3、嘘つきお兄さん



「あれ? 俺の声聞こえてる? もしもーし」


「ま、待ってください! わけがわからな過ぎて理解が追い付いていません!」



 じりじりと後退しながら片手を前に付き出して牽制する。

 もう全身から胡散臭いオーラが出まくっている。いくら見た目や雰囲気が推しのユーリーン王子そっくりでも――いや、そっくりだからこそ余計に気を抜けない。だってユーリーン王子、一切表情を変えずに首を飛ばしてくるキャラなんだもん。


 更にじりじと距離をあけていき、五メートルほど離れたところでようやく「お話をどうぞ!」と声をかけた。



「いや、さすがにお兄さん傷付いちゃうなぁ」


「うわ、凄い。本当にそっくり。胡散臭い」


「初対面なのに酷い言われよう……」


「今のは褒め言葉です」


「冗談だよねそれ!?」



 困ったように眉を寄せるお兄さん。推しにそっくりは最大級の褒め言葉です。そこまで説明している心の余裕はないのだけれど。

 台車に隠れるようにして彼の様子をうかがう。


 無理やり距離を縮めようとせず、元の位置から律儀に返答してくれるあたり敵意はないのかもしれない。――なんて油断させておいてから隙をついてグサリという可能性もある。殺気を感じないからといって気を緩めてはだめだ。

 そもそも、普通の人間はこんなところまで辿り着けない。


 私の家を中心に約半径五キロに渡って張り巡らされている結界。教会の中でも指折りの術者が束になって張った超強固なそれを抜けない限り、この場に立っているはずがないのだ。

 へらへら笑っているが、このお兄さん絶対に只者じゃない。



「うーん、弱ったなぁ。本当に危害を加えるつもりは一切ないんだけど。と言っても信じられないか。あはは。でもまあ、思ったより人のよさそうな魔女様で安心したよ」


「……人がいい?」



 怪訝そうに眉を寄せる。

 だってそうではないか。私の対応はお世辞にも良いとは言い難い。初対面から警戒心の塊だし、気軽な道案内にすらうんと頷いてあげられない。


 災厄の魔女である以上、この命は世界の命。無駄死にはできない。だから仕方がないとはいえ――そんな可愛げのない女のどこが、人がいいに繋がるのだろう。世辞ならばもっとまともな嘘をついてほしい。

 荷台を持つ手に力がこもる。

 やはりこの人、とっても怪しい。



「あらら。よけい警戒させちゃった? ごめんごめん。でも本心だよ。ここがどういう場所なのか、君がどういう存在なのかは分かっているつもりだ。まあ、君の額を見るまでは妙に厳重な場所だなぁって感想だったんだけど。魔女様の箱庭ならそりゃあそうなるよねぇ。驚かせちゃってごめんね?」


「さすがにちょっと……白々しい、です」


「だよねぇ。俺もそう思う」



 きつい言い方をしてしまった自覚はあるので、申し訳なさそうに目を伏せる。しかし当の本人は一切気にしたそぶりも見せず、むしろその通りだと同意してきたものだからどう反応すればいいのか困ってしまう。 

 彼の目的が分からない。



「あ、そうだ。とりあえずこうしようか」



 いまだ警戒心丸出しの野生動物と化している私に痺れを切らしたのか、お兄さんは両腰に下げていた刀をポイと地面に投げ捨てた。乱雑な扱いにびっくりして二度見する。

 いいのだろうか。大切な武器なのに。


 動揺する私をよそに、彼は腕の防具やグローブ、フードつきの外套なども躊躇なく脱ぎ捨てていく。

 敵意の無さを示すなら武器を置けば十分だと思うんだけど。どうして服まで脱ぐ必要があるのだろう。


 なにかが地面に落ちるたび、ぽふ、ぽふ、とウィッチドロップが白い光を吐き出す。

 今度は靴を脱いで地面に転がした。


 淡い光球が創りだす幻想的な花畑で、なぜかお兄さんのストリップショーが止まらない。

 私は何を見せられているの。

 理解が追い付かなくてただぽかんと見守るしかできない。しかし彼の手がベルトに伸びたところでようやく正気に返り、慌ててストップをかける。



「ちょ、ちょっと待ってください! ど、どどど、どこまで脱ぐつもりですか!」


「君が止めてくれるまで?」



 可愛らしく小首を傾げるが、そんなもので騙されたりはしない。

 まさか変態さんなのか。魔女である私に見せつけるためにわざわざ結界を抜けてきたとか。どんな嫌がらせだ。さすがに想定外である。



「わ、わかっ、わかりました! わかりましたから! 道案内でも何でもします! だからもう大丈夫です! 服を着てください!」


「あはは、なんだ箱入りかい? 顔が真っ赤だぜ? お兄さんちょっと心配になっちゃうなぁ」



 彼はからかうような仕草でするりとベルトを引き抜いた。

 どうして。服を着てと言ったのに脱ぐ方向にもっていくの。

 耳が痛いくらいに熱をもっている。バクバクと激しく脈打つ心臓。視界が狭まり、思考に靄がかかる。逃げなければと思うのに身体が動かない。


 お兄さんは涼やかな顔でベルトに手を這わせ――するりとナイフを引き抜いた。



「……へ?」



 なんてことだ。ベルトのバックル部分が隠しナイフになっている。


 サッと血の気が引き台車を握りしめた。しかしお兄さんは特に何をするでもなく、武器共々またもや地面に投げ捨てる。続いてズボンの裾をめくり、足首に取り付けてあったナイフホルダーごとすべて取り外した。



「はい、これで本当に全部。もう何も持ってないよ」



 ぱっと笑顔をはりつけて両手を挙げる。

 敵意はありませんのポーズだろうが、お兄さんの周りに散らばっているものを改めて確認し、思わず息を飲んだ。

 一体どれだけの武器を隠し持っていたというのだろう。目を凝らすと外套や防具にも仕込みナイフが隠されていたことに気付く。



「変態さんじゃなかった……」


「えー、もっと脱いだ方が良かった?」


「いりません!!」



 ここまで手の内を開示してくれたのなら、本当に害するつもりはないはずだ。

 ふらつく足取りで彼の下に向かう。

 あの武器の量。どう見たって堅気の職業ではない。もしかして何かから逃げる途中でここへ迷い込んでしまったのかも。

 ここは魔女の森。私の箱庭。抜け道の案内くらいならばできる。



「ごめんなさい。あの、道案内でしたよね。一体どちらまで――」


「ほんと、人がいいね。魔女様」



 ひどく穏やかな声だった。

 風が囁くような自然さで首元に手が伸ばされる。ちり、と焼けるような違和感を覚えた。

 どこから出したのか。ぼんやりと薄緑色に光るナイフが首筋に当てられている。ほんの少しでも動けば薄皮を切り裂かれるだろう。



「俺が悪いお兄さんだったら、ここで終わりだよ?」



 微笑を湛えたまま、まるで朝の挨拶のように爽やかに言ってのける。こんなところまで推しのユーリーン王子そっくりだなんて。

 迂闊だった。私の馬鹿。油断ならない人だとあれほど言い聞かせていたのに。

 ウィッチドロップの吐き出す光が、ほんの少しくすんだ気がした。


 じんわりと冷や汗がにじむ。緊張を和らげようと生唾を飲み込んだ。

 私は災厄の魔女。死ぬときはなんの怒りも後悔も持ってはいけない。世界を祝福しなければならない。大丈夫。まだ間に合う。ゆっくり、落ち着くのよリディア。


 視線のみを動かすとお兄さんの周囲に刀、剣、ナイフ、槍、様々な武器が浮かび上がっているのが分かった。たぶん魔法で形作られた実体のない武器だ。

 私は微動だにせず彼を睨みつけた。



「嘘つき」


「心外だなぁ。嘘はついてないでしょ。だってこれ、持ち物じゃないもん」



 お兄さんがパチン、と指を鳴らした。瞬間、浮かんでいた武器たちは霧のように掻き消えた。

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