7、恋人契約締結




「や、やっぱりちょっと待ってほしい、というのは……?」


「残念。返品は受け付けてないんだよね」


「押し売りですか!?」


「契約する時は内容をしっかり確認して吟味しなきゃだめだよ?」



 人差し指を唇に当てて、意地の悪い顔でウインクを決めるお兄さん。

 それを今あなたが言うのか。言っていることもやり口も悪徳商法そのものなのになぜか憎めないのは、無駄に整っていて愛嬌のある顔と敵意を抱かせない性格のせいだろう。


 似ているなんてものじゃない。推しそっくりという点がここにきて獅子身中の虫みたいにじわじわと内側から効いてきている。

 なんて罪深いの、ユーリーン王子。



「大丈夫大丈夫。もし俺の行動で君の魂が曇るのなら潔く契約は破棄してすぐ出ていくからさ。ああでも、責任を取れっていうのなら君の魂が漂白されるまで誠心誠意尽くしてから追い出してくれてもいい。さすがに世界のどこかを消し去るつもりはないからね」


「怖い事をさらっといわないでくださいよ」



 魔女の取り扱い方について本当に理解しているのだろうか、と疑いの目を向けてしまいそうになるほど軽い態度だ。ちょっと失敗しちゃいましたは通じない。一つの判断ミスが取り返しのつかない大惨事になることだってあり得るのに。――いや、それをいうなら私の方である。ついうっかりお兄さんに手を伸ばしてしまったんだもの。彼を責める資格なんてゼロだ。ゼロ。



「はぁ、自分が嫌になる」


「後ろ向きな事ばっかり考えるからだよ。もしかしたらこれが幸運の出会いかもしれないでしょ?」


「どこから出てくるんですかその自信。……本当に分かっているんですよね?」


「もちろん。魔女様ついてはしっかりと頭に入っているつもりだよ。ってなわけで、今日から俺が君の恋人。いっぱい甘えてくれていいし、やりたい事はどんどんしよう!」


「それは、お兄さんと、こっ、恋人、として……?」


「そうそう。まあ正直な話、真面目なお付き合いとかした事ないから俺も良く分かってないんだけど」



 お兄さんはさも当然といわんばかりに私の耳元に唇を寄せ――。



「その分君好みに染めて良いよ」



 甘ったるい声で囁いた。

 蜂蜜ですら平伏して道を譲ってしまいそうな甘さだ。なんという破壊力の塊。一瞬で顔が茹であがる。恋人ってこんなに距離感が近いものなのか。一種の兵器だ兵器。

 私は急いでお兄さんから距離を取り、じいと睨みつけた。

 この人、絶対手馴れている。でなければ真面目なお付き合いなんて言葉出てこないはずだ。普通の人はすべてが真面目なお付き合いだもん。バラ乙にそう書いてあった。



「……遊び人だったんですか」


「やだなぁ。俺って意外とガード固い方よ?」


「絶対嘘だ」


「ほんとだって。あ、もしかして早速嫉妬してくれちゃったり?」


「すっ、するわけないじゃないですか!」



 台車を引っ掴んでさくさくと来た道を引き返す。お兄さんは「待って待って」と言いながら慌てて付いてきた。歩幅の違いを考えればどうせすぐ追いつかれる。待つ必要なんてまったくないのだけど――、足を止めてちらりと後ろを振り返ると、お兄さんは嬉しそうに私の隣に並んだ。



「名前、教えてよ」


「……どうせ知っているんでしょう? 隠していませんし」


「まずは自己紹介から始めるものでしょ?」



 今代の魔女、リディア・グランツ。

 魔女が発見された瞬間、世界中に発信される情報だ。よほど興味がない限り耳にしたことはあるはずだが。まずは自己紹介から始める。お兄さんの意見も尤もだ。



「……リディア・グランツ、です」


「オッケー。リディアちゃんだね。俺はみんなからハンクって呼ばれてるから、リディアちゃんもハンクって気軽に呼んでくれていいよ。ハンクお兄さんでも良いけど、それだと恋人ってかんじしないもんね?」



 ぺらぺらと、まるで目の前に台本でもあるかのように淀みなく流れていく言葉。よくもまあ舌を噛まないものだと感心してしまう。

 放っておいても一人でずっと話していてくれそうなので、間が持たないという心配をしなくていいのは有難いかも。


 なにせもう何年と一人ぼっちの生活を送っていたのだ。人とどのように接し、会話をしていたかなんて遠い過去の記憶でしかない。今更誰かと一緒に暮らすなんて考えたこともなかったけれど、頷いてしまったのだから仕方がない。

 何事にも全力で取り組みますとも。ええ。



「とりあえず家に帰ったらお兄さんの部屋を用意しなきゃですね!」


「あ、あれぇ? リディアちゃーん? お兄さんの話聞いてたー?」


「ベッドとかの用意もしなきゃですし、これから忙しくなるなぁ。あ、お兄さんも色々手伝ってくださいね!」


「……あ、うん。モチロンデス」



 お兄さんはがっくりと肩を落としながら「まぁ、好きに呼んでくれたらいいんだけどね」とため息をついた。



「あ、そうだ。家についたらリディアちゃんに一つお願いがあるんだけど」


「お願い? ですか?」


「うん。あのね――」



 お兄さんは申し訳なさそうに眉を寄せ、顔の前でぱちんと両手を合わせた。

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