6、怖くて甘い囁き
それ言われてしまったら二の句がつげなくなる。
本当に残酷なほど正論を突き付けてくる人だ。
教会の管理がすべて正しいわけではない。言いつけをきっちり守り一人魔女の森で生を終えた先代魔女は、魂を曇らせて国を一つ滅ぼした。教会が定めたルールに何の意味があるのか。
なまじ彼女の苦悩を知っているだけに、お兄さんの言葉が重く心にのしかかる。
それでも私たち魔女はそれを守ることしか出来ない。どうすれば誰も巻き込まず、一人穏やかに死ねるかなんて自分でもわかりっこないんだもの。何千年と魔女を管理し続けてきた教会を信じて、すべてを委ねるしかないじゃない。
バツが悪そうに目を逸らすと、お兄さんは眉を寄せて困ったように笑った。
「ごめんごめん。責めてるわけじゃないんだよ。ただ、さ。こんなところにずっと閉じ込められてちゃ出来ないこともあるでしょ? やってみたいこととか――夢とかさ。なにかない? ギブアンドテイクってやつだよ。家に置いてもらう代わりに、君の夢を叶える手伝いをしよう。幸い俺は自由に出入りできるしね」
「そんな勝手なこと出来るわけ――」
「心を満たせば魂は穢れないさ。悪くない提案だと思うんだけど?」
「でも、私には、夢なんて……」
夢と聞いて、台車の一番上に乗せてあるバラの乙女たちが目に入る。
私には夢なんてないけれど、もしも魔女ではなく普通の女の子として生まれていたら、この小説の登場人物たちのように恋ができたのだろうか。甘酸っぱくて胸がぎゅっと苦しくなって、でも優しくて幸せな気持ちになれる。そんな恋が。
――馬鹿だな、私は。
惑わされては駄目だ。
もしもなんて存在しない。希望なんて抱いたところで砕かれる。私は世界中から忌み嫌われる災厄の魔女。どこにも行けず、ただこの場所で世界を祝福しながら朽ち果てるだけ。自分の役目くらい理解している。
「私は災厄の魔女。ただ穏やかな死以外に望むものはありません」
「ほんと真面目だね。ところでこれって……バラの乙女たち? なぁんか聞き覚えあるタイトルだけど、いわゆる少女小説ってやつだよね?」
「あ!」
バラ乙をひょいと手に取るお兄さん。
慌てて奪い返そうとするも、身長差ゆえ軽く腕を上げられてしまえばお手上げだ。背伸びをしてギリギリまで手を伸ばしても届きやしない。私まだ読んでないんですけど。
「返してください!」
「別に盗もうとしているわけじゃないよ。ただちょっと気になって。君も、こういう恋愛に興味があったりするんだ?」
「――ッ、誰に口をきいているのか分かっているのですか。私は魔女だと言ったでしょう! 恋なんて、出来るわけないじゃないですか。こんなの、……ただの、暇つぶしです」
「へぇ?」
私のつまらない嘘なんて簡単に見抜かれてしまいそうな、透き通った紺碧の瞳に見つめられる。
この瞳に見つめられ続けたら、ぐちゃぐちゃに丸めてゴミ箱に捨てた弱みすら無理やりひっくり返されそうで、思わず顔をそむけた。
見た目も雰囲気もまるっきり善人で優しそうなのに、なぜこんなにも恐ろしいのか。
先生がたびたびユーリーン王子を『怖い男』と書き表していたのは、きっとこういうところだったのだろう。まさか経験する日がくるとは思わなかったけれど。
私は台車の持ち手をぎゅっと握りしめた。
「じゃあさ、予行練習っていうのはどう?」
「予行、練習……?」
「君がいつか普通の女の子として誰かと恋に落ちた時に困らないように、俺で練習してみないかい?ってお誘いだよ。つまりは仮の恋人契約ってことだね」
台車の上に本を戻しながら、さらりとのたまう。
「何を馬鹿なことを。私は生涯魔女であり、普通の女の子になんて――」
「そうだとしてもだ。この生活でも支障が出ると協会が判断したなら、君は外に出られるかもしれないだろう? そして、君に似合う優しい男と運命の出会いを果たすかもしれない。違う?」
箱庭で魔女を管理する。その方法でも多大なる犠牲を出してしまった以上、お兄さんの言う通り新たな手法を取り入れる可能性はある。けれど――。
「あ、もちろん手は出さないって約束するよ。不安なら契約書でも書こうか。絶対に君が嫌がることはしないって――」
「どうしてそこまで関わろうとするんですか」
ぽつりと吐き出すように呟く。
魔女に近づいたところで良いことなんて一つもない。昔のように各国でもてなされていた時代ならいざ知らず、今の魔女にすり寄ったところで出涸らしの蜜すら吸えやしない。
一時的な避難シェルターとしてここを使ったのなら、さっさと出ていけばいいのに。わざわざいつ暴発するかもしれない爆弾の傍にいたいだなんて、数寄者もいいところだ。
うつむいているのでお兄さんの表情は分からない。けれど、私の頭に伸びてきた手はとても優しくて、少しだけ涙が滲んだ。
「そうだね。一言でいうなら見ていて心配になるから、かな」
「……そんなに頼りないですか。未熟な私じゃ、前任の魔女のようにまた国を滅ぼすって。多くの人を巻き込んで世界を呪いながら死んでいくって、そう思っているんですか」
「そういうとこが、だよ」
どういうところだ。意味が分からない。
まだ出会ってすぐだというのに、この人の前では情けない姿ばかり見せている。こんなのが当代の魔女だなんて不安になるのも仕方がないだろう。ごめんなさい。駄目な魔女で。ぎゅっと拳を握りしめる。するとお兄さんは膝をついて視線を落とし、包み込むように私の手を握ってきた。
「全部俺のせいにしていいよ」
「……え?」
「体調が悪くなったり、嫌なことがあったり、苦しいことがあったりして、少しでも花の光が曇ったら、君は全部自分が至らなかったせいだって抱え込んじゃうんでしょ? それは体にも心にも良くないよ」
下から覗き込んできた瞳は、さきほどまでの冷たい色ではなく暖かな慈愛の色が見て取れた。不思議だ。司祭様にもこんな目を向けられた記憶はない。なんて優しい目で私を見るのだろう。
「君が至らなかったせいじゃない。俺がサポートをちゃんとできなかったせいにすればいい。全部俺が悪い事にしちゃえば少しは気が楽にならない? 魔女だからって全部一人で背負い込む必要はないんだよ」
びくりと肩が震えた。
ここは私だけの箱庭。誰もいない。だから自分の機嫌は自分で取らなきゃいけないし、魂の曇りはすべて自分の責任だ。それが当たり前だと思っていた。――いや、違う。当たり前なのだ。それが魔女の責務なんだから。
お兄さんの言葉が優しすぎて惑わされてしまいそうになる。でもそれは駄目。私は誰も巻き添えにしないと誓ったのだ。サンドバッグもご機嫌とりも必要ない。生け贄志願なんて願い下げだ。
ぱっと手を払いのける。
「ありがとうございます。けれどこんな面倒な身体、自分以外に背負わせるわけにはいきません。心配していただかなくても、きっちり世界を祝福してこの世を去りましょう」
「ほんと、真面目で不器用な子だなぁ」
「悪かったですね」
ぷい、とそっぽを向けばお兄さんは可笑しそうに笑った。別に面白い事なんてしていないのだけど。
「それじゃあ半分個にしよう」
「半分個?」
「そう。半分は自分の身体や心を制御しきれなかった君のせい。もう半分は君の不調を取り除けなかった俺のせい。どっちも悪くて、どっちも悪くない。ね? 良い案だろう?」
「どうしてそこまで……」
「うーん。魔女とかそういうの一回横に置いて聞いてほしいんだけど、純粋に君が気になるから。そういうのじゃダメ? 信用できない? なんでもかんでも自分のせいだって抱え込むのってさ、苦しいでしょ。……そういうの、分かってるつもりだよ」
もう一度、手を伸ばされる。しかし今度は無理やり握ってこようとはしなかった。選択権を私に委ねているのだ。
彼の手を握ればすべて了承したことになる。同時に、協会の教えを破ることにもなる。災厄の魔女として許されない愚行だ。こんなものさっさと突っぱねてお帰り願おう。――そう、頭では分かっているのに。
お兄さんはただ優しい目で私の答えを待っていてくれる。
本当は誰かに頼りたかった。誰かに助けてほしかった。誰かに優しくされたかった。誰かと――恋をしてみたかった。抑え込んでいた感情が湧き水のようにゆっくりと沁みだしてくる。
やっぱりこのお兄さんは怖い人だ。私の弱い部分をすべて見透かして欲しかった言葉をくれる。
「わたし、は……」
彼の手を取れば戻れなくなることくらい理解している。それなのに自然と手が伸びてしまう。震える指が彼の指先とかすかに触れあった。瞬間 、絶対に離すまいと強く握られ引き寄せられる。
「あ……!」
「契約成立、だね」
耳元に顔を近づけ、まるで恋人を相手にするような熱っぽい声で囁かれる。ドクリ、と心臓が大きく跳ねた。不味い。このお兄さん絶対距離感バグってる。
早々に後悔し始める私をよそに彼は満面の笑みで「よろしくね~!」と可愛く親指を立てた。
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