05.ハルナ=コトブキというひと
「ん~~♪ ふふ~ん、ららるらら~♪」
歌声が聞こえる。高校時代に何度も何度も聞かされた、作詞作曲・元宮桜子の、よくわからない鼻歌だ。いまだに夢に出てくるんだよなあ、これ。
「ららりらら~♪ あなたは~、ふふふーん♪」
とはいえ出てくるのは久々……いや、これは夢じゃない……? 耳のそばから聞こえるこれは、隣で誰かが歌う声……?
目を開ける。楽しそうに歌っていた、元宮の動きがぴたりと止まる。恥ずかしそうに目をそらしながら、ばつの悪そうな顔をして。
「……う、うるさかったですよね! ごめんなさい……」
「ごめん、なんか夢を見てて……ええと、ここは? 俺はいったい……?」
「ここは私の家で、倒れてしまったあなたを運んできたんです。そんなにちいさな体ですし、体が冷え切ってしまったのでしょうね。寝床によさそうなものが籐籠しか用意できなくて、本当にすみません」
「ちいさな……冷え……? あ、ああっ!」
ようやく頭がはっきりしてきて、色々なことを思い出す。俺はポメラニアンになって、川に落ちて、喋れるようになって。
「あわてなくても大丈夫ですよ。外はもう真っ暗ですし、ゆっくりとここで休んでいってくださいね」
元宮そっくりなこの人に、出会ったんだ。
改めて、じいっと彼女の姿を見る。偶然とは思えないほど、よく似た顔立ちをしているけれど。
日本人では持ち得ない、銀色の髪と緑の瞳。透き通るような白い肌は民族風――ディアンドルのような衣装に包まれていて、胸元はその布地を豊かに押し上げている。元宮のそこはぺったんこ、別人なんだと言われてみたら、確かにその通りなんだろう。
加えてそこに、そう判断せざるを得ない、ダメ押しの材料がもうひとつ。
「え、ええと……? どうしたんですか? 私になにか、おかしなところがありますか?」
目の前にいる彼女は、どう見ても十代後半にしか見えない。アラサーの俺たちとは年齢が合わないし、なんならさっきの若者たちより年下にも思える。彼らの態度からして、落ち着いた大人の女性を想像していたんだけど……そうだ、なによりも性格が違うよなあ。元宮はもっとやかまし……にぎやかな子だったし。
「うう……そんなにジロジロ見ないでください……」
「はっ! す、すみませんごめんなさい! あのそのあの、先ほど申し上げた通り、知り合いにとてもよく似ていたもので! いまも寝ぼけていたみたいで、失礼しました!」
ぺこー! と全力土下座スタイル。敷き詰められていたふかふかの毛布に、これでもかと額を擦りつける。
「顔を上げてください。すこし驚いてしまっただけで、嫌なわけではありませんから」
そのまま頭をなでられて、へにゃりと力が抜けていく。あったかボイスに優しい手つき、人気があるのもうなずけるなあ。
「あらためまして、自己紹介を。私の名前はハルナ=コトブキ。この村の住人ではないのですが、縁あって数年ほど滞在させてもらっています」
「えっと、琴吹銀一です。いぬです」
「ふふ、それは見ればわかりますよ。ふかふかでかわいらしい子犬さんですねえ」
ひょいっと両手で抱き上げられて、赤ちゃんみたいにたかいたかい。毛並みはすっかりもふもふつやつや。乾かしてくれただけでなく、ブラッシングまでしてもらったみたいだ。
しばらくそのまま、もふもふなでなで。ひとしきりそれが終わったあとで、彼女は俺を、ふっくらとした胸元へと導こうとするけれど。
「……すみません嘘をつきました。中身は三十代男性なので、そういうのはちょっと」
「まあ、そうなのですか? それはまた、不思議なこともあるものですねえ」
ハルナさまはまったく動じず、胸元に抱いてもふもふもぎゅー。ぽよん、と刺激的な柔らかさに、顔がかあっと熱くなる。
「それを言ったら、私はこう見えても、数百歳のおばあちゃんなんですよ? だから、あなたなんて赤ちゃんみたいなものなのです。はあ……ふかふか、もふもふ……」
「……はあっ!?」
え? ちょっと待って? どういうこと? この人が? おばあちゃん?
「私に与えられた『
「御使い、というものですか? 祝福とは、魔法や奇跡のようなもの?」
「銀一さんもそうなのでしょう? 神に認められ、祝福を受けられたのでは?」
「ええと……話せば長くなりそうなのですが……」
ハルナさまの体温を感じながら、これまでの経緯を説明する。自分でも信じられないような話だけど、彼女は疑うこともなく、真剣な顔を向けてくれていて。
「……なるほど。まったく別の世界で亡くなられたあなたは、子犬としてこの世界に遣わされた、と。こうしてお話しできること自体が、祝福のひとつなのですね」
「信じていただけるんですか?」
「本当にまれな話ですが、似たような例は確かに存在しますから。私の姓である『コトブキ』も、祖先が祝いごとの際に異界から来た御使いより授けられたものだとか。彼らの故郷では絵柄でそれを表すこともできて、たしかこんなふうな……ご存じですか?」
細く長い指を踊らせて、空中に文字を描くハルナさま。その軌跡をたどってみれば『寿』という見慣れた漢字だ。
「それに、想いを告げるために世界すらも飛び越えるなんて。年甲斐もないとは思いますが、すこし憧れてしまいます。桜子さんというかたは、とても幸せものですね」
「そうだといいんですけどね。迷惑なだけなんじゃないかと、そんなことも考えてしまって」
「そんなことはありませんよ。彼女もきっと、銀一さんに会えるのを心待ちにしています。そっくりな私がそう思うんだから間違いないです、ね?」
「ありがとうございます。とはいえまあ、会えたとしてもこんな姿なんですけど」
「神様のなされたことですし、お考えがあるのだとは思いますが……動物の姿に変えられてしまった、と言う話は、ほかに聞いたことはありませんね」
「この姿は『
「ふふ、正解です。銀一さんは賢いですねえ」
よしよしと頭を撫でられたあと、もふもふぎゅーぎゅーぽよんぽよん。これはだめだ、どうにかここから抜け出さないと、そのうち赤ちゃんになってしまう。
「だ、だったら、ハルナさまの被呪って」
「すみません、それは誰にもお話しできないんです。被呪は祝福の代償となる、命よりも優先して守らなければならない神との契約。禁を破れば祝福を失うどころか、この世界に神の怒りが降り注いでしまう、それほどまでに重大なものなんです」
「お、おう……?」
思いもしていなかった言葉の重さに、素のままで返事をしてしまう。やっぱりあの神様、ひとつも信用できないな? そんな契約、俺はした覚えがないぞ?
「とはいえ、銀一さんのそれは破ること自体が不可能でしょうし。私だって、何百年も元気に生活していますからね、なにも心配することはないと思いますよ」
と、声は変わらず明るいんだけれど。
「だいじょうぶです! ハルナさまにもほかの御使いさまにも、被呪のことはもう聞きませんから!」
この話はここまで。ほんのすこし、笑顔が曇っているのに気づいてしまったから。
「……ありがとうございます。銀一さんはほんとうに、賢くて優しいかたですね」
「いえいえ、ただのいぬです。そんないぬに、色々と教えていただいてありがとうございました」
「困っているときはおたがいさまですよ。そうそう、銀一さんにはもうひとつ、困っていることがあるのではないですか?」
胸元から籠のベッドに戻された俺に、いたずらっぽく微笑みかけるハルナさま。なんの話なんだろうと、聞いてみようとしたところで。
ぐうぎゅるるるどうぅん!!!
……お腹が鳴った。それもこう、爆発するようなすごい感じで。
「ふふ、すぐになにか用意しますね。けれどお食事は、どういったものを?」
「どうなんでしょう……気持ちはにんげんなんですけど……しくみはいぬだと思いますし……」
ネギ類を筆頭に、犬が口にしてはいけない食べ物は多くあったはず。人のつもりで色々食べて、知らない間にデッドエンド、それはさすがに間抜けがすぎるぞ?
思わず腕を組みながら、うーんと悩むことしばし。
『ててーん! 【フレンドをひとり作ろう】の、達成報酬を贈るよ!』
思考をたたき割るみたいに、脈絡なく降る神様の声。そのすぐあとに、なにもない空間から一冊の本が落ちてきた。
『ミッションは様々なところに隠されているからね! たくさん実績を解除して、素敵な報酬をゲットしよう! ちなみに今のは銅トロフィーだよ!』
「思った以上に人の生活をゲームにしてますねえ!」
「あの、いまのは、もしかして」
「神様っぽいですね。普通に介入してくるんですよ、あの人」
「はあ……はあ……?」
ぽかぁん、と、驚いてしまっているハルナさま。えっなに俺だけ? 俺だけがこんな感じで神様に遊ばれてるの?
「とはいえ報酬みたいですし、なにか便利なものなんだと……って、ええ……」
表紙の文字を見てドン引きする。パンフ程度の薄さなそれは。
「『琴吹銀一の説明書・基礎編』……? 銀一さんの、説明書……?」
「みたいですね……ええと……あ、普通に持てるしページもめくれる」
どういう仕組みになっているのか、犬の手なのに器用に動く。苦もなくノートを拾って開けば、図鑑のように描かれた、大きなポメラニアンの絵があって。
――――――――――――――――――
・【銀一マウス/人の言葉をしゃべるぞ!】
・【銀一アイ/特に便利な機能はないぞ!】
・【銀一ハンド/人間と同じ動きができるぞ! これぞ神の恩寵だ!】
――――――――――――――――――
「……あの神様、ばかなんですかね?」
「でもでも、お腹のところを見てください。人と同じものを食べられると、ここにはそう書かれています!」
「必要な情報なのが腹立つなあ……」
神様がくれたものなんだし、まさか嘘は書かれていないだろう。なんだか腑には落ちないけれど、問題はこれで解決だ。
「詳しく読むのはまたにしましょう? お昼の残りを暖めますから、そこで待っていてくださいね」
そうしてハルナさまは部屋の奥、炊事場のような場所へと向かい、すぐに戻ってきてくれた。出されたものは野菜たっぷりのクリームシチュー。見慣れない野菜はあったものの、味はほとんど俺の知っているシチューと同じ。夢中になって平らげて、あっというまに満腹になって。
「あらあら。そうですね、今日はとっても疲れましたものね」
「いえ……そんなこと……」
まぶたが重い。我ながら情けないけれど、もはや一歩も動けない。
「すみません……明日には出て行きますから、今日はここで……」
「ふふ、おやすみなさい。なにも心配せずに、ゆっくり眠ってくださいね」
抱き上げられ、ハルナさまの胸元に収まってしまえばもうだめ。柔らかな匂いに包まれたとたん、意識がすうっと途切れていって――
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