーヤバい顔熱い、いまぜったいブサイクになってる誰にも見せられないでもニヤけるの止まらない嬉しい嬉しい嬉しいーったあっ!?」


 ごいん、と頭を浴槽にぶつけて、けっこうな痛さが襲いかかる。えへへえ……いたいなあ……うふふ……


「姿もすこし変わってるのに、わたしってすぐに気づいてくれたぁ! わたしもすぐに気づきましたけどね! でもそうと悟らせない演技力! 誰か褒めて! ほめてください! あーもう、もう! もうもうもう! やだちょっと涙出てきたやだー!」


 感情のままに足をばたばた、桶が蹴られて吹っ飛んでいく。


「というかアレよ、どさくさまぎれに『銀一さん』って名前で呼んじゃったよグフフ……嫌がってもなかったし、これからもそう呼んでいいよね……フヒ……」


 じゅる、とよだれがこぼれ落ちる。おっとっと、それはさすがにいけない。何百年を生きたとはいえ、心はまだまだ乙女なんだから。


 そう、何百年。長い長い月日を、わたしは――元宮桜子は、この世界で過ごしている。

 ことのはじまりは、あの日。飛び出す子犬を見つけて、思わず駆け出してしまった、あの夜。死んだな、と思ったら、目の前に神を名乗る人がいて。


「それじゃあ……わたしたちはみんな、あの事故で……?」

「残念ながら、ね。とはいえ君たちは運がいい。ちょっとした救済措置があるんだけ」

「やりますっ!!!」

「すごい決断力だね! そういう人、嫌いじゃないなあ」

「とはいえ……恋愛に関してだけはこれを発揮できなかったんですけどね……ぐすん……」


 と、その提案に秒で飛び乗り。


「あの事故で亡くなった君たちみんなに、第二の生活を用意してあげよう。ただまあ……生命に手を加えるのは、神といえども色々縛りがきつくてね。ペナルティ抜きだと関係各所に怒られちゃうんだ」

「神様にも色々あるんですねえ。じゃあ、わたしにも死ぬほどの苦行が? 大丈夫です! 琴吹くんにもういちど会えるなら、余裕で耐える自信はあります!」

「まず、君が転生する時代は彼とは別、何百年か前の時代だ」

「それ、再会の前に死んじゃいません?」

「そこは神の祝福として『死なない』力を与えよう。だから、ひとつめの呪いは、その時までをひとりで過ごすこと。もちろん、再会のタイミングはこちらからは教えられないからね」

「ひとつめ……だったら、ほかにも?」

「もうひとつの呪いは『自分が元宮桜子だと、誰にも知られてはいけないこと』だよ。彼に出会えたとしても、君は名乗ることができないんだ」


 そう、ちょっと脅されもしたけれど。


「……なるほどなるほど。なんの問題もないですね」

「マジで? ええと、驚きすぎて言葉遣いが変になっちゃったんだけど、私」

「本当なら死んじゃって終わりなんだし、贅沢は言ってられませんよ。過去のわたしをきれいな思い出にしつつ、次のわたしと琴吹くんが恋愛すればいいんですから。転生って言うくらいだし、外見の変更は可能ですよね? ちょっと盛り盛りのキャラクリしてもいいですよね? 具体的にはこう……むね……胸をもうすこしですね……年齢も若い感じに……」


 むしろビッグチャンスでしたよね、ええ。


「あと、これは銀一くんに絡んでくる問題なんだけどね。彼の体は損傷が激しくて、そのままじゃあ戻せない。代わりの体に魂を移そうかと思っているんだけど」

「……具体的には?」

「君たちがかばったけども助けられなかった、ブラック&タンのポメラニアンに」

「なにそれかわいい!!! それでお願いします!!!!」

「…………ものすごくヤバい人材を発掘してしまった気がするなあ!」


 みたいなやりとりの結果、私はこの世界に転生した。


 頼れる人のひとりもいない、物語みたいなファンタジーの世界。それでも生きてこられたのは、今日という日がいつか来る、それをずっと信じていたから。


 そして、それは報われた。報われたんだ、その日が、やっと、来たんだ!


「あーもうだめ、耐えられない好き。琴吹くん好き好き好き好きすきすきすき」すきすきすきしゅきしゅきしゅきだいしゅきもうらめしゅきしゅきしゅきしゅぎりゅうーーーーー!!!!


「……っはぁ、だめだ危ない人だコレ。落ち着いて……落ち着きましょう、ふう。だいじょうぶ、私はいつもどおり、村の頼れる相談役、静かで落ち着いたハルナさんです」


 さすがにマズいと思ったので、脱ぎ捨てた皮をかぶりなおす。

 『桜』子だから『春』ナ。名字はそのままもらって『コトブキ』。この世界で生きていくため、わたしが私に付けた名前。それはそのまま、感情を切り替えるためのスイッチだ。


「まったく、名前もこれだけ似てるんだから、もうすこし疑ってくれてもいいんですけどねえ。まあ、そうなると困るのは私のほうなんだけど……というか何百年も前のわたし、好きな男の子の名字を名乗るとか大胆すぎません……? これはもう籍を入れたと言っても過言ではないのでは……!?」


 ダメだ切り替えられてない。やーばいドキドキが収まりきらない。心臓どっくんばっくんしてて、今日は眠れそうになーい! ほぼ確信していたとはいえ、両想いだったことも確定。わたしはいま、とってもとってもしあわせです!


 ……とはいえ、問題だって山積み。ずっと琴吹くんをだまし続けなければいけないこと。彼をちいさな犬の姿にしてしまったこと。わたしを探したいであろう彼と、どうやって一緒にいるのかということ。


 そんないろいろを考えたら、すこしだけ気は重いけど。


「今日は、きょうだけは……うっふふー!!!!」


 そのままわたしは眠ろうともせず、夜明け前まで浴室の床を転がり続けた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る