魔法学校の自習室にて
エコエコ河江(かわえ)
いつも語る話
レプシガルム魔法学校、俗に地区予選とも呼ばれる巨大な城は、有望な若者たちと小魔道士や中魔道士を繋ぐ場になっている。
門は広く、新入生の数は他の学校すべての合計よりも多い。入学式は競技場に二階三階の足場を追加して、二度に分ける年もある。それだけ入り続けるからこそ、翌年までに篩い落とされるものもまた多い。目的が邪悪なもの、自他の境界が朧げなもの、単に才を欠くもの。運営側は貴重な原石探しに血眼になっている。
どれも入学前から知れ渡った話だ。交友の構築は後回しにして、まずは自分の二本の足で歩けると示す。新二年生の進学式は同じ競技場に疎らに集まる。学費が必要なのは二年目以降だけで、片手間の薬草取りやその他で賄える。どうせ無償だからと一発逆転を夢見て訪れる者もいる。利害が重なり、試行回数が高まり、大魔道士の輩出がどこよりも多い。
もちろんその後も、篩い落とされる者は多い。
候補の一人、二年生のゼンが集中室を望んだ。筆記具と参考書を無制限に使用できて、温度も湿度も快適に維持される。ただし、課題を解くまで出口は開かず、期限内に解けなければ落第が決まる。ほとんど敗者復活戦のセーフティネットだ。大抵は時間ばかりがかかるよりも自主的な退学を選ぶ。実質的に、夢を諦めきれない者に諦めさせる部屋となっている。
小魔道士の説明を受けて、決意を示し、転移魔法で部屋の真ん中に降りた。ここで缶詰になり、十日間の独学で課題を解く。必ず可能な範囲から選ばれるので、可能なはず。そう考えた連中の多くが失敗し続けてきた。元より才がある者はこんな部屋を使うまでもない。
壁一面の本棚が、さらに左右に動く。書物が所狭しと並ぶ。
圧倒されるゼンの背後から歓迎の言葉が届いた。余裕と威厳があって、若い女らしい声。目付け役の小魔道士だと思った。
「よく来たねえ。いらっしゃい」
ゼンの予想は直ちに覆った。挨拶のつもりで振り返ると、おおよそ正気の者とは思えなかった。
彼女は裸で、髪も爪も伸び放題で、ベッドに寝転がっていた。さながら監禁事件を思わせる様子でも、枕元には開いたノートと鉛筆と、その奥には服が畳まれている。ゼンは混乱した。彼には経験がない。顔を赤くして、使命感に駆られて目を背けた。そんな反応を向こうも予想していた様子で、自らの話を始める。
「驚かせたね。私の名はウィク、大魔道士だよ。質問や助言を求められればなんでも答えよう。よろしく」
「どうも。僕はまず、なぜ裸なのかを聞きたいですが」
「もちろん答えるとも。あまり知られていない話だがね。服を着ていたら、服が汚れてしまう」
そんなの誰でも知っている、と言いかけて飲み込んだ。相手は落ちこぼれ用の部屋にいる自称大魔道士だ。まともな話など期待しない。せめて深い意味を読み取る。振り返り、自らの目と彼女の間に手を掲げて、体を隠しながら前髪と爪の長さを見た。この長さなら、少なくとも半年はここにいる。そう意識すると急に臭いが気になり始めた。
めちゃくちゃな奴と同じ部屋になって、集中できるはずがなかった。ゼンは文化的には幼くとも生物的には成体だ。生殖の準備がすべて整った状態で、あえて他の行動を選ぶには意思を使ってしまう。最も新鮮なうちにやるのが最善であり、次善以降を選び続ける。思考の使い先が増えている。
「そっちの服は制服ですよね。一年生用の」
「目敏いね。私は一年生だよ。君とは同い年だ。ゼンくんだろう? 入学式で偶然にも隣だった」
「いや覚えてないですが。なぜ同じ部屋に?」
「ここはいい所だよ。資料と筆記具は使い放題、食事は食べ放題、誰の邪魔も入らないし、空調は快適だ。私はここを使うために色々したんだよ。甲斐あって一年半と少し、大魔道士の肩書きももらったんだ」
ノートに挟まった認定書を見せた。装飾も字体も、確かにこれまで校長室やその他で見たのと同じだった。真贋はともかく、こうして見せても平気に考えているとわかった。
「けども普通は十日で退去するはずの部屋と聞いていますよ。事情があっても二十日とか。不法滞在では?」
「不法なもんか。ちゃんと手続きに則っているよ」
ウィクの話によると、退去させるのは手動であり、この部屋から退去させる誰かが何もしない限り、悠々と滞在できる。さまざまな事情に対応する余地をセキュリティホールにしている。同じ部屋に二人になった理由も、ウィクがここにいると知らないからだ。なぜ誰も知らないか、ここを伏せるならゼンにも想像がつく。よからぬ手を使ったに違いない。同い年の子が。
とにかく今は自主学習を、と言ってゼンは書物とノートを取った。背後では再びベッドに体重を預けた音が聞こえる。
ゼンは集中して作業している。フロー状態、目の前のひとつに没頭して他のすべてが気にならない状態だ。手が動くに任せて、あらゆる動きは必要に合わせて、無意識に決定していく。集中室の名の通り、外からは音も匂いも届かない。気が散る先はない。他にやることはない。目の前の一つに集中し続ける。
ページを捲り、内容を頭に入れる。頭に入れた内容を誰かに説明するつもりで書き記す。人間の思考は脳だけにあらず、手や足の感覚も思考の一部となる。目的地との距離が近い分だけ重要な思考を任せている。ノートの上でペンを走らせる動作を定着するまで反復する。遅れている分を取り戻すつもりで、ページをどんどん進めていく。
一口に魔法と言っても、宗派や適性で多様に分化している。魔法陣を描く例、呪文を唱える例、調合の例に始まり、それぞれに適した分野がある。複合のために異分野も一応は学んでおく。ゼンが得意とする魔法陣は、描く動作をそのまま応用できるおかげで、歴史の早い段階から発展していた。他が追いついた今も大がかりな行動では他を引き離している。
エネルギー切れまで繰り返し、次にページを捲る時にフロー状態が途切れた。同時に、聞こえていた音に意識が吸い込まれる。背後からウィクの息遣いが聞こえている。気張っているような、一気に吸っては吐き出す。体力を使っている。ゼンも若い男だ。まさかとは思っても気になってしまい、ついに振り返った。期待していた行為とは似つかない、大魔道士らしい魔法を使っていた。ちょうどいいので休憩に移り、話しかけてみた。
「あのう、何を?」
「覗き見魔法だよ。この狭い部屋にいたら世間知らずになってしまうからね。いつも外の様子を探っているんだ」
「ああ、それで一年半もここにいられたんですね」
「その通り。多少なら干渉もできる」
「服を持ってくるのは?」
「できるが面倒だ」
「もしかしてですが、大魔道士の認定書もそうやって持ってきたんじゃあ」
言い終える前に、ウィクは体を起こして反論を始めた。ゼンは目線の向け先に困り顔を背けるが、ウィクお構いなしに話す。
「聞き捨てならんな。私は不正などしていないさ。ちゃんと試験を受けた」
「ここにいるままで?」
「そうだ。遠隔でな」
「支配魔法ですか」
「そうだ」
「犠牲者は?」
「いない。彼女は協力者だ」
「そういう建前ですかね」
「事実だ。私は彼女と仲がいい」
ゼンは疑念の目で見つめるが、すぐに視線を逸らす。もしウィクがこれを狙って裸身を晒しているならと考えて、唯一の対抗策を使う。ノートと参考書に向かう。姿勢を変えたらもう少し動ける気がした。
ウィクは肩越しにノートを覗き見て、人差し指で二箇所を順に示した。
「急に何」
「驚かせたね。内容が間違ってたから指摘しようと思ったんだ」
調合の手順について、道具と温度の節だ。ゼンは念のため内容を見比べるが、確実に同じに見える。
「うちは調合屋でね。このやり方は効能を少し落としたやつだ。秘伝だから表には出してないけどね」
「参考書を無視していいんですか」
「これまでの誤りを見つけては正すために学ぶんだろう。再生産だけじゃあないし、こんな罠に乗せられても仕方ない」
ウィクの持論を聞かされそうで面倒なので、大人しく書き加えて済ませた。満足げに頷いてベッドに戻る。存外、扱いやすい相手かもしれない。ゼンの密かなほくそ笑みはすぐに口の上下が入れ替わった。お菓子の甘そうな香り、振り返るとウィクの手にはやけに豪華なケーキがあった。
つい疑問を口にしたくなったが、また面倒な話にはしたくない。気を引いたと見せればまた邪魔をされそうで、ゼンはその繰り返しを抜け出したかった。黙って背を向けて、先の話を思い出す。服を持って来るのは可能だが面倒と言っていた。出所の予想はついた。それ以上は知っても何もできない。これみよがしに届く匂いを振り切って文章の世界に没頭する。するぞ。
ゼンの決意は脆くも崩れた。別の匂いが、今度はアイスクリームのミントが香った。たまらず立ち上がってウィクに詰めよった。満足げな咀嚼を中断して会話の体勢に移った。
「当てつけですか。匂いで気をひく作戦に乗ってあげますよ」
「そんなつもりじゃあないさ。私も常に頭を動かすにはエネルギーが必要だから、即効性ある糖分を求めている。君もだろう?」
返事を待たず、空中の光に手を突っ込んで、皿のアイスクリームを渡してきた。ウェハースをスプーン代わりにして食べる、それにこの皿、どちらも見覚えがある。
「念のためですが、どこから持ってきたんですか」
「もちろん学食だ」
「やっぱり泥棒ですよね」
「そんなことはない。ちゃんと手続きをしたさ」
「どんな手続きですか」
「ひとつしかないだろう。君が当然にしてるのと同じだ。まあ、信用できないならこっちも私が食べよう」
皿を引っ込められたら惜しくなり、脳が使い込んだエネルギーに気づく。体は確かに糖分を求めている。
「信じてくれるかな」
ウィクは意地悪な笑みをアイスと並べた。片方を見ればもう片方も見える位置にある。首から下が隠れていれば直視できて、整った容姿が見えてしまった。プレッシャーにも耐えかねて、皿を受け取った。
「仕方ないから、信用しますよ」
「嬉しいね。これで君ともマブダチだ」
「いやそこまでは、できませんけど」
休憩も兼ねてアイスを食する。最初の少しを口に含むと、味蕾による品定めを伝達する。これこそが求めていた栄養だと気づくと、次のひと口を求めて再び手が動く。しばらく繰り返して欠乏から不足程度まで戻ったあたりで落ち着いてゆっくり食べられるようになった。枕元のノートに目を向ける。
「これ、何を書いてるんです?」
「感知魔法で外の様子を探って、見えた情報に合わせた術式を記しているんだ」
「部屋にいながら旅ができる、と」
「飲み込みがいいね。君はこれまでない逸材だ」
「そりゃどうも」
ウィクは褒めたつもりでも、ゼンには受けとる能力だけが足りない。言葉通りに受け取るにはゼン自身が許さず、嫌味として読み取る。自らを弱く見積もった者は異論に対し検討する余裕が失われて、褒め言葉を役立てられず、そのまま自ら滅し続ける。卑屈な者は永久に無能のままだ。連鎖を抜けるにはまず、自らの価値を受け入れるきっかけが必要になる。多くは外部から、過去への指摘を積み重ねて。
「ゼンくんはなぜここに来たんだい?」
「落ちこぼれだからですよ」
「嘘をついているね。もしくは、勘違いをしている」
「事実です」
「事実だと思っているのだな。君は相当、できる奴だよ。私が見た上で言うんだから間違いない」
「気休めですか」
「事実だとも」
「この場だけで、外まで見てきたようなことを」
「見てきたとも」
ウィクは感知魔法でこの部屋にいながら外を見ていた。具体的にどこまで見たかの話を提示する。校内はもちろん、増えた協力者の視界を借りたり、旅人を見つけたら勝手にその者を座標マーカーにして付近を覗き見たりしていた。見た中にはもちろん、ゼンの実技もある。
「根拠があるんでしょうね」
「外とこの場の違いだ。誰ぞの邪魔を受けてきたな」
「それは、ありました」
「魔法陣は本来、安全で落ち着いた場所に描いて使うものだからね。急いで描くか、隠れて描くか、その辺りで誤魔化すにも限度がある」
「返す言葉もないです」
「横槍への強さも才のひとつさ。私が協力しよう。君も大魔道士にしてやる」
「そうやって協力者を増やしたんですか」
「もちろん互いに利がある、美しい協力関係さ」
「口がうまいなあ」
ウィクは立ち上がり、ゼンの正面に立つ。ちょうどいい高さに重要な箇所があるので咄嗟に目を瞑った。
「情報魔法」
ウィクの呟きと同時に、全身のあらゆる感覚が二重になった。目を閉じたはずが、自身を見ている。座っているはずが、立っている。右手でウェハースを持っているはずが、右手で髪をいじっている。体の底から巨大な魔力を感じる。体が軽い。
「慣れなかろう。私の感覚と同期させた溢れる力がわかるな」
声もふたつが耳に届く。空気を伝わる音と、骨を伝わる音。たしかに一人分でも、二人分と同じだ。
「よくわかります。あれ、なくなった」
「やめたからね。違いはどうかな」
余計な情報が失せた分を差し引いても、体が重いし、魔力が枯れきったように感じる。どんな巨大な目標でも達成できそうに思えていたのが、今は落差で途方もない無力感に打ちひしがれている。
「大魔道士って本当だったんですね」
「最初からそう言ったからね」
ウィクは反対側に回り込んで服に手をかけた。久しぶりに袖を通す。体が育った分だけ生地が短くなっていた。幸いにもほとんど被るだけのおかげで、腕を組んでいれば脚の長さは目立たない。
「私は見る目があるんだよ。だけども、面倒になってきたな」
「何が?」
「成功が見えているのに待つのは嫌いなんだ。行くぞ」
「どこへ?」
「外に決まっているだろう。ほら、代筆してやる。きみは初日にしてすぐ出た優等生になれ」
「追い出すつもりですか」
「連れ出すつもりだよ。手伝わせたい仕事がある。実家の調合屋で必要な草の根を採る。行くぞ協力者」
返事を待たず、ウィクがペンを走らせて、ほとんど欠陥を利用した内容で課題を完了にした。ゼンの体は光に包まれて外へ放り出された。すぐにウィクも隣にきた。腕を引っ掴んで外へ駆ける。閉じこもっていた割に力がある。
あれこれの準備を済ませて翌日。
ゼンは荷物持ちとして森への道を歩いている。先導するウィクを追って、背中と両手に大荷物を抱えて足を進める。協力と言ったが、雑用じゃないか。文句を言うにもウィクは遠い。もちろん助けを呼ぶにも。野生動物が来ないおかげでどうにか歩けているが、いつまで続くかゼンには見えない。
二人は今後、冒険に次ぐ冒険の果てに多大な栄誉を受ける。人々は決まって二人の絆の理由を聞きたがる。その度に必ず、出会った日の話をした。
魔法学校の自習室にて エコエコ河江(かわえ) @key37me
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