9、必要なもの
「……でも、お兄さん着の身着のままだから色々用意しなきゃですよね。いまからひとっ走り小屋まで行って注文票書いてくるんで、必要なもの教えてください」
「必要なもの?」
お兄さんは何度か視線を宙に飛ばしたが、すぐに諦めて首を振った。
「基本野宿か宿での生活だったし、必要だなって思った時にしか買い足してこなかったからわからないなぁ。逆に一つの家に留まっている時って何がいるの?」
「え?」
まさかの答えに一瞬固まってしまう。
私はいつも籠の鳥で、どこへもいけず建物の中に閉じこもっていた。この家で暮らし始めてからもそうだ。しょせんは結界の中だけの自由。私が暮らすすべては教会が手配してくれたもの。自分で考えて用意したわけではない。
だから、何がいるかと聞かれて言葉に詰まってしまった。
何がいるのだろう。必死で頭をこねくり回す。基本的な生活備品はあるし、人が生きていく上でなに不自由なく暮らせる程度には色々揃っていると思う。となるとやっぱり性別の差が重要だろうか。男の人にとって必要なもの――駄目だ。全然わからない。
頼みの綱であるバラ乙にも、男の人の生活必需品なんてどこにも書いてなかった。
「え、ええっと、うーん……き、着替え? とかは必要ですよね?」
「いきなり男物の服を要求したら怪しまれない?」
「それは確かに」
ぐうの音も出ない正論である。
私の身長は155センチ。対するお兄さんはゆうに180を越えている。いくら気分を変えるために男性の服装を着てみたいなどと嘘を並び立てたところで、身長差の壁が高すぎてお話にならない。最低でも25センチ差だ。
私サイズの服をお兄さんに渡したらパツンパツンどころの騒ぎではないし、凄く面白い事態になってしまう。だからと言ってお兄さんサイズを依頼すると、何のために使うのかと追及がきかねない。
完全に詰んだ。私は役立たずだ。
「……すみません」
「こらこら、そんな深刻そうな顔しないで。服なら明日明後日にでも近くの町で調達してくるから。無一文ってわけじゃないしね」
「ああ、なるほど! たしかにそれが一番建設的ですね。なぜかお兄さんは出入り自由みたいですし。でも、大丈夫なんですか? 追手とか」
「え? あ、あー……うん。そんな長い時間滞在するわけじゃないから問題ないよ。俺の事よりリディアちゃんは大丈夫? 俺がいない間、気を付けるんだよ?」
「お兄さんみたいな人、普通いませんよ」
「そうかなぁ?」
教会の術者たちが長年かけて編み出した魔女の結界。世界一強固と言っても差支えないそれを、易々潜り抜けてくる人間がそう何人もいてたまりますか。お兄さんだけでもお釣りがくるレベルだ。
「部屋は物置に使っている場所を片付けて綺麗にしますね。確か過去の魔女が使ってた箪笥とかが中にあったし……となると、やっぱりベッドですかね」
「別に良いよ、部屋なんて。寝るときはその辺のソファ借りるし、なんだったら床でもいい」
あっけらかんと言ってのける。
基本野宿か宿での生活と言っていたから個人の部屋に執着はないのかもしれない。ただなんとなく釈然としなかった。居着いてほしいわけではないけれど、気付いたらふらっといなくなっていそうで。
私はお兄さんに巻きついているシーツを掴むと首を振った。
「駄目、です。ソファじゃ寝返り打てないし、床は固くて身体が痛くなっちゃいます」
「ははっ。優しいね、リディアちゃんは。俺の身体、心配してくれるんだ?」
「そ、そんなんじゃありません! 部屋はちゃんと用意できるので、ゆっくり寝て欲しいだけです。人間、睡眠は重要ですし」
「睡眠は重要……ねぇ」
お兄さんは意味深に微笑むと、私の手を取ってゆるく握った。そして腰をかがめてじっと私の顔を覗き込んでくる。
「それじゃあ折角の恋人なんだし、一緒に寝る?」
「は!?」
「ほら、人肌って温かくて落ち着くでしょ。いい睡眠がとれそうじゃない?」
吸い込まれそうな紺碧の瞳が挑発的に細められる。本気じゃない。からかわれている。分かっているのになんて破壊力だ。
こんな端正な顔の人、見たことがない。睫毛長すぎ。肌綺麗。人間の目って宝石みたいに透き通るものなのか。同じ人種とは思えない。小説の挿絵どころか絵画だ。絵画。シーツでぐるぐる巻きになっていなければ後ろへ飛びのいていた。
「――ッ、ベッドを! 用意! します!」
「やだなぁ、そんな力強く宣言しなくても」
「全力で! ベッドを! 用意! します!」
「えー、そんなに嫌? お兄さん自信失くしちゃうなぁ」
わざとらしく肩を下げる。しかしすぐさま腰を伸ばして「それで?」と首をかしげた。
「ベッド二つ目を要求する理由は? 普通に怪しいでしょ。どうするの?」
「ベッドを二個つなげてごろごろしたいからにします!」
今のベッドも小さいわけではないが、二つ繋げる夢に比べればちっぽけなもの。魔女の身勝手な注文はある程度許容されている。これくらいならば可愛い我が儘として処理されるはずだ。
私の答えにお兄さんは一拍おいて、けらけらと笑い出した。
「あはははは! 確かにそれは魅力的だねぇ! うんうん、良いと思うよ可愛くて」
「……馬鹿にしてます?」
「まさか! 全部ほんと。可愛いと思ってるよ」
「その可愛いって子供っぽいって事じゃ……まぁ、いいですけど」
私はダイニングに置いてある紙とペンを引っ掴むと、ベッドと書き込んだ。となると食材もだろうか。二人暮らしになるのなら、二人分の食べ物が必要だ。
多めに注文して、食欲が増えましたってことにしておこう。
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