8、デリカシーが死んでいる
かまどに石を放り込む。
ただの石ではない。火の共感鉱石といって石同士が触れ合うと発熱する特殊な石だ。山中に転がっていそうなゴロゴロした見た目に、透明感のある赤い結晶がところどころくっ付いている。なかなかに綺麗な石だと思う。触れ合う面積を増やせば増やすほど高温になるので、私は薪の代わりに使っていた。
高価なものではあるが、そこはそれ。魔女様特権というやつだ。
普段はうっかり触れ合わないよう一個一個紙にくるんで保管している。今かまどに入っている石は三つ。四つ目を火バサミで掴み、私は顔を上に向けた。
「お湯加減どうですかー?」
「バッチリ! ありがとねー」
がらりと窓が開いてお兄さんが顔を出す。濡れた髪。蒸気で火照った頬。心地よさで細められた瞳は潤んでおり、妙な色気が漂っている。ひらひらと振る腕には均等に筋肉がついており、随分鍛えているのだと一目でわかった。
ひぇ、と小さい悲鳴が漏れる。なんという目の毒。あんなものを直視し続けたら口から心臓が飛び出てもおかしくはない。
摘まんでいた石が滑り落ち、ぽてんと尻餅をつく。
「大丈夫? 足腰鍛えたいなら俺と一緒にトレーニングする?」
「違います! 足腰は丈夫です! そうじゃなくて顔を出さないでください――!」
「おわっ!?」
慌てて立ち上がり窓を閉める。
毎日この自然の中で生活しているのだから足腰が弱いわけないじゃない。普通の女の子よりよっぽど丈夫ですよ。窓の奥から「元気だねぇ」と笑いの籠った声が聞こえてきた。笑い事じゃないんですよ、こっちは。
やっぱりこのお兄さん、羞恥心というものが欠けているのでは。
「お風呂に入らせてほしいってお願いくらいお安い御用だと思ったんだけど……」
お兄さんの無頓着さに盛大なため息が漏れた。
自分の顔と身体の良さをきちんと把握しておいてほしい。飄々とした性格のせいで大分マイルドになっているけれど、黙っていれば誰もが振り返るくらいの美形なのだ。体つきだって綺麗に筋肉がついた――先程のお兄さんの姿が思い起こされてぶんぶんと頭を振る。駄目だ。思い出してはいけない。
「これからちゃんとやっていけるのかなぁ」
共感鉱石をくるくる紙に包みながら、私は再度ため息をつくのだった。
森の奥にある赤い屋根の小さな家。
煉瓦と木で出来たその家は見た目以上に広々としており、少女一人でも何不自由なく暮らせるよう様々な魔法的ギミックが仕掛けられていた。火の共感鉱石はその最たるもので、他にも困った時いつでも司祭様に相談できるよう通信珠なども用意されている。
でも、さすがにお兄さんのことは司祭様に相談出来ないしなぁ。
私は裏口から家の中に入ると、小屋から引き取ってきた物資を片付けていく。ほとんどが食料なので、常温で保存のきく野菜たちはキッチンへ。冷やさなければいけないものは地下の食糧庫へ運ぶ。石垣で造られたその部屋は、真夏であっても震えるほどに寒い。
私はさくさく用事を済ませると、リビングのソファに腰掛けた。
お兄さんは長風呂派だろうか。
時間があるのなら楽しみにしていたバラ乙の続きが読みたい。ただお兄さんのせいで問題が一つ噴出していた。そう、私の最推しユーリーン王子の存在だ。
顔や雰囲気、性格などすべてが似通っているため、彼が出てくるたび頭の端にお兄さんの姿がチラつくのだ。ノイズにもほどがある。
今まで格好いいと思っていたユーリーン王子の行動すべてがアイシャ大変、アイシャ頑張れ、アイシャファイト――と、アイシャに同情する気持ちに変貌してしまった。私のときめきを返してほしい。
はぁとため息をついて本を閉じる。
どうしても読み進める気力が沸かなくてテーブルへ置いた。すると丁度その時、脱衣所のドアが開いてお兄さんが顔を出した。まさかのタオル一枚腰に巻いた姿で。
「ちょ、なっ! お兄さんッ!?」
「ごめんね。着替え持ってないから洗って乾くまではこの格好になっちゃうけど」
「せ、洗濯なら私がしますから! お兄さんは中でじっとしてて!」
直視するにはあまりに刺激が強すぎる。
お風呂場の窓からでは見えなかった部分までバッチリ視界に捕らえてしまった。正確に言うならば鍛え抜かれた大胸筋や、腹筋、力強い大腿四頭筋などだ。普段絶対見えないところだし、見ちゃいけないところだと思う。
私はソファの影に隠れながらハンドサインで脱衣所に戻ってくれと合図する。
「え、でも、リディアちゃん俺のパンツ洗える?」
「パッ、パンッ……!?」
「パンツ」
まるで何か重要な事案を話すように、真剣な表情でこくりと頷くお兄さん。
「せめて下着って言ってください! デリカシー死んでるんですか!」
「あー、基本男所帯だったから気にしたことないかも」
「羞恥心とかは!?」
「見られて恥ずかしい身体はしてないよ?」
自信満々な笑みとともに、自らの身体つきを誇るようにポーズをとる。違うそうじゃない。そういうのは今求めていません。
私は全速力で走り寄って扉を閉めた。奥から「リディアちゃーん? お兄さん出られないよー?」とか聞こえてくるが無視だ無視。
「ああああもううう! 絶対早まった! 絶対早まった!」
私は脱衣所の扉にもたれかかり、天を仰いだ。力の抜けた身体はズルズルと重力にのっとって滑り落ち、最終的にぺたりと尻餅をつく。しかし、いつまでもこうしているわけにはいかない。ずっと脱衣所にいれば身体が冷えて風邪をひいてしまうかもしれないし、だからといってお風呂に入ってもらうのもそれはそれで逆上せてしまうだろう。
私は自室から綺麗なシーツを丸めて持ってくると、扉を開けてお兄さんの身体に巻きつけた。お化けの仮装みたいになってしまったが、裸で動き回られるよりかは何十倍もマシである。
「リディアちゃん、さすがにこれは動き辛い」
「我慢してください!」
「はいはい。まったく照れ屋さんなんだからぁ。恋人なんだし、俺の身体くらいいくらでも見てくれていいんだけどね?」
「……お兄さん?」
「あはは、自重しまーす」
お兄さんはまったく反省の色が見えない笑みを浮かべた。
ユーリーン王子も時折こういう冗談を言うことがあった。そのたびにアイシャは「殴りたいこの笑顔」と独白で語っていたが、今ならよくわかる。何も知らない読者時代なら格好良くてユーモラスなところが素敵なのに、などと腐抜けた考えをしていたがとんでもない。
――殴りたい、この笑顔。
「あれぇ? なんか顔怖いよ?」
「気のせいです! 気のせい!」
初日からこんなにも心が掻き乱されて、この先やっていけるのだろうか。恋人ってもしかしてもの凄く難儀なものなんじゃ、と私は本日何度目かわからないため息を吐いた。
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