第5話 英雄は遅れてやってくる


 朝焼けに染まる森の中、大小二つの影が揺れ動いていた。一つは背の丈が二メートルを越える大男、黒で統一した鎧で身を包み、後ろには足下まで届きそうな大剣を背負っている。

 

 そしてその背中を追いかける少女は黒いローブを纏い、丸メガネを掛け、とんがり帽子を被っている。暫く歩いていると、少女が大男に話しかける。


 

 「パパ、森に動物達が全然いないね?」


 

 大男が振り返り、頷いた。


 

 「ああ、…森の様子がおかしい、マーシャ、俺の傍を離れるな」


 

 大男と少女は、親子で冒険者パーティーを組んでいる。帝都では有名なSランクパーティーだ。

 そんな二人がいる場所は、神霊しんれい山と呼ばれている標高4000メートルを越える高山こうざんを中心に広がる森の中。


 高山を取り囲む山脈には凶悪な魔獣が生息しているが、二人のいる麓の森は、豊富な緑や資源があるため、普段なら沢山の動物達が生息している。

 

 その為、度々依頼を受けてこの場所を訪れていた二人は森の様子に違和感を感じていた。


 娘のマーシャは16歳。昨年、帝都でも有名なシリウス魔法学園を次席で卒業し、Sランク冒険者である父親のガルドと白龍のつるぎという名でパーティーを組んだ。


 父親のガルドは轟炎のガルドという二つ名を持ち、帝都で5本の指に入る程、熟練の剣豪だ。そんな父親が警戒心を強めたことで、マーシャも肩に力が入る。


 マーシャも父親には及ばないが、上位スキルをいくつも納めた魔法使いだ。Bランクの魔獣位なら一人でも倒せる。更には回復やサポートまでこなす万能型だ。

 今回の依頼は、Sランクパーティーであるガルド達には簡単な、角兎ホーンラビットの群れの討伐というものだった。


 角兎はDランクの魔獣。だが群れで行動するとかなり厄介になる為、クエスト自体の難易度はAランクであるが、何一つ問題はないと思っていた。


 しかしマーシャは今回、言葉に出来ない不安を抱えていた。


 

 依頼の場所に到達したガルドとマーシャ。


 

 向かっている途中で気付いていた。ただならぬ気配と、異臭に。

 二人は息と足音を殺し、木々の影を隠れ蓑にして、慎重に目的地へ足を踏み入れる。



 「………なんだ、これは」


 「…ひっ」



 ガルドが目の前に広がる光景に目を見開く。マーシャは涙目になり、遅いくる恐怖に声を漏らす。





 そこには、おびただしい数の角兎の死骸が転がっていた。



 目玉を抜かれ、内蔵と骨を剥き出しにし、胴体と頭がバラバラになって転がり、潰れ、裂かれた死骸は、ただただ一方的に蹂躙された様子を物語っていた。




 そして、その大殺戮を演出した二匹の獣が、角兎の死骸を弄ぶように、踏みつけにして闊歩かっぽしていた。




 「…マーシャ、最悪の事態だ。…防壁魔法を限界まで張って、全力で逃げろ」


 

 「ぱ、パパ…な…に、あれ?」


 

 「………魔喰いの双獣―――崩壊のハティルと暴食のアリア………S+ランクの二つ名持ちだ」


 

 その名を帝都の古い戦士で知らない者は居なかった。

 

 

 かつて、とある野心を持った大貴族が、先々代の皇帝を欺き、聖域に眠る秘宝を手に入れるために、Sランク3人を含むAランク以下を合わせて30人を越える大規模な傭兵パーティーを魔の森へと進行させた。


 

 その結果、誰一人、山脈を越えることすら出来ずに、還ってきたのはBランクの傭兵ただ一人。

その傭兵も片腕を失い、自我が崩壊していた。


 

 門の前で問い詰める帝国兵に対し、ただ虚ろな表情で、譫言うわごとのようにぶつぶつと呟いて、事切れた。


 

 『――二匹の獣が死を持ってやって来た。全部、壊れた。全員、喰われた。

 

 聖域なんて罪深い人間の妄想だ…、彼処あそこにあるのは何処まで行っても果てのない暗闇だけだ』



 当時、少年だったガルドはその光景を鮮明に覚えている。屈強な傭兵があれ程壊れる様を見たのは、後にも先にもあの時だけだった。


 

 後に見つかった伝記から、その名が明かされた。だが実際に見たものはもう居ない。ガルドにとっては小さい頃に聞いたお伽噺のような物だった。


 

 そんな古の怪物が、目の前に存在している。二メートルを越えるガルドが遥かに見上げる二対の獣。

 

 

 狼のような姿形に、切り裂いたような八つの鋭い眼。刃物のような、どす黒い毛皮が全身を包み、それを鮮血が染め上げる。

 口からはのこぎりのような疎らな牙が剥き出し、6本の足には一メートル程の鋭利な爪がびっしり生えている。

 分かる違いは、額に延びる禍々しい角が一本か二本か…。



 目に見えて分かる異形。



 ガルドは恐怖を押し殺し、愛する娘だけでも生きて帰れるよう、神に祈った。


 それを嘲嗤あざわらうように、暴食のアリアと視線がぶつかる。




 「っ!!!マーシャ!!走れぇえええ!!」




 この化け物達からは逃げられない。一秒でも長く足止めする事だけを考えて、ガルドは大剣を構える。



 

 「し、障壁!鉄壁!防壁!混合魔法…金城鉄壁!!

ひゅッ、脚力強化!速度上昇!!」


 


 マーシャは全力で疾走しつつ、自身に手持ちの最硬の防護魔法と身体強化魔法を掛ける。


 

 言われるがまま、逃げるマーシャ。


 なんて惨めで、情けなく、弱い。大好きな父親を置いて逃げる自分が憎い。そんな感情が彼女を苦しめる。

 


 自分が残っても、Sランクの父の足手まといになるのは分かっていた。恐らく一瞬で、理解する間もなく殺される事だろうと。それでも―――最後まで…



 こんな筈じゃなかった、簡単な依頼だったのだ。

いつものように依頼をこなして、父と笑って帰路につく、達成報酬で美味しいものを食べて―――



 マーシャの瞳から、涙が溢れる。いくら父親が強かろうと、限界がある。


 本当は大丈夫なんじゃないか?なんて呑気な考えは、彼女がはじめて見た、父親の焦燥した顔が否定していた。


 いつも余裕を持ち、悠然とクエストに向かう、そんな父親の本気の表情。


 

 その自信を崩壊させた。あれは、人という種族の理外にある化け物だ。



 背後から、剣戟けんげきの衝撃音が響き渡った。


 

 父親の咆哮が、マーシャの鼓膜を揺らす。闘っている、自分を逃がすために、命を賭して。



 マーシャは振り返ることなく全力で森を駆ける。



×××××



 一体どれくらい走ったのか、数分?数時間?全力で走り続け、呼吸が荒く、乱れている。空気を入れろと肺が悲鳴を上げている。



 不意に足がもつれ、大地に転がり込んだ。



 あの場所はとっくの昔に見えなくなっていた。闘いの衝撃音もいつの間にか聞こえない。



 汗と、涙が地面に滴り落ちる。嗚咽が止まらない。



 「うぇ、っおぇっゲホッ、ゲホッ………ハァ、ハァ


―――うぅ、ごめんなさい…ごめんなさい!……神様、お願いします!パパを、助けてください!!」



 ズルズルと、地面を這いずりながら、近くの樹に身体を預ける。瞳を固く瞑り、何度も何度も、祈る。父親の無事な姿を妄想して―――



 おもむろに空を見上げた。














 「ぁ…」






 








 日の光を遮るように。二本角を生やした、異形の頭がマーシャを見下ろしていた。


 


 怪物の口許が吊り上り、八つの目玉が醜悪に歪む。

重低音の唸り声がマーシャ心臓を揺るがす。



 放心状態のマーシャにゆっくりと、怪物の顔が近づいていき、すぐ目と鼻の先に来た時、大地を揺るがすような咆哮が、彼女を襲った。



 背後の樹もろとも、後方に吹き飛ばされるマーシャ。彼女が自身に掛けた最上位防護魔法が、脆いガラスの様に砕け散る



 数十メートル転がり、力なく、仰向けに倒れこむ。


 

 次第に彼女から漏れでた体液が足下に水溜まりを作っていく。


 

 歯をガチガチとかち合わせ、瞳孔は開き、身体を激しく痙攣させるマーシャ。心は恐怖で真っ暗に染め上げられていた。



 その姿を見て、異形の怪物、崩壊のハティルは獲物をあざけるようにニタニタと眼を細め、動けない彼女に近付いていく。




 「た、た、たす…け、だ、だれか…」



 

 近づいてくる死の恐怖の権化を前に、マーシャは振るえる声で助けを求める。だが、その小さな声は怪物の唸りに書き消され、誰の元にも届かない。



 再び、ハティルがマーシャの前に立ち、今度は前足を高く上げた。剣のような鋭い爪先がギラリと鈍い光を反射する。



 彼女には母親が居なかったが、順風満帆な人生を歩んでいた。

 幼い頃から魔法の才能に恵まれ、強い父に愛情いっぱいに育てられ、魔法学園でも神童と謳われ、数々の冒険を大好きな父親と繰り広げた。

 

 幸せだったこれ迄の記憶が走馬灯としてよみがえり、彼女に振りかかる。



 そして、怪物の大きな爪が振り下ろされた。



 「…ぱ………ぱ…………」



 その爪がマーシャの身体を貫く―――寸前すんぜん









 「どぉおおおりゃあああああああ!!!!」









 空から降ってきた人物。




 カレンの右足が、怪物の巨体を吹き飛ばした。

 

 


 






 


 


 


 

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