4、魔女の責務
「そんな屁理屈……というか、いい歳した大人がもんって」
「あ、そこツッコんでくるんだ。あはは。安心してよ。危害を加えるつもりはないっていうのは本当だからさ」
人がよさそうな、けれど底の見えない笑みをはりつけて、彼は私の首筋をするりと撫でた。
落ち着いて考えてみれば分かることだ。
本当に魔女を殺すのが目的ならばこんな回りくどい方法をとらず、出会い頭に息の根を止めればよかっただけ。情けないが、それくらいの隙はあった。そうしなかった時点で、これはタチの悪い冗談だと気付くべきだったのだ。
ぱしんと腕を振りほどき、下からじっとねめつける。
「一体どういうつもりですか」
「あー、悪趣味が過ぎたね。謝るよ。ただ、あまりにも無防備だったからちょっと心配になってね。俺みたいに悪い大人もいるんだから、気を付けなきゃダメだよ?」
「そんな、こと……」
無防備。その言葉が突き刺さった。
災厄の魔女は数億という生命を背負っている。その自覚を持てと言いたいのだろう。忠告されずとも分かっている。いや、分かっていたつもりだった。
結界を抜けてくる人間がいるなんて考えもせず、その上簡単に信用してしまったのは完全に私の落ち度だ。
魔女解放戦線が活発化している今、なにが起こってもいいように警戒は怠るべきではなかったのに。あまりの不甲斐なさに、ぎゅっと拳を握る。
――そういえば。
慌てて辺りを見渡す。ウィッチドロップはぽふ、と真っ白な光を吐き出していた。良かった。
少しくすんで見えたのは、どうやら一時的なものだったらしい。穏やかな光の玉が空に登っていくのを見届けながら、ゆっくりと息を吐き出す。
これなら大丈夫。安心すると同時に全身から力が抜けていく。
「おっと。倒れるならこっち」
「ふえ?」
突然、腕を掴まれ引き寄せられた。そのせいでお兄さんの胸に飛び込む形になってしまい、思わず両手を前に突き出す。しかし逃がさないとばかりに肩に腕を回され、力強く抱きしめられた。
一体なんなの。人で遊ぶのも大概にしてほしい。
私は力いっぱい彼の厚い胸板を叩いた。ひ弱な少女の力では無意味なことくらい分かっていたが想像以上にピクリとも動かない。
悔しい。なんて体幹だ。私のパンチはそよ風か。
「は、離してください! もう絆されたりなんかしないんですからね!」
「あはは、警戒心の強い猫ちゃんみたいになちゃったねぇ。でも、下は刃物が散らばっているから危ないよ。怪我はない?」
私の頭をぽんぽんと撫でながら優しい声で諭してくる。
そうだった。周囲には彼が脱ぎ散らかした衣服や武器の類が散らばっている。この中で倒れてしまえば運悪く怪我をしてしまうかもしれない。病も怪我も魂を曇らせる要因になり得る。
しっかりしなければと誓ったばかりなのに、なんという体たらくだ。
結局、お兄さんの言っていることはすべて正しい。私は駄目な魔女だ。
自分の至らなさを突き付けられた気がして下を向く。
「……ごめん、なさい」
「うん? どうして君が謝るの? 何も悪いことはしていないのに」
「だって、馬鹿な死に方をしてしまったら誰かを道連れにしてしまうから。私はちゃんと、綺麗に死ななくちゃいけないのに。お兄さんもそう言いたいんでしょう? 私は災厄の魔女だから、しっかりお役目を果たせって」
命果てる瞬間、世界を祝福できるよう努めなさい。
教会でお世話になっていた時にまるで呪いのように刻み付けらえた言葉だ。
私が魂を曇らせてしまったら世界中の人々が危機に陥る。魔女として生まれてしまった以上、責務を全うしなければならない。
綺麗に死ぬことだけが、この世に生まれてきた意味――そう教えられて今まで生きてきた。
軽率な行動をとれば、穏やかに笑っていた人たちの表情が一気に曇る。どうして私が魔女なんかにと泣き言を漏らせば背筋が凍るような冷淡な視線を向けられる。
あんなのはもう嫌だ。
一人森の中に引きこもって、誰の顔色も伺わなくてよくなったから久しく忘れていた。失望されるのは怖い。きっとお兄さんも呆れた顔をしているに違いない。
そろりと視線を上げる。
しかし――、予想に反してお兄さんは困ったように眉を寄せ、壊れ物を扱うかのように優しく私の頬を撫でた。
「なんですかその顔」
「……――ああ、いや、良い子だなぁって思って」
「良い子?」
生まれて此の方、向けられたことのない言葉だ。一体誰に言っているのかと首をかしげるが、当然ここには私しかいない。
「なに馬鹿な事を言っているんですか。魔女が良い子なわけないでしょう?」
「良い子に魔女かどうかなんて関係ないだろ。君は良い子だよ。悲しいくらいにね」
淡々とした声色。
そこに感情は読み取れなかった。
もしかしてまた私を試そうとしているのだろうか。だとしたら心外だ。いくら私でも、そんな単純な嘘に騙されたりはしない。
良い魔女かどうかは死んだ後にしか決まらない。司祭様も良い子になれるよう努力なさいといつも言っていた。
変な人、と呟いてそっぽを向く。言っておくが断じて照れ隠しではない。絆されてもいない。
ただ、良い子と言って貰えたのはほんのちょっぴり嬉しかった。
「だいたい、お兄さんのせいで良い子から遠ざかりそうだったんですけどね」
「えぇ、やだなぁ。どうして俺のせいで?」
「情けない話ですが、さっきので少し曇りかけました」
「曇る?」
「ウィッチドロップ。魔女の涙。聞いたことくらいはあるはずです。種も植えていないのに、どこからかやってきて魔女の近くに咲き誇る。ここがその花畑です」
空に登っていく光の玉を人差し指でつつく。
ウィッチドロップの吐き出す光が魔女の魂と連動して、曇り具合を教えてくれるのだ。
ぱちんと弾けたそれは、今のところ何の問題もない純白色。生まれたばかりの赤ん坊でもない限り、知らない人はいない世界の常識である。
お兄さんだって知っているはず。
彼は「ああ」と吐き出すように呟き、指先でその光を押し潰した。潰れた光は流砂となって空気に溶けていく。
「どこにいようが追ってくるなんて、随分と気味の悪い花だよね」
「なに言ってるんですか。この花があるから魔女の管理がしやすくなってるんですよ?」
「管理、ねぇ……」
するりと目が細まった。
先程まであった愛嬌や人懐っこさは鳴りを潜め、冷たいナイフのような空気が漂いはじめる。
別人みたいだ。
しかしそれも一瞬。彼はハッとして私の顔をまじまじ見つめてきた。
瞳の中に写り込んだ自分が視認できるほどの距離である。有体に言えば近い。近すぎる。お兄さんの馬鹿。そんなに近づかなくてもいいでしょうが。
肩をすぼめていつでも逃げられる準備をする。
ただでさえ顔と性格がユーリーン王子に激似で困っているのに、惑わせるような態度はご遠慮願いたい。
「あー、えっと。ってことは、俺のせいでこの光が……?」
「だ、だから最初からそう言ってるじゃないですか」
「ごめーん! まさかこれくらいで曇るだなんて思ってなかったんだよー!」
両手を合わせてぺこぺこ頭を下げる。
悪かったですね。これくらいで曇らせてしまって。
人間も十人十色。魔女だって様々だ。首に刃物を突きつけられても一切動じない魔女だっていたかもしれない。
そう考えると私はまだまだ未熟だ。死ぬのも、痛いのも、怖いと思ってしまう。
いっそのこと感情なんてものが消えてしまえば、何も感じずに死を受け入れられるのに。
「それで? 本当に道に迷っているのなら案内くらいはします。言っておきますが、ただのお礼ですからね。緩んでいた気を引き締めていただきありがとうございました。もう油断はしません。魔女のお役目はきっちりと果たします」
「はぁ、君って人がいいにもほどがあるよねぇ」
「む。一応対策は考えてあります。半径五メートル以内には近寄らないようにしていただくつもりです!」
「あはは。そういうことじゃないんだけど。……まったく、今まで出会った人間の中で一番綺麗だと思ったのが魔女様なんて、皮肉もいいところだ」
「綺麗? なにか変なものでも食べましたか? 解毒薬なら家に戻ればありますけど。大体、私は人間ではなく魔じ――」
続きはもういいと言わんばかりに、お兄さんの人差し指が私の唇に押し当てられる。
分かっているのならわざわざ訂正させないでほしい。平々凡々な見た目だってことは自分が一番よく理解している。
むっと唇を尖らせると、彼は優しげに笑って指を離した。
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